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キンモクセイの恋人


 上橋紫苑うえはししおんと名乗る女性は、出されたコーヒーに目もくれず、開口一番こう言った。


「恋人を探して欲しいんです」


 いつか聞いた台詞によく似ている。新名陽康は彼女の真剣な眼差しを一身に受ける所長の姿を横目で見て、瞼を伏せた。

 所長と言ってもここ美籐探偵事務所に従業員は二人しかいない。新名は所長である美籐杏子の助手として雇われてはいるが、ただの雑用アルバイトなのが現状だった。


 パーカーにデニムのショートパンツにタイツという、およそ一事務所の所長らしからぬ服装の杏子は、無感動に紫苑を一瞥し大きなタブレットを手に取った。新名も横でメモを構える。


「恋人、ですか。行方不明ということでしょうか」


「……そんなようなものです」


 紫苑は少し言いにくそうに言葉を濁した。染めてからかなり経つのだろう、根元の黒い明るい茶髪を揺らして俯いてしまう。二十三だと言っていたが、どこか疲れた雰囲気が目立ちもっと年上にも見える。

 ワケあり、だろうか。新名はくせ毛頭を掻いた。こんな小さな探偵事務所に相談に来る時点で、ワケありなのは当然かもしれないが。


 杏子は紫苑の様子を気にも留めず、淡々と質問を投げかけていく。


「恋人のお名前、年齢、職業は」


「……佐藤真二さとうしんじ、二四歳、大学院生です」


「どこの大学院ですか」


「大学名までは知らないんですが、京都の大学で理系だったと思います」


「――え! 京都ですか。遠距離なんですね」


 新名が思わず口を挟むと、紫苑は力なく頷いた。


 タブレットを操作する手を止め、杏子はコーヒーを手に取った。まだ残っている湯気に目を細める。童顔に似合わず、杏子は濃いブラックコーヒーしか飲まないため、少しでも砂糖を入れるとバレてしまう。新名はこれを、数少ない彼女の『探偵っぽい』所だと思っていた。


「顔写真などはありますか」


「……ありません。顔、見たことないので」


「交際期間は」


「…………一ヶ月ほどです」


 一言毎に、紫苑の声は弱まっていった。杏子はコーヒーを流し込み、遠くを見るように紫苑の方をじっと見つめた。


「失礼ですが、過去に交際経験はありますか」


 予想に反した問いだったらしい。紫苑は顔を上げ、瞬きした。


「一度だけ、中学生の時から四年ほど。真二以外はそれだけです」


「そうですか。――ニーナ君、適当に佐藤真二さんに関して詳しい情報聞いておいて」


 新名の肩をぽんと叩くと、杏子はタブレットとコーヒーが半分残っているカップを手に立ち上がり、自身のデスクへ向かってしまった。


「え、ちょっと、ビトーさん?」


「ビトーじゃなくて美籐。ニーナ君はアクセントの重要性について考えるべきね」


 杏子は自分の興味のある事以外はすぐに新名へ丸投げしてしまう。ここで働き始めてはや半年、慣れては来たが困りものなのには違いない。

 古今東西探偵というのは奇人変人ばかりだが、杏子も例外ではないようだ。


 新名は眼鏡の縁を押さえ、笑って誤魔化しながら紫苑に向き直った。


「コーヒー、お嫌いじゃなければどうぞ」







 紫苑が真二と知り合ったのは、つい二ヶ月前の七月のことだったという。


「大学を卒業して、せっかく就職した会社をすぐ止めちゃった時、優しい言葉を掛けてくれたのは真二だったの」


「そうなんですか……。踏み込んだことを伺いますがどうやってお知り合いに?」


 新名が首を傾げると、紫苑はばつが悪そうに目を逸らした。


「――ネットのSNS」


「ネット、ですか」


 紫苑の頬が見る間に赤く染まる。

 メモをとるのを止めて、新名は口元に手を当てた。


 真二の個人情報について、何を訊ねても紫苑は「よくわからない」と俯くばかりだった。紫苑の口から語られるのは、人柄についてばかり。

 二ヶ月前に知り合い、一ヶ月付き合って、顔も知らない。

 何とも言えない違和感が新名の中で膨らんでいった。


 冷めてしまったコーヒーを飲み干し、紫苑は唇を噛んだ。


「やっぱり、相談になんて来なければよかった。こうやって口にしてみたら、私って真二のこと何も知らないんだね。連絡も付かなくなって、なんだか最初から佐藤真二なんて居なかったみたい。――忘れた方がいいのかな」


