1章-名無しは夜に蠢く-②
「王都で羽根を伸ばしてるうちに、魔都の我々の怖さ忘れたようじゃの"イフェン"殿。」
「忘れたんだったら、私がきっちり思い出させてえげようか?2柱。」
「ルイが止めよと懇願せねば、ひと思いに首を刎ねてやれたんだがな。」
「序列が実力通りではない事すら忘れるとは余程、王都は居心地がいいのかな?」
「……忌々しい。」
「用件は知らんが、あまり大手をふって歩かぬ事だ。」
「ルイの奇麗な目に、お前の汚い死体など見せたくないだけだからね?
私は許してないから。」
口ぐちにルイの親代わりたちは、冷たく言い放ち不承不承であるが刃を引く。
末の子が4柱とじゃれついてる事には、
気づいていたが暗黙のルールで彼らは口は出さない。
ただ、闖入者が紛れ込んだ事により、彼らは一斉に訓練所を取り囲み様子を伺っていた。
イフェンの実力ではルイに毛程の傷を負わせる事はないだろうと、
頭では理解している皆であったが、ルイにむかって魔法を打ちこんだ事で、
堪忍袋の緒が切れた。
ルイの手信号が間に合わなければ、
イフェンは襤褸雑巾のように切り刻まれていただろう。
「わ、悪かった。もう手は出さない。」
「今後、ルイに顔も見せるないで欲しいかしら。」
「わかった!!顔も見せない!近づきもしない!!…し、失礼する。」
悲鳴に近い命乞いに4柱は言い放つ。
その冷たい言葉にしっかりとのった殺意の刺に、
2柱イフェンは慌ててその場から立ち去った。
「あの……人、なに……しに?」
「さあ、なにかしらねぇ?」
「四柱、あんまりルイに無茶な事はさせないでください!」
「無茶?ルイ、無茶したの?」
「魔法つかっ……たから?魔法つかわ……ない。たおす。よかった?」
オーリが物凄い剣幕で4柱に噛みつくが、響く様子すら見せない。
ルイはルイでなにか明後日な方向に勘違いして反省しているようで、
親代わりは嘆息しルイにそうではない。と口ぐちに伝えている。
ダン爺はそんな家族たちを眺め少し笑みを浮かべたが、
すぐに顔を引き締め去ったイフェンの方に視線をやり、ルイに視線を戻す。
何度か訓練に潜りこんでルイに甘い親代わりたちとの組手を目にした事があったが、
イフェンに対峙した際のルイの動きは目が見張る物があった。
実際ダン爺と同じ事を考えていたであろう者が何人かいるようだ。
シスカもその一人で、先ほどまではルイの目の届かないところで、
本気で2柱イフェン殺害計画を数人の親代わりと練っていたが、
今は笑みを浮かべてルイの頬をつねりつつも心境は複雑だった。
(あの動き……私の攻撃も当たらないんじゃないかしら。
……ちょっと笑えないわね。とんでもないわ、我ら自慢の末の子は。)
他の面々も自慢の末の子が垣間見せた才能の輝きに喜びつつ戦々恐々としていた。
4柱との訓練は黙認し覗かないと決めていた彼らが、
2人の組手を見ずに済んだのは幸せだったのかもしれない。
張り付くような熱さ夏の夜は、秋口の涼しげな夜へと表情を変えた。
高い位置からこちらを伺う月は、差し迫ってきたエドガーとルイの邂逅、
その瞬間を待ちわびるかの様にうっすら笑みを湛えていた。
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「…なんだ!なんだあの化け物は!」
イフェンは訓練所から逃げる様に去り、
御所へ続く廊下を足早に歩きながら悪態をついていた。
もともと目をつけていた4柱に袖にされただけでも腹立たしいのに、
2柱に座す自分があろう事かあんな子供に虚仮にされた事が我慢ならない。
そして、そんな自分に殺意を撒き散らし、
まるで未熟者とでも見下した魔境の偏屈者共も気に入らない。
