番外編 パニーニ 2
Ж
埠頭から門扉をくぐり、桟橋からターミナルへと向かって二人並んで歩いた。
日差しと潮風が心地よい。
港に来たのはいつぶりだろうか。
「どこに行ってたの」
と、パニーニは聞いた。
「ちょっと買い出しに」
「食材?」
「うん。あと、その他にもいろいろ」
「半分、持とうか?」
「いや、大丈夫大丈夫」
「たくさん買ったね」
「まあね。二人分だし」
「二人分?」
パニーニは思わず少し声を大きくした。
「ポチって、誰かと一緒に住んでるの?」
「そうだよ。上司と」
「上司って――」
たしか、白木綿海賊団は女だけで構成されている女海賊だ。
「ポラさんって人なんだけどね。これがまた厳しい人で」
「……へえ」
「まあ、優しいとこもあるんだけどさ。ちょっと口うるさいとこがあって――あれ?」
パニーニが足を止めると、数歩行ったところでポチも足を止め、振り返った。
「どうしたの?」
「その人、今日もいるの?」
「うん、多分」
「……ごめん。じゃあ、いい」
「いい? いいってなにが」
「今日は止めとく」
パニーニは踵を返し、元来た道を歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
荷物を抱えたまま、すぐにポチが追い付いてくる。
「な、なんかまずかった?」
「ううん、別に」
「ちょっと待ってって」
ポチはパニーニの肩に手を置いた。
片手を放したせいで一つ袋が傾き、果物がバラバラと地面に落ちた。
「なんかよく分かんねーけどさ」
ポチはパニーニを見ながら言った。
「とりあえず、ちょっとここで待ってて」
ポチはそう言うと、地面に落ちた果物を器用に拾い上げ、海賊船へと向かって走った。
それからものの一分程度で、すぐにまたこちらに帰ってくる。
手ぶらになっていた。
「よし、じゃあ行こうか」
そうして、何事もなかったように歩き出す。
「行くって、どこに」
ポチは半身だけ振り返った。
「さあ。パニーニの行きたいとこでいいよ」
ポチはにこりと笑った。
それ以上、何も言わなかった。
パニーニは下唇を噛んだ。
こいつ、やっぱ良い奴。
「ポチ」
ポチに追いつくと、パニーニは言った。
そして、ポケットからいつかもらった紙きれを取り出した。
「なに?」
「これ」
「なに、これ」
「あんたが言ったんでしょ。困ったらこれを持ってここに来いって」
「パニーニ、なんか困ってんの?」
「ううん。でも、今日は付き合ってもらうから。ここで、これ使う」
「なんだそれ」
と、ポチはくすりと笑った。
「貸し借りは関係ないだろ。遊びに行くだけなんだから」
さあ行こうぜ、とポチは紙を受け取らず、踵を返してさっさと歩き出した。
「……うん」
パニーニは頷いた後、もう一度、今度はバレないように小さく、うん、ともう一度頷いた。
そして、ポチの背中を追いかけて走り出した。
Ж
パニーニとポチはフリジアの街に繰り出した。
彼の行きつけで食事をし、往来に林立する屋台でバナナのハチミツ漬けを買った。
それを食べながら、たまたま路上で催されていた人形劇を一緒に見た。
難しい話だった。
どうやら悲劇のようだったが、パニーニにはよく分からなかった。
あとからポチに解説してもらうと、国を娘たちに奪われた王様の話だということだった。
正直に言うと、説明されてもよく分からなかった。
それから夕方になると、公園(というほど良いものではないが)に移動して、適当な空き地を探して座り、二人で色々な話をした。
ポチはどうやらニホンという国からやってきたようだった。
彼の話はとても奇妙だった。
ニホンには魔法や魔石などが無い代わりに、科学や社会制度が高度に成長しているらしかった。
遠くの人と顔を見て話が出来る道具があったり、大量の人間を乗せたまま超高速で移動できる乗り物があったり、あまつさえ星を飛び出して宇宙に行ったり。
魔法以上に魔法のような話ばかりだった。
そして国民はみな平等に最低限の教育を受ける権利があって、貧しい出でも努力次第でお金持ちになれるチャンスがあるのだという。
夢のような話だと思った。
私も行きたいと思った。
でも正直な話、パニーニの想像力では、とてもじゃないが追いつかない話だった。
きっと私は、ポチの言っていることの半分も理解できていない。
それでも不思議と、ポチの話ならいつまでも聴いていられた。
パニーニはうんうんと、ずっと頷きながら聞いていた。
Ж
「ポチって、ほんとに頭が良いね」
