それでも世界は廻る 5
国々の情勢を学ぶ事が嫌いになったのはいつ頃だろうか。
私自身が公爵令嬢という立場に生まれたと自覚した頃だったと思う。
護身術を習い始めたのは私が3歳になる前だった。
最初は遊びの延長だ。
逃げること隠れる事を覚える。自身の体の大きさと体の動かし方をちゃんと理解して上手く隠れる事が私の遊びとなった。
その後は順々に体術と剣術を覚えさせられその合間に毒への耐性も付けるようになった。
実家での食事が嫌いになったのはこの頃であまりに頻繁に毒を食べさせられるので、母は私を殺そうとしてるのかもと疑心暗鬼にもなった。
それでもなんとか7歳を過ぎる頃、やっと母たちの言うことを実感する事が出来た。
『この国は、殺し過ぎた』
そう何度も言われた理由。
隣国の使者が我が家を訪ねたその翌朝、私の寝室は赤一色となった。
つい昨晩、ともに食事をした青年は、私を誘拐しようとしてたらしい。らしいというのは、首謀者である男が自害した所為で何を目的にしているのか定かにできない状況だったからだ。
そして私を助けようとした0歳から一緒にいた乳母は、冷たい人形となっていた。
とても厳しい母に変わり、愛情深く私を慈しんでくれた女性はその日私を守って死んでしまった。
父も母もコレを全て無い事にすると私に告げたのは、彼女を失って2日後の事だった。
なぜっなぜ?とそう責めても父も母も沈黙を返すばかりだった。
哀しみに暮れる私のために父と母は、私に1匹の小鳥をプレゼントしてくれた。
その小鳥は、たった2週間でこの世を去った。
真夜中突然に甲高く鳴き続ける小鳥に気づいて私の部屋にやってきた一番上の兄が私を連れて部屋を出たその数十秒後・・私の部屋は吹き飛んでいた。
爆炎に包まれる部屋の片隅に煤けた鳥籠が風に揺れていたのを今も覚えている。
その後、王城の方が安全だというのでしばらく王城に住む事になった私を王家の皆さんは、心よく迎えてくれた。
しばらくの平穏を娘に与える事が出来たと父は思っていたが本当は、違う。
母は、私を王子2人の護衛として城に送り込んだのだ。
母からの密命で、私の日常はどこまでも波乱に満ちたものになった。
王妃様のご配慮でそれでもそれなりに穏やかな時間もあった。
今の私があるのはそのおかげだったと思う。
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現在の状況は、それが原因と言える状況だったとしても、私はそれを後悔しない・・はずだった。
「でもなぁ・・・・これってどうよ」
つい声が漏れたが、目の前の人物には聞こえなかったらしい。
「・・・どうぞこれで収めていただきたいと」
兄から解放された私を待っていたのは、賄賂と根回しの嵐。
次期王妃候補は、国内に6人も居るのに、まさか先日の舞踏会のせいで、筆頭が私になるとは、思わなかった。
・・・いや、いらないんですけど、このフラグ。
「・・・これは?」
私の前にあるのは、見事な金細工の髪飾りだった。
この国は、現在絶賛財政難である。
どこから出てきたよ、これ。
「わが家が贔屓にしている商人が隣国より持ち帰った品でして・・特別にその」
わかりやすい。
その商人って誰なのかしら。この人の背後関係を思いだしながら、たくさんの可能性を浮かべ一つ一つ潰す。
「美しい金細工・・・コレを私に?」
「はいっ・・・是非に」
そう言って捧げ渡されてしまった。
一応手に取って確認するが、重さも輝きも確かな金だった。
この細工の感じはダブリスではあまり見ないものだから、確かに他国からのものだろう。
これでいくら小麦が買えるかしら、先週調べたばかりの麦の相場を思い出し、頭の中で計算すれば優に4200キロは買えると推測できた。
あるところにはあるものだ。そう思いながら手にあるものをそっとテーブルに戻す。
「その・・・そちらをお渡しする代わりにその・・・先日の娘の不手際を・・お許しいただけませんでしょうか?」
震える声とこちらを伺う瞳。
そんな期待に満ちた目で見られても困ってしまう。だって私が彼女の処遇を決める事はできないからだ、そしてなによりも、こんなものを私に見せてタダで済むと思わない方がいい。
