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ランプ売りの青年  作者: ふん
東の国の灯台編(上)

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第五話

 ごちゃごちゃとした建物が立ち並ぶ港町を、潮風が地面を這うように抜けて吹いてくる。

 果物だと思われる甘い香り。それにスパイスや、染物の独特な香りもする。

 どれも嗅ぎ慣れないもので、港町ドゥゴングは別大陸の匂いが入り交じっていた。

 ガヤガヤとした人混みの話し声の中で一際大きく聞こえるのは、活気のある船乗りたちの声だった。あちこちから引っ切り無しに怒号のような声が飛び交っている。

 高さが違う家々が並び通りを作っていて、連なる屋根の更に上に、煙突のように何本も船のマストが高く空を目指しているのが見える。

 マストから伸びるロープがいくつも重なり巨大なクモの巣のようだ。

 街の中心からは何本も薄汚れた白い柱が伸びている。用途はわからないが、やたらに目立つ。

 既に別大陸に到着したかと思えるような雰囲気に呑まれつつ、リットはエミリアの後をついて歩いた。

「水路に落ちないように気を付けて歩くんだぞ。そこから引上げるのは一苦労だからな」

 キョロキョロ街を見回して足元がおぼつかないノーラに、エミリアが注意した。

 ドゥゴングの街中には他の街と同じように道があるが、その両端には小型の船が二つ通れるくらいの幅広い水路が町に張り巡らされていた。そのせいで家や店の中に入るには、いちいち架けられた短い橋の上を歩く必要がある。

「旦那ァ。魚が泳いでますよ」

 ノーラがしゃがみ込んで水路を覗きながら言う。

 水路の中では小魚が小さな群れを作っていた。

「この水路は結構深いな」

 リットも水路を覗いて言った。

 小魚、エビの姿は見えるが、底が見えない。まるで井戸を覗いているような深さだ。

 リットは水面の反射のせいで底が見えないのかと思い、角度を変えて注意深く見ていると、大きな黒い影がものすごいスピードで水路を泳いでいった。

 いきなりのことに腰を抜かすのではなく、ただ茫然と生き物が通った後の荒れた水紋を見続けていることしか出来なかった。

「そこは人魚の通り道だ。ジロジロ見てると水をかけられるぞ」

「人魚の通り道ねぇ。あいつら歩けねぇもんな。それでこんな深い水路になってるのか」

「ニャーには誘惑が多い街だニャ」

 パッチワークは口の端から垂れたヨダレを猫手で拭う。

「人魚が食えるのか?」

「半分は魚だニャ。下半身は十分美味しそうだニャ」

「まぁ、切り身にされて売られてたらオレも区別付かねぇな」

「冗談はともかく、この街には誘惑に負けたニャーのお仲間がいっぱい居るんだニャ」

 パッチワークが「ニャー」と高い鳴き声を上げると、どこからともなく猫の鳴き声がいくつも響いてきた。

「獣人仲間か?」

「ただの野良猫だニャ。野生を奪われ、人に餌を貰って暮らす哀れな猫達だニャ」

 呼応する猫の鳴き声を聞いて、パッチワークは蔑むように笑う。

「野生を失い、人に金を貰って暮らすオマエらといい勝負だな」

「……お兄さん。話の腰を折るって言われないかニャ?」

「よく言われる。直す気はないけどな。――酒場はどこだ?」

 リットは唐突に通行人の肩を掴み聞いた。

 肩を掴まれた男は面食らったように瞬きをする。

「こら、恥ずかしいことをするな」

 エミリアはリットの代わりに男に頭を下げると、リットの腕を掴み、引っ張っるようにして歩き出した。

「折角のチャンスだったのに、どうしてくれんだよ」

「何がチャンスだ。突然酒場の場所を聞く奴があるか。私といる時もいない時も、恥ずかしい行動は謹んでくれ」

「あの男からアルコールの匂いがしたんだよ。いいか? 昼間っから酒を飲むどうしようもない奴はな。昼間っから酒を飲むどうしようもない奴を受け入れてくれる良い店を知ってんだよ。――ツケが利く。――安酒がある。――昼からやってる。見事な三拍子だ」

