■■1章-ルイと先輩は夜に出会う-■■②
「~♪」
不思議な充足感を感じ、心地良い気分になったルイは鼻歌を口ずさみながら、街にその視線をもどした。静かな夜の4階建ての建物の屋根の上で、幼き頃に耳にした事がある懐かしいメロディを口にする、この短い時間でほんの少しだけ大人になった後輩の横顔をルーファスは眺め笑みをこぼす。
しばらくそんな様子を眺めていると、ルイが腰を浮かせて何かを注視しだした。
ルーファスもその視線を追い疑問を口にする。
「ん?……あの祭司服の男がどうかしたっすか?」
「変・・・あ(ごめんなさい、うまく言葉に出来ない。あの人、昼間も見たんだけどあんな"変な足運びしてなかった”。)」
ルイの言葉を受けルーファスも注視する。
すると確かに指摘通り、祭司服の男は癖のある独特な歩き方をしている。
その歩き方はルーファスがまだ幼い頃、よく目にする機会があった動きそのものであった。
「確かに、目につく癖っすね。あれは足運びを教わって、多少できる様になった頃に、意図的に隠す動きっす。」
「な・・にそれ?」
「後輩ちゃんはそれほど意識しなくてもちゃんと切り替え出来たんすね。んー……そうだ。後輩ちゃんじゃなくても、家族の誰かが訓練中に言われてなかったっすか?「足運びができるようになった後は、普段の歩き方に気をなさい。」とか。」
「あ・・。」
ルーファスの言い回しが若干、ルイには難しかったのかルーファスは改めて噛み砕いて口にする。
今度はきちんと伝わったのかルーファスの言いたいことに心当たりがあると言った顔をして、更に祭司服の男をルイは注視する。
「こらこら、集中しすぎて視線をまとめ過ぎると勘付かれる原因になるって、さっき俺っちで学習したっすよね?」
「そ・・だ!」
ルーファスの指摘を受けてルイは即座に修正する。
「それっす、そんな感じで俯瞰…って言葉は難しいか。全体をぼやける様に見る感じ。いやぁ才能ってやつっすかね。後輩ちゃん器用すぎて俺っち自信なくすっす。そう言えば"昼間見た"とか言ってたっすね。」
「(救教の司教って言ってた。お店に寄進をねだりにきて……。)」
ルイは昼間の出来ごとを口に出すことを早々に諦め手信号でルーファスに伝えた。
ルーファスは視線を祭司服の男に戻すと、確かにルイの言う通り、数件、遊郭に入っては出てを繰り返し、少し離れた区画に移動してまた繰り返す。
ルーファスはその場所を頭の中に記憶していく。
しばらくルイと他愛もない話をしながら、祭司服の男を監視していたが、"寄進"を得る目的以外は達成したのだろう。
意気揚々と祭司服の男が花街門へと向かって去っていった。
「なるほど…確かに後輩ちゃんの言う通り、あの店に寄進目的とは言え顔を出すのは不自然。それに花街の遊郭でこんな時間までせっせと回るってのは、さらに不自然っすね。いい着眼点っす。先輩褒めちゃうっす。」
ルーファスに「寄進にしては…ちょっと変?」と手信号で伝える。
そんなルイに笑みを浮かべて背中をぽんぽんと叩き、ルーファスは表情に出さない様に気をかけながら"尻尾…みーつけた。"と静かな怒気を孕んだ。
するとその瞬間、物の見事に遠方から小器用に、ルーファスに向け、猛烈な殺意を飛ばされている事に気付き、その相手が誰かわかっている彼は嘆息した。
「!っ…うわぁ、叱られる。超絶キレてるっす…。」
突然、そう口にしたルーファスをルイは何事かと不思議そうな顔をする。
「後輩ちゃん、そろそろお別れっす。つい楽しくてお兄さん仕事忘れてたっす。それに、"祭司服の男"の話、なかなか興味深かったっすよ、ありがと。行かないと怒られるっす。怒られるどころか…下手したら殺されるっす。」
達観したとでも言いたげに、わざとらしく空を見上げてこぼすした物騒な発言にルイは大きく目をみはり、硬直した。
