■■2章-告げられる任務、改めて問われる覚悟。-■■②
頭を下げたまま、微動だにしないルイの姿に、
エドガーを除いた面々は、複雑な表情を浮かべそれを見つめる。
そもそも、何故これほどまでに、ルイが落ち込む事になったのか。
その原因となった事件は、ルイの訓練後、何の前触れも無く突然発生した。
突如変異した特異を制御下に置く事に、無事成功したルイは、
そんな事件が待ちうけているとは知らず、
意気揚々とリズィクル、ルーファス両名と共にギルド内に戻って行く。
「後輩ちゃん、あの影はどれくらい遠くまで攻撃できるもんなんすか?」
服を叩いて砂埃を落としていたルイに、
ふと疑問に思ったルーファスがそう訪ねる。
「んー、10メートルくらい…でしょうか?」
「……投擲はどうっすか。」
「短剣、ナイフなら20メートル、投げ槍なら30メートルは的なら外しません。
動いてる相手でも10メートル以内なら、回避はされる事はあっても、
狙いははずさないと思います。」
特異の射程は、どこか申し訳なさそうに口にしたルイだったが、
投擲の射程にどうかと問われると、態度を一変させ真剣な表情でそう告げる。
際ルイは、エドガーとの訓練時、各武器を扱う際の間合いの違い、
投擲の射程、及び正確性に関して、徹底して把握するようにと口煩く言われている。
そのため特異の射程を問うたルーファスの意図を理解したルイは、
その把握を怠っていた事に思い至り、胸の内で自身を叱責していた。
「ルーファスは、ルイが影の射程を把握していない事に怒ってなどいない。
そもそも、他者の目があるところでの使用を禁止されているのであろう。
それでは、確かめる手段がないではないか。」
2人の様子を窺っていたリズィクルは、沈んだ様子のルイにそう優しく語り掛け、
ルーファスもその通りだと笑顔で頷いて見せた。
「どちらにしても、魔法の訓練も本格的になるとここだと手狭っすからね。」
「影の件ももちろんだが、魔法だってルイがどの様な魔法を扱えるかは、
明け透けに披露する事は良しとは言えん。」
酒場でいつも陽気に酒を酌み交わす冒険者達からも、
ルイの親代わりである名無し(アンノウン)の者達からも、
親しい間柄であっても、自分の手札を容易に晒すのはいけない事だと、
教わってきたルイは、リズィクルの言葉に理解の色を示し、無言で頷く。
その一方で、ルーファスが口にした通り特異だけでなく、
魔法の訓練もとなると、先ほどまで汗を流していた裏庭の一画では些か手狭だ。
「まあ、これからエドっち達との話合い次第っすけど、
明日以降は、もう少し広い場所で訓練できると思うっすから心配しなくて良いっす。」
「広い場所…郊外ですか?」
どうしたものかと思案するルイの肩に、優しく手を掛けたルーファスにそう告げられ、
ルイは広い場所と聞き、いつか狼の群れと遭遇した草原を思い浮かべる。
「あははっ、残念っすけど狼の群れとの再会の機会はないっすよ。
ここの領城内に"武家屋敷"って呼ばれる屋敷があるんす。」
「武家屋敷……って、先輩っ?!
"初めてあった夜"も遠まわしに忠告してくれましたけど、ずっと見てたんですか?」
聞き慣れない単語に一瞬気を取られたルイではあったが、
狼の群れと、人攫い達に遭遇した一件を、
初めてルーファスと出会った夜に忠告された事を今の発言で
思い出したルイは怪訝な表情でルーファスを見つめる。
「あはははっ、ルイの事は仇花、オーリから時々手紙をもらって知ってたっすからね。
あの時、ふらふらと郊外に出て行く後輩ちゃんを偶然見かけて、
心配で様子見てたんすよ。まあ、実際は要らぬ心配だった訳っすけどね。
だから、きっちり一部始終見てたっすっ。そして、師匠連中には共有済っす!」
悪戯が上手くいったと言わんばかりの笑顔で、
そう言い放ったルーファスの口にした通り、
横でリズィクルも口元を隠して笑っている。
知らないところで、師匠たちの間でそんな話が出回っている事を知り、
あまりの恥ずかしさにルイは耳まで真っ赤に染め上げ項垂れた。
「いやいやいや、人助けした立派な行いっすよっ!落ち込む必要ないっす!」
思いの外、想像以上のダメージを負ったルイの反応に焦燥したルーファスは、
慌ててそう口にする。
胸の内で"実は仇花と一部の柱達にも報告済"という事だけは、
秘匿して置かないと遂には泣き出してしまうのではないかと戦々恐々としていた。
