■■1章-裏切り者は、家族と心を蝕む-■■①
■■1章-裏切り者は、家族と心を蝕む-■■
オーカスタン王国全域に情報網を持つと言われる最大の暗殺派閥"名無し-アンノウン-"。
先代盟主が起こしたとされているこの派閥は、王国の安寧を犯す者、国益を損なう者を独善的に処断する組織として王国に住まう者であれば一度は耳にする。
だがその一方、この派閥は実在しないのではないか。その正体は、実は王直轄の秘密部隊であり勅命を受け動いているのではないか。
義侠心に駆られた者が正義の鉄鎚を下した後に、名乗らず姿を消したことから救われた者がそう語り継ぎ、似たような事を成した者がその逸話に則り、名乗る者が多いだけで組織ではない。
などと言った数々の憶測が今もなお王都の民の間では飛び交っている。
他国では確実に存在する派閥として認知され、一部の者たちには"王国軍のそれを凌ぐ脅威"とされており警戒されていた。
ここ御所の下段の間には、ハンニバルを拠点とする名無しの構成員。その多くが一堂に会していた。
その数およそ1000人。一様にして黒装束に身を隠し、真剣な眼差しを浮かべ膝を付き座している。
その中にはダンサイ、2~8に名を連ねる柱たちの姿があった。
彼らはただ待つ、御簾の向こうから彼ら盟主"頭領"の言葉を。
「耳にしている者も多いかも知れんな…。」
それは唐突にはじまった。
下段の間に留まらず暴風の如く強大な魔力が閥員-メンバー-たち叩きつける。
たった一言。そのあまりにも抑揚のない声音が響く。
だが、それだけで閥員は息を呑む。御簾の向こうの我らが主からは明確な怒りを感じるからだ。
徐々に増す静かな、それでいて強い怒気が彼らの上に重々しくのしかかる。
不慣れな者の中には顔色を青く染め上げ、呼吸そのものに弊害が出ている者も少なくはない。
そのあまりの圧力に、ダンサイを含む幹部たちですら顔に緊張を走らせ玉の様な汗を浮かべる。
「なぁ、皆よ。この"家族"の中に裏切り者がいるそうじゃ…。しかも驚いたことにじゃ、この中に…この御所に呼ばれ我に頭を垂れている者たちの中になぁ…。たーんと裏切り者がおるらしいのじゃ。」
永遠にも感じられる罰する様な圧力に晒されながらも、必死で主の言葉に耳を傾ける。
その言葉だけで人を呪い殺せる様に紡がれていく言葉に皆一様にして苦悶の表情を浮かべる。
主より聞くより以前に、耳にしていた者の顔は憤怒に染まり、寝耳に水とばかりに今ここで知った者は驚愕と動揺で顔色を悪くした。
御簾の向こうからは、その場にいる一人一人をゆっくり絡みつく様に窺う視線が感じられる。
その強い視線に、裏切り者も裏切り者で無い者も心を震えあがらせていた。
「…悲しいのぉ、…忌々しいのぉ、…腹立たしいのぉ。まったくもって嘆かわしいっ。」
荒げられた語気と共に、怒気と殺意を内包した魔力が爆発的に膨んだ。
絶対的強者の前に丸裸で立たされている様な寒々とした気配に耐えきれず意識を手放す者もいた。
歯を食いしばり必死に耐えている者たちも、あまりの恐怖に大声で叫びたい気持ちを必死に抑える。
「すまん。少し当たってしまったな。…どんなつもりか知らんが許す気はないと知れ。家族達よ、許すな。もう一度言うぞ、許すな。どの子らが裏切り者か、どれほどの数が裏切っておるのか。口惜しいが調べはついておらん。だが、うつけ共は何かを企てておる。思い通りには行かせるな。ゆめゆめ忘れるな、必ず地獄を味あわせるのじゃ。」
御簾の奥から主の気配も威圧する様な魔力の奔流も何事も無かったように全てが、かき消える。
呪縛から解かれた様な解放感。
しかしそれを喜ぶ者も動き出す者も口を開く者すらもいない。
主の言葉を一言一句反芻する。
互いが互いを監視しあい、裏切り者の姿を探すように睨め付ける。
――トンッ
「ふむ、皆の者。聞いたな?」
あらゆる感情が静かに混ざり合う御所に、床に杖を打つ軽い音色が響く。
全員の視線が向いた事を確認するように小さく頷き、ダンサイは一度全員の顔を見渡し口を開いた。
それを受けた家族たちは深く強く頷く。
