◆豹の槍22◆「なんでお前まで……!」
────食料が尽きた。
ぐぅぅぅ……。
(クソ……!)
腹が鳴るたびに胃がキリキリと痛む。
皮製品も、もうない……。
大量に取れたゼラチンで、何とかしばらくは糊口を凌ぐことができたが、もとより腹に溜まるものでもなし……。
それは、ほんの少しだけ破局を先延ばししただけだった。
~♪
~~♪
そして、さらにジェイクをイラつかせるのは、さっきからやたらと耳に触るリスティの鼻歌だ。
革製品を煮た鍋をしきりにペロペロと舐めている。
もうとっくに空っぽだというのに……。
「ん~~~~♪ 美味しいよー♪ 美味しいよー♪」
コイツ……。
「早く煮ようよ、お肉♪ 焼いて食べようよ、お肉♪ 生でもきっと柔らか~い、お肉♪」
お肉♪
お肉♪
おッ肉ッ♪
げっそりとやせ細っているというのに、目だけはギラギラと光っている。
そして、以前に皮製品を煮て食べたことで多少は栄養を取り、休む事が出来たのか魔力の回復したリスティは再び給水器としての役割を得ていた。
つまり、しばらくは自分が必要だと理解しているのだ。
だから、涎を垂らさんばかりの目でリズを見ている。
そう、見ているのだ……。
鍋を舐めながら、匙をしゃぶりながら……見ているのだ。
お肉♪ お肉♪──と……。
そして、仮死状態になるスキルすら使えないほどに衰弱したリズは、もはや小娘の様に怯え切っていた。
「ひぃぃ───いやだ……。いやだぁ!」
健康な状態ならあの強靭な精神力で毅然としていただろう。
いや、いつものリズなら飢餓に陥っても毅然としていたに違いない。
だが、仮死から覚めて────さらにはこの異常な状況にすっかりと変わってしまった。
今もガタガタと震えながら毛布を被ってリスティの視線から逃れようとしている。
いや、リスティだけではない。ジェイクの目からもだ。
「食べないで……。食べないでぇ……!」
正直……リスティと同じように見ているのだ。
……見ているのだ。
最後の手持ちの食料がなくなった今──。
コレに手をつけなくては、もたないのだから仕方ない。
(仕方ないだろ! 腹が、腹が減ったんだ)
「いやぁ! いやだぁぁ!」
怯え切ったリズはただひたすらに「食べないで、食べないで……」と、うわ言のように繰り返すのみ──。
だが───もう、ジェイクたちに残された時間はない。
火を起こすにしても、
調理するにしても、
捌くにしても、一度はオーガを追い払わねばならない。
そして、強化薬の数はまだあるものの、今度はジェイクがもたない。
身体も、精神もすり減らす強化薬……。
やはり、この薬を使う事の身体への負荷は強烈なものだった。
もしも、普段通りに冒険し、しっかりと休息を取れるならば、何も問題とならないものの……。
今はそれすらも危ういのだ。
オーガどもの群れの中。
絶え間ない緊張感と、空腹。
そして、鼻が曲がりそうな程の悪臭。
拡散させているとはいえ、この中は酷い匂いだ。
それらがない交ぜになると、疲労と多大なストレスに苛まれる……。
そうさ、
とてもではないが、休息など取れたものではない。
(もう、──もう限界だ…………)
痩せ衰えた自分の手をじっと見るジェイク。
視界もボヤけており、手はブルブルと震えている。
───限界だ……。
「今日中に決めないとな……」
「ヒィ!」
その言葉にビクリと跳ねるように震えるリズ。
一方で、
「あはッ♪ 今日!? 今日なの?! 今日はお肉の日なの!? あー! やった~♪」
おっ肉♪
おっ肉♪
おッ肉ぅッ♪
「い、いやぁ……いやぁぁ……」
リズがついに泣き出す。
あの気丈な少女がボロボロと泣いて、くるまっていた毛布を捨ててズルズルと這い出して来る。
そのまま、二人の方を見ないようにして潜伏場所から出ていこうとするも───。
「あらら~? お肉が動いてるよーお肉が動いてるよー」
ドンッッ!!
