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ランプ売りの青年  作者: ふん
東の国の灯台編(上)

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第二十三話

 息が詰まるほどの草の匂いを摘み取り飛ばすように、暑さと湿気を混ぜたようなぬるい風が低く吹き抜けていく。

 空には筒で息を吹き込んで膨らませたような入道雲が浮かび、サファイアを溶かしたような青空が続いていた。

 ガラスを撒いたように輝く海面は、そう遠くないうちに炎天になることを匂わせる。

 春は霞み、次の季節が色濃くなる。

 一晩経つだけで、季節はすっかり夏と呼ぶに相応しくなっていた。

 そんな気持ちの良い夏の始まりの朝、太陽を恨むようにしてリット達は地面を睨みながら家から出た。

 目的の場所は人魚が出ると噂がある港町跡だ。

 リット、パッチワークは二日酔いで痛む頭を押さえ、エミリアは一晩中していた考え事のせいで寝不足になり、眼の奥にまでくる頭痛で額を押さえている。

 食べ過ぎで胃もたれを起こしたノーラは、ガマガエルの独唱のようにゲェゲェと今にも吐きそうな呼吸を繰り返している。。

 ただ一人、ハスキーだけが夏の空と空気を堪能していた。

「……明日でいいんじゃねぇか?」

 リットが気だるそうに言うと、エミリアは重い息を吐いた。

「私がこうなったのも、リットがそうなったのも自己責任だ。そんなことで、せっかく見付けた手がかりを先延ばしにすることは出来ない」

 言ってからエミリアは、また重い息を吐く。

「私は……家にいてもいいと思うんスけどねぇ……。役に立たないですし……」

 ノーラは一言しゃべる度に顔色が悪くなっていく。

「オレが苦しんでんだ。オマエも苦しめ」

「そういう時は、いっそ吐いたほうがすっきりするニャ」

「今吐いたら……胃まで飛び出てきますぜェ……」

「まるでカエルみたいですね!」

 ハスキーは上機嫌に笑いながら言った。夏に浮かれ、一人だけ足取りが軽い。

「熱中症にでもなればいいんだニャ……」

「そりゃいい……。舌を出してマヌケ顔でヘタってるところを、今みたいに笑ってやる」

「自分はリット様を笑ったわけではありません! 爛々燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びると、自然に笑みがこぼれたのです!」

 ハスキーの声は岬の向こうの海にまで届きそうなほど響いた。

「オマエは犬なのに鳥頭なのか? オレが二日酔いの時は静かに喋ろって前に言っただろ」

「そのことなのですが……。静かに喋ると言うのはどうすればいいのでしょうか?」

 ハスキーは顔をしかめる。眉間にある黒い線模様が強調され、まるで哲学者のように見える。

「ロープを用意して首にかけろ。そして、ロープの反対側を手頃な木に括って首を吊れ」

「犬にロープはお似合いだニャ」

 パッチワークは具合が悪い顔のまま笑みを浮かべた。

「失礼なことを言うな!」

 ハスキーがパッチワークの耳元でがなりあげると、パッチワークは尻尾をピンっと立たせ、硬直したままその場に倒れこんだ。

「今の大声で頭が割れたニャ……」

「安心しろ。脳みそは出てねぇぞ。元から入ってないだけかも知れねぇけど」

「……優しい言葉ありがとうニャ」

パッチワークは倒れたままリットが手を差し伸べてくれるのを待っていたが、いつまで経っても見下ろすだけで手を伸ばしてくれる様子はない。パッチワークは渋々立ち上がり服の土を払った。

