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ランプ売りの青年  作者: ふん
東の国の灯台編(上)

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第六話

 軽やかにはためく洗濯物が潮風の吹く方角を教える。

 蹴飛ばしてドアを開けたような盛大な音が聞こえたと思えば、家から子供が出てきた。

 一人が家前の橋を飛び越えるように駆け出して通りに出ると、別の家からもう一人、また一人と次々に家から出てくる。

 通りに集まった五人の子ども達は、顔を見合わせると声を上げて風に逆らうように走っていった。

 リットはそれを眺めながら、ドゥゴングの生活感のある通りを歩いていた。

 とても酒場がある通りとは思えない。聞こえてくるのは酔っぱらいの鼻歌でも怒鳴り声でもなく、元気な子供の声と母親の井戸端会議ばかりだった。

 男に話を聞いた場所は『アバラ通り二本目』。ならば酒場がある『アバラ通り三本目』は、その隣の通りだと思い歩いてきたのだが、酒場を見かけることなく石壁で出来た行き止まりまで来てしまった。

 潮風で風化しないよう石灰を塗られた白い壁は、太陽の光を反射して一層通りを明るく見せている。

 リットは石壁の前に並べられた樽の上に座ると、目を凝らしてもう一度通りを見直した。

 通りの両端には住宅が並び、まばらに人が出入りしている。本通りがある奥では混雑した人の固まりが小さく見えていた。

 何度見ても酒場の看板はない。

 リットの胸の奥にムカムカとした苛立ちがこみ上げ始めた時、大きな影が水路の中を通っているのが見えた。

「ねぇ、邪魔なんだけど」

 その声は水音とともに聞こえてきた。

 顔を出した人魚は、リットが腰掛けている樽を指差している。

「悪いな」

 リットが樽から飛び降りると、人魚はすぐさま樽を倒して水路に転がした。

 リットは、水に浮かぶ樽に掴まり泳いでいこうとする人魚を呼び止めた。

「なぁ、酒場の場所を知ってたら教えてもらえるか」

「アバラ通り三本目よ」

「ここはアバラ通り三本目じゃないのか?」

「ここは四本目。迷ったのならクジラ通りに戻った方がいいわ」

「クジラ通り?」

 また新たな単語が出てきたので、リットは聞き返した。

「本通りのことよ。クジラの肋骨があるところ」

 人魚は泳ぎながら答えると、クジラ通りと言っていた本通りへと向かい、そのまま姿を消した。

 リットが重い足取りでクジラ通りへと戻り、膝に手を付いて一息付いていると、誰かが服の裾を引っ張った。

「どうやら迷った様子だニャ」

 顔を見なくても語尾だけでわかる。パッチワークだ。

 リットは振り返ることなく、パッチワークの頭を掴んだ。

「言え。アバラ通り三本目ってのはどこだ」

「八つ当たりはよして欲しいニャ……。だから、ニャーが案内するって言ったんだニャ」

「クジラ通りとかアバラ通りとか、こっちはうんざりしてんだよ」

「アバラ通りの数え方は左から右に数えて、また左に戻るニャ。だから、今お兄さんが出てきたのはアバラ通り四本目になるんだニャ。簡単に言えば肋骨の左は奇数通りで、右が偶数通りになるんだニャ」

 パッチワークは左、右と指を差しながら通りを数える。

「……おい、また通りの名前が増えたぞ」

「面倒くさいようで結構単純なんだニャ。とにかくニャーの後をついてくれば大丈夫だニャ」

「酒場に着くならなんでもいい。――って、いきなり関係ないところで止まるなよ」

 パッチワークはアバラ通り三本目に入ってすぐに道を曲がり、裏路地へと向かった。そして、ある店で立ち止まる。

 店からはかなり独特なニオイが漂ってきていて、リットは思わず鼻をつまんだ。

「ちょっと待ってて欲しいニャ。ここにはニャーの好物が売ってるんだニャ」

 パッチワークは、サバのような色にトラ模様をした猫の獣人の店主がいる店で買物を始めた。

 ただ買うだけならすぐに済むだろうと思いリットは黙って待っていたが、パッチワークはソロバンをパチパチ弾きながら店主と値切りの交渉を始めた。

 潮風を煮詰めたようなニオイに顔を背けながら、リットは手持ち無沙汰に地面を靴底で叩いて音を立てる。

 何度も鳴らし、適当なリズムが規則正しいリズムに変わり始めた頃、ようやくパッチワークが店主から食べ物の入った容器を受け取った。

「これはニャーの奢りニャ」

 パッチワークがリットに渡した食べ物からは発酵臭が放たれていた。

「なんだこりゃ……。猫が好きなゴミ漁りの晩餐会に招待する気か?」

 リットが受け取った容器の中には、小魚らしきものが三匹入っている。溶けたようにデロデロになっていて、持ち上げただけで無残に形が崩れ、煮崩れした身から更に強烈な発酵臭が漂い始めた。

