■■1章-裏で糸引く者は街に潜む-■■
■■1章-裏で糸引く者は潜む-■■
ルーファスがエドガーを迎えに花街へと向かうほんの少し前に遡る。
ハンニバル商業区から西に位置する工業区。
城壁の近い位置にあるこの一画は、職人街、鍛冶場街とも呼ばれる。
鉱山や鉱脈など所有していない代わりに、"伏魔-パンデモニウム"や"魔窟-ダンジョン-"に挑む冒険者たちの手によって潤沢な資源が齎される。
珍しい鉱物で構成された魔物はもちろんのこと、魔物の中には、金属よりも硬度を持った外殻や皮膚、それすらもたやすく切り刻む爪や貫く牙や角を有す個体も存在する。
職人には垂涎の的であるそれらの素材たちを惜しげもなく使い腕を振るうことができ、更にはそれを十全に扱う事が出来る実力者が多いこのハンニバル職人街には、国内に留まらず、他国からも腕に自信のある職人がこぞってやってくる程である。
そんな工業区に立ち並ぶ建物も装飾など一切取り払われた安全性と遮音性を追及した様な無骨な作りの建物が多い。
その中でもひと際目につくのは、中央にそびえ立つ重厚な砦の様な作りの建物。
辺境都市ハンニバル直営の工房だ。
開拓村当時よりここへ移民として訪れ腕を振るっていた職人たちをそのままスカウトし、巨大な工房を作り彼らに委ねた。
当初はハンニバルに帰属した傭兵たちがハンニバルの騎士となり、彼らの武器や防具、騎乗する際に用いる馬具などを手掛けていた彼らであるが、今ではその実力を認められ王国に所属する、すべての騎士団の装備一式はここに依頼されている。
そんな巨大工房を中心に円を描くように数々の工房が立ち並ぶ。
そんな職人街は夜の帳が訪れた事など、どうでもいいと言わんばかりに熱気と鉄を打つ音、職人の罵声がなりやむことがなく響き渡っていた。
そんな喧騒に包まれた職人街の建物の一室に、人目を避けるように3っの人影があった。
「ふざけるな!!」
顔を真っ赤に染め上げた祭司服の男、がテーブルに拳を叩きつけ抗議する。
「馬鹿なのか?いや、馬鹿なのだからそんな考えを口にするのだろうな!」
「いいや、冷静に考慮した上で提案しているのだが?」
激情にかられた男に冷ややかな態度でローブ姿の女がそう口にする。
「あのエドガー・ルクシウス・ワトールとレオン・ルクシウス・オーペルを恐ろしさを理解しているのかっ!そもそも、やつらの"派閥-レギオン-"との戦闘行為は計画立案の段階から徹底的に回避されていたはずだ!冷静に考慮しただと?!なにを血迷えばこの状況下で決行日を早める必要がある!悪戯に危険を冒すだけではないか!」
祭司服の男は、ローブの女がどうしてこの状況下で涼しい顔していられるのか。と、さらに苛立ちを募らせる。
「戦闘行為などする気はもちろんない。私だって命は惜しい。あの"派閥-レギオン-"は確かに我々にとって憎い仇敵だ、いずれ打倒せねばなるまい。だが、それを成すには"場が整っていない"。だが、冒険者ギルドの警戒が強まったせいで、これ以上冒険者をかどわかすのは困難だ。このまま無為に過ごせば、やつらに我々が冒険者たちを"純粋な戦力"で誘拐しているのではなく、"なにかしらの手段"を持って行動していると伝える事になりかねない。それどころか、"その手段にさえ"行きくことも考えられる。陽動のための行動で全容が把握されるなど、あってはならない。そのために決行日を早めると言っている。」
一層、喧しくがなりたてる祭司服の男に、ローブ女は顔色を変えずにそう答える。
「わからん奴め!いいか?いつか打倒するべき敵である事は、私も当然同意する。自らのの手だけで、それを出来ない情けなさすら痛感している、自覚している!それほど、やつらの戦力は異常だ。ただ、やつらはそれだけではない!報告をあげたはずだぞ!やつらの情報収集能力と洞察力は異常だ!君たちの力を借りて釣り餌を仕込んで半日だぞ?半日でこちらの計画のおおよそを看破されている!いや下手をしたら、本命の目的すらもう察知しているやも知れない。いや、察知されていると考えて行動すべきだ!決行を早めるかどうかの判断が必要なのではない!計画を一度、白紙に戻して再考すら考慮すべき事態だと言っている!」
(平行線ね。)