 そう言って自嘲的に笑った紫苑に、新名はずきりと胸が痛んだ。忘れた方がいいなんて、言いたくなかった筈なのに。言わせてしまったのは自分だ。


「大丈夫です。僕たちがきっと探して見せます。だから忘れちゃ駄目です。事情を知ってからでも遅くないはずです」


 ふと、新名と紫苑の間を風が一筋通り抜けた。ひやりとした感覚と共に、甘い花の香りがする。


 窓の方を見やると、ストールに包まった杏子が窓際に立ち外を眺めていた。


「どうしたんですか、ビトーさ……」


「――金木犀だ」


 杏子に声を掛ける新名を遮って、紫苑が呟いた。風で乱れた髪もそのままに、心がここにないみたいに。


「キンモクセイ? ですか?」


「中学の校庭に一本だけあったの。秋に咲く、香りの強い花なんだって」


 紫苑はゆっくりとそう言って、黙ってしまった。







 カップに泡のついたスポンジを滑らせていく。古い給湯器はお湯が出にくく、冷たい水で流さなくてはならない。今はまだ辛くないが、冬場はついサボりたくなる作業だ。


 新名がここで働き始めたばかりの頃は、この簡易キッチンに使われた形跡はほとんど無かった。「ポットと紙コップでコーヒーは飲める」と胸を張る杏子に唖然としたものだ。彼女は味覚が鈍いわけではないのに、飲食に関して無頓着だった。単に面倒くさがりなだけかもしれないが。


「ニーナ君、コーヒーおかわり」


 新名の背後から、杏子が空のカップを差し出した。手を拭いて受け取りながら、新名は小さくため息を吐いた。


「飲み過ぎですよ~」


「そんな、人を酒飲みみたいに言わないの。コーヒーくらいいいでしょ」


「カフェインは取り過ぎると健康にも美容にも良くないんですよ」


「健康はいいけど老けたりするのは嫌ね」


「健康も気を遣って下さい。牛乳入りでもう一杯だけですよ」


「……ニーナ君ってけちよね」


 抗議の呟きは聞こえなかったふりをして、新名は放っておくとコーヒーとカロリーメイトだけで生きていこうとする杏子を思い出しながら、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。

 遠くで、杏子が最近ハマっているRPGのフィールド音楽が流れている。


「それ飲み終わったら私出掛けるから、今日はもう帰っていいわ」


「お出掛け、ですかあ。上橋紫苑さんの件で?」


 紫苑の依頼を受けたのは昨日のことだ。あまりの情報の少なさに、何一つ進展しないままになっていた。

 杏子は落ちていくコーヒーをじっと見つめている。


「違うわ。本業の方で用が出来たの。明日くらいまで掛かるかもしれないから、明日はお休みね」


「本業……マンションの経営でしたっけ」


 杏子がどこかへ出掛けていく事は、たまにあった。新名も毎日出勤しているのではないから、全て把握している訳ではないが。

 コーヒーの香りが広がってきた。ドリップ終了を告げる音が沈黙を顕著にする。


「……牛乳、すこーしでいいからね」


 上目遣いに新名を見て、杏子はほんの僅かに笑った。







 二日後、講義を終えた新名が事務所のドアを開けると、見知らぬ男性がソファにどっかりと腰を下ろしていた。三十代後半くらいだろう。彫りの深い精悍な顔付きの爽やかな風貌で、細身のグレーのスーツがよく似合っていた。


 依頼人かと思ったが、杏子はデスクで何か書類を読んでいる。


「――おお! 君かあ、ニーナ君ってのは!」


 一先ず挨拶しようと口を開きかけると、男性が立ち上がり手を広げて近づいてきた。満面の笑みで、しかし強固な力で肩を掴まれ、眼鏡がずり落ちてしまう。


「……えっと、その」


「ああ、おじさんは八嶋譲やじまじょうっていうんだ、気軽にジョーさんって呼んでね」


「はあ」


「あれ、杏子ちゃんから聞いてない? 俺のこと。杏子ちゃんは相変わらず照れ屋さんだなあ。――俺はね、」


「……私の知り合いの詐欺師よ」


 杏子が口を挟むと、譲は振り返り、ようやく手を離してくれた。その隙に新名は一歩後退る。


「ちょっと、杏子ちゃん。その呼び方は心外だなあ」


「事実じゃないですか」


 眉尻を下げ、肩を竦める譲に杏子は目もくれない。状況が掴めてきた新名は眼鏡の位置を戻して瞬きをした。


「ビトーさんの知り合いで詐欺師……」


「もーニーナ君まで。違うって……ば……」


 新名を顧みた譲の端正な顔が固まる。今度後退るのは譲の番だった。新名は譲の手を取り、目を輝かせた。


「お会いできて光栄です! 探偵と手を組んでる詐欺師って本当にいるんですね!」


 有名人にでも遭遇したかのような新名に、譲は苦笑いを浮かべた。


「……杏子ちゃん、この子、大丈夫なの?」


「ニーナ君はミーハーなんですよ」


 そういう問題なのかなあ。譲が独りごちたが、新名は意味が分からず首を横に傾けた。






 

