第十四話
リット達にとって、畳が敷き詰められた緑色の床というのは不思議なものだった。その畳からは、甘味を含んだ森林の香りのような匂いがわずかに漂っている。
部屋の中央では足の短い横長のテーブルが二つくっつけられ、皆それを囲むようにして畳の上に直接座っていた。
壁は木造。それは大陸と同じなのだが、ランプの代わりに使われている行灯や障子など、至る所に紙が使われているせいで、なんとも心許なく感じてしまう。
その慣れない不安を包み込んだのは行灯の光だ。
和紙から漏れる柔らかな火の明かりは、照らすというよりも彩るという言葉がしっくりときた。薄雲の 影に陰る月明かりをそのまま切り取ったような感じだ。
リットはお猪口に入った最後の一杯を舐める程度口に含んでは、酒の付いた舌を口の中に広げて貧乏ったらしくチビチビ飲んでいた。
「拙者は東の国から逃げたのではなく、探し物の為だったのでござる」
コジュウロウは煮魚の半身の尾を口の先から出しながら言った。
話題はコジュウロウが大陸にいた理由だった。
龍とオオナマズの戦い後、逃げる龍に北の大灯台が壊されてしまい、大灯台から放たれていた特殊な光が消えてしまった。
北の大灯台の火は、最初に火を灯してから一度も消えることなく二百年近く燃え続けていたという。
コジュウロウは、その最初の火種だったものを探すために大陸に来ていたのだという。
「結局なにを探してたんだ?」
リットはお猪口を真っ逆さまに持って顔を上げ、雫になって垂れる東の国の酒を舌に落としながら言った。
「不死鳥にござる」
「……不死鳥」
リットは思わずお猪口をテーブルに置いて、コジュウロウの話にしっかり耳を傾けた。
「北の大灯台は、大昔にカモン城で飼っていた不死鳥の羽が火種だったのでござる。不死鳥は字のごとく、不死の鳥にござる。東の国にいないとなると大陸にいると踏んだのだが……。いやー、大陸は広いでござるなー。歩けど歩けど陸は続くし、どこに行っても不死鳥は昔話でしか聞かぬし、彷徨い続けて金銭を失い途方に暮れていた時にリット殿の町に着いたのでござるよ」
「不死鳥ってフェニックスのことだろ?」
「左様。大陸では不死鳥のことを、皆ふぇにっくすと呼んでいたでござる」
「フェニックスは今現在所有者が明らかになっておりませんので、大陸にいるかどうかもわかりません。誰にも飼われず、どこかの孤島でひっそりと暮らしている可能性が高いです」
部屋の端の障子窓付近から、ハスキーが声を響かせた。
「……こっちに来て食えよ。なんかイジメてるみてぇじゃねぇか」
「お気遣い感謝します! しかしながら、抜け毛が食事に入るといけませんので! 自分はここから失礼します!」
ハスキーは冬毛が抜けてシュッと細くなっていた。だが、まだ全ては抜け切れていないらしく、部屋には毛が舞っている。
「まぁ、いいけどよ……。それより、フェニックスってのは居場所がわかるものなのか?」
「誰かが所有してる場合限定ですが、隠して飼えるものではありませんから。大抵は何処からか情報が漏れて各国に伝わるものです。しかし、最新の情報でも八十年前のものですから……。『キュモロニンバス』の天空城で転生して飛んでいったと言う情報で途切れています」
「もう一つ聞くけどよ。フェニックスってのは死にかけの鳥みたいな姿をしてるか?」
「まさか! フェニックスは美しい鳥だと聞いております。リット様もそうでしょう?」
ハスキーは間違えるはずのない問題の答えが違っていた時のように、少し驚いた様子で言った。
「……まぁな。赤い羽毛で、首は日輪のような金。尾は薔薇色が混ざった青色だったか?」
「そうです。いやー、よかった。自分の勉強不足かと思いましたよ」
リットとハスキーで、頭に浮かんだフェニックスの姿は違っていた。
