第二十話
それから一週間が経ったが、リット達はヤガスリ村に行くことはなかった。
ハーピィの抜け羽が売れるという情報に喜んだオツルの、強引な感謝の意の押し付けにコジュウロウの家にいることになったからだ。
家の中で今後のことについて頭を悩ますエミリアとハスキーに混ざることなく、リットは外に出て、ランプを分解して芯のほつれた糸を切ったり、隙間の汚れを落としたり、オイルの吸いが悪くなったランプのメンテナスをしていた。
外は子供達の声であふれていた。
子供の猫の獣人が先頭を走り、続いて兎の獣人、最後に人間の子供が小さな土煙を上げる。
リットが無視してメンテナスを続けていると、ふと複数の影が落とされた。
てっきり数人に囲まれたのかと思ったが、居るのは一人で、他に伸びている影は四本の尻尾だった。
「大陸からの行商人かえ?」
女性は狐耳を尖らせて、涼しげな白髪を海からの風になびかせていた。
リットが黙っていると、女性は妖艶に口の端を上げて微笑んだ。
「妾の美に呑まれて言葉も出ないか……。かまわぬ、とくと見よ」
「それじゃ、遠慮無く」
そう言うとリットは、見慣れぬ女性を観察し始めた。
狐耳と四本の尻尾があるが、それ以外は人間だ。
肩まで見えるくらいに大きく胸元が開けさせ、赤と黒の生地に花模様の派手な着物を着ている。
ローレンが喜びそうな体を、甘く妖しい匂いが染み付いた着物におさめていた。
女性は袖口から扇を出して広げ、リットに見せ付けるように胸を扇ぐと、かすかに脂粉の香が漂った。
「どうした? 妾の美しさを言葉にしても構わぬぞ」
「人魚といい、獣人といい。なんでオレの知り合う女は尻が見えない奴ばっかりなんだ?」
女性は少し目を細め黒い扇をたたむと、それでつまらなそうに手のひらを数回叩いた。
そして、扇の先をリットの足下にあるランプに向けた。
「その火具を妾に譲ってたもれ」
「譲れって、このランプをか?」
「そうじゃ」
「格好だけじゃなくて、頭もおかしいんだな」
リットは白狐の頭に目を向けた。
髪は複雑に結われていた。前髪はふっくらと持ち上がり、耳側の髪は横に大きく張り出し、うなじが出るように後頭部で金色の紐で纏められている。
かんざしが何本も刺さっていて、見るだけで重そうな頭だ。
「大陸の粗暴者には、東国の美はわからぬか」
「そのキノコに矢が刺さったみたいな髪型は当然として、中身も相当おかしいってことだ。メンテナンスをしてるところ見てたらわかるだろ? こりゃ、必要なもんなんだよ。それに獣人は間に合ってる。さっさとどっか行ってくれ」
興味なさそうにランプに視線を戻すリットを、白狐は物知らぬ者を小馬鹿にするように喉で笑った。
「妾は獣人ではなく妖怪じゃ。ほんに区別がつかぬ者が多くて困る」
「……その偉そうな物言いは聞き覚えがあるな。アンタの親族にグリザベルって根暗な女はいるか?」
「妾はテンコ。斯様な者は知らぬな。彼奴が狐であっても、妾の顔馴染みは既に死んでおるからの。千歳の時とは誠長きものじゃ」
テンコは再び扇を開くと、口元を隠して少し顔を伏せた。
「アンタ、そのなりで婆さんか。狐は化かすってのは本当なんだな」
リットは感心したように頷く。目の前にいるテンコは三十代くらいにしか見えなかったからだ。
「感傷に浸るのを邪魔するとは、無粋な男じゃ……。姥とは時の流れではなく、見た目で呼ぶもの。妾が姥に見えるかえ?」
テンコが憂い顔で胸を見せ付けるようなポーズを取ると同時に、間隔の短い複数の足音が騒がしさを連れて近付いてきた。