 そこからは皆無言で歩いた。

 波の音が風に運ばれていたのが、海岸に近付くにつれて、風が波に飲み込まれる音が耳にまとわりつく。

 まだ昼前なので砂浜には子供の姿はなく、昨日の夜の焚き火の跡が残っているだけだ。

 導かれるように焚き火跡に向かい、それを囲むようにして、すぐさま柔らかい砂浜のクッションに腰を下ろした。

 ノーラに至っては、打ち上げられたトドのようにどっしりと横になっている。

 昼間に見る焚き火跡は、森の動物に食い荒らされた死骸のように汚く広がったままになっていた。黒焦げた貝殻の残骸にこびり付いた身に、カニが群がっている。

 後始末されていない焚き火跡にエミリアは不満気な視線をリットに送るが、一つ長めのため息を吐くだけで何も言わなかった。

 まるでそれが合図のように、全員うつらうつらと目を閉じ始めた。

 どこか懐かしく感じるさざ波の子守唄は、眠りの世界に誘うのは充分なものだった。



 太陽が一番高く登った真昼。

 リットはまぶたを刺すように落ちてくる陽光で目を覚ました。

 起きたのは一番最後らしく、パッチワークとノーラは競うように寝起きのあくびをして、エミリアはハスキーと目覚めのストレッチをしているところだ。

 寝ている間に子供達が来ていたらしく、そこらかしこに新しい足跡が出来ていた。

 リットはそれを見て、砂浜に来た理由を寝ぼけ頭で徐々に思い出していた。

「朝起きたのが、結局無駄になったな」

「不覚だった……。一年前までなら寝不足にも慣れていたのだが」

 エミリアは腰をひねり、ゆっくりと腰まわりの筋肉を伸ばしながら言った。

「寝不足に慣れないのは健康な証拠だ」

「そうかもしれない。でも、二日酔いは不健康の証拠だ」

「たまにタガを外すくらいが健康なんだよ。それより人魚の尾びれ跡は消えてねぇだろうな」

 リットは立ち上がると、乱雑な足跡の一つを追跡するように辺りを見回した。

「そうだな……。まずはそこに行ってから色々考えよう」

 エミリアはストレッチをやめ、リットに案内を促す。

「こっちだ」

 リットが波打ち際に向かって歩くと、背中からパラパラと服にこびり付いた砂が落ちていった。

「だらしないぞ……。背中の砂を落とすから一度止まれ」

「どうせ海にいたらまた付くんだから、いちいち払う必要はねぇよ」

「いちいち払うものだ。でないと汚れるだろう」

 エミリアは一度咎めるように強くリットの背中を払うと、残りは普通に背中をなぞり砂を払った。

「どうせなら今着てるのじゃなく、溜まった洗濯物でも洗ってくれよ」

「私はメイドじゃないぞ」

「オレもメイドじゃない」

「そういうことではない。世話する者がいないのならば、自分のことは自分でやるべきだと言っているんだ」

「それは、違うな。いないなら作ればいい。アキナにでも頼むか」

「自分の親の物ならいざしらず、他人の洗濯物をアキナに洗わせるつもりなのか?」

「親父がはいてる女物のパンツを洗うより、オレの服の方がましだろ」

 リットはコジュウロウがふんどし代わりにシルクの女物のパンツをはいていることを思い出すと、嘲罵の笑いを浮かべて波打ち際まで歩き始めた。

 波の満ち引きによって半分ほど人魚の尾びれ跡が消されてしまっているが、残り半分は子供達の足跡に掻き消されることなく残っていた。

「これだ。昨日パッチとも話したんだが、人魚の尾びれ跡と人間の足跡の二つが残ってる。だから人魚がいたとも言えるし、人間がいたとも言える」

「……確かに。……二つあるな」

 エミリアは人魚の跡を消さないように、その周りを歩きながら確かめる。

 三周ほど歩いたところで、ふと足を止めた。そして、自分の足跡と見比べ始めた。

「なんだ? エミリアの足跡だったとかいうオチはいらねぇぞ」

「違う。この人間の足跡は昨日と同じなのか?」

 エミリアに言われて、リットは昨夜の記憶を呼び起こしてみた。

 人魚の尾びれの跡に、連れ添うようにして付いた人間の足跡。

「そうだな。昨日と変わらねぇな。オレとパッチの足跡も残ってるし、間違いない」

 リットは風に流され薄くなった昨夜の自分の足跡を見て確信を持つ。

「そうか……。不思議だ……。残っている足跡は右足だけだな」

 エミリアの言うとおり、人間の足跡は右足だけだった。

 昨夜、木材を燃やした明かりだけで見た時は左右の足跡があるように見えたが、全体をしっかり見渡せる明かりで見ると、海と砂浜を片足で往復しているのがわかった。

「言われてみればそうだな」

「それともう一つ。人魚は立っては歩かない」

 リットが人魚の尾びれ跡と呼んでいるものは、尾びれの両端を引きずったと思われる二本線のことだ。

 人魚が陸を移動すれば、胴体を引きずった太い跡がなければおかしい。なぞるように尾びれの先の跡が付いているということは、垂直に立って歩いたことになる。

 エミリアの言ったとおり、人魚は立って歩かない。

 リットは、マグニが魚の胴体部分を引きずりながら移動していたことを思い出した。

「そうなると……子供のいたずらか?」

「可能性は高い……」

