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国の近衛騎士というのは、誰もが憧れる華やかな役職だ。
騎士団に所属して功績をあげるか、それなりの権力を持つ者の推薦などがなければ、まず話にものぼらない。こねや袖の下が皆無ではないため、実力や人望を見定めての昇進が常。そして、非常に狭き門である。
なれたらいいと思っていた。なってもおかしくない実力を持っているとも、思っていた。
魔法学園から編入してからも、上の学年を押しのける成績だった。魔法自体もうまく使いこなせたし、火の属性とは相性がよかったこともリディアンの実力を高めた。
剣術も卒なくこなせるが、魔力がそれを上回る。騎士団に入ることも考えたが、陛下や殿下の信望が厚いこの学園で出世できれば、近衛の道も開かれるだろう。
リディアンが学生のころ、ひとつ下の学年は王太子殿下がいたために、なにかと目立つ年だった。殿下と稽古で剣を交えたこともあるから、もしかしたら覚えてくださっているかもしれない。
あのいけすかない野暮な男ではなく、リディアンのことならきっと記憶の片隅くらいにはあるだろう。
そう思って、彼はこの数年ひたむきに生徒と向き合い、自身の体も鍛えてきた。だから、学園長が近衛隊へ推薦すると言ってくれたときには、ようやくかと思った。
満を持しての試験であり、自分があの純白の鎧をまとう姿もたやすく思い浮かぶ。
その傍らに、あの愛らしいシェリーが寄りそってくれたら、あの男は無表情をゆがめるだろうか。大した実力もないのに、母校で教壇に立ち、リディアンの思いを寄せる彼女に気をかけられているアルフェリア。
あんな薔薇でしかシェリーの気をひけないとは、かわいそうに。彼女のうつくしい髪や瞳に映えるのは深紅の薔薇だとわからないのも笑わせる。
シェリーが大事そうに鉢を抱えていたのが気に入らなくて、リディアンは早々に薔薇を贈り直した。もちろん、彼にとって薔薇をうつくしく咲かせることくらいたやすい。
深紅になりきれていない、中途半端な赤い薔薇は鉢を割って茎を折り、そのまま焼却炉へ放ってしまったけれど、シェリーの目につくことはないだろう。もし見られても、落としたのだから、あの惨状は当然だ。
幼いころから親しくしていたから、情が湧いているのだ。親しい者を悪く言われて怒るのは当然。だから怒らせてしまったけれど、やさしいシェリーらしいなと思うばかりで嫌な気になるわけがない。
彼女ほどの実力と人柄であれば、十分王宮でやっていけるだろうし、アルフェリアと距離を置けば自ずとリディアンへ好意を寄せてくれるはず。そして、あの男は生徒にも軽んじられながら一生をあの学園で終えるのが似合いだ。
絶対に見返してやる。そして、シェリーの目を覚まさせてやらねば。
そう意気込み、闘志を燃やすリディアンは、唖然として剣を構えた。
試験日に通されたのは、王宮の訓練所だった。剣と魔法を使って、試験官と試合をして見せるという、お決まりの内容である。
訓練場には結界が張られているのがわかった。魔法が外に漏れないようにするのと、人払いも兼ねているのだろう。
殿下や近衛兵、騎士団の団長たちが結界の外にいるのも見えて意識が高揚する。
だから、純白の鎧に身を包んだひとりがリディアンへ向けて剣を構えたときも、始め! と鋭い声がかけられてときも、自分の勇士を目に焼き付けてもらおうと意気揚々だった。
それなのに。
キンキン! と刃がぶつかる音が響く。相手の太刀筋はかろうじて読めるのに、防ぐことだけで手一杯だ。
体の状態はよく、握りなれた剣は軽いとさえ思うのに。
剣に纏わせた炎さえも、相手の切る風で散ってしまう始末。倍速の魔法も、魔封じも、得意の炎の壁も、どれもこれも歯が立たない。
なんだ、この、状況は。
「筋は悪くない」
低く、淡々とした声がリディアンの上がった息の間に挟まれた。
「意気込みもいい。が、このところ鍛錬を怠っただろう。腰が弱い」
「くっ」
薙ぎ払われてたたらを踏む。
それでもリディアンは今度はこちらからだと地を蹴った。