「ばばさまお帰りなさーい」と、一人の子供がテンコの腰に抱きつくと、縄で引っ張られたように次々と子供達がテンコ体の空いた場所に抱きついていった。
獣人に人間。知った顔だと、スワ、クワ、スナの三つ子もいる。
テンコは突然まとわり付いてくる子供に嫌な顔一つせず、自然な裏のない笑みを浮かべて対応している。
「ばばさまって……。どう見えようが結局は婆さんじゃねぇか」
リットが聞こえるかどうか微妙な声で言うと、突然襟首を掴まれ引っ張られたような感覚に襲われ尻もちをついた。
子供達にとってはよそ者のリットよりも馴染み深いテンコらしく、リットのことは気にせずにテンコとしばらく戯れると何処かへと固まって走っていた。
「ほんに子供はかわゆいのう」
テンコは元気に揺れる子供達の背中を見送りながら言う。
「……アンタなんかしたか?」
リットが尻に付いた砂を手で払いながら言うと、テンコは漏らすような息と共に人差し指を向けてクイッと曲げた。
すると、リットの体は自分の意志ではなく、顔を引っ張られたかのようにテンコに引き寄せられた。
「神通力じゃ」
テンコはリットに顔を近づけると、耳元でそっと囁くような甘い声で言う。
「……思い出したぞ、その声。龍頭温泉でオレが酒を買いに行くのを邪魔した奴だな。あと、オレに変なまじないをかけたのもアンタだろ」
「どれも妾の記憶にはない。そなたの思い違いじゃろう」
「そんなハズはねぇ。小せぇドワーフにまじないの言葉を教えて、部屋の前に分身を置いただろ?」
「まじないの方は身に覚えがないが……。ドワーフと話したのも、尻尾の分身を貸したのも妾。それがどうしたのじゃ」
「飲むはずだった酒をくれ」
「なんじゃ、酒が欲しいならそう言えばよかったのじゃ。付いて来るがよい」
テンコは着物の裾を風に遊ばせ、しゃなりしゃなりと歩き始めた。
テンコは家に入るなり、何かを撫でるような動作で空中をなぞる。
すると、ひとりでに部屋中のロウソクに火が灯った。
照らされた部屋は、目が回りそうな色彩で彩られていた。
小さな引き戸がいくつも付いた朱色の桐箪笥が壁に並べられ、東の国で見かけない絨毯の上にカメムシのような色をした木箱が幾つも積まれている。奥の僅かな生活スペースでは、見せ付けるように衣紋掛けに派手な着物が掛けられている。
テンコは桐箪笥を開けて乾燥した木くずのようなものをつまみ、ロウソクの火で炙り、ドドメ色をした半月の器に置いた。
立ち上る煙からは、テンコの着物からしていた甘く妖しい匂いが漂っている。
「さて、好きなものを飲むがよい。時折来る行商人から買った、大陸の酒もあるぞよ」
テンコは畳に数種類の酒を並べると、膝をついて座り、脇息に肘を置いて体を休めた。
「まるで魔女の店だな」
リットは店内を見回しながら言った。
トカゲの干物や乾燥させた植物などが天井からぶら下がっている。明確な違いは、派手か派手じゃないかだけだろう。
「妾は薬売り。東の国の漢方は、大陸の魔女薬とは似て非なるものじゃ」
テンコは菊模様の入ったお猪口をリットに渡す。
「酒は貰うが、ランプは売らねぇぞ」
リットはお猪口を受け取りながら言った。
「構わぬ。迷惑を掛けたようだから、その詫びじゃ」
「見た目と違って、義理堅えな」
「借りは返す、非礼は詫びる。当然のこと。して、そなたは何者じゃ?」
「ランプ屋だ」
リットは迷わずウイスキーを手に取ると、お猪口に注ぎながら答えた。
「おかしな話じゃ。ランプ屋がランプを売らずに何を売る」
「普段なら、こんな使い込んだだけのランプは吹っ掛けるだけ吹っ掛けて高く売りつけるけどな。旅先でなくなると困んだよ。で、そっちは? なんでこんなランプを欲しがる?」