「なにをそんなに苛立っている?2柱の。」
「3柱?…なんでもない、気にしないでくれ。」
御所の手前で3柱がイフェンに声をかけた。
苛立っている理由を尋ねられたが、まさが子供に良いようにあしらわれたなど、
どうして伝えられよう。
「そうか…私から言うべくことはない。頭領のお時間もそろそろ取れるそうだ。」
「やっとか。さっさと済ませてこんな辺鄙な田舎街の女どもなんかじゃなく、
王都のいい女と酒を楽しみてーもんだぜ。」
「王都はよほど、居心地がいいのだな。
ハメをはずすなとは言わんが、お主は些か目に余る言動も多い。
ここの家族たちを無為に刺激される様な言動は慎んだ方が身のためだぞ。」
「ああ……そうだな。気をつけよう。」
その化け物たちに、自尊心を今しがたへし折られたばかり2柱は、
3柱の忠告に苦虫をつぶした様な表情を浮かべる。
3柱はなんの含みを込めてはいない心からの忠告だったのだが、
無意識に喉元に手を当てた自身に気付き、イフェンは、ほの暗い炎を胸に宿す。
3柱はそんなイフェンの様子を訝しんで、声をかけようとした。
「お入り下さい。2柱様、3柱様。」
しかし、扉が開く気配を察知し、イフェンにかけるべく言葉を呑みこんだ。
御所内から現れた頭領の側仕に入室を促され御所に入室する。
「っ。」
御所に入った途端、言い様のない異常な魔力の奔流にイフェンは息がつまる。
幾度も経験し覚悟して臨んでも慣れそうにない。
気付くと足も止まっており、3柱と案内の側仕が心配そうにこちらを伺っていた
「…平気だ。」と短くなんとか言葉にし歩き出すと、2人も歩み始める。
"健やかなる日々"の敷地内から20メルトル程、地下におりた先に御所はある。
ほの暗い空間に、うっすら薄靄がかかるほど淡い甘い香りの香が焚かれ、
舞う蝶の様に煌々と灯る無数の灯篭がゆらゆらとたゆたうように揺れて照らす。
その足元は奇麗に切りそろえられた黒曜石の石畳が敷き詰められており、
仰ぐほど高い天井には、薄ら白い御影石が丁寧に切り出され、
積み上げられた柱が幾重にも伸びている。
そんな幻想的な心奪われる幻想的な空間をしばし歩くとそれは現れる。
「お履き物はこちらで…」
側仕の言葉に従い靴を脱ぎ、下段の間に足を踏み入れ、両柱は膝をつき頭をたれる。
ここまで案内した側仕は2人を通りぬけ、上がり框の先の上段の間を進み、
異様な気配を垂れ流す主を覆う、豪奢な御簾の両の端に並び立つ他の側仕えの横に立つ。
「そんな緊張せんでいいではないか。2柱。」
御簾の向こうから声は静かに、だが力強く響き渡る。
立ち込めていた膨大な魔力がうねりを佩び騒ぎたつ。
御簾の両端に控え並び立つ側仕たちは顔色ひとつ変えはしない。
「はて、われの声は聞こえぬか?」
返事をしないイフェンの態度が琴線に触れたのか御簾からの圧が溢れ漏れ出す。
「今日はご機嫌が悪いようだ」と胸の中でこぼし、
3柱は苦笑を浮かべ御簾の向こうを見据えイフェンに助け舟を出す。
「頭領、些か魔力を押さえて頂けますか?打ちすえる様な、
この魔力に私や側仕の方々はともかく、
これでは2柱は声を出す事も容易ではないでしょう。」
「なるほど、そうであったか。」
波が引くように圧は鳴りを潜め、魔力もあわせてかき消える。
イフェンは浅く早くなった呼吸を次第に落ち着かせていった。
「も、申し訳ありません。
頭領の膨大な魔力につい言葉を失してしまいました。ご配慮頂き痛み入ります。」
「この程度でひるむとは、些か王都での暮らしが余程、生ぬるいと見えるな。」
「か、返す言葉もございません。」
「まぁいい…それで?何用でここに戻った。」
(……ここだっ!)