「そうね・・・・考えましょう。」
「あっ有難うございまっす!!」
勢いよく下げられた頭が少ない毛をそよがせた。娘さんは随分と器量がよかったが・・これの血が入ってると思うと感慨深いものだ。
彼女の母親は、楚々とした奥ゆかしい貴婦人の鏡のような人だったのに、コレが夫だと苦労が絶えないだろうと別な思考が頭を過ぎる。
「で・・・その商人というのはどこの商会に所属した者だったか、教えていただけない?」
「えっ!あのっそれは・・」
「私も一つお願いしたいの」
そう思ってもない言葉を紡ぎながら、手にした飾りをテーブルに戻して、母を思い浮かべながら腰元にあった扇を広げる。
口元を隠して、母のように微笑む。
「・・ああああの・・・それが・・ですね」
「あら、教えてはいただけませんの?」
相手には私の目だけが見えるようにする。眉間に力を入れて、涙腺を滲ませてやればお仕事は完了だ。
「いえ、もちろんお教えしましょう・・」
赤ら顔で私をぼーーっと見つめる中年男油男に嫌気がさしながら、私は彼が贔屓にしている商人の名とその商人が所属している商会。その商会で利用している陸路まで聞き出す事に成功した。
もう既に慣れた事だ。
「とても参考になりましたわ。有難うございます。」
微笑と共に、持っていた扇子を閉じる。
これで終わりという私だけの合図だ。
この部屋の屋根裏部屋には我が家直属のお庭番たちがいるのだから・・後は彼等が裏をとってどうにかしてくれるだろう。
彼の奥方の実家は、多分問題なかったと思い出しながら、予測する。
この人が罰せられる場合に起きる弊害を。
小物っぽいし、トカゲのしっぽ切りで終わりの顛末。
狸もキツネも多すぎる貴族社会に彼はとても扱いやすい人間だったと思うと不憫にも思えた。
「・・ねぇ・・フレル男爵?」
「ははいっ、なんでしょうか?」
「私・・金は、あまり好まないの」
「えっ・・・」
「でもね・・・あなたの奥方が送って下さったカサブランカの刺繍・・・今でも持ってますのよ?」
「は・・はぁ、それは・・妻も喜びましょう・・・次に参る時は妻に」
ここ最近は、若い愛人に入れあげていると社交界でも有名な彼に、私はそっとヒントを与えた。
「次は、アジサイの物が欲しいと伝えてくださる?」
「アジサイですか?」
「えぇ・・・よろしいかしら?」
「はい・・そう伝えましょう?」
彼は全くといっていいほど無反応だが、アジサイにはあまり良くない花言葉がある。
“移り気”“あなたは、美しいが冷淡である”
そしてもう一つ、あのたくさんの花を束ねる形から
“家族の結びつき”
目の前の彼が気づかなくともその奥方である、女性が聡明であることは母から聞いているから、これで気づくはずだろう。
いや気づいてくれることを願うばかりだ。
幼い頃、確かに一度だけ刺繍付のハンカチを貸していただいたのだ。貰ってはいないけど。
転んだ私に貸してくれたのに、カサブランカの見事な刺繍で、とても使えないと返そうとしたら怒られた。
子供が気にすることじゃないと。
そういう方だからこそ、母は、この男にはもったいないと嘆いていたのまで思い出した。
「どうぞ、メルヴィ様によろしく」
「はい」
丸っこいフォルムをより丸く縮めながら家令に従い部屋を出て行く彼の今後を思うと気が重かった。
元々彼が我が家を訪れた理由は、彼の娘が起こした不祥事に対する謝罪だ。
だが本質は多分違う。
娘の不祥事さえ利用し私という妃候補に近づくいい機会とでも思っていたのだろう。
あけすけ過ぎる賄賂まで用意しているのがその証拠だ。
これで後数ヶ月の間に何かしら動かなければ、フレア男爵家は降格あるいは爵位返上となるだろう。
これだけの富を得るには、多分色々と手を汚しているのは確実だからだ。
「ほんと、どうしたらよいのかしら」
先ほどまで美しく光を反射していた金の飾り。
それを生み出すのは、民の血税であるとどうして気づかないのだろうか。
他者の利益を奪う事でしか存続する事も出来ない、愚鈍な者に男爵位は扱えないのだ。