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ランプ売りの青年  作者: ふん
東の国の灯台編(上)

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第十八話

 リットの目覚めは最悪だった。

 鼻の穴にはスワの指が、口にはクワの足が、耳にはスナの指が、顔中の穴を塞がれている状態で眠りから覚めた。

 リットを起こした三つ子はイビキとも寝息ともとれない、ヘビが舌を鳴らすような不気味な呼吸音を響かせて、気持ちよさそうに眠ったままだ。

 寝相が悪いという言葉で片付けるにはどうも腑に落ちない、三人とも顔に触れているのが不自然だ。

 リットはそもそもなぜ自分がここで寝ているのかがわからなかったが、眉間を中心に広がるズキズキとした痛みが自己責任という言葉を教えているようだった。

 昨夜コジュウロウをからかってから戻ったリットは、上機嫌でアキナからの酌を受けていた。

 飲み慣れない異国の酒と旅疲れで酔いの回りも早くなり、その場でリットが寝てしまったので、結局コジュウロウの家に泊まることになってしまった。

 すっかり酔いつぶれたリットで遊んでるうちに、三つ子もそのままの態勢で寝てしまったのだろう。

 リットは三つ子を手で払いのけると、ナメクジが乾いた地面を這うようなノロノロとした足取りで家を出た。

 外は湿った松の木の匂いで満たされていた。

 東の空から眠そうに太陽が龍頭山の間から顔を出して、朝露に濡れた草木や花をテカテカと照らしている。

 岬向こうの海面が、白んだ空気の中でキラキラと輝いていた。

 夏に近付いていることを忘れさせるような冷涼な朝だ。

 しかし、リットはその朝の空気を堪能する間もなく項垂れる。

 視界に広がる地面を遮るように、柄杓の中で揺れる水が目に入った。

「……汲み置きの水」

 人に聞かせる気があるのかわからないようなボソッとした声だ。

 リットが顔を向けると、何を考えているのかわからない無表情な顔をしたヨメニーが立っていた。

「悪いな……」

 リットはその水を口に含むと、飲むのではなく、まんべんなく口の中に行き渡らせてから地面に吐き出した。

 そうして口の中のクワの足の味を消した。

 ヨメニーは一度固まってリットのことを見ていたがすぐに理解したようで、もう一度水を汲み、柄杓をリットに渡した。

「いつも朝は早いのか?」

 水を飲みながらリットが聞くと、ヨメニーは黙って首を横に振った。

 そして、指先を地面に残った足跡に向けると、その指をゆっくり岬の灯台にずらしていった。

 夜風で整地された地面の上に、新しい足跡が灯台に向けて進んでいる。

 足跡は二つ。女性のものだと思われる小型のものと、リットより一回り大きい大型のものだった。

「エミリアとハスキーか? 起こされたのか?」

 リットの言葉にヨメニーが小さくコクンと頷く。

「朝から散歩に連れてくとは、立派な飼い主だ。首輪は繋いでたか?」

 ヨメニーは何も言わず、表情も変えずに首だけ横に振った。

「エミリアに制限されてたせいで、すっかり酒も弱くなっちまった。……オレ、喋り過ぎか?」

 ヨメニーは首を横に振る。

「……その口は、食うのと呼吸以外に使う気はないのか?」

 ヨメニーはまた首を横に振ると、「たまに喋る」と小さく答えた。

「喋るのは苦手なのか?」

「……少し。……疲れるから」

「そりゃいい子だ」

「……初めて言われた」

 ヨメニーは初めて表情を変えた。驚いたように目を少し開いている。

「そのまま成長して、「酒」と言われたら、何も言わず酒を出すようないい女になれよ。いいか? 間違っても、小言を言って酒を出さないような女にはなるな」

「それは私への当て付けか?」

 ハスキーと朝のランニングを終えたエミリアが、リットの影を踏みながら言った。

「全世界のダメな夫を持つ妻全員への当て付けだ。いいかヨメニー。将来かみさんに口うるさく言われたらな。「そっちがビール樽みたいな腹をしてるから、こっちは酒を飲みたくなるんだ」と返してやるんだぞ」

 リットの言葉に、ヨメニーは頷く。

「子供に何を教えているんだ……。それにヨメニーは女の子だぞ」

「子供なら朝は寝かせておいてやれよ」

「少し不健康そうな顔をしているのでな。朝の鍛錬に誘ったのだ。ちゃんと子供の体力を配慮して家の周りを三周しかしなかったぞ。その後に、灯台までハスキーと一緒に走ったというわけだ」

