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ランプ売りの青年  作者: ふん
東の国の灯台編(上)

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第八話

 ドゥゴングの港は酷い有様だった。

 黒い海から白い荒波が口を開けるように押し寄せ、港外れの砂浜の土を飲み込んでいく。

 すさまじい音を立てる波が桟橋にぶつかり飛沫をあげ、強風に混ざって鋭く重い雨を降らせる。

 朝はまだ青空が見えていたが、今では港全体が燃やされたような黒煙にも似た真っ黒な雲が空を埋め尽くしていた。

 港はいつも以上に賑わっている。怒鳴り散らす指示に怒鳴り声で返す。強風で海底を滑り出す船を、必死にロープを引っ張り動かしていた。

 どの船も港から離れないように手を施しているが、一つの船だけは急ピッチで出航の用意が初められていた。

 腐りやすい水の代わりに、ビール樽やラム酒がいくつも積みこむのを見てリットは喉を鳴らした。

「文字通り暗雲が立ち込めるスタートだが、餌が目の前にぶら下がってると気持ちが違うな」

「……良かったな。――それより、しっかり持て! 船に乗る者は仕事がいっぱいあるぞ」

 エミリアは木箱の反対側を持つリットに早く歩くように急かした。

「なんだって、もっと早く用意しておかなかったんだ!」

 耳をちぎるような強い海風に負けじと、リットが大声で聞いた。

「――予定より早く嵐が来たんだ!」

「――なんだって!」

「――予定より――早々に――海が――荒れたんだ!」

 エミリアも負けじと声を張り上げる。

 当初の出航予定は一週間後だった。それが三日も早く嵐がきてしまったので、予定が大幅に早まってしまった。

 一週間後の出航でさえギリギリの予定で組んでいたので、船乗り達は皆きりきり舞いだった。

 悪天候に、不測の事態。最悪なことが続く中で唯一幸いなことは、積み荷だけはしっかり予定通りに届いたことだ。

 エミリアの父親は暴風吹き荒れる甲板に仁王立ちし、割れ物はあっち、食料品はこっちと積み荷を運ぶ船乗り達に指示を送っている。

 リットはすっと顔を伏せると、少し早歩きになりエミリアの父親を横切り、階段を降りて船倉に向かった。

「父上が苦手か?」

 エミリアの言うとおり、リットはエミリアの父親が苦手だった。

 会話という会話を交わしたわけではないが、エミリアに輪をかけたような生真面目な性格をしているため、無作法者のリットは合わなかった。

 少なくともリットはそう思っている。

 こういう父親だからこそ、エミリアもこういう風に育ったのだろうとリットは感じていた。

 エミリアは父親から、ライラは母親から、姉妹で仲良く両親の血を分けた感じだ。

「まぁな……。厳格な父親って感じだな。小娘の小言なら聞き流せるが、あーいう親父に小言を言われると、背中に棒を入れられた気分になる」

「父親とはそういうものだろう? リットのところはそうではなかったのか?」

「さぁな、家にはいなかったからな。父親代わりに酒場に来ていた男達は、みんな陽気な酔っぱらいばかりだ」

「そうか……。悪いことを聞いたな」

 エミリアが言い難いことを聞いたと、すまなそうな顔になる。

「別に死んじゃいねぇよ。――今のところはな。それに、死んだら嫌でもわかる」

 リットとエミリアは同時に木箱を床に置いて隅に寄せた。

 次の荷物を運ぶため甲板に上がると思っていたが、エミリアは何か考えた表情を浮かべたまま動かない。

「おい、急ぐんだろ」

 というリットの言葉を聞いて、エミリアは歩き出した。

「ふむ……、航海の間だけでも、父上を父親だと思ってくれていいぞ」

「あのなぁ……。気の抜けるようなマヌケなこと言うなよ。隔世遺伝したって、あの親父からオレみたいのは生まれねぇよ」

「そういう意味ではなくてだな。たまには人に甘えてみてもいいのではないかと言っているのだ」

「是非甘えさせてもらいたいもんだ。例えば荷物を運ばなくて済むとかな。――おい! オレが働いてるんだから、オマエはもっと働け!」

 リットは物陰に隠れるパッチワークの首根っこを掴んで引きずり出した。

「この嵐の中、ニャーが外に出たら吹き飛ばされるんだニャ」

「猫の手も借りたい状況なんだよ。……腕だけ持っていかれるか、体ごと持っていかれるか、どっちか好きな方を選ばせてやるよ」

「働いた後のおまんまは美味いのニャ」

 パッチワークはその場で身軽さをアピールするように無駄に一回転すると、四つ足で素早く階段を上がり、メインマストのてっぺんまで一気に駆け上がった。

「私達も残りの積み荷を運ぶぞ」

 エミリアもパッチワークの後を続いた。

「船乗りの真似事をするなんて、一言も聞いてなかったんだがな……」

 エミリアの背中に掛けたリットの声は、船倉の壁に吸い込まれるように消えていった。

 