「……ったく戯けめ。その馬鹿が冗談めかして口にしたが、
ルイがやった事は立派な人助けだ。何も恥じ入る事はない。
だから、そんな顔をするでない。」
鋭い目線でルーファスを一瞥したリズィクルは、
そう優しい声音で告げるとルイの頭に手を載せて覗き込む。
「それにな、聞けばその被害者達も護衛任務からその内戻ってくると言うではないか。
その者達もきっとルイに再会したのならば感謝を述べてこよう。
命の恩人に礼を言うのは当然。
その時もそのように恥ていては、逆に失礼だと思わないか?」
優しく投げかけられる言葉の1つ1つをゆっくりと咀嚼して行く。
冒険者の命は軽い。
少しのミスがきっかけで強者と言えど魔物の餌に成り得る。
だが、例え軽い命であっても、
救われた者にとっては大切な命である事には変わらない。
救った者は何も恥じる事などない。
ゆっくりと浸透して行くリズィクルの言葉に、羞恥の心が徐々に薄れて行く。
ルイは最後に大きく息を吐き出して漸く笑みを浮かべた。
「それで良い。さて、明日の事は明日になれば分かる。
妾達はエドたちと話し合わねばならぬ事があるから、
ルイはその間に食事を済ませると良い、腹が減っているであろう?」
――ぐぅぅ。
リズィクルの問いかけにルイのお腹が可愛らしく音を立てて答えた。
恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべるルイを優しく撫で、微笑みかける。
「え…。」
「ど、どうしちゃったっすか?!」
すると、突然ルイは狼狽し始める。
その突然の変わりように、ルーファスも慌ててルイを覗きこんだ。
「領城だと…ハィナさんの食事をしばらく食べられないんでしょうか。」
「……後輩ちゃん、心配させないで欲しいっす。」
「くくくっ、あはははっ!」
ルイの独白にルーファスは疲れた顔をしてしゃがみ込んで額に手を当て頭を振る。
リズィクルは、そのあまりに可愛らしい悩みに目に涙を浮かべて笑った。
「くくくっ、訓練の心配よりも食の心配かっ。妾の弟子は大物になるなっ!
あははっ!何も心配せんで良い、ハィナの手料理も掃除も妾がなんとかしてやろう。」
「教授!本当ですか?!」
リズィクルが何も心配するなと破顔すると、
ルイは目を輝かせてリズィクルの手を取り喜色を浮かべた。
「ああ、約束しよう。ただ訓練で不甲斐ない姿を晒して失望などさせてくれるなよ?」
「はいっ!期待に応えられるように、精一杯頑張りますっ!」
ハィナの手料理のためならば、どんな無茶でもしでかしそうなルイの勢いに、
些か不安も感じるものの、せっかくのやる気に水を注すのも気が引ける。
そう割り切る事にしたリズィクルは、ルイの頭を再び撫でた。
そんな2人のやり取りを苦笑を浮かべて見守っていたルーファスは、
こちらに急接近する気配に気づき、視線を向ける。
「ルイ君、発見っ!」
受付カウンターを軽々しく跳躍し、一気距離を詰めてルイに肉薄した。
しなやかな動きでルイの背後を取ったクロエは密着するや否や嬉しそうに声をあげる。
「はぁ…癒される。」
「痛いです。クロエさん、痛いです。」
諦観めいた表情を浮かべるルイの頬を、削り取るかの如く頬ずりを開始した。
リズィクルはルイを心配そうに眺めるも、
クロエのあまりに満足そうな表情を見て何も言い出せずにいる。
「クロエ、良いタイミングっすね。後輩ちゃんお腹空かせてるみたいっすから、
誰か手が空いてるのがいたら、任せたいんすよ。」
「はいはいはいはいっ!仕事もうすぐあがりだから、私に任せてっ!」
ルーファスは、さりげなくルイの肩を引きクロエから解放してそう口にする。
一瞬ではあるが、頬ずりを邪魔されたクロエは不満そうな表情を見せるも、
ルイとの食事と耳にして一気に破顔した。
ルーファスに救出されほっと胸を撫で下ろすルイの可愛らしい姿に、
リズィクルは口元を抑え小さく笑う。
「くくく、何者にも引かない妾の弟子にも苦手な物があったようだな?」
「…言わないでください。一度逃げて抵抗したんですけど、
クロエさんの体力底なしなんです。
抵抗するだけ無駄ですから…それに、本当に嫌な時は止めてくれますし。」
再度距離を縮めようとするクロエから、
そっと距離をとりリズィクルの側に非難したルイはそう零した。
「そりゃ、私だってルイ君には嫌われたくないからねっ!
無理矢理にはしたくないけど、最近訓練ばっかりで、全然構ってくんないんだもんっ!