「騙されたと思って食べてみるんだニャ。食べた後に「美味い!」と言う自信があるんだニャ」

「そりゃ、自信じゃなくて過信じゃねぇのか……。救いようのないバカを騙す時だって、もう少し工夫するだろ……」

「疑い深いんだニャ……」

 パッチワークは小魚を一匹つまみ上げると、そのまま自分の口の中に放り込んだ。

 この上なく幸せそうに目を細めて咀嚼したパッチワークは、大丈夫だからどうぞと言わんばかりにリットを見つめる。

「見た目が食い物なら気にしないが、どう見ても食った後にまた口から出したようにしか見えねぇからな……」

 リットは恐る恐る口に運ぶが、ニオイで鼻が麻痺してるのか味がわからない。

 しばらく咀嚼していると、舌に刺すような塩辛さがくるが、さっぱりとしたタレと絡んでいるせいか、ネギの爽やかな口触りのせいか、調和されて不思議な美味さが広がった。

「思ったよりもイケるな……。ちゃんと食い物の味がする」

「食べ物だから当然なんだニャ」

「これは酒で誤魔化しながら食うもんだろ。パッチの食ってるもんはオレとは違うな」

 パッチワークが持っている食べ物は同じ発酵させたものだと思われるが、形を見ても全く何かわからなかった。

 小麦粉を練って丸めたようにも見えるし、しなびた木の実のようにも見える。色はソースのせいなのか赤黒く、それが大量に入っている容器はニオイ以上に酷く思えた。

 その何かわからないものを、パッチワークはたまらないと言った具合に次々口に入れていく。

「発酵させた魚の内臓の塊だニャ。一口食べるかニャ?」

 パッチワークは妙な光沢がある内臓の塩漬けをつまんでリットに見せつけた。

「絶対いらねぇ」

「もったいないニャ。これを食べないなんて人生損してるニャ」

「このまま大損した人生を過ごしたいもんだ。んなことより、早く酒場に案内しろよ」

「わかったニャ」

 パッチワークは内臓の塩漬けをかっこむと、少しだけ残して容器を地面に置いた。

 すると、野良猫が集まってきて、我先にとそれにかぶりついた。

 リットは餌にありつけるのがわかっていたかのように集まってきた野良猫を見ていたが、パッチワークの「安くて美味い酒場に案内するニャ」との声を聞き、アバラ通り三本目へと戻っていった。



 アバラ通り三本目は良い具合に見た目が悪かった。意味を成さないペンキが取れかかった酒場の看板がぶら下がり、空樽や空箱が店の外に積まれ、野良猫の隠れ床を作っている。

荷物で幅の狭くなった道は、いかにも酒場通りだと感じる。

 酒場通りの店の半分は閉まっているが、残り半分は青空の下で既に開いていた。

 陽気な歌が流れ聞こえる店を二つ程通り越すと、船の先端を切り取ってそのまま店にしたような、風変わりな見た目をしている酒場があった。

 尖った船首が通りに突き出し、向かいの店に当たりそうになっている。

 野良猫がそれを伝い、屋根から屋根へと移動しているのが見えた。

「この店だニャ。ボッタクリの心配の必要なし、旅行者でも安心ニコニコ出来る酒場だニャ。ドゥゴングに来たらこの店しかないニャ」

 パッチワークはドアを開けると、慣れた風にカウンターの席に腰掛けた。

 酒場の中は、酒と食べ物の匂いが充満していた。既に何人も出入りをしているのを感じる。

「いらっしゃい何にする? 船に揺られて熟成された美味しいビールがおすすめだよ。今日入ってきたばっかりだ」

 もみあげとの境界線がわからない立派な頬ヒゲを生やした店主が、しきりにビールを勧める。

「ウイスキー」

「ニャーはミルク」

「はいよ。ビールね」

「……あと、ツマミにそこのチーズと適当な野菜。それに吊るされてるソーセージも頼む」

 カウンターの上にはナイフが刺さったままのチーズがあり、店主はそれを適当に切り分けると皿の上に乗せる。

 そして、カウンター横に吊るされたソーセージを毟るように取ると、奥のフライパンで焼き始めた。

 リットはソーセージの焼けていく香ばしい匂いを嗅ぎながら店内の様子を見回した。カウンターの至る所に、わざと見えるように食材が吊るされたり置いてある。

 麻紐でエラの辺りから吊るされた海魚。床に置かれた箱の中にはカボチャやピーマンなど色が良い野菜。カウンターの端には真っ赤な唐辛子や果物が皿に乗せられ置かれている。

 なにより目を引くのは丸焼きの子豚だ。カウンター奥の大かまどでじっくり焼かれている。

 リットが多めにツマミを頼んでしまったのも、店主の思惑に乗せられたせいだった。これ見よがしに美味しそうな食材が置かれているので、ついついといった具合に客は頼んでしまう。

 酒場は二階建てになっていて、一階は一人飲み用の席が多く静かに飲んでいる者が多いが、二階では仕事を早めに切り上げた港で働く男達が騒ぎながら酒を浴びるように飲んでいた。