 窓から射す太陽の光が、オレンジ色に変わっている。

 譲はコーヒーに砂糖を三杯入れ、ミルクも入れてかき混ぜた。黒色がまだらになって、やがて茶色になると、すぐに口へ運ぶ。


「美味い! ニーナ君はコーヒーを入れるのが上手なんだねえ」


 真っ直ぐな賛辞を受けて、新名は頭を掻いた。せっかく出しても、依頼人は皆なかなか手を付けてくれないから、杏子以外が入れ立てを飲んでくれるのは新鮮だった。


「いえ……機械がやってくれるので僕は特に何も」


「機械でも、やっぱり人柄って出るものだよ。ニーナ君は素直な良い子だから格別に美味しく感じるのかな」


「いやあ、そんな……」


「――うちの助手を誑かさないで下さい」


 デスクで自分の分のコーヒーに息を吹きかけていた杏子が声を上げた。その態度に譲はやれやれ、と微笑む。


「気になるんならこっちに来て一緒に話せばいいのに」


 ねえ、と同意を求められ、新名は曖昧に笑みを返した。


「俺はね、情報屋をやっていて、杏子ちゃんのお父さんと仲良しなんだ。だからたまにここのお仕事を手伝ってるわけ」


「お手伝い、ですか」


 新名が言うと、譲はにっこり笑った。


「そうそう! 今回はね、佐藤真二について調べてきたんだ」


 その名前を聞いて、新名は期待に満ちた眼差しを譲へ向けた。


「残念なんだけど、京都の大学院に佐藤真二なんて人は居なかった。佐藤さんは何人も居たけどね。よくある苗字だし」


「そう……ですか」


 落胆して、新名の脳裏に数日前の上橋紫苑の言葉が蘇ってきた。


――なんだか、佐藤真二なんて最初から存在しなかったみたい。


 もし本当に佐藤真二が存在しないなら、彼女が二ヶ月間恋をした相手は誰だと言うのだろう。


「佐藤真二、だと同名の人も全国に何人か居そうなものだし、情報が少なすぎて俺にはこれ以上は何とも……ごめんね」


 申し訳なさそうにコーヒーに視線を落とす譲に、新名は小さく首を振った。


「いえ、とんでもないです。そこまで調べるだけでも大変だったでしょう」


「いやあ。俺にかかればこれくらい、どうって事無いよ」


「ええ! そうなんですか! ジョーさんって凄い方なんですね!」


 目をキラキラさせる新名に、譲は濃い睫毛を瞬かせた。


「……杏子ちゃん、この子可愛いね。俺の弟子にしてもいい?」


「駄目です」


 即答する杏子に、譲は「それは残念」と苦笑した。


「そもそも、譲さんが言ったんじゃ無いですか。誰か助手を雇えって」


「え、そうなんですか!」


 杏子の発言に声を上げたのは新名だった。

 全く初耳の事実だ。新名はてっきり、身の回りの世話をさせたい杏子が気まぐれで募集したのだと思っていた。


「女の子が一人で探偵事務所なんて危ないでしょ。でもニーナ君が来るまで、杏子ちゃんかなり長い間誰も雇わなかったんだよ」


「へえ、どうしてですか?」


「――そりゃ、あんなビラに引っかかる人なかなかいないもの」


 杏子の言葉に新名は電柱に貼られていたビラを思い浮かべた。


「そうですか? なかなか魅力的なビラでしたよ!」


「おっ、わかってるねニーナ君。何を隠そう俺が書いたんだよ」


 譲が得意気に笑うと、杏子は顔を顰めた。

 仲が良いのか良くないのか、分からない二人だなと新名は内心で呟いた。


「ジョーさんはビトーさんのお父様とどういったご関係なのですか?」


「あの人はね、俺の恩人なの。仕事柄、特に若い頃は危険な目に遭うこともあって。呪い殺されそうになった時、助けてくれたのが裕司さんだった」


「……呪い?」


「うん。ニーナ君は呪われたこと、ある?」


「――譲さん」


 いつの間にか上の背後へ移動した杏子が、低い声を出した。譲は肩を竦め、ソファから立ち上がる。


「おじさん、忙しいんだった。昔話はまた今度ね。……怖いお姉さんの助手に飽きたら、いつでも俺のとこおいで」


 譲はひらひらと手を振り、嵐のように去って行った。ちらりと杏子を見ると、表情の乏しい彼女には珍しくむくれている。こうしてみると、年上に見えない。


 新名の視線に気が付いた杏子は、眉根を寄せて背を向けた。


「ニーナ君、コーヒーもう一杯。死ぬほど濃いやつね」







 譲に聞いた事実を告げると、紫苑は膝の上できゅっと拳を握りしめた。