ハスキーはリットが先に述べたようなフェニックスを思い浮かべていた。しかしリットは、肉が腐れ落ち、骨がむき出しになったフェニックスの姿だった。
ヨルムウトルで見たものは、グリザベルの言うとおり、霊鳥フェニックスではなく魔神フェニックスだったのだろう。
「フェニックスって、旦那がヨルムウトルで呼び出した汚い鳥でしたっけ?」
ノーラがテーブルに並べられた小鉢料理の数々を片っ端から口に運びながら言った。
「いや、違う方だ」
リットが言い終えるか終えないかという時、対面にいるコジュウロウがものすごい形相でテーブルから身を乗り出してきた。
「不死鳥はどこでござるか! 隠すとためにならないでござる!」
「落ち着け、話を聞け、食べかすを飛ばすな。……言っただろう違う方って。残念だったな」
魔神フェニックスの光は、とても闇に呑まれた大陸を照らすような光ではなかった。霊鳥フェニックスの羽の代わりにはならないだろう。
「益体もないでござる」
コジュウロウは部屋隅のクモの巣を見るようなつまらない顔付きでため息をついた。
「役立たずはどっちだ。オマエが何も見つけられなかったから、東の国にオレが来たんだろ」
「リット殿が? 冗談が過ぎるでござる。リット殿に何が出来るか甚だ疑問でござる」
「それでも頼りにされて呼ばれたんだよ。そこの金髪の兵士にな」
コジュウロウはリットが顎をしゃくって指したエミリアを見た。
疑いの顔で見てくるコジュウロウに向かってエミリアは頷いた。
「本当だ。私が頼んだのだ。リットにしか頼むことが出来ないのでな」
「なーる。エミリア殿は友達が少ないのでござるな。閑古鳥が鳴いているランプ屋に頼むしかないとは」
「いや……そういう意味ではないのだが……」
「おい、もっとはっきり否定しろよ。ったく……。――ハスキー、瓶を持って来い」
リットがテーブルの上の料理を強引に端に寄せて場所を作ると、ハスキーがそこに妖精の白ユリのオイルが入った大瓶を置いた。
「……尿でござるか?」
オイルの色を見たコジュウロウの顔が訝しげに揺れた。
「……そうだ。森で捕まえた妖精に瓶の中で小便をさせて溜めたんだ」
「ど変態な光景でござるな。これをいかにいたす」
「全部コジュウロウに飲ませて、胃がパンパンに膨らんだところに火をつけんだ」.
「意味がわからないでござる。それで、いったいどうなると」
「静になるだろ。永遠にな」
リットが徳利に入った最後の一杯をお猪口に注ぎながら冷たく言い放つと、コジュウロウがテーブルを強く叩いた。
「なし! そんな解決法はなしでござる! 尿を飲むのも、火をつけられるのも嫌でござる!」
コジュウロウは何度もテーブルを叩き不服を口にする。エミリアはテーブルの上で揺れる食器が倒れないように手を添え、横目でリットを睨んでいた。
「リットの嘘に騙されるな。ただの花のオイルだ。飲ませる気もないし、火をつける気もない。私達は北の大灯台の火種に使えないかと持ってきただけだ」
エミリアの言葉を聞いても、コジュウロウはしばらく半疑の視線を浮かべていたので、エミリアは妖精の白ユリのオイルが入った自分用のランプに火を灯す。
部屋に灯る行灯の頼りない光を、白ユリのランプの太陽の光が塗り替えた。
「なんと珍妙な光……。妖精の尿とは、誠おもしろき物なり」
コジュウロウは太陽の光のような温かさを放つランプに手をかざして、体験したことのない光を確かめていた。
「だから、尿じゃねぇって」というリットの言葉も聞こえていない。
「これならば、闇の向こうにも光が届く可能性があるでござるな」
「いや、どうせ無理だろ。元々、エミリアの体質に合わせて、近くに置いておけるもので探したものだからな。太陽と同じ光を放つと言っても、遠くを照らすようなものじゃねぇよ」
期待するだけ無駄だといった具合に、リットは投げやりに答えた。そしてすぐに、無意識に最後の酒を飲み干してしまったことに後悔の意識が向いていた。
