第九話
海賊船が乱暴に横付けされたせいで、リット達が乗った商船は横波で傾くほど大きく揺れた。
まだ揺れが収まらないうちに、銀色の尾びれと金色の尾びれをした人魚の二人が、せかせかと船と船の間に木板を設置して二つの船を繋げ始めた。
海賊船のメインマストの頂きでは、ドクロのマークに人魚の尾と人間の足がクロスされている不思議なマークの海賊旗が潮風ではためいている。
カボチャのように膨らんだ赤いドレスをはいた海賊が、酒瓶を口に傾けながら木板をキイキイとしならせて堂々と乗り込んできた。
海賊船から放たれる空砲の音を体に浴び、まるで拍手喝采の中を歩いてくる英雄のようだ。
「ご機嫌麗しゅう、皆の諸君! 嵐の終わりの見事な晴天の海原で会えるなんて実に光栄だ!」
下手くそな貴族の振る舞いを混ぜながら声高々に響かせた女は、実に風変わりな出で立ちだった。
海藻のような癖の強いショートカットのボサボサ頭は燃えるような赤色で、褐色にも似た赤い肌。目は鋭く吊り上がり、威圧するような金色をしている。
胸は赤黒い布一枚で抑えられているだけで、肩やヘソなど上半身の大部分は露わになっている。
それなのに下半身だけは赤いドレスという、にわかには理解し難い格好だった。
「さて……船長はどいつだい」
女は酒瓶を持った手で、人差し指を立てて船の男達を端から端まで指し探しながら言うが、伸ばしている腕は妙にきまり悪くフラフラしていた。
理由はすぐにハッキリした。酒で酔っているだけではなく、彼女がしている黒々しい鉄の腕輪が原因だった。腕輪というのも語弊がある。手枷だ。鎖で繋がれた先には、丸い鉄のオモリがぶら下がっている。
船が揺れ、オモリが転がるのに合わせて、女の体もフラフラとよろけていた。
皆が面食らっている中、エミリアの父親がずいっと前に出た。
「私が船長です。用件は? ミス……えっと……」
「おっと……ミスじゃねぇ。――キャプテンだ。キャプテン・ガポルトル!」
海賊の船長と思われる女は誇らしげに名乗り上げた。
「副ですけどね。アリス副船長」
子分の人魚の一人が呆れたように言った。
「アタシをそんな女々しい名前で呼ぶなっていつも言ってるだろ! ガポルトルと呼べ!」
アリスはドレスを翻し、ドレスの裾で子分をビンタしたかに思えた。
子分をビンタし終えたドレスの裾は、なにやらウネウネと動き出している。
ドレスのように膨らんで見えていたのは、タコに似た赤い触手だった。
「すいません! ガポルトル副船長!」
「キャプテンと呼べ!」
アリスは声を張り上げるが、子分はしらけた顔をしている。
「でも、それ言ってるのセイリン船長にバレたら怒られますよ」
「……まぁ、副船長でも可だ」
しぶしぶと言った具合に、アリスはあまり納得のいっていない様子だった。
「ガポルトルキャプテン。積み荷は下にあります」
エミリアの父親は少し大きな声で言った。
「お? 物分りの良い奴は好きだぜ。――さぁ、積み荷を物色させてもらおうか」
アリスは数人の子分達を甲板の見張りにつけると、残りの子分達を連れて船倉に降りていった。
わかりやすく光るものが好きらしく、殆どの海賊達は宝石の入った箱に食い付いている。
別の船から取り引きした物であろう織物や工芸品を船員に押し付けると、石を集めて遊んでいる子供のように宝石を鷲掴みにして、どれがいい、これがいいと仲間同士で見せ合い始めた。
中には服を取られた船員もいて、半裸で戸惑いの表情を浮かべている。奪われた服はその場で切り裂かれ、バンダナにされたり腰布にされたりしていた。
殆どの海賊が宝石に引き寄せられる中、困ったことにアリスは妖精の白ユリのオイルが入った大瓶を抱えて出てきた。
「この珍しい花の香りがするオイルの持ち主は誰だ?」
アリスの言葉に、エミリアがしまったという顔をしてリットに目配せをする。
「オレだ」
リットはエミリアの目配せに答えることなく、名乗り出た。
「嗅いだことのない匂いだ。――気に入った。嵐の前に商船と取り引きした、女物の下着と交換してやろう」
アリスは妖精の白ユリのオイルの香りを飲み込むように存分に嗅いで頬を緩ませると、シルクのパンツが入った小箱を子分に持ってこさせた。
リットは小箱からパンツを一枚取り出すと広げた。上等なシルクで手触りはいいが、面積が小さい。娼婦が身に付けるのか、貴族の娘が身に付けるのかは判断が微妙なところだ。
「いらねぇよ……。オレにはけって言うのか? それとも嗅げとでも言うつもりか? 言っとくけどな、パンツを食って生きていく男なんて片手で数えられる程度しかいねぇぞ」
「バ、バカ! アタシにははけないからいらないだけだ! 女にやるとか、他に使い道があるだろうが! 変なこと言うんじゃねぇ! バカ!」
