108 深夜
Ж
深夜になり、俺とポラは資料室に移動した。
そこは1Fを丸々使用するほど膨大な量があった。
俺とポラは、手当たり次第にバックナンバーに目を通していった。
日付の浅いものから棚から取り出し、「マイアム」という男が、或いは屋号が、記事になっていないか調べていく。
幸い、『ペイパーカット』は地元紙でフリジア、特にゲットーのことを中心にしているため、余計なニュースは少なかった。
俺とポラはとにかくスピード重視で次から次に新聞の調査をこなしていった。
深夜の室内に、紙をめくる音だけが響いている。
「あの、少しいいですか」
深夜一時を過ぎたころ。
俺は新聞に目を落としながら、少し離れた所にいるポラに聞いた。
ちなみに現在、シーシーはソファーでぐっすり寝ている。
子猫並みに寝る人である。
「なんですかー」
ポラは俺とは比べものにならないほどテキパキと目視を進めながら、返事をした。
「ちょっと気になっていることがあって」
「はい。なんでしょう」
「えっと、その」
「なんですか」
「あの、全然関係ないことなんですけど」
「いいですよ」
「えーっと、なんていうか、その」
思わず手を止めてしまう。
なんとなく、聞きにくいことだった。
「あの、昼間に言っていたことですが」
「はい」
「ポラさん、俺がエリーさんの家に来たのが友人だったんじゃないか、と聞いた時、こう言ってましたよね。“私たちに友達はいません”って」
「はい。言いましたね」
「あれって、その、本当なんですか」
「本当ですよ。この仕事やってたら、友達や家族なんて邪魔でしかないですから」
あっけらかんと答える。
俺はその表情を見ながら、リージョが差し入れてくれたコーヒーをちびりと飲んだ。
苦い。
「それがなにか?」
「い、いえ、別に」
それきり、会話は途絶えた。
室内にはまた沈黙が落ちた。
少しして、また「あの」と声を出した。
「なんです?」
「俺とポラさんって、どういう関係なんでしょうか」
「上司と部下です」
「そ、そうですよね」
また沈黙。
俺は真剣に目を滑らせていくポラを、しばらく見つめた。
いくら話しかけても、彼女は調査の手を止めない。
「あの」
「はい」
「俺は、ポラさんのこと、ただの仕事上の関係だとは思ってなくて」
「はい」
「俺、ポラさんと、結構仲良くなれたと思ってて」
「はい?」
そこで、ようやくポラは手を止め、目を上げた。
「なんですか、それ」
「ああいや、すいません。先輩であるポラさんに向かって、こんなこと言うのは失礼だし、俺も、上司と部下の関係だってことは分かってるんですけど」
ポラは俺を見つめた。
何を言おうとしているのかを探る様な、怪訝な目線だった。
「なんていうか、単なるパートナーだって言いきられるとなんか寂しいって言うか」
「どうしたんですか、急に。まるで子供みたいに」
少し呆れ気味だ。
俺は急に恥ずかしくなって、こんなことを言い出したことを後悔した。
「すいません。でも、本心なんです」
それでも、俺は続けた。
途中でやめてしまうことは、もっと恥ずかしいことであるような気がした。
「俺、突然こっちの世界にやってきて、右も左も分からなくて、どうやって生きて行ったら分からなくて、そこでポラさんのお世話になって。ポラさんは恩人だけど、とても話しやすくて、優しくて。俺、本当にポラさんに感謝してて、それをずっと言いたくて。でも、俺って未だに迷惑かけっぱなしで、だからこんなこと言うのははっきり言って烏滸がましいんですけど――」
そこで言葉を止めた。
言いたいことが多すぎて、全然まとまっていない。
でも、どうしても伝えておきたい。
今言わないと、多分、ずっと言わない。
だから照れ臭さを押し殺し、誤魔化すように頭をガリガリと掻いて、再び口を開いた。
「なんていうか、要するに俺、ポラさんのこと、友達だとも思ってて」
俺は真っ赤になりながら、ポラを見つめた。
ポラも、俺を見ていた。
「甘ちゃんですね、ポチ君は」
やがて、吐息交じりにポラは言った。
「まったく、とても海賊とは思えない言葉です。船長に聞かれたらぶん殴られますよ」
「す、すいません」
「キミのいた世界というのは、よほど平和ボケた場所だったんでしょうか。いいですか。私はポチ君を友人だと思ったことはありませんし、これからも思いません。勘違いは許しませんよ」
「は、はあ」
「もう一度言います。私とあなたは友達ではありません。それを肝に銘じておきなさい」
以上、と話を打ち切る。
すいません、と俺はもう一度、頭を下げた。
やっぱり怒られた。
――けど。
けど俺は、言ってよかったと思っていた。
心の中がこんなにすっきりしているんだから、少なくとも俺的には、気持ちを伝えてよかった。
「さあ、くだらないことを言ってないで、仕事に戻りましょう。船長には黙っておいてあげます」
「うぃっす。頑張ります」
俺は腕まくりをして、よーしやるぞ、と大仰な声を出した。
Ж
午前3時過ぎ。
ポラは熱いコーヒーを入れなおし、小休止をとっていた。
さすがに少し眠い。
目の間を指でつまみ、短く首を振った。
目の前には、うつ伏せで眠りこけているポチがいた。
随分と粘っていたが、睡魔に負けて、1時間ほど前についに寝てしまった。
余程疲れていたのか、ヨダレを垂らして、すーすーと寝息を立てている。
俺はポラさんのこと、友達だと思っています、か。
数時間前のやり取りを思い出し、ポラは思わず苦笑した。
本当に変な子だ。
未熟で、単純で、真っすぐで。
感情丸出しで、聞いてるこちらが恥ずかしくなるようなことを真正面から言って来る。
おまけにその青さに命を賭けるのだ。
その不条理。
不合理。
ポチは、まさにポラの正反対の男だ。
だがその危うさこそ、彼の本当の欠点であり、そして同時に、どうしようもなく魅力なんだろう。
魅力、か。
思い浮かんだ言葉に、ポラは考えた。
そうである。
彼は愚かで不合理的だが、確かな魅力があるのだ。
人を惹きつけ、或いは、人を変えてしまうほどの引力がある。
例えばシーシーは前より随分目が優しくなった。
野生の犬ころのような眼差しが和らぎ、今は少し光が宿っている。
『デイジーズ・ファン』のルナなど、もはや別人のように活き活きと生きている。
さらに――リュカ皇子も。
彼女も、ポチに出会って覚醒した。
ポラはちらとポチの寝顔を見た。
まだ幼さの残る顔立ち。
そしてそれは、他人事ではないのかもしれない。
彼と過ごすうち、もしかしたら気付かぬ内に、自分も少し変わりつつあるんじゃないか。
ポラはつと、そんな想いに駆られた。
ただ。
このポチという男が私たちにとって良薬なのか。
それとも死に至る毒薬なのか。
私はまだ、船長ほど信用はしていない。
――あんたには心があるのさ。
いつか聞いた、キースの言葉が脳裏に蘇った。
まさかね。
らしくないわと思い、ポラは首を振った。
それから。
コーヒーを飲み終えるまでの間、ポラは彼の寝顔をしばらく見つめていた。