 リットは三本指を立てて、自分の意見を主張する。

「昼からやっているからといって、昼から行く必要はない」

「水が汚くて飲めない地域では、朝から酒を飲むらしいぞ」

「よそはよそだ。ここにはそんな風習はない」

 エミリアは歩みを止めるこなく、人混みの隙間を抜けていく。

「旦那の軽口も、お母ちゃんの小言には勝てないっスねェ」

「親の小言どころか、暴君の圧政じゃねぇか。――よそはよそ、なんて言葉は」

「まぁまぁ、たまにはお酒抜きもいいじゃないっスか。ところで旦那気付いてます? どうやらドゥゴングにも屋台通りがあるらしいですぜ」

 ノーラは通行人が手に持って食べ歩いている、香ばしい匂いがするフライや、見たことも無いカラフルな果物を見てツバを飲み込む。

「なんか美味そうなもんにかぶりついて歩いてるな。何かはわからねぇけど」

「船で運ばれて来る物の中には、大陸では採れない野菜や果物があるからな。屋台の数はリゼーネより少ないが、それらを使った食べ物屋は多いぞ」

「リゼーネよりも交易が盛んなのに屋台は少ねぇのか?」

「工芸品や嗜好品などや貴金属の方が多いからな。食べ物はむしろ少ないほうだ。腐るからな」

 話しながら歩いていると、いつの間にか白い柱が立ち並ぶ通りに来ていた。

 近くで見ると白い柱は、上空で湾曲に曲がっていてアーチ状になっている。壁があるわけでもなく、天井があるわけでもない。見上げると、柱と柱の間からは空が見えていた。

 それが何かを確認する間もなく、右にある二本目と三本目の柱の間から続く通りへとエミリアは曲がっていった。

 見慣れない港町の町並みに気を取られながら歩いて行くと、いつの間にか道というより広場に出ていた。

 積み上げた木箱を運ぶ屈強な男たちが目立つようになり、その奥には人混みの頭と綿のような白雲に挟まれて船が見えている。

 船は大小形様々で、商船から国旗の旗がなびいている船もあった。

「こりゃすげぇ。戦争でも、ここまで色んな国の船は集まらないだろ」

「物騒なことを言うな。ほとんどが輸送船だ」

 リットのあまり良くない例えに、呆れたようにエミリアが答えた。

「なにか面白いもの売ってますかねェ」

 ノーラが期待に満ちた声を上げる。

「大抵はここから荷馬車で各地に運ばれていくが、ドゥゴングでそのまま売られているものもある。時間はある。明日にでもゆっくり覗いてくればいい」

「今日出発じゃないのか?」

「出発は商品の積み荷が届き次第と手紙に書いてあった」

「なんだ、こっちはついでなのか」

「当然だ。たかだか数人を運ぶためだけに船を出す余裕など無い」

 そこまで言うとエミリアは突然広場を横切るように曲がった。船がある方向とは全く違う方向だ。

「船は真っ直ぐだろ。どこ行くんだ?」

「両親が住む家だ。荷物を持ったまま歩いても疲れるだろう?」

「それもそうだな」

 リットはすぐに船から視線を外してエミリアの後に続く。

「あとで自分が船まで案内しますのでご安心を!」

 ハスキーは海の男達の声に負けない大声を響かせた。

「船には興味ねぇよ。それより酒場の場所を教えてくれ」

「酒場ですか……。他の娯楽施設でしたら案内できるのですが……」

 ハスキーが困ったように唸る。

「ニャーが案内するニャ。犬が案内する場所なんて、走り回れる広場に決まってるニャ」

「悪く無いだろう。鍛錬できる場というのは大事だ。――リット様もどうですか? 一人で走るというのも味気ないですし。何より走ると気分転換にもなりますよ」

「走って気分転換したくねぇから酒を飲むんだ。一人が寂しいなら、自分の尻尾をぐるぐる追いかけ回せばいいだろ」

「まったくだニャ。ついでに、その暑苦しい毛を毟り取ればいいんだニャ」

 パッチワークはモサモサとした冬毛のハスキーを見て、鬱陶しそうに目を細めた。

「生え変わり時期ばかりは、自分でもどうしようもないんだから仕方がないだろう」

「ニャーみたいに舐めて毛繕いして毛玉を吐き出せばいいんだニャ」

「……前から言いたかったんだが、毛玉を吐き出すのは猫の習性としては仕方ないかもしれない。だが、人前で吐き出すのはやめてもらいたい」

「だったら、初対面の犬の獣人同士で、お尻のニオイを嗅ぐのもやめて欲しいニャ。四つ足ならともかく、二本足でそういうことをしてるのは気持ち悪すぎるんだニャ」

「あれは立派な挨拶だ。むしろやらなければ失礼に当たるんだ」

 パッチワークとハスキーは獣人談義をしながら歩いている。

「エミリアはよくあんな奴らの上司やれてんな」

 獣人達の話に耳を傾けながらリットが言った。

「慣れた。それに二人は部下の中でも取り分け優秀だからな」

「そういえば、エミリアも変な習性持ってるもんな。それで馬が合うのか」

「夜になると胸が痛むアレか? アレを習性というのかはわからないが、リットのおかげでもう心配いらない」