自分の物言いが大げさ……かどうかは断言出来かねるが、ほど良い生命の危機を感じさせる視線の主の方をちらりと見やり、ルーファスは言葉を続ける。
「きっかけは奇妙だったっすけど、楽しかったっすよ後輩ちゃん。出会いを記念して……んー、たしか…あれ…こっちか?あったあった。俺っちから"後輩ちゃん"にプレゼントっす。」
「?」
慌ただしく身体中を探り出し、そう言ったルーファスの手には、魔物の皮で作ったと思われる丁寧になめした黒い皮で作られた鞘に、納められた短剣が握られていた。
「見るっす。刃の部分は光が反射しない様になってるっす。お守りっすよ。」
目の前で引き抜かれた短剣は、刃から柄に至る全てが黒く。
ルーファスの言葉通り刃の部分はどの角度にひるがえしても月の光を吸収するかの様に暗い黒い刃だ。
ルイは武器のことはよくわからないが、この武器が安物でないことだけはわかる。
ルーファスはそれを鞘に再びおさめ、ルイの手に持たせる。短剣とルーファスの顔を交互に見てどうしていいか分からないと言った顔をしているルイに「抜いてみるといいっす。」と笑顔で促す。
――スンッ
ルイは頷いて一歩引いて抜き放つ。
刀身がやや重くそれでいて手に馴染む短剣が小気味良い音をたてた。
ルイはもう一度鞘を戻して抜く。
三度程繰り返してルーファスも見つめる。
納得がいっていない顔だ。
「…仕方ないっすね。出血大サービスっすよ。」
と言ってルイに短剣を貸すよう手を差し出す。
ルイはその言葉の意味を理解して期待でいっぱいの笑顔を向ける。
そんなルイに照れた笑みを浮かべ。
ルーファスは後方に音も立てずに宙返りし、見世物小屋の道化師然とした態度でうやうやしく礼をした。
そこから舞う様に、短剣を振るう。
とてもゆったりとしたその動きは「こう動くんだよ。」と囁くようでルイはすっかり魅入っている。
数回の型をなぞるように何度も繰り返す。徐々にその速度は目に見えてあがっていく。
そして唐突にルイの視界に短剣が投擲される。
「っ…うわぁ…。」
かわせない。と身を強張らせてしまったルイは目を閉じて死を覚悟した。
「目を閉じるのはよくないっすよ、後輩ちゃん。」
優しい声音でルーファスはルイに声をかけた。
恐る恐る目を開くと、投擲した場所を動くことなくその場から、ルーファスが笑顔でルイを眺めている。
自身に肉薄した短剣は、どこにも見当たらない、手品の様に消え去ってしまった。
ルイが困惑の表情を浮かべ周囲を見渡す。
「後輩ちゃん"死ぬ"って思っても目を閉じたら駄目っす。死ぬ時はちゃんと見て死ぬっす。でも、目を開けて歯を食いしばって無理やり身体動かすと、意外と死なないものっすよ。長生きのコツっす。よく覚えておくっすよ。」
「…うん。閉じる。よくない、あきらめる。駄目。」
ルーファスが口にした言葉に少し驚いたが、言われた言葉をもう一度自分の中で反芻するとルイはすんなり受け入れた。
子供にはちょっと無理を言っただろうかと内心、考えていたルーファスはルイの返事を聞き、満足そうに頷いた。
「サービスっす。」
そう短く口にしたルーファスは指先を少し動かすとルイの足元に真上から短剣が突き刺さる。
驚きに口を大きくあけたルイは、その場にしゃがみ込み興味深そうに短剣を観察する。
「…糸?」
「大正解。鋼糸って言うっす。鉄…まぁこれは鉄ではないんすけど。金属の糸で相手を縛ったり、切ったり。そんで、こうやって短剣を操ったりも出来るっす。見た事なかったっすか?」
ルイは短剣の柄の部分に小さな穴が穿たれており、そこに巻き付けられた細い糸のような物に気付きルーファスを見た。
それに気付いたルイを軽く褒め、ルーファスは鋼糸を生き物の様に操って見せて、短剣を手元に引き寄せ鞘に納める。