お姉さんは、ルイ君成分が足りてないっ!あぁ…癒されるっ。」
「…後輩ちゃんの目がこれ以上ないほどに淀んでるっすね。」
リズィクルでは防波堤になる事はなく、
難なく捕獲されたルイは再びクロエのされるがままになる。
苦笑を浮かべたルーファスは、死んだ魚の様なルイを不憫そうに見守りそう零した。
そんな幸せオーラを当たりに撒き散らすクロエの背後に、
やんわりとした優しい笑みを浮かべたリルネッサが現れてクロエの耳元に顔を近づける。
「…クロエ、ルイ君と遊べなくて淋しい気持ちは私も分かるけど、
ちゃんと仕事終わらせてからにしてくれないかな。
受付担当の子達が困って、私のところに相談にきたんだけど…。」
物静かでやんわりとしたいつもと変わらない口調ではあるが、
振り返ったクロエを見つめる瞳には、微かな憤怒の火が灯っている。
怒るととてもではないが、手には負えない友人の忠告に、
心底竦み上がったクロエは、慌ててルイを解放して居住まいを正す。
「ごめんっ!怒らないでっ、リルネッサっ!
すぐ戻るっ!ちゃんとするっ!」
「そうしてくれたら、私も怒ったりしないわ。」
「そーゆー訳だからっ!ルイ君、すぐ終わらせるからねっ!
もう少しだけ待っててねっ!私が戻るまで待っててねっ!置いてかないでねっ!」
必死に謝罪の言葉を浴びせて見るも、
リルネッサの態度が軟化するどころか一蹴されてしまい。
本格的に状況の悪さを察したクロエは、ルイの手を握り泣きだしそうな懇願する。
「ちゃんと待ってますから、早く仕事済ませてきて下さい。」
クロエの必死な形相に押され、ルイは短く嘆息してそう口にした。
「いってくるっ!」
破顔したクロエは、大きく頷き名残惜しそうにルイの手を離すと、
一気にホールを駆け抜け、受付カウンターに戻って行った。
嵐の様なクロエのその姿に、リズィクルはさも可笑しそうに声をたて笑い、
ルーファスは頭を掻きながら疲れた笑みを浮かべる。
そんな2人に向き直り、少し困ったような笑みを浮かべリルネッサは頭を下げた。
「リズィクル様、ルーファス様。相変わらず騒がしい子で、ご迷惑をおかけしました。」
「いやいや、助かったっすよ。悪いっすね、リルネッサ。」
「クロエのあの明るさに、妾たちも何度も救われている。
リルネッサが気を揉むほどの事ではない。」
「お2人にそう言って頂けて良かったです。
それと統括が、お2人が戻られたら会議室まで呼ぶよう言われています。
ルイ君の事は私がお預かり致しますので、ご足労頂けますでしょうか。」
「承知の通り、これは手は掛からんが些か常識知らずだ。
迷惑をかけるかもしれんが、よろしく頼む。」
「ふふっ、しかと承りました。」
リズィクルが去り際に口にした物言いに、ルイは少し頬を膨らませて抗議する。
そんなルイの頭を優しく撫でて、ルーファスを連れだって階上へと向かった。
2人の姿が階上へと消えるまで、繁々の頭を下げ続けていたリルネッサは顔をあげて、
いまだ納得いかないと憮然とした態度のルイに微笑みかける。
「いつまでもそんな顔していないで、先に酒場で席をとって待ちましょ?
クロエも仕事を片付けて私たちの姿が見えなかったら酒場に来るでしょうし。」
ルイの背中に軽く手を添え、リルネッサはそう優しく声をかけると、
酒場に向かって歩きはじめる。
その背中を追ってルイも酒場へと足を向けた。
リルネッサと2人で席についたルイは、
今日の訓練でどんな事を覚えたのかと訪ねられて、
魔法を初めて使えた事や、鋼糸術を教わったと楽しげに報告した。
一生懸命に言葉を選びながらリズィクルとルーファスが、
どれほど凄いかをやや興奮気味で熱弁するルイの話に、
リルネッサは笑みを絶やす事なく耳を傾ける。
ここに預けられた当初は、たどたどしい言葉でしか話す事が出来なかったルイが、
今ではこんなにも楽しそうに言葉を繰る。
戦う術だけではなく、こういった面でもしっかりと成長を見せる弟の様なルイに、
リルネッサは心の底から喜びを感じていた。
クロエ
「ヒャッハーーーーーーッ ルイ君のほっぺだぜぇええぇぃっ!!」
リルネッサ
「ほどほどにしないと、嫌われるわよ。多方面から。…それと作者から。」
クロエ
「…だから私の出番って少ないの?!」
リルネッサ
「出番少なくても、タイタスさんとかナグリさんとかはお気に入りみたいよ。」