そんな2人の様子を、口を出さずに見つめていた修道服の女は少し顔を顰めた。
2人は終わる事のない意見をぶつけ合う。
修道女の意見としては、ローブの女の意見に賛成であった。だが慎重論を訴える祭司服の男の言葉も否定する材料はない。
「……エドガー、レオンだけでもやっかいこの上ないのに、時間を与え過ぎて奴らの"派閥-レギオン-"が本腰をあげて事に当たられると、もう笑しかない。誤魔化し続けるどころか、ハンニバルから出る事さえ難しいでしょうね。」
修道女は、考え至った事そのままを口に出した。
その言葉を耳にした祭司服の男は青白顔を染め上げ難しい顔をし固まる、ローブの女もそうなった場合を瞬時に頭の中でシミュレートしたのか、小さく頭を振る。
"派閥-レギオン-"とは、目的や意識、思想といったもので集った冒険者同士の組織を指す。
"魔窟-ダンジョン-"の制覇を掲げる派閥、ただ未知の魔法を開発研究に集う派閥、商業を主軸とした派閥、ただ戦う事にあけくれる派閥、大なり小なり様々な派閥が存在する。
そんな無数にある派閥の中でも、"エドガーが盟主を務め"、レオンたちが所属たちの派閥は、所属数を1000人を超えることも珍しくない大手派閥に比べると、その数20人ほどの小規模な派閥である。
しかし、彼らを侮る者はいない。
一度でも敵対した組織や国は2度と関わりたくないと接近にすら気を配ると言われている。
「……エドガー・ルクシウス・ワトールが花街に入ったという情報がある。"名無し"との接触をはかったものだと考えられる。」
「冗談ではない!」
「それは、まずいわね…。」
ローブの女の言葉に、2人が息を呑む。
エドガー擁する派閥によって6年前、3人の所属する組織……いや、祖国は壊滅的な被害を受けた。
たった20人程度の者たちに、大国の一つに数えられる祖国は、地図から姿を消す手前まで追い詰められたのだ。
そんな派閥を相手にする事すら禁忌とされているのに、そこへ"名無し"本隊まで合流されては、目も当てられない。
「そう慌てるな、名無しの門戸は他所者に開かれる事はない。…と言っても慢心されても困るが、私はその門戸の硬さを身を持って知っている。…容易ではない。」
ローブの女はそう言い切り、一度深く息を吸い込み続ける。
「しかし……不安が残るのも確かだ。だが、計画がここまで進んだ以上、やつらに冒険者の襲撃が囮だと知られるのは構わない。オルトックの暗殺が悟られるのも構わない。だが、本懐を遂げられないのは容認できない。それを成さねば彼の派閥は祖国の関与に辿り着く。6年前の悲劇は繰り返せない。故に決行は明日にするべきなのだ。息の根を止めるには至らずとも、だがこの国に確実な打撃を与える。そのためのこれまでの計画、必ず破滅の楔は打ち込む。」
淡々と祭司服の男と修道女に諭す様に言葉を紡いで行く、先ほどまで2人を包み込んでいた焦燥感が、霧散していく。
その様子に満足気に頷いたローブの女の瞳には強い決意と覚悟の光が満ちる。
「た、たしかに……お前が言う通りだ。確実な打撃を。それが計画の根幹だ。計画を早める事についても、…そうだな、お前の言う通り、時間をかけてはならない理由もわかる。白紙にもどしたところで、祖国との繋がりに気付かれるのも時間の問題だ。」
祭司服の男は、じっとローブの女を見つめ吐きだすように口を開く。
そして徐々に自信を取り戻したように語気に力が戻る。
修道女もその言葉に頷く。
ローブの女は更に続ける。
「冒険者ギルドがオルトックの護衛にあてた戦力はA級の班隊が3隊。侮れない戦力だ…とは言え、所詮強いと言っても冒険者。魔境の魔物を狩るのは上手いのだろう。真っ向勝負の対人戦闘もA級を冠する者たちだ、強いのであろう。だが、暗殺者はそんな彼らの土俵には立たない。故にオルトック暗殺の弊害にはなりえない。」
ローブの女は確信していた、どんなに強く武技に長けていようとも、卑怯こそ王道。
そんな暗殺者の魔の手から己の身はともかく、護衛対象を守り切れるはずはないと。
その言葉に祭司服の男は笑みを浮かべて口にした。
「そうだ…やつらがオルトックに援軍と送った者の中にヤツがいたのだったな。ハンニバルで冒険者登録させておいた甲斐があった。すでにオルトックの命は我らの手中。」
