第十五話
龍頭山を越えたリット達は、麓にあるシッポウ村を通り過ぎ真っ直ぐ歩いていた。
シッポウ村から北の大灯台へ行くには、細い一本道を辿っていけばいいだけなのだが、意図して作られた道ではなく、人が長年行き来する間に踏み固められ自然に出来上がった獣道のようなものなのだ。
そのうえ、大灯台がある岬までは足場の悪い石だらけの上り坂になっているので歩きにくいことこの上ない。
太陽が高くのぼって暑さを強く感じさせるようになると、そよ吹く潮風の匂いが強くなってきた。
「風が強い日は、岩礁の隙間を抜けて岬の岩肌に当たる風の音が強くなることもあり、『角笛岬』と呼ばれているでござる」
コジュウロウが観光者に案内をするように説明しているが、馬車のない東の国の山越えに慣れていないリットはうつ向き歩きながら適当に返事をするだけだった。
石というよりも、岩の先端が地面から突き出ているような障害物を乗り越えると、ノーラが「おぉ」と短く感嘆の声を漏らして足を止めた。
リットは嗚咽するようなくぐもった息を吐くと、大きく空気を吸い込みながら顔を上げた。
リットの目に映る景色は踏み千切られた草や石だらけの地面から、苔生したような真緑の草原と、深海の水を幾度もろ過したような澄み切った群青の空の広がりに変わった。
視線の中心には大灯台が天に突き刺さるように高くそびえていて、先端に大きな入道雲が重なっている。
昼間の大灯台は、煙突が煙を吐いているように見えた。
「よし、中に入って休ませてもらおう」
リットは大灯台の全貌を確認すると、視線を前に向けて歩き始めた。
「いいのか? 大灯台を見たかったんだろう?」
足早に歩いて行くリットの背中に、エミリアが声を掛けた。
「もう見た」
「反応が薄いが、期待外れだったのか?」
「明日帰るのか? どうせしばらく居るんだろ。これから嫌でも見るんだ。わざわざ疲れてる時に眺めなくていい」
リット達は灯台守の家まで行ったが誰も居なく、納屋が連なる小道を抜けて灯台のドアの前にいた。
「おい、開けろ! わざわざ大陸から来てやったんだぞ」
リットは借金の取り立てのように乱暴にドアをノックするが反応はない。真新しい木のドアが軋むだけだ。
「やっぱりでござるな」
コジュウロウが一人納得して頷いている。
「んだよ。やっぱりって」
「灯台守は二人。一人は夜中起きている若者一人、もう一人は人生の盛りも過ぎた爺さんでござる。よって二人共、昼間は寝ているでござる」
「先に言えよ……」
「聞かれたら答えていたでござる」
「無駄足じゃねぇか。村まで戻んのかよ」
リットは岬からシッポウ村を見下ろした。昼時ということもあり、シッポウ村からは昼食の煙が昇っていた。
「仕方ないから、拙者の家で休むといいでござる」
「最初からそのつもりだ。貸しがある分わがまま言い放題だからな。豪勢な飯くらい出せよ。あと酒もな」
「そんなの聞いてないでござる!」
「聞かれたら答えてた」
リットは皮肉たっぷりの調子で言うと歩き出した。
「こら、勝手にどこへ行く」
灯台を背に歩き出したリットの肩をエミリアが掴んだ。
「夕方になりゃ爺さんも小便をしに起きるだろ。それまでコジュウロウの家で手厚い歓迎をしてくれるってよ」
「そうか。世話になる」
エミリアはコジュウロウに向かって頭を下げた。遅れてハスキーも頭を下げる。
「だから、拙者そんなことは一言も――」
「借金取りだと無理やり押しかけられるのと、そっちから和やかに歓迎するのとどっちがいい?」
リットは下卑た笑みを浮かべて、コジュウロウの背中を軽く叩いて前に押し出した。
「そんなの、どっちも脅迫でござる……」
リット達はぶつぶつと文句を垂れ流すコジュウロウを先頭に、シッポウ村まで戻っていた。
適当な木の板を組み合わせて作った土台の上に、砂を貼り付けたような茅葺き屋根が重くのしかかっている。
あばら屋といえばあばら屋なのだが、あまりそんな印象を与えないのは周りの家もみんな同じような感じだからだろう。
藁葺き屋根の家、板葺き屋根の家、瓦屋根の家、白壁の家、一つの村の中で実に多様な家々が建っていた。
住人たちは獣人が五割、人間が三割、その他が二割だった。村の規模の割には住む人の数が多い。
コジュウロウは家のドアを開くなり、信じられない言葉を放った。
「亭主が帰ってきたでござる」
「てい……しゅ?」
驚くリットをよそに、もっと驚くことが起こった。
「お父ちゃんおかえりなさーい」と声が重なって響き、三人の女の子がコジュウロウの元に駆け寄ってきたのだ。
