2章-斜陽に染まる辺境都市
「さて、突然ですが今日はこのままお姉さんとこに、ルイと2人はお泊りです」
「……突然、何を言い出したんですか」
ベルイド武具店を出発し、しばらく歩いたところで急に朱華がそう宣言した。
「辺境伯の許可なら、サミュルが立ち寄った際に取る手筈になってるわよ。
リズからも一度ルイを連れ帰って英気を養わせて欲しいって言われてたし、
良いタイミングだし、2人もまとめて招待しようかなってね。
(それに、尋問だなんだとあっち賑やかなになってるだろうし、
この子たちを遠ざけて置いた方がオルトックもやりやすいでしょ。
これを機に危険だから我々がとか、騒ぎだす貴族がいないとも限らないから)」
おどけた様に振舞いながらも、手信号で伝えられた内容は軽い物ではなかった。
突如発生した想定外の遭遇戦。
今頃、オルトックの下へ帰還したリグナットから報告を受けているだろう。
ルイたちと遭遇はしてないものの、
中央区で起こった騒ぎに、衛兵たちは駆け付けたはずだ。
その騒ぎが、シュナイゼルとセリーヌの後を追っていたと聞かされれば、
胃痛持ちのオルトックが顔を顰めている姿をルイは想像し心配になる。
その上、リグナットたちが運びいれた20を超える死体。
そして、5名の生き残り。
死体の検分も尋問もどちらも可及的速やかに行わなければならない。
そうなると動員される数が増え、いくらオルトックが隠し通そうとしたところで、
全てを隠しおおせる訳がない。
仮に、シュナイゼルたちとの関与に気づかれないようにしたとしても、
数多の死体の検分をしている。
何者かが尋問を受けているようだ。
そんな声が広まれば、シュナイゼルたちが狙われていたと確たる証拠がなくとも、
邪推を働かせた一部の貴族が、両殿下たちに"危険が及ぶかもしれない"、
"守るのは我々だ"といらぬ騒ぎを起こす事も想像に容易い。
そんな領主館へシュナイゼルたち連れ帰れば、そう言った者たちの恰好の的。
少なくとも、今日明日は雲隠れさせる事が好ましいかとルイの考えもそこへ帰結する。
「オルトック様が把握されてるなら、僕が反対する気はないです。
でも、2人がお戻たいと言うのならば、朱華が止めても2人を返すだけ。
それで良いですよね、朱華?
(確かに、朱華の言う通り領主館に連れ帰ると良くない事のが多そうです。
尋問や死体検分が2人の目に止まるのも避けたいですしね)」
ルイは、そう言い2人を庇う様に立ち、
2人の目の届かないところで手信号を送った。
朱華は、そんなルイの手元を一瞥した後、
シュナイゼルとセリーヌを見やり、どうする?とやんわり水を向けた。
「ルイが一緒という事ならば、私は構いません。ただお聞きしたいのですが、
そもそもお姉さまは、どなた様で、ルイとどのような御関係で?」
「ルイが心許してるのは見てればわかる、信頼出来る人だと思いたい。
だが、だからと言って、何者か知らぬまま、ただ付いてこいと言われてもな」
セリーヌが些か厳しい視線を朱華に向け、そんな彼女に落ち着けよと、
優しく笑いかけながらも、シュナイゼルもまた、はっきりとした口調でそう言った。
2人のやや強い語気に、やや心配そうに朱華を見上げるルイ。
そんなルイの視線に、笑みで応えそっと朱華は肩に手を載せた。
「改めて両殿下。私の名前は朱華、ルイの育ての親の1人と言ったところよ。
あの悪名高き闇ギルド名無し(アンノウン)の頭領、二つ名は仇花と。
さて、自己紹介が済んだわ、それで、安心してもらえたのかしら?