「やっぱり嘘、吐いてたんだ」


 疲れた紫苑の顔を見ながら、新名は胸の奥で不安が育ってゆくのを感じていた。もうこれ以上調べない方がいい、もう止めた方がいいと、誰かが脳内で囁いているみたいだ。


「ただ、今の時点では何が嘘で、何が本当かわかりません。職業が嘘だったのか、名前が嘘だったのか、全部が嘘だったのか」


 何でもない事のように、杏子は淡々と続ける。


「今はとにかく、少しでもいいから情報が欲しい。よければ佐藤真二さんとのメールやチャットを見せてくれませんか。見せられる範囲でいいので」


 突然の要望に戸惑った様子の紫苑だったが、すぐに唇を引き結び首肯した。鞄からスマートフォンを取り出し、テーブルに置く。


「本当に下らない話しかしてないんです。でも不思議なくらい、いつまでも話していたかった。なんだか懐かしい感じがして」


 紫苑が言った通り、チャットの内容は他愛もないことばかりだった。友達の話、アルバイトの話、好きなものの話。


「電話には出てくれないし、会おうとも言ってくれませんでした」


「……最後にメッセージが届いたのは?」


「たしか、二週間ほど前です。アカウントごと消えてしまいました」


「そうですか、ありがとうございます」


 小さく頭を下げて、杏子は紫苑にスマートフォンを返し、席を立った。


「もう少し時間を下さい。またわかったことがあったら連絡します」


 紫苑は不安そうに俯いた。言葉足らずの所長の代わりに、新名は柔らかく微笑む。


「力不足ですみません。駅まで送りますよ」


 日が落ちて、外はすっかり暗くなっていた。紫苑は断ろうと開口して、しかしすぐに言葉を飲み込んだ。


 連れだって事務所を後にする。古いビルの階段を下り通りに出ると木枯らしに襲われた。


「わ、まだ十月とはいえ、夜は冷えますねえ」


 新名はカーディガンの前を寄せて身震いした。黙って下を向むいて、紫苑が歩き出したので付いていく。


 しばらく歩くといつかの甘い花の香りが風に運ばれてきた。紫苑の足取りが緩くなる。


 前を向いたまま、新名は内緒話でもするみたいにそっと口を開いた。


「あの後、少しだけ調べたんですよ。金木犀」


 秋のほんの短い間だけふわりと香るそれは、木に咲く黄色い花だった。その小さな花弁からは想像も付かない強い香りを持っている。今も、駅前通りの目の付くところには見つからないのに、どこからか香ってくるほどに。


「――金木犀ってこんなに強い匂いがするのに、雨が降ると花が落ちちゃって、匂いも消えちゃうの。つい昨日まで香ってたのに、すぐにどっかにいっちゃうんだよ」


 紫苑は面を上げて、風の吹く方を見つめた。


「詳しいんですね」


「受け売り」


 ふわりと微笑んで、彼女は言った。


「……馬鹿な女だと思ってるでしょ。顔も知らない会ったこともない、電話にも出ないような人と一ヶ月もしないうちに恋人になって、逃げられて。どうせ遊ばれただけなのに、探偵まで雇って探して貰って」


「馬鹿だなんて、思いませんよ」


「自分でも、どうかしてるってわかってるの。だから誰にも言えなかった。なのにどうして、諦められないんだろ。こうして、嘘を吐かれてたって証明されても、それでも信じたくて仕方ないの。何かあったんじゃないかって。あたしには言えない理由が、何か」


 新名は何も言えずに空を見上げた。月が雲に隠されて、暗い夜だった。


「何だっていいのに。どんな理由でも、納得してあげるのに」


 震えた声で呟いて、紫苑は頬を拭った。







 アナウンサーが、大規模な詐欺グループ検挙の続報を報じている。

 新名はチャンネルを止めて頬杖をついた。


 リサイクルショップで買った小さなちゃぶ台の上には、食べかけのパウンドケーキがまだ一本半も残っている。一人暮らしを始めて実家に寄りつかなくなった新名に、母はこうして日持ちするものを作っては送ってくるようになった。まるで、遠くに行ってしまった息子みたいだ。そう思うと少し可笑しかった。本当はたった一時間の距離なのに。


「詐欺、かあ」


 そういえば、なぜ譲が杏子に「詐欺師」と言われているのか聞きそびれてしまった。情報屋の他に詐欺師もやっているのだろうか。探偵事務所らしい来客に思わず感動してしまったが、本当に詐欺師ならよくない事だと止めるべきだっただろうか。