三人とも同じ声、同じ背丈、同じ顔をしており、リットはレプラコーンの靴屋と会った時と同じようなややこしさを感じていた。
「ただいまでござる。オツルはどこでござるか? オツルー! オツルー!」
コジュウロウが妻であろう名前を呼び続けていると、部屋奥の襖が開き女性が茶器を持って現れた。
「おかえりなさいお父様。お母様はヨメニーとお出かけしています」
女性は物腰柔らかく、少しゆっくりとした口調で言った。
最初、女性は振袖着物を着ていると思ったが、よく見ると生肩が出ていた。『振り』に見えていた部分は鳥の翼で、着物はノースリーブになっていた。
「そうでござったか。アキナ、客人にお茶を頼むでござる」
「はい。狭い家ですけど、どうぞお上がりになって寛いでください」
アキナは正座をすると三つ指を突いてお辞儀をした。
「ささ、入るでござる」
コジュウロウが靴を脱いで家に上がったので、リット達もマネて靴を脱いで上がった。
丸テーブルの周りまで案内されると、アキナはそれぞれにお茶を注いだ。
「粗茶ですが、どうぞ」
「元々の味を知らねぇよ」
リットの乱暴な言葉遣いに、アキナは「ふふ」っと控えめに笑う。
「皆様は、お父様のお友達ですか?」
「そう見えるか?」
「はい」
アキナは毒気を抜くような声で返事をする。
「そりゃ、親父を信用しすぎだ」
「いえ、信用していません。たぶん、出会いのきっかけはお父様が迷惑を掛けたからでしょうから」
「アキナ、そりゃないでござるよ」
コジュウロウは泣きつくようにアキナに倒れこんだ。
コジュウロウとは違い、アキナは童顔ではなく、背丈も年頃の平均くらいだ。
コジュウロウとアキナが並ぶと、父親と娘というよりも、姉と弟にしか見えない。
「……娘が居たんだな」
「拙者三十でござるよ? 娘の四人や五人が居てもおかしくないでござる」
「まて……五人ってことは、アキナと邪魔くさいチビ三人の他にまだいるのか?」
リットはやたらと顔を触ってくる三人の子供を、手で邪険に追い払いながら言った。
「五人姉妹でござる。ちょうどいいから紹介するでござる。長女のアキナ。長女だけあってしっかりものでござる」
「長女のアキナです。よろしくお見知りおきのほどを」
アキナは深々とリット達に頭を下げた。
「次女のヨメニー。大陸っぽいハイカラな名前でござろう? 残念ながらヨメニーは妻と出掛けているので、紹介できないでござる。そして、リット殿に懐いているのが、スワ、クワ、スナ。三つ子でござる」
コジュウロウはリットにまとわり付いている三つ子を指して言った。
スワとスナがリットの両頬を左右に引っ張り、スナが目尻を下に引っ張っている。
「……いいかげんにしねぇと、丸焼きにして売りさばくぞ」
リットの苛立たしげな言葉を聞くと、三人は一瞬顔を見合わせ、一斉に「キャー!」と楽しそうに声を揃えて、翼を広げて家の中を走り回る。
「……鳥籠の中にでも入れておけよ」
「大陸からの客人が珍しいのでござろう。大灯台に行く者は多いが、村にまで来る者はござらんのでな」
うんざりするリットを尻目に、コジュウロウはお茶を飲んで一息ついていた。
「子供に好かれるというのは、良い人の証拠です」
ハスキーはズレた丸メガネを直しながら、リットを励ますように言った。
「オマエも犬なら、子供をあやそうとか思わねぇのか?」
「はっ……。自分は子供が好きなのですが……」ハスキーが三つ子の方を向くと、三つ子は「ワンワンこわい! 目がこわい! 口もこわい!」と口々に騒ぎ立てた。「――何故かいつもこの有様で……」
三つ子はリットの背中に隠れてハスキーを睨んでいる。
「仕方ねぇ……。こいつで遊んでろ。いいか? 腕と足はもぐな。目は潰すな」
リットは隣に座っていたパッチワークの首根っこを掴むと、三つ子の興味を引くように目の前で揺らしてから、部屋の隅に放り投げた。
パッチワークは追いかけてくる三つ子から逃げまわり外に出て行ったが、三つ子は諦めること無く外まで追いかけていった。
「日が暮れる前に戻って来なさいよー」
アキナは三つ子に声を掛けると、外から「はーい」と三つ声が揃って返ってきた。
「――それで、オマエの嫁さんはハーピィなのか?」
リットはぬるくなったお茶を飲みながらコジュウロウに話しかけた。
「如何にも。オツルの名前のとおり鶴のハーピィでござる。白雪のような肌に、足長の美人でござる。アキナに少し似ているでござるな」
「やだ、お父様ったら」
アキナは顔を紅潮させて身をよじった。
「おい、そこのほのぼの親子」
「……なんでござるか? せっかくの父親と娘のすきんしっぷの時間に」
「スキンシップもいいけどな。まず金を返せ」