アリスは茹でたタコのように真っ赤に頬を染めた。
「んな格好して、純情ってどんな冗談だよ……」
「うるさい! だいたいそっちに拒否権はないんだ! 代わりにオイルを貰っていく」
「まぁ、いいけどな。良かった。てっきりこれを狙われると思ってた」
リットはポケットから指輪を取り出し投げると、アリスは触手の先で器用に掴んで目元まで持っていき指輪を眺めた。
「薄汚ない指輪だな」
アリスは興味ない顔を浮かべたが、次のリットの一言でそれは豹変する。
「知らないのか? 呪いの城ヨルムウトルの宝だ。命を存分に吸った指輪は幸福を運ぶ。海にいちゃ一生拝めない代物だぞ」
リットは芝居がかった口調で言うと、口元を歪めて笑った。
「呪い……。お宝……」
指輪を見るアリスの目の色は、わかりやすいほど興味の色に変わった。
「アリス副船長、私聞いたことがあります。悪名高き魔女ディアドレが悪政の限りを尽くして滅ぼした国。その名前が確かヨルムウトルです」
子分の一人が恐ろしい昔話を聞かせるように重々しい口調で言った。
「それは本当か?」
アリスはツバが飛びそうな位置までリットに詰め寄った。
「まぁ、微妙に違うけど……。そっちの方が食い付きがいいならそっちで」
「そうか……呪われし宝か……」
呪いという言葉が、海賊のアリスには気に入ったのだろう。目を輝かせたまま、指輪に瞳を囚われていた。まるで、本当に人を惹き寄せる力がある呪いの指輪のようだ。
「まぁ、今はこんな指輪より、そのオイルと取り引きだったよな」
リットはアリスから指輪を奪い取ると背中を向けた。
その背中をアリスの触手が捕らえると、抱きかかえるようにリットを引き寄せた。
「取り引きの内容はアタシが決める。当然アンタに拒否権なんてものは存在しない」
アリスはリットの顎をなぞるように触手の吸盤を這わせると、別の触手を使い指輪を奪い返した。
「――悪名。――呪い。それは海賊のアタシにこそふさわしい物だ」
「ついでに、タコらしくおちょぼ口の二つ名もやるよ。……んなことより、早く離してくれねぇか? ――オレが欲しいなら別だが」
「バ、バカ! 変なことは言うなって言っただろ!」
アリスはリットに巻きつけていた触手を慌てて離すと突き放した。
甲板に叩きつけられるようにぶつかったリットは、腕をさすりながら立ち上がった。
「痛えな……。なんかヌルヌルするし、蹂躙された気になるじゃねぇか」
リットの腕にはキスマークのような吸盤の跡がいくつもついている。
「次変なことを言ったらちょん切ってやるからな!」
「どこをだ?」
リットは意地悪く笑みを浮かべる。
「それはっ――」
アリスは再び顔を真っ赤に染めて俯いた。言おうと口をパクパクさせているが、言葉が出ることはない。
アリスが焦点の定まらない瞳のまま羞恥の汗で顔を濡らしていると、子分が悲鳴を混じらせながら叫んだ。
「ガポルトル副船長! 猫です! 猫がいます! この船には猫の獣人が乗ってます!」
「なに!?」
アリスの目がパッチワークを捉えた。つい先程まで羞恥で赤く染まっていた顔は、見る見るうちに青ざめていった。
「取舵いっぱーーい!」
アリスは首から下げた眼帯の裏に指輪をしまいこむと、舵をきって離れていく海賊船に慌てて乗り込んだ。
子分の人魚達も、蜘蛛の子が散るようにその場から逃げだした。急いで離れていく船に乗り遅れたものは海に飛び込み、船を追い越す勢いで泳いでいく。
「ニャーの手柄かニャ?」
パッチワークが、アリスが逃げていった跡を見ながら言う。鉄球を引きずった跡は、船端まで続き、船べりを破壊していた。
「パッチワークから逃げたのか、リットのセクハラに耐え切れず逃げたのかは微妙なところだがな」
他の船員同様呆気にとられていたエミリアだが、パッチワークの言葉を聞くと、リットをジロリと睨んだ。
「ほんの酒場ジョークだろ。おかげで妖精の白ユリのオイルは無事だったんだからいいじゃねぇか」
リットはアリスが忘れていったオイルの入った大瓶を拾うとエミリアに渡した。
「旦那ァ、本当に良かったんですか? 指輪は持って行かれちゃいましたよ」
ノーラがつんのめりながらリットに近寄ってきた。靴紐が奪われており、代わりに何を象ったのかわからない木彫りの民芸品を持っている。
「どうせ台座を変えたり、宝石を綺麗にしないと売れねぇからな。手間暇の分、こっちの方が高く売れるだろ」
リットは下着の入った小箱を引き寄せながら言った。
「来世じゃ立派な悪党になれるな」
エミリアは心底呆れたように溜息をつく。
「エミリアも来世じゃ立派な城の兵士になれるぞ」
「今だ! ――今、立派に兵士をしている!」
エミリアの大きな声より更に大きい声で、エミリアの父親が船乗り達に指示を出した。