 紫苑の依頼を受けてから、もうしばらく経つ。手応えのないまま時間ばかりが過ぎ、新名は彼女が語った言葉を繰り返し思い出してばかりいた。


 どうせ遊ばれただけなのに、と紫苑は笑っていた。どんなに一方が本気でも、相手はただの遊びだと思っている事も、あるのかもしれない。怖いことだ、と思った。


「ビトーさん、パウンドケーキ食べるかなあ」


 チョコレートのマーブル模様が入ったパウンドケーキを見て、呟く。決して嫌いな訳でも、不味いわけでもないが、一人で食べる量には限界がある。

 時計を確認すると出勤予定時間の二十五分前だった。少し早いがもう出よう、と腰を上げる。

 ニュースは芸能人の結婚に変わっている。テレビを消して鞄を肩に掛けた。今日も暇だろうから、空いた時間にやるために課題を入れておく。


 事務所はアパートから徒歩十分のところにある。駅から近くもなく、かといってスーパーや病院などからもそれなりに距離がある立地で、新名はなぜ杏子がそこに事務所を構えたのか分からないでいた。テナント代が安かったのか、それとも本業だというマンション経営に関係しているのかもしれない。


 コンクリートの階段を上り『美籐探偵事務所』と書かれたドアを開けると、杏子がソファの上で膝を抱えて目を閉じていた。彼女はゆったりと瞼を持ち上げ、黒い瞳に新名を映した。


「すみません。起こしましたか?」


 新名が言うと、杏子はぼんやりとしたまま首を振った。


「ビトーさん、パウンドケーキ食べませんか? 母が送ってきたのですが食べきれなくて」


「……食べる」


「コーヒー、入れますね」


 コーヒーメーカーをセットし、パウンドケーキを切り分ける。生活力の無い杏子に似合わず、食器類などは揃っているのが有難い。


 ケーキとコーヒーの載ったトレーを持って戻ると、杏子は先程と同じ体勢で何か考え込んでいた。新名からケーキの皿を受け取り、膝を抱えたままでフォークを握る。


「ビトーさん、行儀悪いですよ。ちゃんと座りましょ」


「ビトーじゃなくて美籐。甘さ控えめみたいに言わない」


 文句を言いながらも姿勢を正す杏子を見ながら、向かいに座って新名は自分のコーヒーを手に取った。苦い香りが湯気と共に上がってくる。最近コーヒーを飲んでばかりだし、他の飲み物も杏子に提案してみようか。


「美味しい。ニーナ君のお母さんは愛情深いのね」


「所長が褒めてたって、母に伝えておきます」


 杏子は満足げに笑って、ぺろりと一切れ平らげてしまった。


「さっきは何を考えていらしたんですか?」


「……メリット」


「めりっと?」


「そう。チャットのやりとりだけの恋人を作るメリット。お金を請求する訳でも無くて、身体目的でもない。寂しさを埋めたいにしてはチャットの内容も他愛ないし、暇つぶしにしてはマメに見えた。不自然さの原因が分かれば、全部が分かる気がする。――ゲーム感覚? 何かの練習? ……タイミングも内容も、完璧なの。会ったこともないのに、あそこまで入れ込んでしまうような何かが、佐藤真二にはあるの。詐欺師みたいな巧妙さが」


 ぶつぶつと自分に言い聞かせるように杏子は言って、また思考に浸ってしまった。


 圧倒的に、情報が足りない。新名達にわかっているのは、佐藤真二という名前と、京都の大学院生というどちらもおそらく虚偽であろう情報だけ。でも確かに、つい半月前まで佐藤真二は存在したのだ。なのに突然、消えてしまった。

 そこまで考えて、はっとした。


――なぜ、消える必要があったのだろう。それも忽然と、別れも告げずに。


「……詐欺、師……?」


 気が付くと声に出していた。

 杏子は表情の消えた新名の顔を覗き込み、小首を傾げる。


「ニーナ君? どうしたの?」


「ビトーさん、ニュースは見ていますか?」


「パソコンつけてないから今日はまだ……。テレビ見ないもの」


「ついさっき、続報があったんです。逃亡していた詐欺グループのリーダーが逮捕されたと。その詐欺グループはかなり大規模で拠点もいくつかあって、主にメールや電話を使用した詐欺を行っていたそうです」


 言いながら、新名は胸の奥が締め付けられる感覚に襲われていた。見当違いであればいい。「偶然だ」と苦笑いしてくれたらいい。だのに杏子は、赤い唇をきゅっと結んで顔を顰めた。


「グループが検挙されたのは?」


「……確か、半月ほど前だったと思います」


 新名が言い終えるより早く、杏子はデスクの方へ歩き出していた。

 まだ温かいコーヒーの水面が、揺れている。

 杏子が電話を掛ける気配がした。


 彼女の静かな話し声を遠くに聞きながら、新名はいつの間にか街から消えていた金木犀の香りを思い出していた。







 杏子から電話で依頼を受けた譲が、調査結果を告げに事務所へやってきたのは二日後の土曜日の事だった。


「佐藤真二の正体がわかった。相手の言葉を解析し、最適な言葉を返すようプログラムされた人工知能の試作品だ。逮捕された詐欺グループの内、ゲームのプログラマーだったメンバーが遊びで作ったもので、実際に詐欺の道具として金銭をだまし取るのには使用されていない。実用化出来るようなレベルのものじゃなかったのが理由らしい。ただし、掲示板などでチャット相手を募集している女性相手に実験として使用したことはあるようだ。その際に使っていた名前が、佐藤真二だった」


