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番外編4 『タガタとミスティエ』 


 Ж


 一日の仕事を終え、タガタが自宅へと戻ると珍しい顔が待っていた。

 満月の残光を纏った金髪に闇夜に映える鋭い瞳。

 フリジアを根城にする美猫。


 白木綿キャラコのミスティエが、玄関扉に寄り掛かっていた。


「よう、おっさん」


 ミスティエは少し顎を上げ、微かに目を細めた。


「なんだ。また何か厄介ごとか」


 タガタは少しうんざりしたように言った。

 この女が絡むと、いつも疲れることばかりだ。


「そんな顔するなって。今日は仕事は抜きだ」

「仕事抜き?」


 タガタは眉を寄せた。


「どういう意味だ。お前が何の用事もないのに、私の元へ来るなんて」

「用事がねえとは言ってねえだろ」

「いよいよ不吉だな。仕事以外で、一体なにがあるっていうんだ」


 ミスティエはくつくつと笑った。


「ポチのことだ」

「タナカ君?」

「どうだ、あいつは。見所はあるか」


 ミスティエはそう言いながら、瓶ビールを投げて寄越した。

 どこにでも売っている雑味の混じった安ビール。

 唸るほど金を持っているはずなのに、彼女はこういう酒を好む。

 

ぬるいな」

「贅沢言うな。テメーが遅いのが悪いんだろ」


 ミスティエはそう言いながら、自らも持っていた同じビールを煽った。

 タガタは思わず微笑んだ。

 ミスティエがここで自分を待っていたと思うと、なんだか可笑しかった。


「ポテンシャルは大したものだよ」

 タガタはビールに口をつけ、一口ちびりと飲んだ。

「キミの言う通り、無限の力を想起させる。その秘めたるオーラの総量はまるで大海を想わせるほどだ」


「具体的にはどの程度強いと思う」


 ミスティエは少し首を傾げ、美しい髪をたらりと垂らした。

 そうだな、とタガタは少し考え、手にしていた家の鍵をポケットに戻した。


「持てる力を出し切れば、リミットは想像できない。私は件のトートルア皇子殺害未遂事件の時にミュッヘン海賊団の船長、キュリオ=フォーと初めて対峙したが、あの女はまさに神域の強さだった。恥ずかしい話だが、相対しているだけで足が震えたよ。しかし、タナカ君の潜在能力はもしかしたら彼女に匹敵するかもしれない」

「ふむ。あたしの見立てとほぼ同じだ」

「しかし、大事なのはその“能力”を任意で引き出せるかどうか。それが聞きたいんだろ?」


 タガタは先回りして言った。

 そうだ、とミスティエは頷いた。


「ポチは位相空間移動者ドリフターだ。この世界ではない、別世界からやってきた人間。ここではまだ数人しか確認されていない、超希少種の男だ。あいつらはその希少さ故、まだその正体がほとんど解明されていない。しかし、お前なら――」


 何かわかるはずだろ、とミスティエはビール瓶の口をタガタに向けた。


「私がドリフターの息子だからか?」


 タガタは口の端を上げた。

 ミスティエは今度は返事をしなかった。


 タガタはふん、と鼻を鳴らした。


「たしかに私の父、ムラサキ=タガタはドリフターだった。しかし、私にその能力はないぞ。私と父は、血が繋がっていないんだからな」

「知ってるさ。だが、お前は長い間、あの魔導士を近くで見てきたはずだ」


 知っているのか。

 タガタは思わず苦笑した。

 まったく、この女はなんでも知ってやがるな。


「たしかにそうだ。だから分かるんだ。タナカ君には未曽有の力があることがね。だが、残念ながら私に分かるのはそこまでだ。どうやれば自由にドリフターの力が引き出せるのか、その方法論は確立されていない」

「そうか。そいつは確かに残念だな」

「しかし、見込みはある」

「見込み?」

「ああ。ミスティエ、君はあの少年のどこが一番すごいと思う?」

「あ? なんだ、そのテキトーな質問は」

「いいから答えてみなさい。たまには曖昧な問いに悩むのもいいもんだ。キミはいつも、明解すぎる」


 ミスティエは不機嫌そうに口を尖らせた。

 そして彼女にしては珍しく、何やら考え込んだ。

 

「……そうだな。すげー馬鹿なところか」


 やがて、ぽつりとそんな風に言った。

 タガタは思わず、はっは、と声を出して笑った。


「な、なんだよ。笑うんじゃねえ」


 少し顔を赤くして、ミスティエが言った。

 だが、タガタはしばらく笑いが止まらなかった。


「すまない。キミでも、そんな素朴なことを言うんだなと思ってね」

「うるせーな。ポチはなんつーか、一言で表現するのが難しいんだよ」

「それが珍しいのさ。キミはとても頭がいい。答えを出すのが得意だからね」

「消去法だよ。曖昧に生きるには、この世の中はあまりにクソったれだ」

「君らしい考え方だ。だが、私も概ね、似たような意見だ」


 タガタはくい、と温いビールを煽った。


「私が一番タナカ君の秀でていると思う所は、あの度を越した正義感だと思うんだ。信念を貫く心、というのかな。自分が正しいと思うことにならどんな強大な敵にも怯まないし、自らが許せない理不尽なことに対してなら、平気で自分の命を賭して戦う」