「さぁ、脅威は去った。南東微東に舵をとれ! 方角がずれてるぞ!」
船長のエミリアの父の声に、船乗り達は急いで帆を動かして船の向きを変えた。
その日の深夜。昼間の海賊騒ぎの興奮が収まらないのか、いつもより騒ぎ立てる船乗りが多かった。
賭場として利用している貨物室の隅では、男達の声が響き渡っていた。
「服を奪われたせいで寒いったらありゃしねぇ。五にラム酒を二」
「着替えを持ってこない方がわるいだろう。オレは十五に一だ」
集まった男達は皆口々に昼間の話題と一緒に、コップに入った三つのサイコロの目の合計数と、賭けるラム酒の本数を言う。
「十二に、パンツ四枚」
リットはテーブル代わりの樽の上に、小箱から取り出したシルクのパンツを四枚落とした。
「おいおい、賭けるのは酒だぜ」
「いらねぇなら、黙って降りろよ」
「ちっ、足下見やがって……。欲しいに決まってるだろ。九にラム酒二本だ」
船乗りが叩きつけるようにラム酒の瓶を樽の上に置く。
「他は? 賭ける奴はいねぇか? ――よし、開くぞ」
コップが倒れないように押さえていた男が、勢い良くコップを取る。
サイコロの目は『二』と『四』と『六』。
「――十二だ! ピタリ賞ってことは総取りだな」
「ツキってのは回ってくるもんだ。売るあてのない指輪がパンツに、パンツが酒に。問題は、その酒が何本になるかだな」
リットは計五本のラム酒の瓶を受け取ると、その中から一本を持って掲げた。そして、早速一本コルク栓を開けると、周りに見せつけるようにわざと口端からこぼしながら勝利の美酒に酔いしれた。
「ちくしょう……。勝利の女神も、女神のはいてるパンツも独り占めかよ」
船乗りの一人が歯を食いしばって悔しそうに吐き捨てた。
「裸の女神がいるのに、パンツにうつつを抜かしてるから見捨てられんだよ」
「……勝利の女神が裸なんて初めて聞いたぜ」
「パンツはここにあるからな。そりゃ、裸だろう。なんだったらバンダナ代わりに一枚やるぞ」
カラカラと笑うリットに、男は再び悔しそうに顔を歪めた。
「ったく……。せっかくのお宝なのに、酒と替えていいのか?」
「中身が付いてりゃ別だけど、皮だけならいらねぇな」
「一緒にいる嬢ちゃんにはかせればいいじゃねぇか」
男は下卑た笑いを浮かべて、勘ぐるようにリットの顔を覗き込んだ。
「エミリアにか? あの小尻には似合わねぇよ。もっと腰辺りが丸く張ったいい女じゃねぇと」
リットも下卑た笑いで返したが、男の顔にはもう笑みは浮かんでいなかった。
「……私がいないと思って随分言ってくれるじゃないか」
リットの目の前にある樽にエミリアの影が映る。船の振動に合わせて場所を変えるランプの明かりで、不気味に揺れていた。
「……ここは高級料理屋じゃねぇぞ。迷ったのか?」
「うるさい笑い声を響かせ、安眠の妨害をする場所を探しに来たのだ。間違いではなかったようだな」
エミリアが一瞥すると、船乗り達は笑みを引きつらせて立ち上がった。「面舵いっぱい!」「嵐がくるぞー!」と口々にして、貨物室から逃げ去っていった。
「あっ、こら! オレを置いていくな!」
リットも逃げ出そうと思ったが、真後ろにエミリアが立っている為そうはいかない。今まさにエミリアの手が自分の肩に伸びてくるのを見ていた。
「今まではストレス発散の場も大事と思って見逃していたが、今度はそうはいかない。風紀を乱すにも限度がある」
「気付いていたのか……」
「私を見くびるな。ちょうどいい。リットには前々から言っておきたいことがあったんだ」
エミリアはリットの肩を掴むと、引きずるようにして貨物室から連れ出した。
「――昼間もそうだ。あの挑発とも思われかねない行為は、皆を危険にさらしてもおかしくなかったのだぞ」
「……エミリア。……もう朝日が出てるぞ」
「そうだな。実に綺麗だ」エミリアは船長室の窓から外を一瞥したが、すぐにリットに視線を戻した。「小娘に小言を言われるのも散々だと思うが、言われるだけのことをやっているだろう」
「……それも聞いてたのか」
「アレだけ大きい声で話していて、聞こえていないと思っていたのか? そういうところもダメだと言っているのだ。陰口を叩くのならば本人がいないか十分に気を付けるべきだろう。他にも……――」
リットが船長室から出た頃は、すでに朝と呼べる時間になっていた。
ドアを開けたところで、夜の見張りにくっついていたノーラと出くわした。
「いいかノーラ。ツキが回るってことは、来るだけじゃない。逃げても行くってことだ」
「旦那ァ、朝っぱらからなに言ってんスか? 私はこれから寝るんだから変なこと言わないでくださいな」
ノーラはあくびをすると、リットの脇を抜けて船長室に入っていった。




