107 土竜
Ж
俺たちは一旦、ゲットーの第一地区にある自分たちの海賊船へと戻ることにした。
とにもかくにも一度落ち着いて、そこで今後のことを話し合おうと思った。
だが、第一港に帰ってみると、そこにはすでに幾人かの男たちが船を取り囲んでいた。
おそらく――いや、間違いなくモグラどもだろう。
シーシーが奴らに動く“口実”を与えてしまったとはいえ――それにしても動きが速い。
この港は白木綿が特別に借り切っている場所だ。
許可なく入ることはミスティエに喧嘩を売ることと同義である。
故に、わざわざバリケードや施錠などを施さずとも無断で侵入するものはいない。
つまり、彼らは白木綿を全く恐れていないわけである。
要するに、土竜とはそういう組織だというわけだ。
「彼ら、どうやら本気のようですね」
海産用倉庫から様子を伺いながら、ポラは上唇をぺろりと舐めた。
少し嬉しそうなのは気のせいだろうか。
「まさか、ここにまで追って来るなんてね。さすがに良い根性してるわ」
「せ、船長に知らせた方がいいんじゃないですかね」
俺は進言した。
ここはお上に顔の利くミスティエに収めてもらうべきだと思った。
「残念ながら、船長は今、国外です」
「へ? この街にいないんですか?」
俺は思わず目を見開いた。
「はい。帰ってくるのは早くて2週間後、3週間は見といたほうがいいでしょう」
「な、なんてこった」
俺は右手で頭を抱えた。
「最悪だ。よりによって、このタイミングで外国に行っちゃってるなんて」
「いえ、運が悪いわけではないかもしれません」
「ど、どう言うことっすか」
「もしかしたら、奴らは船長がいない時期を狙って副船長を連行したのかもしれない」
ポラは忌々し気に短く首を振った。
「全ては計画通りだった。そう考える方が自然です」
「計画通り?」
「はい。つまり、土竜はずっとエリーさんに目をつけていた。そして、船長がいない今を見計らって、身柄を拘束した。ウチの縄張りに堂々と入ってくるだなんて大胆な行動も、“ミスティエ不在”を知っているなら得心がいきます」
「な、なるほど」
俺はうーん、と唸った。
「エリーさんは今日、国立教会図書庫で調べ物があると仰っていたんですよね」
「ええ」
「それを手伝ってほしいと」
「そうです」
「それじゃあ――エリーさんは一体、何を調べようとしていたんでしょうか。そこに、何かヒントがありそうな気がしますけど」
「分かりません。そのことは、今日、彼女に会ってから聞く予定でしたから」
「その、なんていうか、以前にそれらしい話とかも聞いてないんですか?」
「ええ。エリーさんは基本的に単行主義の秘密主義の個人主義ですから。他人に要らないことは話しません。だから考えてみれば、今回私たちの力を借りたいと言ってきたこと自体が、少し妙な話だったんです。今思えば――よっぽどの事情があったのかも」
そうですか、と俺は短くうなずいた。
エリーが一体何を探っていたのか。
まずはそれを調べることは必要だ。
そうすれば、何故、“土竜”たちにエリーが狙われていたのかが分かるはず。
その唯一の手掛かり。
それは――
「マイアム・バイヤーズ・クラブ」
と、俺は言った。
「とりあえず、その場所を探してみましょうか」
同じことを考えていたのか、ポラははい、と即答した。
現段階で、手掛かりはそれしかない。
儚く頼りない糸口だが、今はそれを辿る以外に道はない。
そうして目顔で合図を出し、その場を離れようとしたとき、
「ちょっと待ってください」
ポラが一段、声を落として俺を呼び止めた。
目をやると、彼女は再び海賊船の方へ目線を注いでいた。
なんですか、と俺もその先に目をやる。
「あの長身の男が見えますか」
「ああ、はい。鼠色のロングコートを着ている人ですね」
「アーヴィング=イザヤ。元ラングレー陸軍中将。彼が土竜、つまり『重大組織犯罪捜査隊』のトップです」
「と、トップですか」
俺はごくりと息を吞んだ。
短く切り揃えた坊主頭の長身痩躯。
なかなか美形な顔立ちだが、目つきは蛇のように鋭かった。
たしかに、遠くから見ても雰囲気がある。
しかし――組織のトップというにはあまりに若く見える。
夏場にコートを着込んでいるのも異様だ。
「彼が出張ってきているということは、やはりただ事ではないようですね」
「そんなに凄い人物なんですか」
「元秘密警察の大物です。目的のためには手段を選ばない武闘派。アーヴィング中将が絡んでいるということは、かなり上の人間からの指示で動いていると考えてよいでしょう」
「……強いんですか?」
「嫌になるくらい。戦闘や戦術の知識も豊富ですしね。恐らく、何でもありの勝負なら、タガタさんよりも上でしょう」