 リットは酒はまだかと再びカウンターに目を向けた。

 カウンターの上にある梁には、ひん曲がった釘が出っ張るように打たれていて、そこに取っ手が引っ掛けられいくつもコップがぶら下がっている。

 店主はリットの視線に気付くと、コップを取り樽の栓を抜いてコップにビールを注いで置いた。

 カウンターにビールの泡がこぼれ、木目に染みを作る。

 リットがそれを指で拭っていると、店主が焼き上がったばかりのソーセージを乗せた皿を目の前に置いた。

「はいよ。おまたせ」

 油でテカっているソーセージは一本線の焼き目が色濃く付いていて、白い湯気を出していた。添えられたチーズが、ソーセージの熱に当てられ溶け出している。

 リットはフォークでソーセージを刺して持ち上げると、糸を引いたチーズが一緒に付いて来た。

 薄い腸皮を歯で食い破ると、動物臭い脂がはじけ飛んだ。塩辛くなった口の中を、ビールで一気に飲み流す。

 リットは空のコップの底でカウンターを叩いて店主を呼ぶと、一言「ウイスキー」と言った。 

「はいよ」と店主も一言で返すと、今度はちゃんとビールではなくウイスキーをコップに注いだ。

 ウイスキーを一口飲むと、リットはフォークの先を使ってソーセージを皿の上で転がした。

「ドゥゴング……。どこかで聞いたはずなんだが、どこだったか」

 独り言のようにこぼすリットの隣では、パッチワークがコップに入ったミルクを舌先でチロチロ舐めるように飲んでいる。

「ドゥゴングの名物といえば、港とクジラの骨に魚の内臓の塩漬け。あと人魚くらいだニャ。――人魚といえばだニャ。ステージ上で人魚が下着姿で踊るのを見ながらの酒場もあるけど行くかニャ?」

「人魚の下着姿って、見て嬉しいか? ブラ一枚で歩いてる人魚なんて、その辺にいるじゃねぇか」

「ニャーには良さがわからないけど、繁盛はしてるんだニャ。――それじゃ、あとはごゆっくりニャ」

 ミルクを飲み終えたパッチワークは立ち上がり、店主に帰ると声を掛けた。

 そして、店主にお金を払うのではなく、店主からお金を受け取って出て行った。

「なるほど。わざわざ奥にある店に案内されたのはこういう理由か」

「リングベルがドゥゴングに来る時は、迷った旅人をいつも連れてくるよ。なんて言ったって、そこら中にいる野良猫が情報網だ。迷い人を見つけるのは訳無い。この店とは持ちつ持たれつってやつさ」

 店主はニヤリと笑ってみせた。

「リングベルね……。リゼーネだけじゃなく、ここらも縄張りってわけか」

「なんか言ったかい?」

「いや。小魚を発酵させたやつはあるか?」

「あるよ」

「あと……。――内臓を発酵させたやつも頼む」



 既に陽は沈み、街中の街灯は火をつけていた。

 すっかり酔いが回り、上げる時は軽く下ろす時は重い足取りでリットは屋敷に戻っていた。

 屋敷の中ではエミリアが仁王立ちでリットの帰りを待っていた。

「せめて、夕食の有無は伝えるべきだと思うが?」

「あぁ、晩飯は酒場で食ってきたからいらねぇよ」

「それは事後報告だ。用意した料理が無駄になってしまったじゃないか。親しき仲にも礼儀ありというだろう。しっかりと報告した後に酒を嗜むのならば、私も文句は言わない。――なんだ?」

 無言で顔を見てくるリットに、エミリアが睨むような目付きを向ける。

「……夜になっても元気そうだと思ってな。一安心だ」

「おかげさまでな。しかし、今はそんなことは関係ない」

「いいじゃないの、リリシア」

 エミリアと同じ金色の髪をした女性が窘めるように言った。

「――しかし、母上」

「お酒を飲むということは、仕事が出来る証拠でもあるのよ。ねぇ?」

 エミリアの母はリットの顔を覗き込み、ショートカットの前髪を揺らすと、もみあげを耳に掛けた。

 仕草の一つ一つに妙な色気がある。

「母上。邪魔をしないでいただきたい」

「いい? リリシア。取引先と飲むのも立派な仕事よ。お酒を呑むっていうのは、それだけで人との付き合いが広がるの」

「ここで大義名分を与えては、酒浸りの生活に足を踏み入れる可能性が……」

「港で働く男達は海の上でも飲みっぱなしよ。それに、殿方との上手な付き合い方は、適度に持ち上げるのが大事なの」

 男を手玉に取るような発言を聞くと、エミリアの母親というよりも、ライラの母親という言葉の方がしっくりくる。

 エミリアは母親の言葉に、しかし、しかしと反論を繰り返す。

「わかった」

 リットが唐突に言った。

「そうか!」

 エミリアの声には熱意が通じた嬉しさが混じる。

「……飲み直してくる」

「なぜそうなるんだ!」

「家の雰囲気が悪い時は飲みに出るに限る」

「どういう考え方をしたら、そんな結論に行き着くんだ」

「実家の飲み屋で客に教えられたんだよ。一晩夜風が吹けば、ほとぼりも冷めるってな」

「……今夜は暖風らしいぞ」

「酒飲んで火照りゃ、どの風も一緒だ」

 リットはこれ以上小言を言われる前にと、逃げるように夜の街へと消えていった。






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