「エミリアも去年まで、朝は不健康な顔してたじゃねぇか」

「今現在、不健康な顔をしてる男に何を言われたところで、聞く耳は持たん」

 エミリアは二日酔いでダルそうにしているリットを一蹴する。

「……そうかい。オレは朝日を浴びてるから、静かに続きをやってくれ」

 リットはボロボロの家壁に寄りかかると、ずり落ちながら腰を地面に付けた。

 エミリアは諦めたように肩をすくめると、ハスキーと一緒に腕立て伏せを始めた。

 エミリアとハスキーの「ふっふっ」と規則正しい呼吸音を聞きながら、まどろみかけていたリットの足下に小石が転がってくる。

 最初は無視していたが、次第に飛んで来る石が大きくなってくるので、リットは視線を小石を投げてくる主に向けた。

 リットと目が合ったコジュウロウはしきりに手招きをしている。

「なんだよ」

 リットが側まで歩いて行くと、コジュウロウはリットの腕を掴み家影に引き込んだ。

「しーっ! ヨメニーにバレるでござる。これは内緒話でござる」

「バレたところで、なにか言うとは思えねぇけどな」

「確かに……。何故一人だけあんなに暗く育ってしまったのか不思議でござる。拙者が家を空けるのがいけなかったのか……」

「どう考えても名前のせいだろ。一人だけヨメニーなんて名前付けられたら、人と喋るのも嫌になるだろ。オレが同い年のガキなら、絶対泣くまでからかってる。で、オマエのとこのペリカン妻に怒られて、丸呑みにされてるな」

「拙者の妻は鶴でござる。それより……貧乏な家で随分豪遊したでござるな……」

 コジュウロウはリットの酒臭い息を嗅いで顔をしかめた。

「安酒だけどな。二日目も酔えるくらいは堪能させてもらった。言わせてもらえば、一晩で豆は飽きたな」

「厚意を受けてその物言いは図々し過ぎるでござる……。その無礼を許すから、拙者に協力してもらうでござる」

「許されなくていいから、協力もしねぇ」

「良い家に住んでるくせに、ケチくさい奴でござるのう」

 コジュウロウはリットの家を思い出しながら言った。

 地下には工房があり、二階には三部屋。そのうちの一つは空き部屋だ。そして庭もあり、そこには井戸もある。掃除をしないせいで薄汚いが、家の作り自体は立派なものだ。

「別に好きで建てたわけじゃねぇよ。譲歩した結果があれなんだよ」

「井戸付きの家なんて普通は金持ちの家でござる。そんな都合の良い譲歩があるわけないでござる」

「あんだよ、それが。……なんだよ。なにすりゃいいんだよ」

 あまり触れられたくないところにコジュウロウがズカズカと土足で踏み込んできたので、リットは渋々といった具合にコジュウロウの提案に乗ることにした。

「なぁに、簡単なことでござる」コジュウロウは腕を組んで自信満々の笑みを見せる。「リット殿は朝餉の時に「酒を寄越せ」とアキナに迫るでござる。そこで拙者が「これ以上好きにはさせないでござる!」と意気揚々と現れて、リット殿を成敗するだけでござる」