相手によっては、こう名乗るとね、とっても警戒されるのだけど…ふふっ」
濃密な妖艶さを漂わせ、煌々と輝く赤い瞳に僅かばかりの圧力を滲ませる朱華。
2人をからかっているのか、それとも見定めようとしているのか。
戯れに悪意を振りまくような真似はしないとルイは朱華を信用している。
その真意がわからない内は、口を出すべきではないとルイは成り行きを見守る。
「…名無し(アンノウン)の頭領」
「あの…仇花」
凄みすら感じさせる赤い瞳に気圧され、なかなか言葉を租借できずにいた2人だったが、
一言、そしてまた一言と反芻する内に、ゆっくりと浸透して行き理解に至る。
「「…ええーっ、えっ、えーえー」」
混乱、歓喜、驚愕、そして僅かな恐怖。
それらの感情が溢れ、おかしな声をあげ2人は顔を見合わせる。
そして同時に、ルイへと視線を向け"本物かと"目で訴えた。
当然、朱華が本物であることに間違いなどない。
ルイはこくんとひとつ頷き肯定した。
「くすくす、困った子たちね。ほら、2人とも深ぁくゆーっくり、息を吸って、
そう、そしてゆっくりと吐き出して……その調子よ」
圧力を解き、2人の前に屈み視線をあわせる。
そして、言い聞かせるようにゆっくりと深呼吸を促した。
「すっげーな、すっげーよっ、本物にあっちまったよっ。
そりゃルイも心許すわな、ルイの大事な家族だもんなっ!
ぶっとんだ美人だし、そりゃ、おれらに自慢するわっ!」
すっかり衝撃の自己紹介から立ち直ったシュナイゼルは、ルイの肩を叩き笑う。
オーカスタン王国に住まう者であれば、誰もが一度は耳にする伝説の名無し(アンノウン)。
恐ろしい暗殺集団だとシュナイゼルも聞かされていたが、
ルイと初めて出会ったときに、そんな常識は消えてなくなった。
ルイはそんな彼らを誇らしいと言った。
そして、たくさんの愛情を注がれたと。
実際、朱華を前にしたルイはいつもの大人びた雰囲気が幾分和らいで見える。
そんなルイの姿を見て純粋にシュナイゼルは喜んでいた。
「…私、ルイが大恩を感じている方になんて態度を」
その一方で、かわいい弟が取られたような微かな嫉妬心の赴くまま、
強い視線を向けていたセリーヌは顔を青く染め落ち込んでいた。
「ん?そんな顔しなくていいのよ?ルイを心配してくれたからこその態度でしょ?
嬉しく思うことがあっても疎ましく思ったりしないわよ」
そうセリーヌに向きなおり、朱華は慈しむように優しく彼女の頬に触れる。
「朱華様…」
「朱華でいいわ、私もルイに倣ってリーヌと呼ぶから。
ゼルもそれで良いわよね?」
「おう、朱華よろしくなっ」
「朱華…ありがとう。それから、よろしくお願いします」
明るさを取り戻したセリーヌの頭をひと撫でして、
朱華は立ちあがり、改めてシュナイゼルとセリーヌに向き直った。
「では、あらためてルイの里帰りを兼ねて2人も招待したいのだけどいかが?」
「行く!ぜったい行く!アジトだろ?わくわくするぜっ」
「もう、ゼルお兄様ったら。アジトなんて言い方したら失礼ですよっ!
朱華、それにルイ。お邪魔じゃないのでしたら、私もお伺いしたいです」
シュナイゼルは窘められつつも嬉しそうに拳を握り、
セリーヌも朱華とルイに微笑みを浮かべて嬉しそうにしていた。
「ゼル兄様の言うアジトがどんな物かわからないですけど、
ふつうに危ない罠があったりするんで、
はしゃぎすぎて引っかからないでくださいね」
「まじでアジトじゃねーか……カッコいいっ、すげーな!」
危険だと伝えたつもりが、シュナイゼルにとっては全くの逆効果だったようで、
ルイは額に手をあて嘆息した。
「ふふ、ゼルの期待に応えられるといいけど。あ、でも他所で私のこととか、
隠れ家の場所とか言っちゃだめよ。名無し(アンノウン)と国が戦争するとか嫌でしょ?」
さらりと物騒なことを平気で口にした朱華に、2人の笑顔が硬直する。
「「絶対秘密にする(します)」」
「よろしい」
ぴったり揃って双子って可愛いと満足気に笑みを浮かべる朱華。
称賛された2人はまだ脳裏に"戦争"という単語がちらつくのか、表情は硬い。