「……人間ですら、ないんですね」


 譲の話は上手く咀嚼できなかった。

 新名がどうにか言ったその言葉に、譲は少しも顔色を変えずに首肯した。


「女性の喜ぶ受け答えをするように作られていたようだな。ゆくゆくは情に訴えて金を出させるようにしていく予定だったと話していたそうだ」


 視線を資料に落としながら、譲は「ただ、」と続けた。


「この人工知能は、決して高度なものではない筈なんだ。設定に応じた返信時間の調整など、拘った点は確かにいくつもある。しかし、あくまでこれはプログラムだ。人じゃない。チャット上だけとはいえ、一ヶ月もの間誰かと恋人として過ごすなんて、出来る筈がない。設定されている語彙も少なく、対応しきれなくて当たり前なんだ。……無論、制作者や他のメンバーがボロがでそうになった時だけ手動で返信していた可能性もある。だが、実験を行う上でそんな事をわざわざするだろうか」


 譲の低い声はよく響く。

 新名は一つ一つ、意味を整理していった。頭を抱えたまま顔を上げる。


「それって……?」


「俺に手伝えるのはここまでだ。じゃあね」


 資料で新名の頭を軽く叩き、譲は目を細めた。新名は受け取った資料を、目を通すよりも早く杏子に横取りされてしまった。

 じっと自分の膝を見つめて動かなかった杏子の突然の行動に新名は目を見張った。


「譲さん!」


 出ていこうとする譲の後ろ姿に、杏子が叫んだ。


「ありがとうございます」


 それを聞き、慌てて新名も頭を下げる。

 譲は振り返って、へらりと笑った。


「俺は、ままごとだなんて思ってないよ」


 開いたドアから入ってきた風は、冷たくて枯れ葉の匂いがした。

 譲が出ていったドアを暫く見つめ続けた杏子は、大きく息を吐き出してから新名の方を向いた。


「ニーナ君、上橋紫苑さんに連絡して」


「……連絡して、どうするんですか」


「決まってるじゃない。結果を話すわ」


「結果って、貴方の恋人はプログラムでした、って言うんですか」


「そうなるわね」


 新名は自分の指先が驚くほど冷たくなっている事に気が付いた。目の奥はこんなにも熱いのに。


 初めて紫苑に会った日に口にした言葉が、今になって新名の心臓を押しつぶしていた。大丈夫だなんて、どうして言えたんだろう。口ばかり達者で、嫌になった。


 杏子は呆れたようにため息を吐いた。


「いいわ、私がするから。ニーナ君はもう帰ってもいいわよ」


 新名は俯いて首を振った。







 外はすっかり日が落ちて、暗い色が街を覆っていた。けれど紫苑は、二つ返事ですぐに行くと言って電話を切った。

 紫陽花の押し花を摘まみ上げて掌に乗せる。お気に入りの本に挟んで、いつも持ち歩いていた。


 覚えていれば、いつまでだって存在する。そう思っていた。けれどもしも忘れてしまったら、存在を証明できる人が居なくなったら、どうなってしまうんだろう。


 ノックの音がして、杏子が「どうぞ」と声を掛けた。新名は押し花を戻して、本を閉じる。

 ドアが開いて、どこか吹っ切れたような表情の紫苑が顔を出した。

 いつものソファにいつものように腰掛けて、しかしいつものコーヒーだけがそこには無い。


 緊張した面持ちの紫苑を杏子は真っ直ぐに見た。


「単刀直入に言いますが」


「ビトーさん」


「佐藤真二さんは――」


「ビトーさん!」


 止めるのを無視して続けようとする杏子に、新名は声を荒げた。

 言わせてはいけない。杏子の決断を受け入れると決めた筈なのに、気が付くと止めなくてはならないという考えで頭がいっぱいになっていた。


「言っちゃだめです。紫苑を守らなくちゃ。守ってあげないといけない。俺が。じゃないと紫苑が」


「――ニーナ君、しっかりして」


 杏子の静かな声色に、新名ははっとした。紫苑が怪訝そうにしている。


「あれ、僕、今……」


「取り憑かれないで、自分の言葉を持って。ニーナ君にはニーナ君にしか言えない言葉があるから」


「……はい」


 意図がよくわからないままに、新名は頷いた。

 杏子は「失礼しました」と紫苑に謝罪し、改めて譲の調べた真実を余すところなく伝えた。


 佐藤真二が人工知能であったこと。作ったのは詐欺グループの一員であったこと。そして、紫苑はその実験相手だったこと。


 紫苑は目を丸くして、それから少しずつ俯いた。


「人工知能……」