ルイは鋼糸など見た事がなかったので、目を丸くして何度も頷いた。
「本物の鋼糸を渡すと練習で怪我するっすからねー…これもあげるっす。」
とルーファスは短剣をルイに手渡し、懐を弄りルイの身長の倍ほどある細い鎖を手渡した。うけとったルイは妙に軽い鎖をしげしげと見つめている。
「それを片手で操作して、最初は5分くらいを目安に鎖の先が地面に付かない様に練習するっす。1時間もそれが出来るようになったルイが思いつく動きをさせる練習っすね。あっ、でも最初は周りに人がいないのをちゃんと確認して、広い場所でやるっすよ。」
そう言いながらルーファスは鋼糸をうねうねと動かして見せる。
まるで生き物の様に動く鋼糸にルイは目を輝かせて頷く。
「(ほんとうにもらってもいいんですか?)」
「もちろんっす。でも約束っするっす。その二つの訓練だけじゃなく、手信号に頼らず話す練習もするっすよ?」
手渡され短剣と鎖をじっと眺め、ルイが本当にいいのか?と訪ねる。
そんなルイに笑みを浮かべてルーファスは人差し指をたてて宿題を告げた。
「やる。せん・・先輩!」
「いい返事っす!そうだ、誰かにそれ持ってる事を知られて怒られそうになったら・・・。」
ルーファスはそこで言葉を止めた。
渡した短剣と鎖を大切そうに抱きかかえたルイが、ぼそっと何か詠唱したかと思うと、ルイの足元の影が蠢き短剣と鎖をするりと呑み影は沈黙したのだ。
しばし呆然としてその動作に見とれていたルーファスは大げさに頭を振った。
「こらこら、自分の能力は親しい人の前でも簡単に見せちゃダメっすよ?それにしても…後輩ちゃんはびっくり箱みたいな子っすね、くくく。まぁ、今後気をつけたらいいっす。"それ"だと誰にもばれる事なさそっすね。でも、もし見られて怒られそうになったら手信号で(ルーファスより、魂を託された。)って伝えれば驚かれる事はあっても怒られることはないっす。ちゃんと覚えとくっすよ?」
目の前で見たことの無い術式と魔法を展開された事で、ルーファスは一瞬凍りついたが、一般的に手札を晒す事はよくないと常識を説くに留めた。
その上、短剣を預けた事でいらない説教や追及を受けないように、古くから名無しに伝わる"符丁"を伝える。
それに頷き、手信号を何度か確認して「ちゃんと覚えた。」と視線で意思を伝える。
「完璧っす。じゃあ、俺っちはそろそろ仕事に戻るっす。またきっと会えるっす。それまでしっかり言葉の勉強するっすよ?」
「する・・ちゃんと。」
「うんうん、じゃあ、行くっす。……でも家族に内緒で遠くまで出歩いて"人助け"したり、夜の散歩もほどほどにするっすよ?」
笑顔を浮かべたルーファスは最後にそんな忠告を告げ、ルイは一瞬ぎょっとした顔をむけるが、ルーファスは口元に笑みを湛えながら、ルイの背中をぽんぽんと叩き背景に溶ける。
そのあまりの手際の良さに再度驚き感心する。自分のそれとなにが違うのかと考えていると。自分に向けられた強い視線を感じ、そちらに目をやった。
そこは邂逅の少し前に、ルイが興味を持って観察していたルーファスが最初に立っていた場所だった。ルイが視線に気が付いたのを察っしたのか、そこで片手を振り夜も深くなり、通りを行き来する人が一層増やした雑踏に溶けていった。
それを見届け、ルーファスから教わった沢山の事を思い返す。
とても短い時間だったがその充実っぷりに満足気な笑みを浮かべる。
最後の忠告を思い出し、お説教を回避しなければいけない。と変な使命感を胸に、"健やかなる日々"がある花街の外へと足早に去っていった。
先輩と後輩。この花街で妙な縁に導かれるよう出会った2人。そう遠くない未来。
2人は思わぬ再会を果たし、驚きの表情を浮かべることになるとは、この時、少しも想像していなかった。