「試してもいないのに、結論を出すものじゃないぞ」
エミリアは自分にランプの光が当たるように置き直しながら言った。
「エミリアだってそう思ってるから、オレを連れてきたって言ってたじゃねぇか」
「そうだが、最初から諦めの考えというのはいただけない」
「諦めてるわけじゃねぇよ。一度見ないことには何もわからねぇから、何も考えてないだけだ」
「もう三日もせずに北の大灯台に着く。着いてからは、その言い訳は通用しないぞ」
「わかったわかった。そのかわりに、今のうち羽伸ばしておくからよ。だから、もう一本」
リットはグッと力を込めて拳を握り、人差し指だけを立てた。
「ダメだと言っただろう。明日、朝になったら起こしに来る。が、なるべくなら自分で起きて用意を済ませておけ」
そう言うと、エミリアはノーラを連れて自分の部屋に戻っていった。
それからしばらく経ち、リットのいる部屋の食事は片付けられ、テーブルも端に寄せられ代わりに布団が敷かれていた。
リットは布団には入らず、壁に頭を付けてもたれかかっていた。
「リット様、大丈夫ですか? 夜風に当たられますか?」
具合が悪いのかと思い心配して近寄ってきたハスキーに向けて、リットは人差し指を口に当てて睨んだ。
「静かにしろ。聞こえねぇだろ」
「はっ! すいませんでした!」
「……それがうるせぇんだよ。いいから黙ってろ」
リットは再び壁に耳を付け、隣の部屋にいるエミリアの声に耳をそばだて始めた。
三分程ハスキーは黙っていたのだが、リットの不可解な行動を不思議に思い、おもむろに口を開いた。
「あのう……。何をしているんですか?」
リットは一瞬顔をしかめたが、一度壁から耳を離してハスキーに向き直った。
「エミリアの声を聞いてんだよ。少し考えりゃわかるだろ」
「はぁ……。しかし、いったい何のために?」
ハスキーの声色は、全く訳がわかっていないといった感じだった。
「酒を買いに行くためだ。バレないように万全を期して、エミリアが寝静まるまで待ってんだよ」
「自分が宿の者に言って頼みましょうか?」
「あのなぁ、宿に頼んでみろ。ここの金を払うのは誰だ? エミリアだろ。酒代が増えてたら気付かれるじゃねぇか」
「ならば、買いに行くのではなく、飲みに行ったほうが良いのでは?」
「オレが外でゆっくり飲みに行ってる間、もしエミリアが部屋に来てオレの居場所を聞いてきても嘘つけるか?」
「上官に嘘はつけません!」
ハスキーが声を張り上げて答えるので、リットは慌ててハスキーの口を両手で押さえた。その拍子に後ろに倒れこんでしまい、布団の上でゴロゴロしながらものを食べていたパッチワークが慌てて飛び起きた。
「危ないニャ! もう少しで、このせんべいみたいになるところだニャ!」
パッチワークはギュッとせんべいが入った袋を抱きしめ、毛を逆立てて怒鳴った。
「悪かったけどよ。飼い主の顔を思い浮かべるだけで喜び吠えるコイツをなんとかしてくれよ。同僚だろ?」
「無理ニャ。ハスキーの辞書には静かにするって言葉が載っていないのニャ」
パッチワークは言葉の間に、せんべいを食べるバリバリした小気味のいい音を混ぜながら喋る。
「リット様に嘘を教えるな! 自分が読んだ辞書にはしっかり「静かにする」という言葉が載っていた!」
「だったら、忘れないように瞼の裏にでも貼り付けておけばいいニャ!」
「だから、うるせぇって言ってんだろ! 全然聞こえねぇじゃねぇか!」
リットが二人の獣人より一際大きい声で叫ぶと、部屋のドアからノックの音が響いた。
音もなくゆっくり引き戸のドアが開くと、少し不機嫌な表情をしたエミリアが顔を出した。
「うるさいぞ。静かにしてくれ……。迷惑にもなるし、寝られないじゃないか」
言い終えるとエミリアは、口に手を当てて控えめなあくびをした。