「……なんのためにだよ。一晩頭を冷やせと追い出されたんだから、朝飯くらい普通に家に入って食えばいいじゃねぇか」

「それじゃ、情けな過ぎるでござる。拙者、娘達に尊敬されたいでござる」

 コジュウロウは真っ直ぐにリットの目を見て言った。

「リット! せっかく起きているのだから、朝餉の手伝いをするぞ」

 エミリアの呼ぶ声が聞こえると、コジュウロウは「頼むでござる」と一言残して、家の裏に走っていった。

 それからしばらくして、ノーラとパッチワークが起き。またしばらくして三つ子がオツルに起こされ、食卓には昨日の残りの豆料理が並ぶ。

 食事の挨拶を済ませ、リットが慣れない箸に悪戦苦闘していると、壁を叩くドンと言う音が鳴る。

「アキナ、酒だ」

 コジュウロウの合図と思われる音を聞いて、リットはいつも以上にぶっきらぼうに言うが、アキナは笑顔で「はい」と言って酒を持ってきた。

「この後は灯台に行くんですよね? お仕事頑張ってください」

 アキナは怒ることも困ることもなく、昨日の夜と同じようにリットに酌をした。

 壁が鳴ったのはその一回きりで、それ以降再び鳴ることはなく。コジュウロウが家に入ってくることもなかった。



 朝食を終え、しばらくゆっくりしてから外に出ると、昼に向けて太陽が懸命に昇っているところだった。

「いじけんなよ。大の大人が気持ちわりぃな。そもそもオマエのせいじゃねぇか」

 リットは灯台に向かう途中、めそめそ泣くコジュウロウの背中を叩いていた。

「……慰めるか貶すかどっちかにして欲しいでござる」

「一言も慰めてねぇよ」

「旦那は一応仕事をしに来てますからねェ。アキナの態度は、コジュウロウへの当て付けもあるんじゃないっスか」

「拙者も仕事をした帰りでござるよ」

「仕事って言っても、冒険者ですからねェ……」

 ノーラも冒険者は儲からないと知っているので、コジュウロウに冷ややかな言葉をぶつける。

「冒険者の仕事に出た帰りってことは、なにか見付けて来たんだろ? それを見せりゃいいんじゃねぇのか?」

「確かに、拙者は金の卵を産む鶏の情報が入って冒険に出たでござる」

「ニャーもその情報聞いたニャ。ガセ情報だニャ。……しかも五年前の」

「どうりで……。道に落ちている紙は当てにならないでござるな」

 コジュウロウは懐から端がボロボロになった羊皮紙を取り出した。

 羊皮紙には墨が剥げた鶏の絵が描かれていた。めぼしい情報はなにも書かれていない。

「よくこんなんで探しに行こうと思いましたねェ……」

「こんなのだからこそ、見付けた時の喜びはひとしおでござる」

「でも見付からないから、家族に邪険にされてるんっスよね」

「あっはっは! そのとおり! ……とほほでござる」

 コジュウロウが肩を落とすと、ノーラが「まぁまぁ」と曖昧な言葉で慰めた。

 灯台前に着くと、いつもの調子に戻ったコジュウロウが突然立ち止まった。

「案内しといてなんでござるが、昨日も言ったとおりこの時間は寝ているでござるよ」

「案内は頼んでないけどな。コジュウロウが勝手に付いて来たんだろ。一人残されたら寂しいからってな。――おい、ハスキー叫べ」

「はい! はい?」

「兵の訓練に声出しがあるだろ。伝声管に向かってやれ。言葉になんなくていいから、とにかくでかい声でな」

 リットは壁にある伝声管をリズム良く三回叩いた。

 ハスキーは疑問の表情を浮かべるが、大きく息を吸うと、伝声管に向かって遠吠えのようなとにかくやかましい声を上げた。

 二回三回と声を上げ、ハスキーのこめかみにはち切れそうなほど血管が浮かぶと、灯台内から階段を駆け下りる音が聞こえた。

「うるさいわい!」

 イッテツはドアを開けるなり、ハスキーに負けないような大声で怒鳴り散らした。

 驚いたハスキーは遠吠えをやめる。

「まったく……心臓が飛び出るかと思ったわい」

 イッテツはリット達の姿を見ると、大きくため息を吐く。目の下には濃いくまが出来ていた。

「まだ大事にしまっとけ」

「徹夜明けのわしに言うことがそれかのう……」

「徹夜するような歳じゃねぇだろ」

「誰のために徹夜したと思ってるんじゃ」

「灯台の為だろ。用意はできてんのか?」

 イッテツはあくびかため息かわからないものを吐き出すと、コジュウロウを残してリット達を灯台内に入れた。

 監視室に着くとイッテツは「今回の件はキスケに任せておる。だから、わしを起こしたら死んでやるからな。覚えておくように」と言って横になり布団を頭まで被った。

 リットは机に突っ伏したまま寝ているキスケを起こすと、キスケは寝起き一番笑顔を向けた。

「こんな早くに来てくれるってことはやる気があるんですね。嬉しいなぁ。イッテツさんはどこか諦めてまして」

「おい、キスケ青年。オマエが昼に来いって言ったんだよ」

 リットは苛立ちを露わにした顔を、眩しい笑顔を向けてくるキスケに向けるが、なんの効果もなかった。

 キスケは笑顔を曇らせることなく、手をポンッと打った。

「あぁ、そうでしたね。オイルを抜いておいたんで、持ってきたオイルを入れてみましょう。それで夜に光らせてみれば結果がわかるはずです」

「で、オイルを入れるのは時間が掛かるんだろ? さっさとやるぞ」

「いえ、タンクにオイルを流し入れるだけです。そうですねぇ……大きいランプだと思ってもらって構いません」

「……それなら、オレがいなくてもいいんじゃねぇのか?」

「でも、勝手にするわけにもいかないですから」

「さ、いきましょう」と意気込むキスケを見て、リットは頭を押さえる。痛む頭は二日酔いのせいだけではなかった。



 オイルを移し入れ、夜までの間やることがなくなったリットは寝ることにしたが、狭い灯台内では声が良く響く。

 話し声があちらこちらから聞こえてるような気分で、それが夢の中の出来事なのか区別がつかない。

 そのせいで、ノーラが自分を呼んでいるのが現実だと気付くのに時間が掛かった。

「旦那ァ、起きましたか?」

「オマエがオレの夢に勝手に出てきてないなら起きたな」

 リットは目やにをこすり落としながら身震いした。

 吹き抜けになっている灯火室は、海風が通り抜け体が冷える。

 面倒臭がらず、ハシゴを降りて下で寝ればよかったと、リットは腕を擦り温めながら思っていた。

 辺りは既に暗くなっていて、ハスキーが持っているロウソク一本の明りだけが揺れていた。

「なぁに言ってんっスか。それより、灯台に火をつける時間ですぜェ」

 ノーラは目の前で手を振って、リットがまばたきをするのを確認すると、皆が集まっているところまで小走りで駆け寄った。

 リットも石床で冷えたお尻を上げて、そこに向かった。

 灯台の火はいつもの様に回転するのではなく、光が届いているかわかりやすいように一つの方角を定めて固定されていた。

「起きましたか。ちょうど良い時間です。火をつけますよ」

 キスケはリットの答えが返ってくるの待つ間もなく、期待に満ちた表情でマッチを擦った。

 マッチの火を芯に移し燃やすと、灯火室は昼の明りに包まれた。

 リットは海に向けて放たれる、妖精の白ユリのオイルの光を見ると、こう呟かずにはいられなかった。

「まるで――『光落とし』だな」






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