コラム★西洋世界における隠喩あれこれ★
『足首を見せるのはエッチなことです』
剥き出しの二の腕を見せておいてそりゃあないよと思いますが、近世のロンドンやパリでは実際にそのような認識がされていました。また、キリスト教の世界圏内ではそうだとも言えます。靴と帽子はどんなに貧しい人々であっても必ず持っていたものです。ただし、教会に行かなかった奴隷たちはその適用外です。マーク・トウェインの著作物からそれが伺えますね。
ペローによる『長靴をはいた猫』の解説によると、靴とは人間の証明だということです。ですから、猫がしゃべったりしても驚かれなかったのは靴を履いているためだったということになります。逆に履いていなければそれは人間でなく獣だということになりますね。今でも獣と言えば「ベッドの中ではしゃぐこと」の比喩表現のひとつであることからも、裸足であることがどんなに文学的官能表現なのかが分かっていただけると思います。
『髪の毛をほどくのはどんなとき?』
靴が文明人の証明であるように、服装も「ひととなり」を示すものさしでありました。職業や身分によって決まった服装でいなければならなかった時代は、あまりにも長かった。貴族女性が夫の死によって一時的に職能を肩代わりする際に男装をしていた事例もあります。歴史とは面白いですね。
髪型も同じであります。日本でも西洋でも、女性が髪を高く結い上げることができたのは、大人の仲間入りをしてからです。そして、その髪を下ろすことは通常ではありませんでした。髪をざんばらにたなびかせている女性は、コミュニティーを外れた女性であり、ひいては人間ではない者でした。妖精、魔女、幽霊……。ここで言う、コミュニティーを外れた女性とは、気が違ってしまった女性や娼婦、独りで住む老婆などのことです。
髪を切ることの少なかった女性たち。ウーマンリヴのない時代にあって、髪を短く切っている女性がどんな目で見られたか、創作において西洋風の世界を構築するなら考えてみると面白いですよ。『エマ(森 薫 /ビームコミックス)』では、変人ミセス・トロロープと呼ばれていた貴族女性は髪をショート・ボブにしていました。『源氏物語』にあった、貴族女性の出家の描写でも同じようにショート・ボブにカットされていました。
髪型は服装よりも自由でしたが、切ってしまうというのは全然違う意味を持ちます。コミュニティーを外れることよりは多少“柔らかい”イメージでありますが、ようはコミュニティーの中にありながら線引きをしているのですから。ある意味、女性に求められている役割を拒否しているとも取れます。例えば、出家するということが御仏にすがって生きていくことであるなら、妻として母として果たさなければならないすべての事柄から離れるという意味ですから。
『拙作にある表現』
であるからして、拙作『魔王子は女騎士の腕の中で微睡む~炎の魔女~』の主人公ルベリアは、作品中唯一、女性で短髪表現がされていることからも「女」として見なされていなかったことが分かっていただけると思います。彼女はその生まれから、どこのコミュニティーにも属することが許されず、流れ流れてお情けで騎士に取り立ててもらった過去があります。それも身元を保証してくれる酔狂な貴族の援助なしには得られなかった身分です。
アウグストの夢に垣間見えた未来のルベリアや、ギュゼル姫の決断のシーンにおいても、髪の毛は重要な意味をもって現れるモチーフのひとつです。こういった絵解きがぴったりハマると、作者としては大変面白いと感じるのです。