イフェンは自分が王都からわざわざここに来た理由を、思い起こし自分を奮い立たせる。"名無し"というこの特殊な組織の中で、
珍しく出世欲の強い2柱イフェンは更なる高みにいたるべく……。
「"名無し"内部に背任に及んでいるなどと言うつまらん理由ではなかろうな?」
「っ!?」
高揚した気分は冷たく言い放たれた頭領の言葉で急転直下を迎える。
「はっ、はははっ!なんじゃその顔はっ!
"名無し"の危機に奏上したい事があるなど、大口を叩いておいて、そんな内容か。
イフェン…お前、もしや私を馬鹿にしているのか?」
「い、いえ!!そんなことは。」
「…3柱。」
「大変失礼いたしました、頭領。内容の精査を怠った私に責任が…ぐっ!」
魔力が急激に膨れ上がったと思えば、横に座していた3柱が、
その場から吹き飛ばされはるか後方の壁面に衝突した音が、重く響く。
ただ湧きあがる魔力の塊を、魔法に置換することなく叩きつけただけでこの威力である。
イフェンは再びその場で凍りつく。
「この様な些事に時間を取られぬために、3柱。
貴様がおるのだろう。あまり不愉快にさせるでない。それで…イフェンよ。」
「…っ。」
自らがその場から弾き飛ばした3柱に恐らく届く事のない声量で頭領はこぼすし、
歯を鳴らし怯えるイフェンに頭領は静かに話しかける。
「別段、貴様の王都での働きには不満はない。
ただな一つ小言を言わせてもらえるのであれば、
つまらん自尊心はもう捨ててしまえ。
貴様の自尊心など百害あって一利ない。
此度の件も職務に忠実がため馳せ参じたのであろう。」
「は、はいっ!」
「いちいち怯むな。鬱陶しい……次は許さぬ。
あともう一つ、見た目で侮り敗したにも関わらず、
あまつさえ卑劣な復讐など画策するのであれば"柱"など名乗るな。
貴様も命は惜しいであろう。」
「な、なんの事かわかりかねます!そのような事は……失礼しました!肝に銘じます!」
言い逃れしようとした自身を刺し貫く殺意にイフェンは、今度こそ心が折れ平伏する。
「よい、下がれ。」
側仕が再び、イフェンの側に歩み寄り力なく立ち上がったイフェンは、
幽鬼の如くその後に付き従い退出する。
入れ違いに3柱は、下段の間にあがり居住まいを正した。
「そんな顔をしないでくれる?3柱。」
「頭領もお人が悪い。機嫌が悪いからといって私に八つ当たりするのはやめて頂きたい。」
「仕方ないじゃない、馬鹿の顔見てたらムカムカしたんだから。」
先ほどまでの威圧する様な気配は消えうせ、
御簾の向こうから親しげな声音で頭領は語りかける。
3柱はわざとらしく頭を振り、わざとらしく大きなため息を吐く。
「まぁ、いいでしょう。それで頭領。いかがでしたか?」
「あれは踊らされてるだけでしょうね。唆されてどうこう出来るタイプじゃないわ。」
「では。」
「ええ、背任の一派ではないわね。
女子供に対して呆れるほど浅慮で腹に据えかねる部分はあるけども、
部下に対しては手厚い上司だと報告もあるし。
今回の奏上も「私はこんなに組織の事を思ってます!」って、
私の覚えを良くしたかっただけでしょう。」
「なんとも……それは。」
「まぁ、王都での仕事ぶりに文句がないのは本当よ?
ほんと優秀な部下にだけは恵まれているみたいね。」
「それでしたら、何故あそこまで。」
「ルイに喧嘩売ったのよ。あれでも我慢したわ。」
3柱は得心がいった。
おそらくイフェンはルイに絡んで返り討ちにあったかして、
あの不穏な態度だったのだろう。
そして、初めからイフェンに当たりが強かった頭領は、
それを知ってあの態度だったのだと。
こうも思った…。
自分がその事を知っていれば八つ裂きにしていたと。
「なによ、急に怒り出して。」
「いえ、私の手で八つ裂きにしてやれなかった事を悔やんでいるだけですよ。」
「ふふっ、それは残念だったわね。」
御所に2人の笑い声が響き渡り、
その会話を聞いていた側仕たちの静かな殺気が満ちていった。
"名無し"たちの強すぎる愛にルイは守られている。