「家族に問う。頭領は、家族を疑えと申した。そんな言葉を我らに告げるなど…どれほど腹を据えかねたか。どれほど悲しみに胸を締め付けたか。そんな愚者を許せるか?」
「「「「否っ!」」」
「家族に問う。頭領は仰った。なにか企んでおると。ならば話は早かろう。調べによると3日後に愚者どもの宴があるらしい。そんなもの見過ごせるか?」
「「「否っ!」」」
「家族に乞おう。一人も生きて返すな。」
「「「応っ!」」」
ダンサイは消え入るような声が闇に問う。ダンサイは悲しみを湛えて闇に問う。
そして怒りを込めて闇に乞う、我らが主を傷つけた愚か者の亡きがらをここへ晒せと。闇は答える、許せないと、見過ごせないと、皆殺しだと。
オーカスタン王国に仇をなす外敵や、内部から喰い散らかす愚かな貴族、私利私欲にまみれ欲望のまま罪を犯す馬鹿な貴族。それらを秘密裏に屠ってきた暗殺派閥"名無し-アンノウン-"。
矜持を穢され怒り狂う彼らは立ち上がり足を鳴らす。
その闇に紛れる裏切り者は、静かにほくそ笑む。
(ああ確かに、3日後だった。昨日までの計画ならだが。)
裏切り者は、今夜の襲撃の成功を確信する。
一番の懸念は派閥がこの時点で何かを掴む事。だが懸念は無駄に終わった。
今更いくらでも疑おうが意味がない。自分がボロを出す事などありえない。
五年、そう五年もの間、悟られることなく溶け行った。
裏切り者はたくさんいる?馬鹿を言っては困る、自分しかいないのだ。裏切り者は柱の自分ただ一人。
自分に力を貸す家族は、それが"背任行為に助力している事とは気づかない"。柱に報告をあげ、指示を仰ぐのは当然のことなのだから。
「ふーっ、今代の頭領がお怒りなんて初めての事じゃないかしら。正直、肝が冷えたわ。何人かの首がその場で飛ぶんじゃないかってハラハラしちゃったわよ。」
不穏な空気に包まれつつも、家族たちは自分の仕事をこなすために、次々と御所を離れて行く。そんな家族たちに窺うような視線を向けながら、4柱が頬を掻きながら珍しく疲れた表情を浮かべる。
5柱はいつもヘラヘラと掴みどころのない4柱が、柱しかいないこの場だとしても狼狽している姿を見せることに驚きつつも同意した。
「そうよね、私もさすがにあの魔力は生きた心地しなかったもの…何人か気を失ってたけど、あれは責められないわ。私も震えが止まらなかったもの。」
「でしょ?でしょ?」
「ふざけている場合か!」
4柱と5柱の緊張感のない呑気な物言いに業を煮やした2柱は声を荒げて非難し詰め寄る。
「4柱も5柱も、なにを呑気な事を言ってやがる!貴様らが、そんな体たらくだから俺様がわざわざ王都から呼び出される羽目になったんだろうが!ふざけてやがんのか!」
怒りに顔を染め上げ4柱の胸倉に手を伸ばすが、側にいた3柱が庇う様に間に入り2柱を「軽挙は慎め」と睨みつける。「庇ってんじゃねーよ!」と、2柱は更に憤慨する。
「引け2柱。3柱の言う通りだ。…だが言い分に関しては、2柱が正しい。2人とも、もう少し危機感を持て。私から見ても今のお前たちは不快に映る。」
「…私も6柱と同じ意見。貴女たちの実力は認めているから、普段ののんびりした態度には口を出さないし、嫌いではないわ。だけど、この状況でおふざけが過ぎるのは容認できないわ。どうしても続けるなら私の見えないとこでやって。」
6柱の男は2柱の肩に手をかけ「落ち着け。」と声をかけ、普段は2人と一緒に会話に花を咲かせる事もある7柱の女も「ほどほどにしろ。」と釘を指した。
そんな彼らのやり取りをただ黙って睨みつけていた8柱オーリが口を開く。
「どちらにしても頭領が仰った。"裏切り者がいる"と"許すな"と。それがお前たちであってもおかしくは無いと私は考える。故に誤解を与える言動も、挑発する様な言動も私は見過ごさない。」
全員裏切り者として扱う。そうとも取れる発言に他の柱達が、大小あれど怒気を漏らす。オーリはそれを静かに睨み付ける。
――パンッ、パンッ
「すとーーーーーっぷ。はいはい、待った待った。私が最初に軽口叩いたのがいけなかったのよ。8柱の言葉もあながち間違ってないでしょ?彼女は頭領の言葉に忠実なだけ。警戒するは必要な事だけど、ただ喧嘩を売る発言をする意味はないわよ8柱。」