「悪かった。静かにするからゆっくり寝てくれ。白ユリのオイルのランプをつけたまま、ゆっくり、ゆっくりな」
リットはエミリアの肩を抱くと、不審な顔を向けてくるエミリアを急かすように無理やり部屋まで送り届けた。
「さて、これで酒を買いに行けるな」
部屋に戻ってきたリットは、鞄から取り出した小銭をズボンのポケットにジャラジャラとしまい込んだ。
「果たして本当にそうかニャ」
上機嫌のリットに向かって、パッチワークが不安を煽り始めた。
「んだよ。エミリアが寝るまで子守唄でも歌って来いって言うのか?」
「それも一つの手かもしれないニャ。エミリアさまはなかなか勘が鋭いのニャ。お兄さんが出掛けた隙に、部屋に様子を見に来るかもしれないにゃ」
「勘が鋭けりゃ、オレが部屋を出る前に気付くっての」
リットは意気揚々と引き戸に手を掛けるが、半分ほど開けて足を踏み出したところで、引き戸に手を付いたままの格好で固まった。
仏頂面をしたエミリアが立っていたからだ。
「なんだ? 忘れ物か?」
エミリアは何も答えず、表情を変えないまま黙っている。
「わかったわかった。部屋に戻るって。な? ほら戻った」
リットは片足を引っ込めて部屋に戻ったことをアピールするが、エミリアは何も言わない。
リットを見ているのか、その後ろの壁を見ているのかわからない視線を真っ直ぐに伸ばすエミリアの顔を見ながら、リットは引き戸を閉めた。
「どうしたのニャ?」
すぐに部屋の中に戻ってきたリットに向かって、パッチワークが尋ねた。
「……エミリアがいた」
「だから言ったのニャ」
「信用ねぇんだな……されるようなことはしてねぇけどよ。――おい、ハスキー。オマエ獣人なんだから耳が良いだろ。寝息が二つ聞こえてきたら教えろ」
リットが壁に指をさすと、指示通りハスキーは壁に耳を当てる。しかし、すぐに耳を離した。
「リット様。既に寝息が二つ聞こえています」
「そんなわけねぇだろ。いくらなんでも寝るのが早すぎだ。ついさっきまでそこに突っ立ってたんだぞ」
「しかし、自分の耳に寝息は二つ聞こえてきています」
「本当かよ」
リットは引き戸をほんの僅かだけ開けて外の様子を確認するが、やはりそこにはエミリアの姿があった。
「おい、そこにいるじゃねぇか」
「いや、確かに寝息は二つ聞こえているのニャ。猫の方が耳が良いから確実なのニャ」
いつの間にか壁に耳を当てて、向こうの部屋の様子を確認していたパッチワークが言った。
「嘘だろ……」
リットはまた様子を見に行くが、エミリアは引き戸の外側で立ったままだった。
リットは朝まで一睡もせずに引き戸の前を行ったり来たりしていた。それに付き合わされたパッチワークとハスキーは、布団ではなく壁に寄りかかったまま船を漕いでいた。
部屋ではコジュウロウ一人がいびきをかいて寝ている。
リットもうんざりとした様子で布団の上に倒れこんだ。
すると、廊下からエミリアと誰かの話し声が聞こえてきた。
「昨夜は助かった」
「よいよい。昨日は迷惑をかけてしまった。尻尾の一つを一夜貸すだけなど、どう考えても釣りがくるわ」
「それにしても凄いな……。私そっくりだ」
「なに、妖狐の妾にかかれば容易きことよ。その金色の髪を完璧に再現するのは無理じゃったが、行灯の明かりの元ならば充分であろう」
「獣人とは力が強いだけではなく、不思議な技も使えるのだな」
「妾は獣人ではなく妖怪。四尾がその証拠。故に、共に迷惑をかけた二尾の銀狼も、獣人ではなく妖怪族じゃ」
リットはその話声を聞きながら、夜の間に溜まった疲れを吐き出すような深いため息をついた。
「妖狐の特技は何だ」
リットの呟く声に反応したのはパッチワークだ。起きているのかいないのかわからないような声で、ボソッと言った。
「……尻尾を使った分身。そして、変化の術だニャ」