「気に入った。それだけのことじゃ。古く大切に使われた物や道具には神が宿る」
「オレが初めて作ったランプだが、そんなに古くねぇし、特別大切にも扱ってねぇよ」
リットは一口で飲んでは小さなお猪口にウイスキーを注ぎ、忙しなく飲みながら答える。
「役目を果たすだけで大切に扱われておる。火具には火を灯し、傘は差してこその傘。道具を大切に使うというのはそういうことじゃ」
テンコはリットとは正反対に、お猪口に入れた白濁したにごり酒をチビチビと飲みながら言った。
「それじゃ、あの大灯台には神が宿ってたのか? あれはかなり古いだろ」
「かも知れぬ」
「曖昧な答えだな。アンタ千年生きてんだろ?」
「あれは言葉の綾じゃ。妾はまだ百と九十六」
「それだけ生きてりゃ充分だ。……なぁ、龍の鱗持ってないか?」
リットはまた一度部屋の中を見回しながら言った。
龍の鱗が入りそうな大きさの箱がいくつかある。
「龍……。妾が龍を見たのは、龍がオオナマズと争い東の国を出たのは三回。しかし、鱗が落ちたという話は数年前のあの時だけじゃ妾はカモン城にも薬を届けておるが、向こうでもそんな話を聞いてことはない。まぁ、運が良ければ海の底に沈んでいるかもしれんの」
「なんだって、あいつらは出て行ったり戻ったりすんだ?」
「妾の考えでは、姿を消す数十年の間は、双方ともどこかで傷を癒やしているハズじゃ。傷が治ったらまた戻ってくるとは……。余程、龍腕海峡の穴蔵が居心地が良いように思える」
何がおかしいのかわからないが、テンコは微笑を浮かべていた。
「それじゃあ、フェニックスの羽なんかも持ってないよな」
「姿すら見たことないぞえ」
テンコは足を組み替え、乱れた着物の裾から艶めかしく輝く白い太ももを覗かせる。
いちいち所作に無駄に禍々しい色香が含まれ、男を寝床へと誘うように酒の混じった熱い息を吐く。
「そう露骨に誘われるのも悪い気はしねぇが、裏があると思うと手が出せねぇな。どっかのマヌケみたく、朝起きたら商売道具を盗まれるのはゴメンだ」
「別に、そなたを誘っているわけではない。美しいものは皆に見せて然るべきというのが妾の持論じゃ。恥じる体でもない。遠慮せず、とくと見てたも」
テンコは自分の容姿が美しく整っているのを理解しているのだろう。
おそらく自分の姿が相手の瞳にどう映っているのかもわかっているハズだ。
テンコは自信満々に作り顔の妖艶な笑みを見せる。
この笑みが許されるのは絶世の美女か、世間の風評なんて一切気にしない大馬鹿者だけだろう。
「人生楽しいだろ」
「楽しいからこそ人生なのじゃ。妾はこの美貌で大いに得をしておる。先にも言うたが、借りは返すのが礼儀じゃ」
「開くのは胸元だけにしとけ。どっかのオークが聞いたら、カルチャーショックで死んじまうからな」
「これでも身持ちは堅い方じゃ。本気の恋など、数十年に一度で充分であろう」
「まぁ、アンタなら三回は結婚できるな」
テンコはリットの悪態など気にせず、余裕の笑みを見せる。
「そうであろう。良き女の証拠じゃ」
憂いげな顔で息を吐いてお香の煙を揺らすテンコを見て、リットは酒場にいる時のように自然に笑った。
「話せて良かった。いいかげん猫とだけ冗談を言い合うのにも飽きてきたからな」
リットはテンコの了承を得ることなく、ウイスキーの瓶を手に持つと立ち上がった。
「帰るのかえ?」
「残りは貧乏人らしくチビチビ飲む。大陸に来ることがあったら、今日の礼にランプの一つや二つやるよ」
「そうか、また酒でも飲みに来い。コジュウロウにもそう言うとけ」