「錨を上げろ!」

 船長が大声を張り上げて命じると、副船長が船鐘を叩いた。

 大きく激しく打ち鳴らされた鐘の音は、船にいる全員の耳にけたたましく響く。

 筋肉でシャツを膨らませた船員達が、船首甲板上にある揚錨機を慣れた風に回すと、続いて甲板に並んだ船員達がロープを引いて帆を張る。

 横風を受けた帆は大きく膨らみ、船は暴れ馬に乗っているように揺れた。

 大波や飛沫が甲板を濡らしていく。水の入ったバケツをいくつもぶちまけたようだ。

 海原へ進みながら、船首を嵐へと向ける。風に向かうと、横風による揺れが少しはマシになった。

「中に入れ」

 海に投げ飛ばされないよう、抱きつくように船縁を掴んでいるリットに、エミリアは声を掛けた。

「やっと仕事が終わったか……」

 リットは談話室に入ると、雨に濡れた髪を絞るようにかきあげながら椅子に腰を下ろした。

「今はな。やることがないのに甲板に立っていても邪魔になるだけだ。落ち着くまで休んでいろ」

「今はって……。海に出てもやることがあるのか? オレは素人だぞ」

「錆打ち、掃除、素人でも出来ることは山ほどあるぞ。無論私もやる」

「いいねぇ、働くのが好きな奴は。人生が楽しそうだ」

 リットとエミリアが少し話していると、頭を振って濡れた髪の水切りをしながらノーラが降りてきた。

「いやー、船ってのは揺れるんですねェ」

「まぁ、嵐だから特別揺れるだろうな。それより見かけなかったけど、サボってやがったな」

「サボってませんよ。ちゃぁんと働いてました。あの長い棒の上に行って布を下ろしてたんですよ、パッチワークと一緒に」

 ノーラは自慢気に答える。

 ノーラにとって船は見たことも乗ったこともなかったので、活気あふれる船員や陸とは違う船の上の空気を肌に感じてどこ楽しそうだった。

「ちょうどいい。二人揃ったことだし、これからのことを話しておく」

 エミリアは四角い大テーブルの上で丸めた地図を広げた。

 こするようにして何度も地図の端を伸ばしているのを見かねて、リットは地図の端を手で押さえた。

「すまない。私達が乗っている船が出航したドゥゴングはここだ。ここから東に進んでいくと東の国がある。私達が向かっているのは、東の国でも西の灯台があるカラクサ村だ」

 エミリアはドゥゴングから東の国までを真っ直ぐ指でなぞった。次にそこから北の大陸ペングイン大陸までなぞり、またドゥゴングまで指でなぞった。

「『ドゥゴング』、『カラクサ村』。そして、ペングイン大陸にある『オドベヌス』。この三つを繋ぐ航路を『三角航路』と呼ぶ。もっとも今はオドベヌスは闇に呑まれているせいで航路としては機能していないがな」