夕焼けに目を細めながら、パニーニは呟いた。
「いや、俺なんて全然頭よくないけど」
ポチは肩を竦めて、首を振った。
「そんなことない。話してたら分かるもん」
「買いかぶりすぎだってば。学校でもそんな成績の良い方でもなかったし」
学校、か。
私はろくに行ってないや。
パニーニは膝を抱えた。
「……私って、すごい馬鹿なんだよね」
「なんだよ、さっきから」
「いいから聞いてよ」
パニーニは口を尖らせた。
「きっとさ、ポチはこれからもっと大物になるよ」
「大物?」
「うん」
「そんなわけないじゃん」
「なるよ。私なんておいそれと会えないような人に」
「なんでそう思うの」
「なんか、そんな予感がする」
「予感、ね」
「そ。勘」
「適当だなあ」
ポチは苦笑した。
釣られるように、パニーニもちょっと笑う。
「でもさ、私はてんで駄目。何の才能もないし、本当に馬鹿で世間知らず。一生このくだらない街で、くだらない人生送るんだよ。きっとさ」
すっかり言ってしまってから、自分でも嫌になった。
何を言っているんだろう。
パニーニは膝に顔を埋めた。
これじゃ、ただの愚痴だ。
ポチに、こんなこと言ってもしょうがないのに。
「分かるなあ」
だって言うのに、ポチはそんな風に唸った。
「高校の頃、俺も時々、そう思ってた。俺には才能がない。きっと夢も叶わずに、プロ野球選手にもなれずに、しょぼい人生送るんだろうなって」
パニーニは目をぱちくりさせた。
「ポチが、そんな風に考えてたの?」
「うん。俺の国じゃあ、俺よりすごい奴だらけだったからね」
ポチは夕日に目を細めた。
辺りはもうすっかりオレンジに染まっている。
「でもさ」
と、ポチは言った。
「でも、この国に来て、色々な人たちを見て、考え方が変わったんだ」
パニーニはさらにポチに近づいた。
「どんな風に?」
「なんていうかなあ、生きるってのは、しょぼいとかしょぼくないとか、そういうことじゃないんだなって、そう思うようになったっつーか」
「意味わからないんだけど」
「俺も、はは、よく分からない。けど、この街ってほら、なんか色々と問答無用でしょ。いちいち考えてる暇なんてない。そうすると、もう野球選手とかなんとか、そんなこと言ってる場合じゃないなって」
「諦めたってこと?」
「そうかもね。ただ、腐ってるわけじゃないよ。俺には、やらなきゃいけないことがあるからさ」
「やらなきゃいけないこと?」
「そう」
ポチはぐっと拳を握った。
「強くなること。船長やシーシーさんに負けないくらい、強くなること」
「どうして――強くなりたいの」
「助けなきゃいけない人がいるから。俺の力がないばっかりに、助けられなかった友達がいるから」
ポチは少し悲し気に目を伏せた。
その眼があまりに寂しそうで、パニーニはそれ以上深く聞くことを止めた。
ただその時の彼の横顔を見て、気付いた。
ああ、そうか。
自分には、自分しかいないんだ。
だからきっと、毎日が空虚で退屈なんだ。
「ごめん」
パニーニは謝った。
「なんか、嫌なこと聞いちゃったみたい」
「いいや」
ポチは首を振った。
「そんなことない。つーか今日はなんか、久々に楽しかったよ。最近、修行ばっかりでさ。いい加減、うんざりしてたんだ」
ポチはからからと笑った。
「ほんと?」
パニーニは聞いた。
「ほんと」
ポチは微笑んで、頷いた。
西日で眩しそうなポチの顔は、とても優しかった。
パニーニは少し気合を入れた。
思い切って、言おう、と思った。
「ねえ、ポチ」
と、パニーニは言った。
「……じゃあさ、時々、こうして誘ってもいい?」
パニーニは真剣な面持ちでポチを見つめた。
思わず、手に汗が滲んだ。
考えてみれば、自分から男の子を誘うのは初めてのことだった。
ポチは「なにそれ」と苦笑した。
「そんなの、イチイチ聞くことかよ」
「聞いちゃいけない?」
「いけない」
「なんで」
「なんでって、そりゃあ」
「ねえ、なんで」
パニーニはせがむように言い、上半身をポチに寄せた。
ポチは顔をそむけた。
そして、ちょっと口を尖らせるようにして、
「友だちだから」
と、なぜか少し難しそうな顔つきで言った。
パニーニはうん、と頷いた。
すっかり冷めてしまったハチミツ漬けに、パクリと食いつく。
遠くに目をやると、フリジアの街が夕焼けでオレンジに染まっていた。
今日のことは、ずっと忘れずに覚えておこう。
パニーニはそう思いながら。
バレないように、また少しだけ彼に近づいた。
ありがとうございました。