「演唱ももっとなめらかに。手早く正確に唱えなければ、万が一のときに役にたたない。一瞬の隙が命取りになる」
放った炎も呆気なく霧散して、熱気だけが頬を焼く。
体格も、筋力も、リディアンのほうが勝っているはずなのに。
「あとは、視野を広くすること。偏見を捨てろ。頭が固くては、咄嗟の判断も作戦を練るときも苦労する」
ガキン! と一際大きな音を立てて、剣と剣がぶつかった。
鍔で押し合うその力でさえ、勝てる気がしない。必死で踏ん張るリディアンに、試験官を務める騎士は囁くように声を落とした。
「それと、人の花を勝手に手折ろうとするのは感心しない」
「なっ」
さらりと揺れた鳶色の髪から、オリーブ色の瞳がまっすぐと向けられる。もう見ることのないはずの色だった。
なぜ、おまえがここにいる。
なぜ、その鎧を纏い、それほどの力を持つ。なぜ、おまえが。
目を見開いたそのとき、浴びせられた一撃でリディアンは膝をつく。勝負はあっけなかった。
***
崩れ落ちたリディアンを前に剣をおさめ、アルフェリアは結界の外へと出ていく。
櫛で梳った髪がちらちらと滑ってうっとおしいとばかりに手で払う。すると、にんまり笑った王太子殿下がリディアンとアルフェリアとを見比べた。
「どうだ、あいつは」
おもしろがっているのが明らかで、アルフェリアは遠慮もせずに顔をしかめる。
「私怨があって言うわけではありませんが。人目をひく的としては十分ですが、近衛としてはまだまだでしょう。あえて泳がせる駒として使うのなら話は別です。使い方によっては活かせるとも思います。また、騎士団でなら小隊を任せるくらいにはよろしいかと。あとは本人次第ですね」
「ふうん」
殿下は銀色の髪を春の日差しに染めながら、地面に手をついているリディアンを興味深そうに眺めた。
それにアルフェリアは小さくため息をこぼす。
「ともあれ、人の持ち物を勝手に捨てるようなところは道徳的によくないので、学園向きではないと思いますが」
「それはおまえがただ単に女に近づけたくないからだろう」
快活に笑った殿下にアルフェリアは嫌そうに眉を寄せたが、結局なにも言わなかった。あまり反論しても言い包められるのが目に見えている。
口をつぐんだアルフェリアに視線を戻した殿下は、なるほどとうなずいた。
「が、まあそれも一理ある。騎士団で根性叩き直すほうがよさそうだ。てことで、団長。引き取ってくれ」
「はっ」
軍礼をした団長が結界をくぐった。
リディアンは完膚なきまでに打ちのめされて、勝手に話が進んでいることもわかっていない。まだ息を荒げて地面に転がっているのを、団長の大きな体躯が担ぎ上げた。
殿下はそれをまたおもしろそうに見つめ、団長がリディアンを担いだままその場を辞すのを見送ると、ようやくアルフェリアへ視線を戻す。
「いやあ、やっぱり間諜まがいの奴がいると話が早くていいな。アル、おまえ幼馴染にもばれていないらしいじゃないか」
「あえて言うことではありません」
学生時代、アルフェリアの実力に気づいていた殿下は、この物静かな鷹に爪を隠し続けるよう話を持ちかけた。
彼を見かけだけで馬鹿にするような輩は、その程度だろうと見切りをつける。そしてそんなアルフェリアをあえて王宮勤めから離したのは殿下だった。
ならばと、生徒と触れ合わせることでその進路を適材適所へ導く役を自ら進言したのはアルフェリアだ。そうすることで、国に仕え、国をよくできるのならと。
近衛隊という肩書きも隠したまま、もう何年か経っている。表向きはパッとしないアルフェリアをひとりの男として認め、慕い、癒している幼馴染には救われるものがあるのだが、彼女にそろそろ会わせろ殿下がうるさくなってきたのが最近の悩みである。
「それでは、私はこれで」
「ああ。よくやった」
なににつけても基盤は大切だ。うつくしく薔薇を咲かせるために土壌を肥やすことも、笑顔が絶えぬよう国を支えることも。
さしあたっては、もう一度あの赤い薔薇を咲かせる必要はありそうだ。
思いながらアルフェリアは皺のついた服に着替え、鳶色の髪をくしゃくしゃにして学園への道のりを急いだ。