1章-ルイの小冒険-①
■■1章-ルイの小冒険-■■
太陽が中天をやや過ぎた頃、
夏が去り際に熱さという余韻を残すハンニバルの一画。
これから数時間も経てばこの花街"ススキノ"に、
一夜の夢を求めて数多の客が訪れる。
酒と肉欲に溺れる者も多く、お世辞にも治安がいいとは言えない。
性奴隷の逃走、口論から取っ組み合いの喧嘩、
更に刃傷沙汰になる事だって珍しくはない。
そのため、花街を高さを5メートル近い大きな壁で覆い尽くし、
設置された門"花街門"には兵が置かれている。
他の都市にある花街と違いススキノで生活をする奴隷や遊女たちを除き、
花街門には入場退場の制限がかけられている。
太陽が中天までに昇りきるまでには花街に足を運んだ客は、
どんな事情があれど一度、退出しなければならない。
夕刻に定められた時間までは、如何なる者であろうが、
その門戸は開かれる事はない。
そして夕刻その開かれた門戸を潜り淫靡な夜の街に繰り出すには、
いかなる立場の者であっても入場時の武器の携帯は許されない。
所持している武器になり得る物は皆、
一様に門兵一時預けなければならない仕組みになっている。
領主が現オルトック伯爵が着く以前、元"ザルコル伯爵"が、
治めていた一昨年前までは、花街を囲む門もその様な規則も存在せず、
今まで以上に治安が悪かったためハンニバル騎士団のその多くは、
ススキノ内部で置きる小競り合いの度に出動し疲弊していた。
そして、それ以上に問題だったのは大手の商会や貴族たちが、
花街の利権に大きく喰い込み腐敗と犯罪組織の温床と、
成り果てていたススキノの姿である。
それを憂慮した現オルトック伯爵は、
花街門お呼び外壁の設置、花街での滞在時間の制限。
更には花街内部での領主軍兵を除く、武器携行制限などを法律を生み出し施行。
当然これらに対し反発も多く、
貴族はもちろん大手商会の中でも避難の声が多くあがった。
だが、現オルトック伯爵はそれらの反発をすべて黙殺。
強権を振るい行動に移した。
花街を指して健全化されたという表現に些か違和感を覚えるが、
それによって花街ススキノ内部の治安は王国内において、
屈指と呼ばれる程となり急激な成長を見せた。
「「「「いらっしゃいませ」」」」
「…二日酔いで頭痛がひどくてね。薬を頼めるかな。」
「ご案内致します。」
「私もお願い出来るかな、以前頂いた薬が最近効果が、
薄れてきた感じがするんだ。」
「効果が強い物だと、こちらの商品となりますが。
こちらもあまり頻繁に服用されますと、効果を感じ辛くなるかもしれません。」
「ご案内が必要な商品にご興味を持たれましたら、
お気軽にお声がけ下さいませ。」
そんな花街ススキノの近くには小規模ながらも商店街を模した一画がある。
もうろん都市中央部から進んだ先に存在する"商業区"と比較すると、
猫の額ほど小さな区画ではあるが、中天まで居座りまだ酒精が、
残る者たちが仮眠をとるための素泊まりを求め訪ねる旅館や花街に、
努める贔屓の遊女への贈り物を扱う店舗。
小腹を落ち着かせる食事処やまだ飽く事なく酒を求める者のための酒場。
そして、ここ薬問屋"健やかなる日々"は、この時間帯になると呑んだつもりが、
酒精に取り込まれ頭痛や吐き気、
食欲不振などで苦しむ夢から醒めた人々が数多の薬を求めてやってくる。
「毎度ありがとうございました。(…オーリ、"ダン爺"がお呼びだ。)」
「またのご利用お待ちしてますねー!
(ありがとっ、んー、なにかあったのかしら。)」
来客の波が少し落ち着いた処で、同僚の1人から手信号で言伝を受け取った
"オーリ"は、声をかけられねばいけない事があっただろうかと記憶を探る。
そんなオーリを見て苦笑を浮かべる同僚は、
どうやら理由を知っているらしく含みのある笑みを浮かべ、
「さぁ」と軽く肩をあげた。
オーリはそんな同僚を恨めしそうにひと睨みをし"足運びの癖"が、
でないよう意識して店奥にある奥間の座敷へと向かう。
そんな彼女を見かけた数人の同僚たちも口元に笑みを湛え生温かい視線を、
送ってくるため、呼び出された内容が気になるのオーリは、
ほんの少し歩を早めて座敷の前で座して障子戸の前から奥へ向けて声をかけた。
「オーリです。お呼びと伺いましたが。」
「…入れ。」
「失礼致します。」
低く乾いたかすれ声の主から、入室の許可を得たので障子戸を引き入室する。
「ダン爺、ご用件とはいかなる物でしょうか。」
「ふむ…オーリよ、些か困った事があっての。
…だが"8柱"のお前にも、それなりの立場もある。
このような些事に手間取らせるのもどうかとわかってはいるのだが…。」
白髪を短く刈りそろえ、重そうな眉と瞼の下に、
強い眼力のあるはずのダン爺が煮え切らない態度でそうぼやく。
心弱き者など直視できない程の強い眼力持ち主であることを、
オーリは知っている。
だが、そんな翁が余程困っているのか頭をかきつつなんとか、