「信じられないかもしれませんが、事実です。信頼できる情報なので間違いありません」


「じゃあ私が、ただのプログラムに恋してたって言うの?」


 ばかみたい、と紫苑は可笑しそうに笑った。


「これだけ長い間調べて、人間ですらなかった、だなんて。もし本当だったなら、大恥じゃない」


 新名は何度も首を横に振った。


「恥ずかしい事なんてないです。そんな感情で、大事なことを見失っちゃだめです」


「大事な事って何? 馬鹿にしてる、こんなの。……私、帰ります」


 真っ赤に染まった顔を隠しながら、紫苑はバッグを握って腰を上げる。

 杏子はそれを制止して言った。


「待って下さい。まだ話は終わってません」


「……これ以上なにかあるんですか」


「佐藤真二さんは機械でしたが、それでは説明しきれない部分も沢山あるんです。詐欺グループが作っていたのはあくまで試作品で、難しい機能はありませんでした。貴方との会話のように、自然で気の利いた事ばかり言える筈がない。――佐藤真二さんの言葉は、誰かに似ていませんでしたか?」


 ほとんど睨みつける様だった紫苑の眼光が緩んで、彼女は目を泳がせた。


「だれ、か……?」


「例えば、今貴方の後ろにいる樫木陸かしぎりくさんとか」


 紫苑の目が、こぼれんばかりに見開かれる。彼女は後ろを顧みるが誰もおらず、ただの汚れた壁だけがあった。


「何を言ってるの。それに、なんで陸のこと」


「失礼ですが、調べさせてもらいました。樫木陸さんは貴方の小学校からの同級生で、中学生の時から交際関係にありましたね。――樫木さんが事故に遭うまで」


「だから、なんだっていうの」


「樫木さんは亡くなってから、ずっと貴方の側にいました。おそらくなんらかの未練があったのでしょう。そんな時、佐藤真二を名乗る人工知能が貴方に接触しました」


 新名は話について行けず、二人の様子を眺めていた。紫苑は酷く困惑していて、杏子だけが凛として言葉を紡いでいく。


「電波は、比較的霊魂の影響を受けやすいと言われています。強い想いを抱えた霊は、その想いを何らかの方法で伝えようとします。……さっきニーナ君の身体を使おうとしたみたいに」


 ふいに自分の名前が出て、新名は唾を飲んだ。確かに自分はさっき、勝手に口が動いていた。まるで何かに操られているみたいに。


 鍵を掛けていた窓が急に開いて、冷たい風が新名達の間を走り抜けた。資料が風に舞う。ふわりと甘い香りがした。もう見頃は終わった筈の、


「金木犀」


 小さく呟いて、紫苑は泣き出してしまった。

 






 初めて意識したのは、中学二年生の時だった。それまではただの同級生で、たまに話すくらいだった。


 あの日はたまたまペアを組まされた生物の授業で、スケッチをするために植物を探すため校庭に出ていた。中学生にもなって植物のスケッチなんてと文句があちこちから上がっていたのをよく覚えている。

 季節は秋で、校庭の隅からは甘い香りがした。


「いい匂い。何の匂いだろ」


 紫苑が思わず呟くと、ペアの樫木陸は一本の木を指さした。


「金木犀だよ。あの、黄色い花が付いてる木」


「キンモクセイ?」


 紫苑が首を傾げて見せると、彼は立ち止まって金木犀の木を見上げた。


「秋の短い間だけ咲く花で、匂いが強いのが特徴なんだ。芳香剤やお酒なんかにも使われてる」


「へえ」


「でも匂いに対して花が小さくて地味だから、謙遜とか謙虚、って花言葉が付いてるんだ。それに、花が弱いから雨が降るとすぐに落ちてしまって匂いも消えてしまうんだよ。そういう所も、謙虚なのかも」


 そこまで言って、陸はしまった、といった顔で紫苑をみた。


「どうしたの?」


「ごめん、俺、すぐこうやって一人で話してうざがられるんだ」


「え、いいよ。私、うんちくとか雑学とか聞くの好き。もっと話してよ」


 そう紫苑が言うと、陸は目をぱちぱちさせてからくすぐったそうに笑った。


「ありがとう」


 伸びた背や、長い指や、低く掠れた声に気が付いたのはその時だった。意外と笑顔が可愛いことにも。

 紫苑は心臓が高まって仕方がなくて、スケッチどころじゃなくなった。


 その日から、紫苑は陸の姿を無意識に目で追うようになった。彼はいつも難しい本ばかり読んでいて、時折何かをぼんやりと考え込む癖があった。紫苑には、そんな姿が新鮮で、面白く映った。