「あの者の出来次第で、オルトック暗殺は確実。その後はこちらの都合のいいタイミングで、オルトック死亡の情報を流し、流れを一気に手中に収める。確実に冒険者ギルドの足をにぶらせる事ができる。…いや、うまく運べ奴らの動きは封じられる。」
ローブの女の言葉で、計画が上手く進行する未来を想像しているだろう。
祭司服の男は、暗い光を瞳に宿し笑みを浮かべ、口を開くことなく話に耳を傾けていたて修道女もうっすら笑みを浮かべ頷いている。
祭司服の男はすっかり自信を取り戻し押し殺したような笑い声をあげた。
「……くくくっ、やつらの脅威が想像以上だった事、それは認めよう。優秀だ、有能だ、強い嫉妬すら覚える。それも認めようっ!しかしだ!こちらが容易した手駒をわざわざ、標的に送りつけてくれるとは、些か慢心が過ぎた様だな!仇敵よっ!うむ、いけるな。これはいけるぞ!」
芝居めいた台詞を吐き、恍惚の表情を祭司服の男が浮かべているのを、冷めた目で眺めていた修道女は、ローブの女へ疑問を口にした。
「ねぇ、私も明日の夜に予定を早める事には、心より賛成よ。だけど"3日も前倒しに"して大丈夫なのかしら。本命の仕掛けで動いてくれる馬鹿どもの手配は間に合うの?」
「そこは、前倒しになった分、少し慌ただしく貴方に動いてもらう事になる。」
「ほぅ、私の仕事の出来次第と言うわけかっ!いいだろう、任せたまえ!」
「では、すぐにでも襲撃目標へ向かい、"内部"で動く手筈の者たちの待機場所を決めて頂きたい。」
「なるほど、では早速、司教としての仕事を全うしようではないか。先に失礼する。」
祭司服の男は上機嫌でアジトから去って行った。その様子を呆れた視線を送っていた修道女はローブの女に視線を戻し口を開く。
「それで、計画早めた場合の弊害は?」
「当初より手土産が半分くらいになる程度と考えている。襲撃は成功する。あそこは"箱庭"だ。騒ぎが起こってしまえば即座に門は閉じられ、入る事も出る事も叶わない。外に漏れ出してくるのは苦痛にうめく大勢の被害者たちと、明瞭さを欠いた報せのみ。」
ローブの女が、計画前倒しによる弊害はないと言い切る、修道女は笑みを浮かべる。
「騒ぎが起ってしまえば、何をしたところであとの祭り。被害者が溢れでてくる頃には、オルトックの訃報が現場で流れる。確実に騎士団は混乱するわね。調査に割ける人員も激減する。これは冒険者ギルドも同じ。その後、黒幕と目される4柱と8柱が、死体で発見。その周辺とすでに亡くなったオルトックの居城で見つかる物証が、2人の柱と結びついてしまう。」
「その後、いくらやつらが疑わしいと継続して調べたとしても、その段階で私たちの計画は完遂。我々に繋がる疑惑はあっても証拠もない。」
2人は作戦の成功を確信し、頷き合う。
「少し飲まない?」と席を離れ、ワインとグラス二つを手に戻ってくる。
戻ってきた彼女の表情に翳りを感じ、「なにか問題でも?」とローブの女は、首をかしげた。
「いいえ、商品の回収で待機してる部隊から報告あったのを思い出したのよ。一部の馬鹿が商品に手をつけようとして、オオカミの群れに襲われて持ち逃げした商品投げ捨ててきちゃったみたいなのよ。それを今思い出して、少し気になっちゃって…。」
「オオカミの餌にでもなったのではないか?それより、その馬鹿どもの処理は?」
自分には聞かされていなかった報告に、ローブの女の纏う空気が変わる。
「全員、奴隷紋つけて声すら出せない商品として売るつもりだったみたいだけど、処分させたわ。ハンニバル産の"犯罪奴隷"に落ちた冒険者は質が高いから、他国の奴隷商にも評判だし、孤児院の子たちも、まとめてお買い上げ頂いた勇者様が品質に大絶賛していたって聞くし余計に品質は気を使うわ。せっかくの評判を粗悪品を扱って貶める必要もないでしょ?…あっ、でも元領主糞貴族なら買ってくれたかしら。惜しいことしたかも。」
自分のグラスにワインを注ぎ、ローブの女の前にもグラスを置いた。
修道女の馬鹿どもに対しての処置に問題がないと判断してワインに口をつけ、感嘆の声を漏らす。