言葉をひねり出している様が妙に可愛らしく思わずオーリは笑みを零す。
「笑いごとではないわ、まったく。」
オーリが口元に笑みを湛えているのに、
気付いた"ダンサイ"は、眉を寄せてそう口にした。
この翁には我々"家族"の誰もが、訓練時には一度は泣かされたものだ。
今も相談役として"頭領-かしら-"の相談役を務めあげる教育係のダン爺が、
何故こうも困惑の色を浮かべているのか。
…その原因にオーリは心当たりがあった。
「失礼しました、ダン爺…また"ルイ"が何か?」
「いやいやいや、まてまて。ルイは何も悪い事はしておらん。
むしろ本来であれば素晴らしいと称賛してやるのが筋。
そうしてやれん事が、心苦しいのだ。」
オーリが口に出した少年の名前に、ダン爺は畳みかける様に口を開き称賛し、
そして消沈した。おおよその内容が理解できたオーリは、
姿勢をただしダン爺に問いかける。
「ですが、皆が守ってきた規律を守れないのであれば、
いかに優秀とあれど罰が必要かと愚考しますが。」
「…お前、直接ルイに言えん割に、儂と2人だと強気になるのぉ。」
「あははは…。」
ダン爺の鋭い指摘にオーリは、乾いた笑いを漏らした。
実際オーリも"末の子"であるルイには、どうしても甘くなる。
その歳は5っを迎えたばかりではあるが、
ルイの何から語るにしてもひと際、目を惹く"能力"の高さ。
子供とは思えない胆力然り、行動力然り。「危険だから。」と、
口にするこちらが恥ずかしくなってしまう様な落ち着きすらある。
その上、向上心が高いため、
家族に隠れてとんでもない事を涼しげな顔でしでかすなど、ざらである。
その問題行動と評していいのかに迷う、問題行動は多岐に渡り、
その度に家族の皆が頭を悩ませる結果となる。
本来であれば諸手をあげて称賛したい、その誇らしい自慢の"末の子"故に、
叱りつける事に皆二の足を踏むのだ。
「…で、結局今回はなにを?」
「今回も度肝抜くぞ…くくっ。前回ルイに言い渡した内容は覚えておるか?」
オーリが疑問を口にすると、
言いたくてたまらなかったとでも言いだけにダンサイは口元に笑みを湛える。
「訓練を見学する事は構わないが、7歳まで参加する事は許さん。
と2日ほど皆で話あって決めたはずですね。」
「そうじゃ…。もちろん、ルイは今回もその掟には抵触はせなんだ。くくくっ。」
「では…?」
オーリの答えに満足そうにダンサイは頷き、
その事を耳にした時を思い出したのか、小さく笑い声をあげた。
「それがのぉ。今朝がた、"4柱"がたまたま夜間訓練を、
終えた部隊を見かけた際にのぉ…。」
「っ!!…まさか!!」
「そのまさかじゃ。さすがの4柱も、ルイを見つけた時は窘めようと、
声をかけたらしいんじゃが、そんな4柱にルイは笑顔で言ったそうじゃ。
「誰それの陰行が滑らかで素晴らしかった」とか、
「誰は、魔物の首を刎ねるまでの足運びが奇麗だった」とな…。
それは楽しそうに、一生懸命に手信号で伝えてきたらしい。」
「あの子は本当にもう…。」
ダンサイが口にした瞬間、おおよその見当がオーリにはついてしまった。
そんなオーリに「そうじゃろ、そうじゃろ。」と言いたげなダンサイはさも、
可笑しそうに語る。
「4柱もその時点で察したのだろうな、ルイは"訓練に参加したつもりはない、
見ていただけ"のつもりじゃと。くくっ。まるで頓知じゃ。
それにあろう事か夜間訓練じゃぞ。
3年に渡る厳しい訓練を受けたの上で、
数多の査定を受けた者たちへの訓練及び"最終試験"じゃ。
一人前扱いされるか否かを問われる者たちが参加しておる試験じゃぞ。
当然、試験監督たちも厳しく査定する。油断などするはずもないんじゃ。
しかし、4柱が見つけておらなんだら。
誰にも悟られんかったと言う事じゃろうな。くくくっあははははっ!!」
「…。」
一息にそこまで経緯を口にし、
口にしていて痛快で笑いが込みあげてきたのであろう。
ついには大きな笑い声をあげはじめた。オーリはうつむいて固まる。
「……のぉ、オーリ。さすがに絶句してる様に振る舞いながら、
にやけるのは感心せんのぉ。」
「ダン爺も声がはずんでらっしゃいますけど。」
「当たり前じゃっククッ。立場など無ければ頬ずりして誉めてやりたいわい。
4柱はぜったい頬ずりしたはずじゃぞ、
満面の笑みを浮かべて報告にきよった。」
ダンサイに指摘され、オーリは舌を出しておどけてみせて軽口を叩く。
それを受けたダンサイも好々爺然とした笑みを浮かべ破顔した。
「むぅ…4柱が許されるのであれば、私は誉めてもよろしいのでは?」
「お主は教育係じゃろーが、諦めい。」
「ぐぬぬ…解せない。」
ただ結局のところ、この好々爺と姉がわりは2人きりで、
本人には掟があるからと誉めてあげられない分を、
こうして情報共有しながら盛り上がって楽しんでいるのだ。
呼び出されたオーリが立場的にルイを誉め事が、
出来ない可哀そうな教育係に家族は生温かい目を送っていたに過ぎない。