 しばらくすると、目が合うようになった。一方的にうんちくを聞くだけだった会話が、他愛もない世間話に変わった。


 そうしてちょうど一年後の秋の日、彼はあの金木犀の木の下で言った。


「花言葉って、それぞれの花にいくつもあるのが普通なんだ。金木犀の場合は、前にも言った謙虚以外にもいくつかあって、その内の一つが、『初恋』っていうんだよ」


 真っ赤になる陸を見て、自分の顔も熱くなっていった。幾度にもわたる「それで、その、えっと」の後で、彼はようやく続けた。


「――あの日から、俺、初恋をしたみたいなんだ」


 紫苑はこの少しキザな告白が大いに気に入って、何度もこの話をしては、その度に赤くなる彼の顔を見て笑った。


 言いそびれていた事があった。


――私もあの日、初恋をしたんだよ。







 高校受験時、紫苑と陸の学力の差は大きく、全く別の高校にそれぞれ入学した。陸の高校はいわゆる進学校で、勉強漬けの日々を過ごす彼と、平均的な高校でのんびり過ごす紫苑との間にすれ違いが生じ始めた。喧嘩もした。けれどそのどれもが紫苑が一方的に文句を言って陸が謝るばかりで、余計に焦燥感に駆られた。


 それでも、高校の三年間は平穏に終わった。しかし、大学への進学で二人の生活の違いは大きくなった。陸の進学先は紫苑の大学よりずっと有名な大学で、きっと自分よりずっと理解があって、話も合う女の子が沢山いると思うと、不安でおかしくなりそうだった。


 だからつい、きついことを言ってしまった。今となっては、後悔してもしたりない。


「忙しいからって、側にいて欲しい時に側にいてくれないような人、彼氏って言えないよ」


 そうしてぎくしゃくしたままで、もう一生謝れないようになってしまった。馬鹿なことを言ったと、思う。


「本当は違うの。寂しかっただけ。もっとたくさん話したかっただけ。もっとたくさん、声を聞いていたかっただけ」


 彼が楽しそうに語る色々な話を聞く時間は、紫苑にとって幸せだった。なのにいつの間にか、自分が一方的に責めるばかりで、話を聞く時間が減っていった。


「私、陸のこと忘れようとしたのに。彼氏まで作って、忘れようとしたのに。陸は私のことずっとみていてくれたんだ」


 紫苑は涙を拭うこともせずに、ごめんと繰り返した。


 新名は立ち上がり、紫苑の側に膝を付いた。


「自分を責めちゃだめです。僕、どうして樫木陸さんが佐藤真二になったのか、どうしてそれを知られたくなかったのか、わかる気がします。――貴方に、新しい恋をして欲しかったんですよ、きっと」


 どうしてわざわざ、他人を演じたりしたのか。どうして自分だと気付かれないようにしたのか。

 事情が把握しきれていないのに口をついて出たのは、新名自身にも不思議だった。


「新しい恋……?」


「貴方が後悔している事、知ってたんです。ずっと自分を責めているのも。だから、自分じゃなくて違う誰かの言葉で、貴方を助けてあげようとしたんです。……さっき、彼の意識が僕の中に入ってきた時、想いの根源にあったのは紫苑さんに幸せになって欲しい、って気持ちでした」


 胸が痛くなるくらい、彼の気持ちは一つだった。きっと最初からずっと、そうだったのだ。


「……そっか。でも私、確かに新しい恋、したのかも」


 新名が首を傾げると、紫苑は化粧の崩れた顔を、もっとくしゃくしゃにした。


「同じ人を二回も好きになっちゃった」


 瞬間、そこにあった何かが、弾けて消えてしまったような感覚がした。

 目元を拭って新名が杏子を見ると、彼女はほっとしたように微笑みを浮かべていた。






 

「どーですかビトーさん! 新名ブレンドのハーブティーは!」


 エプロンをした新名がむんと胸を張るが、杏子は細い眉を寄せた。


「ビトーじゃなくて美籐ね。私、砂糖控えめじゃないから。……コーヒーがいい」


 新名は元から垂れている目を更に垂らして、頬を膨らました。


「えー、健康に気を遣って色々入れたんですよう。ストレス解消にいいハーブとか、よく眠れるのとか、疲れが取れるのとか」


 色々混ぜたから不味いんじゃないか、と思った杏子だったが、面倒な予感がしたので飲み込んだ。


「ニーナ君は飲んだの?」


「いえ、僕は健康ですし」


 あっけらかんと言ってのける新名に、杏子はこっそりため息を吐いた。

 エプロンを外しながら、新名は「そういえば」と声を弾ませる。


「紫苑さん、再就職のために勉強し始めたらしいですよ。上手くいくといいですねぇ」


「そう」


 ぶっきらぼうにマグカップの中身を啜る杏子に、新名はふふ、と笑った。


 彼女に訊きたいことは、山ほどある。けれど今はこのままでいたかった。いつか後悔したとしても。






*金木犀の花言葉:初恋・真実

紫苑の花言葉:追憶・君を忘れない

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