リットが言い終えた瞬間、コジュウロウが慌てて飛んできて口を塞いだ。
「しーっでござる! リット殿に金を借りて、わがままを言ったことが娘に知られたら困るでござる! 父親の威厳というものを考えて欲しいでござる!」
「オレが言わなくても、全部今オマエが言ったけどな」
アキナの顔には、やっぱりという呆れた表情が浮かんでいた。
「お父様が迷惑をかけてごめんなさい」
「コジュウロウと違って、良い娘じゃねぇか」
「そう! 良い娘でござろう! 嫁にどうでござるか? 次女のヨメニーでも良いでござるよ。リット殿が童女趣味というのならば、三つ子からでも」
「おいおい、借金のかたに娘を売り飛ばす気か?」
「拙者の借金は娘の借金。結婚すれば夫婦間の借金はチャラでござる」
コジュウロウは歴史を揺るがす発見をしたかのように、瞳を輝かせて手をポンと打つ。
「いいか? 良く聞け小さい大人。オレは金を返せと言っているわけだ。なのに嫁を貰うってどういうことだよ。余計に金が掛かるじゃねぇか」
リットの言葉にエミリアが同意をする。
「差し出がましいが、私も金銭関係から娘を嫁にやるのは良くないと思うぞ。それと、相手をよく考えて嫁に出すべきだ」
「まったくだ。幸せにさせるつもりはねぇぞ。それに、ローレンじゃねぇけどな。結婚なんかする気はねぇよ」
「あんな女ったらしに娘を嫁にやるつもりはないでござる!」
コジュウロウがテーブルを叩くと、リットもテーブルを叩き返した。
「そういう話はしてねぇよ!」
エミリアはリットの背中を、アキナはコジュウロウの背中を軽く叩いてなだめる。
アキナはコジュウロウの提案に怒ることもなく、ニコニコと笑みを浮かべていた。
「笑ってるけどいいのか? 嫁げって言われたんだぞ、見知らぬ男に」
「お父様の突拍子もない提案はいつものことですから。それに、借りたお金は返せそうにありませんし……」
「まぁ、金のある家には見えねぇしな。亭主はこんなんだし」
「そのとおりです。家の収入は主にお母様の機織りですから、この着物もお母様の織った布から作ったんですよ。既製品の着物ですと、袖が翼の邪魔になりますから」
アキナは宝物をこっそり見せ付けるように少し自慢気に言った。
「そりゃ、よかったな。その羽で飛び回りゃ盗賊でもした方が儲かるだろ。……羽か。ハーピィってことは、その羽自前だよな」
「もちろんです。ハーピィは女性しか生まれませんから、人間と交わっても生まれてくるのは純血のハーピィですよ」
「機織りより、抜け羽を売った方が儲かるんじゃねぇか? ハーピィの抜け羽は高く売れるだろ」
「え? そうなんですか?」
「一応高級品だろ。な?」
リットが聞くと、エミリアは頷いた。
「父上も大陸から東の国へ輸出している。アキナほど綺麗な羽ならば、より高く売れるハズだ」
「大陸では加工して売られてるわけだ。金持ちが買うから儲かるぞ」
リットは鞄からハーピィの抜け羽の扇子を取り出してアキナに渡した。
「そんなこと初めて知りました……」
アキナは扇子を興味深げに眺めて、自分の羽と見比べていた。
「親父に口きいてやれよ。マルグリット家が絡んでた方が売れやすいだろ」
「かまわないが、私が決めることではないだろう。どうする? アキナ」
「是非お願いします」
アキナは間髪入れずに答えた。
「良かったな。コジュウロウへの貸しは、溜まった金が入ったらアンタが返してくれ」
「それで、いいんですか?」
「どうせ返せねぇだろ? アンタを嫁に貰うつもりもないしな」
「なにかわからないけど、一件落着でござるな」
バツの悪い話になり、今まで黙っていたコジュウロウが唐突に声を上げた。
「そうだな。金のことはもういいぞ。あとはオレの町に居た時に、童顔を利用して好き勝手やってたことについて娘と話し合っとけ」
「リット殿! それは普通内緒にすることでござろう!」
「お父様」
アキナは眉をピクリと動かして、しかめっ面をコジュウロウに向ける。
「アキナ、違うでござる! 拙者はローレンとかいう若造にちょっとそそのかされて、酒場にいたおなごの二つの双丘に顔を埋めただけでござる! それにリット殿も煽ったでござる!」
「オレがあおったのは酒だけだ」
リットはアキナに怒られるコジュウロウを肴に、残りのお茶を一気に飲んだ。
「旦那から進んで人助けするって珍しいっスねェ」
「まぁな。いいか、良く聞けノーラ。アキナの抜け羽で扇子が作られ流通するだろ。すると天狗の団扇の価値が下がるわけだ。龍頭温泉郷にいる天狗の長い鼻も折れるって寸法よ」
「……遠回しな仕返しっスねェ」