4柱が手を叩きながら全員に制止をかける。
自分の否を認め謝罪し、その上で「無用な諍いはやめなさい」と鋭い眼差しを全員に送る。
そして最後にオーリを睨みつけて忠告する。
そんな4柱の意図を察した3柱は傍観者でいるダン爺に話題を振る。
「ダン爺。さっき仰っていた愚者の宴が三日後に行われると言う話は、どれくらい確度が高い情報なのですか?」
睨みあっていた全員の視線がダンサイに集まる。少しもったいつけるように顎を摩りながら口を開く。
「うむ、間違いない。と言えればいいのじゃが…。まぁ、お主らには正直に話すがの。ちょっと不審な動きをしておった流民を30人ほど手あたり次第に攫ってみてのぉ。先に伝えた日に「金になる大きな仕事がある。」と見知らぬ者に声をかけられ、その仕事を請け負うつもりだと口にした者が17人おったんじゃ。だからそれなりに信用出来そうな情報だからの。家族の士気を高めるのに口にしたんじゃ。なに皆が血眼になってもっと確度の高い情報を集めるじゃろうて。くくくっ」
「手あたり次第って…。確かに、私たち以外には聞かせられない話ね。」
7柱がダンサイに避難めいた視線を送るも、ダンサイはどこ吹く風のようだ。
しばしその後、警備態勢の見直しや巡回強化、冒険者ギルドに接触を図るなどの案を出し合い、役割を分担させダンサイと柱たちは頷きあう。
「それにしても、1柱ってこんな時にも顔出さないものなの?」
方針もまとまり、先ほどまでの不穏な空気が消えたのを見計らって5柱は、率直な疑問を口にした。
その問いに皆が「確かに。」と口にした。
2柱は1柱に対し、思うところがあるらしくを分かりやすく不信感を滲ませる。
皆が恐らく具体的に知っているであろうダンサイに視線が集まると跋が悪そうに口元へ手をあて、しばらく悩んだ上で口を開いた。
「1柱は、少し複雑な立場なんじゃ。儂も多くを語る事は許されてはおらん。だが、一つ確かなのは、王都が他国の兵に襲撃されるような事や、ハンニバルを囲む"伏魔-パンデモニウム"が"大氾濫-スタンピート-"でも起きん限り然う然う関わってくるような事はない。今回の件も長引けば出張ってくるやも知れんがの。」
「…あら、自首する気になったの?」
ダンサイの曖昧な答えを受け、皆が納得いかない顔を浮かべている。
すると突然、4柱が誰もいない方に向かって、そう声をかけた。
何事だとみんなの視線がそちらに向けると、皆の良く知る問題児が頭を掻きながら申し訳なさそうに立っていた。
「自分で良くない事をしたって自覚があって、謝るために出て来たのは評価してあげるけどね。私を除いてそうとう皆お怒りよ。諦めて思いっきり叱られなさい。」
全員が驚愕に固まっている中で、ルイに歩みよりその場でしゃがみ視線を合わせた4柱はルイの頭を撫でながらそう言って、ルイだけに見える確度で手早く手信号すると手を振って御所から出ていった。
(知らない人とこっそり夜のデートして、プレゼントもらう様な子は今日は庇ってあげません。)
ルイは4柱の手信号に凍りつき、苦笑いを浮かべる。
「笑うか。この状況で…たいした根性じゃの。ルイや。」
「るぅうぅいっ!貴方はどしていっつも、いっつもお姉ちゃんを怒らせるかな!」
「この頭なのか?この頭がいつも悪い事をルイにさせるのか?」
「今日は私も叱らねばならん。ルイ。そもそも君はだな…。」
「ルイ君。どうしてこんな事したのかな?お姉さんにわかるように説明して。」
「ルイ…貴方は。はぁ、叱るのは皆さんにお任せします。言葉もありません。」
「…。」
昨夜のこともあり、ルイと絡みたくない2柱は無言でその場を去ったが残った大人たちにルイはこってりと絞られ店舗に併設した屋敷の座敷牢へ叩きこまれる羽目になった。
普段ならば4柱がそこそこ叱られていると助け舟を出してくれるが、さっきの手信号を見るにそれを今回は期待できない。
物凄い剣幕で怒られつつルイは、もう二度と知らない人から物は受け取らないと反省した。
その反省では大人たちの怒りが静まらないとは知らずに。