「なかなか美味いな。…馬鹿貴族か。勇者殿に踊らされている売国奴の狂人。御仁から依頼があった商会は全て潰した。それで十分と思うが。それはそうと司教殿を本当に消す必要?無理に消さずとも、そのうち怒れる本家に消されると思うが。」
2人の間では、司教はこの事件が片づけば舞台から退場する事になっていた。
祖国が彼の横領の証拠を見つけ処分するように彼女たちへ指令があったためだ。
だが、ローブの女が不穏な事を口にしたので、グラスを運ぶ手を止め修道女が真剣な面持ちでローブの女へ訪ねた。
「……実在するの?」
「潜って5年ほどになるが正直なところわからない。少なくても私は見たことはない。ただ…名無し内部で"奇術師"の名前が出る事はない。暗黙の掟、と言うよりも"禁忌"としている節も見受けられる。」
祖国から"名無し"に潜入した者たちの中で、唯一生き残ったローブの女。
修道女が知るどんな斥候職の者よりも優秀だと信頼できる彼女が珍しく不安な表情を浮かべる。
「あなたがそんな風にいうと、ことさら不気味ね。」
「貴女こそご覧になった事は?」
「ないわよ。でも逸話だけはたくさん耳にしたけどね。まぁ、名無し内部で離反者を出さないためのプロパガンダって事も考えられるし、気にしすぎても良くないわね。そうだっ、
"勇者様のお一人"から伺ったんだけどね" 幽霊の正体の見たり、枯れ尾花"って言う諺があるんですって、幽霊を見たと怯えていた物が、実は枯れたススキの木だった。過ぎた恐怖心が産み出す妄想ってことらしいの。」
「なかなか、赴きがある表現だ。枯れ尾花であることを祈ろう。」
修道女の女は、自分の中にまで染み出してきた恐怖を払う様に明るく努めた。
彼女らの祖国の英雄の一人が"自分のいた世界"の言葉だと、何気なく口にしたそれではあったが、嫌な予感を払拭するには威力は絶大だった。
「そうでしょ?うふふ。さあ、明日の夜はきっと忙しくてゆっくりワインを楽しむ暇も無いでしょ。もう少し付き合ってもらうわよ。作戦の成就と祖国に乾杯。」
「…付き合おう。成就と祖国に。」
修道女は小さく詠唱し、"素顔"に顔を作り変えグラスを掲げた。
ローブの女も小さく頷きグラスを掲げる。
自分の火傷の痕が痛々しい頬をそっと撫で上げて修道女は小さな声で呟いた。
「これが終われば、祖国に戻れる。私もあなたもね。」
グラウス大陸の北西に縦に伸びるコングラセクナ半島に位置するネグレイシア法国。
その国土のほとんど海洋に覆われているため、古くから造船技術の発達が顕著であり、今なお海運事業が盛んに行われている事で知られる。
勇者教、救世教の祖とされる"真言教"を国教とし、国家元首をその教皇が努めている宗教国家であり、独特かつ差別的な教えの多い厳しい戒律の元、自治が敷かれている。
もっとも苛烈な教えの一つとして"人種至上主義"があげられ、"人種こそがこの世界の神々に愛され祝福された存在"。とされるこの教えは、獣人族、魔族などの他種族を"亜人種"と蔑視し、奴隷以外の入国を固く禁止していた。
そのため過去には他国との戦争が絶える事がなかったが、ある時、信仰対象である女神の信託と法国では"秘儀"として秘匿されている勇者召喚術により、召喚された勇者の助言もあり、その極端な発想はやや軟化し、現在では"聖都セクナ"を除く各都市には、その数は多いとは言えないまでにも他種族の商人や冒険者の姿が見受けられる。
それでも国民意識内では"人種至上主義"は根強く、小さくはないトラブルは絶えない。
不安定な情勢とも言えなくもない法国が今もなお、王国、帝国、魔国、獣国と肩を並べる"5大列強"の一つに数えられているのは、建国以来、幾度となく召喚された勇者たちが残した"異世界の知恵"と呼ばれる知識、文化、技術などの恩恵があるからと言われており、その恩恵を直接享受している国民性は盲信かつ狂信的な信者であり国教と国益のためならば手段を選ばないと忌諱されている。
「必ずや"女神シヴィルノルン"の名に泥を塗ったオーカスタン王国。そして"狂王"に鉄鎚を。」
ローブの女は瞳の奥に危険な色が帯びた。
狂宴の舞台が整った。
エドガーとレオン両名が事件解決へ向けて動き出す。ハンニバルを蝕み続けた連続事件は解決に向け一気に加速しはじめた。