「なんで真っ直ぐ『北の大灯台』に向かわねぇんだ? 用があるのは北の大灯台だろ」

「安全の為だ。船が風に煽られてペングイン大陸に流されたら、戻って来られないからな」

 エミリアは言いながら、天井から吊るされたランプをテーブルの上に下ろした。

「嵐はいつ頃終わるんだ?」

「航海士の話だと、二日で嵐を抜けるということだ」

「思ったより早えな」

「嵐に向かって進んでいるわけだから、それだけ早く嵐を抜ける。理想としてはドゥゴング近くで晴れてくれればいいのだが……。無理だろうな」

「海賊はどうなるんだ?」

 嵐が終われば、イサリビィ海賊団も船を出すという話だ。嵐が短ければ短いほど、出くわす可能性が高くなる。

「ドゥゴングに近いほど、イサリビィ海賊団との遭遇確率が高い。この嵐の間にどれだけ進めるかが肝だな」

 真剣な顔で地図を眺めるエミリアの耳に、コルクが抜けるポンッという軽やかな音が聞こえた。

「出航前は不安もあったが、実際出航しちまえばどうでもよくなるもんだ。なるようになるってな」

 リットは背もたれに寄りかかり、テーブルの上に足を載せた。そして、くすねたラム酒の瓶を傾けて喉を鳴らす。

「その思い切りの良い考えは好きだが、この揺れの中で酒を飲んだら吐くぞ」

 そうエミリアが言った瞬間、船が大きく揺れた。

 エミリアは倒れたランプを慌てて手で押さえると、天井に吊り下げ直した。

「この揺れなら飲まなくても吐くな」

 リットは口からこぼれたラム酒を手で拭う。

「……あまり飲み過ぎるな。一度吐くと船旅は辛いぞ。それと、私は船長室にいる。用があるのなら遠慮無く来てくれて構わない」

「そりゃいい。男臭い部屋で寝てたら、いくら剣の腕があっても危険だからな」

「私は他の船員と同じ部屋で良いと言ったんだが、それを聞いた父上に血相を変えて怒られてしまってな」

「……良い父親でよかったな」



 それから三日後。ありがたいことに航海士の予想とは一日遅れで青空が現れた。それから更に三日が経ったが、今のところは海賊に出合うことなく順調に航海をしていた。

 風を味方につけた船は静かに揺れるだけで、滑らかに進んでいる。

 リットはパッチワークと一緒に、青空と同じ色をした海原に釣り糸を垂らしていた。

「釣れるかね?」

 エミリアの父親の部下である商人の男がリットに話しかけるが、転がっている空の酒瓶とデッキブラシを見ると露骨に顔をしかめた。

「どうだろうな。まぁ、この船で女引っ掛けるよりは確率ありそうだ。一人しかいねぇ上に生真面目だからな」

「……ちゃんと甲板掃除もしたまえよ」

 部下の男は、それ以上何を言うこともなく立ち去っていった。

「お兄さんも随分嫌われてますニャ」

「好かれるようなことはしてねぇからな」

「ニャーも似たようなもんだニャ。ここの商人に媚を売っても、エミリアさまに副業がバレるから意味ないのニャ」

 リットは真面目な商人達の間ではあまり印象が良くなかった。これが朗らかな町商人ともなればまた別なのだが、エミリアの父親の部下は堅物とも言える人間が多かった。

 上司の娘の客人ということもあり、気も使わなければいけないので扱いに困るし、いちいち皮肉や軽口を口にするリットを煙たがっている。

 リットも商人達の融通の聞かない真面目さや、中途半端な気の使われ方にうんざりしていた。

 一方で陽気な船乗り達とは気が合った。

「よう、兄ちゃん。釣れるか?」

 シャツの袖を肩まで捲り、暑苦しそうに胸の筋肉を張らせながら一人の船乗りが歩いてきた。

 一仕事を終えた後なのだろう。髪が濡れる程汗を掻いている。

「釣れたよ。酒に惹かれた大物が。煮ても焼いても食えなさそうだけどな」

 リットはラム酒の瓶を、男に向かって投げた。

 男はそれを受け取ると、水を飲むように喉を鳴らした。

「いい男を釣るには、ちーっと安酒だな」

「食い付いて離さねぇ癖によく言うよ」

「潮風を肴にラム酒ってのが海の男だからな。――今夜だ。来るんだろ?」

「当然。今あんたにやったラム酒で最後だからな」

 ノーラは飽きもせずに海を見ていたり、船員の仕事をついて回って楽しんでいたが、リットの船旅での楽しみは一つだった。

 ラム酒の割り当てをめぐっての賭けだ。

 コップの中でサイコロを三つ振り、出た目の合計数を当てるという単純なゲームだが、毎夜のように熱中していた。

 しかし、エミリアや頭の固い商人達に見つかると厄介なので、貨物室の隅で隠れるように行われている。

「今日はすげぇぞ。コックも参加するからな。なんと塩漬け肉のツマミ付きだ」

「そりゃ、なんとしても勝たねぇとな。いいかげんツマミがねぇと、酒だけだとあっという間になくなるからな。――パッチ、オマエはどうだ? 参加するか?」

「ニャーは賭けるならお金の方がいいのニャ」

 パッチワークは興味なさそうにあくびをする。

「海の上で金なんて賭けても使い道がねぇだろ」

「まぁまぁ、無理に誘うこともねぇ。一人でも少ない方が取り分が増えるからな」

「もう二、三人脱落者が欲しいとこだな」

「安心しろ。キールとステムが船酔いでダウン中だ」

 男がフラフラと酔っぱらいの真似をしながらからかうように言った。

「船旅で酒が飲めねぇなんて死んだも同然だな。――それより、なんか騒がしいな」

 先程までなかった、ザワザワとした喧騒が聞こえてきている。

「……そうだな。よし、行ってみるか」

 リット達は甲板の人だかりに向かった。

 人だかりの中心はハスキーだった。

 リットは人混みに割って入り近付いていくと、ハスキーが手紙を持っているのが見えた。

「おっと、悪りぃ」

 手紙を覗き込む時にハスキーと肩がぶつかったのでリットは謝った。

「海の底に沈めるぞ」

 ハスキーが淡々とした声で言った。

「……謝っただろ」

「違います。手紙に書いてあるんです」

 ハスキーは手紙を広げてリットに見せた。


  この手紙を見つけた運が良い諸君。心の準備をする時間を与えよう。

  砲撃が合図だ。逃げるようならば、海の底に沈めるぞ。


 最後にもう一文書いてあったが、滲んでいて読めなかった。

「自分が瓶に入って波に流されてるの見つけました。なんだと思います?」

 ハスキーは手紙の入っていた瓶と手紙をリットに渡した。

 つい今しがた飲み終えたばかりのように、瓶の中は濡れている。

「なにって、普通に考えたら海賊の脅しだな」

「……そうですよね」

 リットとハスキーが顔を見合わせると、海原に何かが爆発するようなこもった音が響いた。それが砲撃の音だと気が付くのに、時間は必要なかった。

 低く響くドーンドーンという音が何発も続く中に、船の警鐘音が紛れた。

「海賊だー! イサリビィ海賊団だ!」

 メインマスト上の見張り台にいた船乗りが叫んだ。






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