「違うな。飽きもせずに言う小言のことだ」

「小言を言われるのが嫌だったら、生活態度を見直すことだ」



 エミリアに連れられて来た住宅街には、リゼーネにあるエミリアの屋敷とそっくりの建物があった。

「リリシア様! 大きくなられまして!」

 門を通ったところで、一人のメイドが駆け寄ってきてエミリアのことを抱きしめると、慌てて離れた。

「すいません。思いもしない感激に、少々取り乱しました」

「いや、それはいい。……何をしている? ヘレン」

 リゼーネの屋敷にいるはずのヘレンがいるので、エミリアは少し怪訝な表情で言った。

「リリシア様が来るのを待っていました」

 ヘレンは満面の笑みで答えた。

「そうではなく、なぜリゼーネの屋敷ではなくドゥゴングの屋敷にいるのかを聞いているんだ」

「しばらく会うことがなかった、メイドとお嬢様のシチュエーションをやってみたかったものですから。リリシア様がリーゼネを発った後に、私もリリシア様を乗せた馬車を追い越すようにと頑張って馬を走らせました」

 ヘレンは乱れていないエミリアの服を無理やり正すと屋敷の中へと先導した。

「すげぇ執念だな。その様子じゃ冥土にまでついてきそうだ」

「当然です。メイドとして、リリシア様の為に掃除をしておかなければいけませんから。――例えば、つまらないダジャレで空気を汚す男とかでしょうか」

 ヘレンは冷たい瞳でリットを一瞥する。

「まだ、一年前に歳のことをからかったのを怒ってるのか?」

「えぇ、植え付けられた怒りの種が今花開きました。この花はまた種になり、いくつも花を咲かせることでしょう」

「こらこら、二人共喧嘩はするな。父上と母上にリットを紹介したいんだが、今屋敷にいるか?」

「旦那様と奥様は商人ギルドの会議に出ています。夕食は家で食べると仰っていましたので、夕刻には帰って来ると思います」

「そうか、仕事ならば仕方がないな。――悪いが皆、夕時までしばらく休んでいてくれ」

 エミリアが振り返ると、一人分不自然に間が開いている空間があった。

 ノーラ、パッチワーク、ハスキーと順に姿を確認するが、リットだけがなかった。

「ノーラ、リットはどうした?」

「やることがないとわかった瞬間に、荷物置いてすたこらさっさっとどっか行っちゃいましたよ」

「まったく……、まだ話の途中だというのに。どこに行ったかはわかるか?」

「お酒が飲めるところ以外に行ってたら驚きですねェ。他にあるとしたら、我慢していたトイレの為ダッシュで屋敷の中に入ったとかっスかね」

 ノーラは背負っていたリュックを下ろすと、いかにも疲れたというように肩をトントンと叩いた。

「仕方ない……。ヘレン、先に部屋に案内してくれるか?」

「はい、皆さんご案内いたいします」

 ヘレンは一礼すると屋敷の階段を先導して歩き始めた。



 一人屋敷から離れたリットは、船乗り広場を抜けた通りを歩いていた。

 上から歩いている時は気付かなかったが、下から見上げると緩やかな坂道になっているのがわかる。

 リットは坂道の上から流れてくる水路から視線を外して人通りを眺めた。

 この街に住んでいる者と、他所から来た者の区別がはっきりわかる。他所者はリットと同じように、水路やいくつもある橋に目移りしながら速度を緩めて歩いている。それに比べてドゥゴングの住人達は皆慣れた風に道から橋を渡り、家々や店に出入りしていた。

 水路は街外れにある入り江から始まり、途中でいくつにも枝分かれして街の中を通っている。そのせいでこの街は橋が多い。道の途中にも、左右の水路へ人魚が行き来するための橋がいくつかあった。

 坂途中の道にある家の前で暇そうに椅子に座っている男を見かけると、リットは家の柵を小突いて音を立てながら話しかけた。

「酒場がある場所を教えてくれるか?」

「アバラ通り三本目だよ」

 男は日陰から日の当たる軒下まで顔を出すと、眠そうな目をしきりにシバシバさせながら答えた。

「なんだ? アバラ通りってのは」

「なんだいアンタ、街に入る時に見なかったのかい? 街の中心に大きな骨があっただろ。あれは何百年も昔に打ち上げられたバカでかいクジラの肋骨だ。ドゥゴングの名物の一つだ」

「あぁ、柱かと思ったら骨だったのか。天井も何もないのに柱があるとは変だと思った」

 リットは湾曲になっていた白い柱だと勘違いしていたものを思い出した。

「この街はアバラの隙間からそれぞれの道に繋がってる。船着場に繋がるここはアバラ通り二本目だ。アバラ通り六本目も船着場に続いてる。道に迷わないように気を付けな」

「そうか、助かった。忙しいところ悪かったな」

「なに、人助けのためならエンヤコラだ」

 男はあくびを噛み殺しながら言うと、椅子に浅く腰掛け、再び日陰の中に身を潜めた。






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