「し、師匠より?」
心臓の鼓動が早くなる。
それはつまり、武力では俺たちに勝ち目がないということだ。
その時、ンゴー、とまた背中のシーシーがイビキをかいた。
ポラはシーシーの口を手で押さえると、行きましょう、と小声で言って、今度こそ踵を返した。
Ж
俺たちはそれから、ゲットーの第2地区にある法務局の登記所へと向かった。
そこでフリジアにある正規に申請してある企業を調べてみたが、『マイアム・バイヤーズ・クラブ』という店舗や商号はなかった。
ポラの思った通り、これで正規の店でないであろうことが濃厚となった。
非正規に展開している商売だと、探すことがとても困難となる。
何しろ伝手をたどって足で調べていくしかない。
人海戦術の使えない少数精鋭の白木綿にとって、それはとてつもなく骨の折れる行為で、案の定、すぐに会うことのできたポラの知人数人にあたってみたが、彼らはやはり全員知らなかった。
その後、プリムの勤める「ペイパーカット」の本社ビルに赴いた。
生憎彼女は不在であったが、代わりに彼女の上司であるリージョが応対してくれた。
プリムよりもずっと古参の記者だから期待したが、やはり答えは芳しくなかった。
その後、わざわざ会社にいる人間に聞きまわってくれたが、結果は同様だった。
地元の記者が知らないとなると、『マイアム・バイヤーズ・クラブ』は裏社会においても、かなりマイナーな場所だということになる。
話を終えたとき、日はすっかり落ちていた。
ポラが追われている旨を伝えると、リージョは一晩、空き部屋を使ってくれていいとまで言ってくれた。
「ありがとうございます。本当に助かります」
ポラは丁寧に頭を下げた。
「いいんだよ。うちもプリムがお世話になっているようだしな。それに、あんたらに恩を売れるのはラッキーだ。ミスティエ船長に、くれぐれもよろしく伝えておいてくれ」
「もちろんです」
「露骨で格好悪いが、頼むよ」
リージョはそう言って、コーヒーを片手にがははと豪快に笑った。
「おいおっさん! もう一枚ピザ頼んでもいいか!」
応接テーブルにいるシーシーが、トマトソースで口の周りをベトベトにしながら言った。
リージョは微笑みながらいいよと親指を立てた。
ポラがすみません、と謝る。
シーシーはサンキュー、と言いながら、リージョの肩にぴょんと飛び乗った。
この人は面倒くさいけど、とりあえず腹を満腹にさせとけば大人しくなるということが分かった。
「よかったな、ポチ!」
「い、いや、俺はもう腹いっぱいで」
「なんだそれ! そんなことじゃ大きくなれんぞ! うちくらいたくさん食え!」
いや、シーシーさんは食いまくってるけどチビっ子じゃん。
そう言いかけたが、ギリギリのところで飲み込んだ。
俺はゲフ、と小さくゲップをして、席を立った。
ここにいたらもう一枚、食べさせられそうだ。
「すいません、リージョさん。もう一つ、頼みたいことが」
俺がポラの横に座ると同時に、ポラがそう切り出した。
「いいよ、いくらでも頼みなさい」
「ああいえ、ピザはもう結構です」
ポラはこほんと空咳をした。
「よかったら、今夜、資料室を使わせてもらえませんか」
「資料室を?」
「過去のペイパーカットさんの記事を浚ってみたいんです。もしかすると、マイアム・バイヤーズ・クラブのことが書かれてあるかもしれない」
「ああ、なるほど。それは別に構わんよ」
「ありがとうございます」
「だが、大丈夫かい。すごい量だよ」
「調べ物は慣れてますから」
ポラは丁寧に礼を言い、小首をかしげた。
「ま、マジで調べるんスか」
俺は思わず聞いた。
「ええ。一晩かければ、何かヒントがあるかもしれない。その店が非合法の店なら、過去に摘発されたり何か事件を起こしていたりする可能性があるかと」
「な、なるほど」
「ああ、ポチ君は寝てくださいね。私一人で調べますから」
「いやいや、ポラさんがやるなら、俺も協力します」
「いいですよ。無理しないでください」
「それは俺のセリフですよ。ポラさんこそ、きっちり休息をとってください」
「あらあら。ポチ君、優しいですね」
「そんなお世辞はいいですから。頼みますよ、ほんと」
「ふふ。分かりました」
ポラはにっこりと笑った。
それは優しさでも何でもなく、切実な俺の想いだった。
エリーさんも船長もいない今。
ポラさんまでバテてしまったら――俺たちは終わりだ。
「おい、おっさん! うち、クリームソーダも飲みたいんだが! 至急なんだが! エマージェンシーなんだが! 飲みてえ! キンキンに冷えたクリームジュースが! ギャー! 飲みてー!」
シーシーがまた何か言っている。
ポラさん……本当に、頼みます。