「つまり、馬鹿だってことだろ」


 ミスティエはタガタを遮って言った。

 タガタは肩を竦めた。


「まあ、そうなるね。彼は本当に馬鹿がつくほど純粋だ。彼が元居た世界というのは、よほど正しい世界だったんだろうか」


 タガタは星空を見上げて言った。

 まるで、その向こうにあるだろう“異世界”を見ているかのように、目を細めた。


「逆だろ」


 と、ミスティエは言った。


「逆?」

「あんな野郎がたくさんいるってんなら、そりゃあこの街よりよっぽど狂った世界だ」

「なるほど。そうとも言えるか」


 タガタはにやりと笑った。

 ミスティエは笑わなかった。


 その時、二人の間を野良猫が走り抜けた。


「ともかく、あの少年の恐ろしい所はそこなんだ」

 と、タガタは言った。

「ミスティエ君。私は今、キミに言われた通り、タナカ君を最大限に鍛えている。すると彼は、本当に死ぬんじゃないかという所まで自分を追い込むんだよ。いや、私が止めなかったら、きっともう何度も死んでいる。それくらい無茶苦茶な修行を、自らに課しているんだ。ただ、友人を助けたい、という信念に従ってね」


 タガタは走り去っていく猫を見ながら語った。

 そうかい、とミスティエは言った。


「いかにもポチらしい行動だ」

「しかし、いいのかい? このペースでやっていたら、もしかしたら彼はいつか、本当に命を落としてしまうかもしれない」

「あいつがそれでいいなら、いいんだろ」

「なんだい、その言い草は」

「あん?」

「いつもは彼を自分の所有物のように言っているのに」


 タガタは少し意地悪な物言いをした。

 ミスティエは肩を竦めて、小さく息を吐いた。


「ポチはあたしのもんだよ。だが、あいつはあたしが止めろと言って止めるやつじゃない。リュカ皇子のことが絡んでいる限り、な」

「……なるほど」

「このあたしの命令を無視しやがるんだ。大した馬鹿だろ?」


 あはは、とミスティエは嬉しそうに笑った。


 珍しい、とタガタは思った。

 本当に、今日のようなミスティエは珍しい。

 この笑顔。

 まるで、その辺にいる普通の少女のようだ。

 

「しかし、その馬鹿のおかげで、光明が見えているんだ」


 タガタは言った。


「どういうことだ?」

「彼は極限状態に至ったとき、オーラが一瞬開くときがあるんだ。ただし、今のところ肉体的な苦痛でそれを再現するのは危険すぎると思っている。タナカ君は心のブレーキが効かない。強くなるために死んでしまう、なんて笑えないジョークだろう。だから、正直言って、どこまで力を引き出す訓練をすべきか迷っている」


 ふーん、とミスティエは短くうなずいた。

 いかにも興味なさげだが、少し演技がかっているようにも見える。


「まあ、その辺はテメーに全て任せるよ」


 ミスティエはよっと言って、扉から体を離した。


「あたしはタガタという男を信頼してるからな。オメーでダメなら、そりゃあもうしょうがねえ。だから好きにやってくれ」

「それはつまり、タナカ君の意志に任せるってことでいいんだね」

「ああ」


 ミスティエは頷くと、手のひらをひらひらさせた。


「それじゃあな。今日は時間をとらせて悪かったな」


 そう言って、さっさと歩き出す。

 その背中を見ながら、タガタはまたちょっと笑った。

 

 なんのことはない。

 ミスティエは今日、タナカのことが心配で様子を見に来たのだ。

 無頼ぶっていても、誰より船員のことが好きなんだろう。


「ミスティエ。ちょっといいかな」


 タガタはミスティエに声をかけた。

 すると彼女は、半身だけ振り向いた。


「なんだ?」

「タナカ君はこの世界の人間じゃない。それは君も分かってると思うが」

「だからなんだ」

「もしもいつか、彼が自分の世界に帰る術を見つけ、そこへ帰りたいと言ったら――キミはどうする?」


 想定外の質問だったのか。

 ミスティエは眉根を寄せた。


「なんだそりゃ。くだらねえこと聞きやがる」

「すまないね。だが、どうしても聞いてみたくて。仕事以外の話をキミと出来るチャンス滅多にない」


 どうなんだね、とタガタは聞いた。

 ミスティエは「そうだな」と言って、刹那、空を見上げた。


「そんなもん、そう簡単に許すわけねえだろ」


 そして、いつもの美しい流し目でこちらを見て、


「ポチは、白木綿海賊団の船員クルーなんだから」


 と、言った。

 彼女のシンメトリーの瞳には、真ん丸の月が映っていた。



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