「いたい! 痛いです……リスティ様、やめて……! やめてください!」
その背中にズンと足を乗せると、完全にイカレた目でリズを見下ろすリスティ。
「……先日もコッソリ逃げようとしたわよね~? もーダメよー。どこに行こうったって最終的には──」
お肉よー♪
そうなのだ……。
先日、飢餓と疲労で泥の様に眠る二人から逃れようとしたリズが、こっそりと脱走したのだ。
もちろん、ロクに歩けない状態のリズに逃げられるはずもなく、すぐに二人に気づかれて────……まるで、動物の様に足を縛られズルズルとこの潜伏場所に引きずり込まれた。
その様は傍から見れば、巣穴に獲物を引き摺り込む昆虫のように見えただろう……。
そして、それ以来リズは一番奥に押し込まれ。
さらにはリズを見張るために二人は入口で見張るようになった。
それは、オーガから護るためではなく……リズを逃がさないようにするために───。
「ねー。もー……面倒くさいから早く絞めようよー。ねージェイクってば~」
「いい加減にしろッ」
リズを踏みしだくリスティを突き飛ばすと、リズを抱き起し毛布にくるんでやる。
「大丈夫か? リズ……───」
だが、その間にもリズはジタバタと暴れると──ジェイクからすら逃れようとする。
「い、いやだ! いやだぁぁぁあ! 助けて……。助けてください!」
最後の力を振り絞っての抵抗。
細腕がジェイクを強かに叩く!
───くっ! コイツ……!
「うるさいッ!! オーガに気付かれるだろうが」
ガツン!───とキツイ一撃をリズに見舞うと、体力的にも精神的にも限界に来ていた彼女はクタリと力なく倒れてしまった。
「あーーーーーーーー♪ やった~~!」
動かなくなったリズ見てリスティが歓声を上げる。
そして、待ち切れないとばかりに、変色したリズの足にかぶり付こうとする。
「チーーーーズの匂~~~~い! 美味しそうぅぅ♪」
「テメェ! いい加減にしろっつってんだろぉぉ!」
リスティを蹴り剥がすと、リズの額に触れ息を確認する。
意識は辛うじてあり、浅い呼吸をしていた。
「お願い……です。お願いで……す」
「なんだ?」
た、
「……タベナイデクダサイ」
食べないで……。
「…………」
食べないで……。
食べないでぇ───。
それには答えないジェイク。
だが、リスティのように露骨にもなれない……。
なれないから、答えられない。
答えられるはずがない。
ただ、だまってリズの頭を撫でてやるのみ……。
(そうさ…………。もう──)
今日のこの一日のウチに決めなければならないな──と、そう考えつつも、既に……。
───選択肢など、ない。
近々、飢餓で死ぬか。
それを、少~し先延ばしするか……。
「タベナイデ……タベナイデ────……タベ───」
「どうした?」
うわ言の様に繰り返すリズ。
優しく頭を撫でながらも、葛藤するジェイク。
リズが嫌いなわけではない。
むしろ……。
──御家がなくなった今。自らの自由を金で買い取ったリズの一族は、いまや奴隷でもなんでもない。
ジェイク達と同じ一個の冒険者なのだ。
それでも、この子は過去の忠義に基づきジェイクについてきてくれた。
ついてきてくれたんだ。
だから、リズは大切な、仲───……。
「けて…………」
「ん? どうした───」
嫌いなわけがない。
嫌いなわけがない。
嫌いな────……。
「──助けて、ビィトさ」
プッツン……。
何かが、音を立てて切れた。
何かが、ナニカハシラナイ……。
ただ、
「アーーーーー…………ハラガヘッタナ。リ・ズ・ぅぅぅ──」
とても、腹が減った。
………それだけだ。