リットは返事代わりに後ろ手に手を振ると、戸を開けた。
外に出ると薄い自然の匂いが充満していて、服に染み付いたお香の匂いが強くなった気がした。
家の前ではコジュウロウが薪割りをしているところだった。
コジュウロウはリットの服の匂いを嗅ぐと、ピーッと高い指笛を吹いた。
「警報! 警報でござる! おなごの匂いがするでござる!」
「独身男が女の匂いつけてきて、どこがわりいんだよ。それにただ酒を飲んだだけだ」
「本当でござるか?」
本当に疑っているのか、薪割りの休憩の出しに使っているのか、コジュウロウはやたらと疑いの視線をリットに投げかけている。
「オマエにも伝言だ。かみさんに追い出されたら、また酒を飲みに来いとよ」
「テンコおばばのところに行ってたでござるか。歳のわりにむんむんまっで堪らないでござる」
「……そういや、その言葉オマエから教わったんだったな」
「ところで、村一番のむんむんまっに会ってきた感想はどうでござるか?」
「まぁ、それなりに楽しんできた。ここには冗談どころか、話も通じねえ奴ばっかりだしな」
リットはコジュウロウを強く見た後、家の戸を睨みつけた。視線は戸ではなく、中にいる話し声の住人たちに向けている。
リットは酒の入ったテンションのまま戸を開けた。
家の中では最後に見た時と同じ、頭を悩ますエミリアとハスキーの姿があった。
「こっちは収穫があったぞ」
「本当か!」
エミリアは勢い良く顔を向けてリットを見た。
リットはウイスキーの瓶をひけらかすが、思っていたよりもエミリアの食い付きが良かったので流石にバツが悪くなった。
「悪かった。バカ言ったよ」
リットはエミリア達とちゃぶ台を囲むように空いてる場所に座った。
「まったくだ……」
「まぁ、まて。まったく収穫がないわけじゃねぇよ。龍の鱗は、キスケの話通り東の国にはねぇってよ」
「それは本当の話なのか?」
エミリアが酒臭い息を吐くリットに、疑いが八割混ざった瞳を向ける。
「この村一番の年寄りに聞いてきたからな。フェニックスの羽を探すにしても、龍の鱗を探すにしても、この国にいる必要がねぇな」
「そうなると一番確率が高いのは……」
「――龍が飛んでいったペングイン大陸だな。アレの光が直れば、見つけ出すこともできるな」
リットは岬の方角へと目を向けた。
「それでは本末転倒ではないか……」
「運がよけりゃ、闇に呑まれたギリギリのところに落ちてるかも知れねぇだろ。望み薄だけどな。一番可能性の高いこの国に龍の鱗がないんだ。そろそろ後ろ向きに考えた方がいいだろ」
「海に落ちた可能性もある、既に誰かが手に入れた可能性もある。この国に龍の鱗がないのも、可能性の一つがなくなっただけにすぎん」
「相変わらず前向きだな」
「前向きでなければ良い考えは浮かんではこない。海……それでいて、多岐と交流があるもの……」
リットも一緒に、エミリアの言葉の続きを考えた。
海に落ちたものを探せる者。それと、各国からの流通に割り込める者。一番可能性が高いのは、国の全財源を投げ打って捜索してくれる王様だが、当然そんな王様はいない。
次にリットは胸元を開けたテンコを思い出しながら、神通力の力で探せないだろうかと、腕を組み首を後ろに逸しながら目をつぶり考えた。
リットの目蓋は、アキナが食事の支度をする竈の炎で赤く染まった。
「……いるな」
「もう、冗談はいらないぞ」
リットのあまりに早い結論に、エミリアはため息を吐くように薄く言った。
「海に落ちたものも探せて、どこの商人とも完璧に取引ができる。――海賊。――イサリビィ海賊団だ」