「んなこと言ってなかったけどな。いや……でも、ヨメニーには案内を頼んだだけか。……パッチ。オマエは誰から聞いたんだ?」

「銀狼のお姉さんからニャ。狩りの帰りに、人魚の影を見かけることがあるそうだニャ。確かめようと近付いたら消えるらしいニャ~」

 パッチワークの声色は、だんだん怪談話をするときのように低く震えていった。

「昼間の幽霊話はマヌケに見えるぞ。それに、ゴーストなら足跡なんて残さねぇだろ」

「半分生きてて、半分ゴーストかもしれないニャ」

「そんな変な奴がいるかよ」

「いるニャ。すぐ近くに」

 パッチワークはエミリアを見ると、リットは合点がいったように頷いた。

「そういえば、エミリアは色々の血が混ざってんだよな。エルフとか」

「そうだが、ゴーストの血は混ざっていないはずだぞ」

「まぁ、ゴーストが子供を作ったなんて話は聞いたことねぇからな」

「人間の血は濃いから、もしゴーストと子供が出来たら、片足だけ生身なんてこともあるかもしれないニャ」

「交わるごとに人間に近付いていくからな。ポーチエッドなんか殆んど人間だ。ライラとの子供が生まれたら、獣の耳もなくなってるかもな」

「姉上と義兄上の子供か……。私みたいに隔世遺伝で、大変なことにならなければよいが……」

 エミリアはできてもない子供のことを考えて憂い顔を浮かべる。

 しかし、エミリアの心配事も、起こり得る可能性は充分にあることだ。

 エミリアの隔世遺伝を思い出したリットは。頭にあることがふと思い浮かんでいた。

「遺伝か……。そうか……そうだよな。耳とか尻尾とか生えてる奴は普通にいるもんな。犬なら犬耳があるし、猫だって猫耳や尻尾が生えることもある。ハーピィは羽。いや……ハーピィはハーピィしか生まれねぇか」

 リットが頭に浮かんだことを口に出して整理していると、エミリアが頷きを加えながらそれに混ざった。

「……言いたいことはわかった。しかし、そんな都合よく遺伝するとは思わないが……」

「この足跡の持ち主は、オレ達の都合に合わせて生まれてきたわけじゃねぇだろ」

「確かに人間と人魚のハーフならば、こういう足跡は付くかもしれない。だが、片足が人間で、もう片足が尾びれというのは……」

 砂浜に残っている足跡から考えると、右足が人間、左足が尾びれということになる。

 人魚の尾と人間の足。その不可思議な組み合わせはどこかで見覚えがあった。

 ――青空の下。揺れる船の上でなびいていた。

「普通は大腿骨を描くもんだ。それを人間の脚とわかるように、脛骨から足の指先まで描くのは珍しい」

 リットの話を聞いているうちに、エミリアもあることが頭に浮かんだ。

「海賊旗か。――イサリビィ海賊団の」

 言葉にしてから、エミリアの脳裏にイサリビィ海賊団の海賊旗がはっきりと思い浮かんだ。

 イサリビィ海賊団の海賊旗は、頭蓋骨の下に人魚の尾びれと人間の足がクロスされているものが描かれている。

「海賊旗のデザインは船長の象徴だ。もし、ここにいたのが人間の足と人魚の尾を持った奴なら、それは間違いないイサリビィ海賊団の船長だ」

「しかし、海賊船が来たら灯台守が知らせるだろう」

「海賊船じゃなく一人で来たんだろ。灯台守に見付かりたくない。さらに、人が来たら隠れるってことは、ここで部下にも見せたくないことをしてたってことだ。わかるか?」

 リットは口元に歪んだ笑みを浮かべた。

「話はわかる。……が、その悪どい笑みの意味はわからない」

「弱みを握るチャンスってことだ。弱みさえ握ればすんなり海賊入りができる。そうと決まれば、この近辺をくまなく探すか」

「なぜ、そう嫌味なことには乗り気なんだ……」

「さぁな。誰かみたいに。真面目で味気ない人生より楽しいからじゃねぇか」

「ふむ、いつもの軽口と受け取った」

「忠告だ。朝早くからバカみたいな掛け声を響かせて人を起こしたり、人の数少ない楽しみを禁止したり、そのうち干物みてぇなつまんねぇ女になるぞ」

 リットが最後に鼻を鳴らして笑うと、エミリアは何かとてつもなく小さい物の正体を確かめるように難しい顔をして首を傾げた。

「これは……軽口か?」

「こりゃただの悪口だ」

「見極めが難しいな……」

「そこんとこしっかりしねぇと、海賊としてやっていけねぇぞ」

「……そうだな」

 エミリアは頭に鉄の兜を被っているかのように、ゆっくり重く頷く。

「やっと決心がついたのか」

「それしか手段がないのならばな……。――いざとなれば腹を切ってケジメを付ける」

「腹斬るくらいなら、自腹切って酒でも奢ってくれよ。それに付けってのはケジメじゃなくて、酒をただ飲みする時に使う言葉だ」

 リットはからからとした笑い声を波に響かせる。

「付けというのは、後払いのことだ。無料になるわけではない」

「そりゃ、文化の違いだな。付けとくって言葉は、ただって意味もあんだよ」

「大陸に戻ったらリットを連れて、全ての店の付けを払わせるからな」

「余計なこと言わなけりゃよかった……」

「口が軽いというのも考えものだな」

「今、上手いこと言うんじゃねぇよ……」






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