ルイは手信号で"からかいすぎです"と苦言を伝えるも、
返ってきた返事は"馬鹿な貴族にでも知られたらあり得ない話じゃない"と、
物騒な物だったため、苦い顔をした。
「リーヌは、こっちにいらっしゃい」
「はい?」
朱華の手招きに応じたセリーヌを、朱華は軽々と抱えあげる。
突然のことに少し驚いたセリーヌも、朱華の顔を見とれるようにじっと見つめ、
少し嬉しそうにしていた。
「はい、ゼルはルイに背負われて」
「おれが背負われるのか?背負うんじゃなくて?」
「ゼルが、壁蹴って駆けあがったり屋根を蹴って移動できるならそれでいいわよ?」
「ぐっ…おれとルイは下を走ってってはどうだ?」
「日が落ちる前には着きたいのよ、そもそも私、結構お腹すいてるのよね」
当然、シュナイゼルはそんなことはできない。
代案として走って向かうと口にするも、遠まわしに棄却されてしまう。
それでも、自分より幼く小さなルイの負担になるのはと葛藤する。
「大丈夫ですよ、ゼル兄様。乗ってください。
朱華が、一度ああ言い出したら絶対に他の意見は聞きません」
「あら、ひどい言い方。やっぱり反抗期かしら」
頬を膨らませ抗議する朱華に、抱かれたままのセリーヌが可笑しそうに笑う。
結局、渋々といった様子でルイの背中にしがみつくシュナイゼル。
同年代の中でも比較的大きい体格のシュナイゼルを、
小さなルイが担ぐとひどく不安定に見えた。
「どう、ルイ?」
「軽いとまでは言わないけど、このくらいなら大丈夫。
でも、さっきみたいな速さは無理ですよ」
「リーヌ抱いてるのに、あんな危ない速度で走ったりしないわよ。
じゃあ、ついてきてね。じっとしてたら落ちたりしないから安心してね、リーヌ」
「…ひっ」
ぐんと地を蹴り跳躍する朱華。
思った以上に速度を感じたのか、セリーヌの小さな悲鳴が聞こえた。
軽い足取りで音もたてず、壁を蹴りどんどんと空へと駆け上がって行くのを見て、
シュナイゼルが、大丈夫かと不安そうな顔でルイに声をかける。
「しゃべると舌かみますよ」
「えっ?うぉおおおおぉっ!」
心配されたことが癪に障った訳ではないが、
ちょっとムキになったルイは、朱華に負けじとぐんぐんと速度を出して駆け上がる。
数度、壁を足場に利用して、トントンと軽い調子で建物の屋根へと降り立つ。
斜陽が差し込み幻想的な色合いで身を染めるハンニバル。
背負うシュナイゼルが息をのむのがわかった。
ルイもその景色に心が動かされる。
「ちょっと、ぐっとくる景色だな」
「そうですね、僕も少し感激しました」
少し先を疾走する朱華に抱かれたセリーヌも喜色を浮かべ、
広がる景色を指し、何か朱華に伝えているのが見てとれた。
中央区を超え、商業区に差し掛かろうと言うところで、
朱華たちが立ち止まるのが見えた。
ルイもその建物へと向きを修正して飛び移る。
「ここからは、下に降りるみたいです」
「おお、もう近いのか?」
「歩いて数分ってとこですね」
商業区には、店舗や商会が多く存在する。
それに比例するように、当然ながら人の出入りも他の区に比べても多い。
人の出入りが多いということは、存在を隠したい者たちにとっては絶好の場となる。
そのため、名無し(アンノウン)が拠点をこの区画に構えるように、他のギルドの拠点も存在する。
また、冒険者の"派閥"が拠点を構える際も、
買い物などが容易なためこの区画に構える場合も多い。
さらに、大規模な商会などは、競合する商会の情報を手に入れようと、
斥候や私兵を雇うことも珍しくないのだ。
闇に息をひそめる者、気配探知に優れた冒険者、そして商会の雇い入れる斥候。
そんな有象無象があふれる商業区の裏の顔。
朱華とルイだけならば、もうしばらく空の散歩を楽しんでも良かったが、
シュナイゼルとセリーヌは気配を消すことはできない。
わざわざ、そんな有象無象の輩たちの目を集める必要はない。
それこそ要らぬ緊急事態が舞い込むだけ、おそらく朱華はそう考えたのだろう。
建物の隙間を通り抜け、やがて拓けた通りに出る。
そこで朱華、セリーヌと合流し目的地である健やかなる日々を目指し歩き始めた。




