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ランプ売りの青年  作者: ふん
東の国の灯台編(上)

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第三話

 空気が彩られていた。

 子羊のレバーのフライの脂っこい匂い、様々な果実が混じりあった甘酸っぱい匂い、春先の乾いた空気を潤すように立ち込めるスープの匂い、焼き上がったばかりのパンが鼻をくすぐる香ばしい匂い。

 屋台通りでは、冬の間閉じ込められた匂いが溢れかえるように広がっていた。

「ニンジンと、そのぺちゃんこの緑の野菜。あと卵もっス」

「卵はどうするかい? 焼きは片面、両面? 中は半熟、固焼き?」

 屋台の店主は鉄板に卵を割って落としながらノーラに聞く。

 熱々の鉄板の上に落ちた卵は、ボコボコと泡を立てて透明な白身が白く色を持って固まっていった。

「両面焼き、中は半熟で! あと、そのわけのわからない肉も欲しいっス」

 ノーラは屋台の軒先に吊るされた燻製肉を指して言った。

 店主は「はいよ」と短く言うと、ナイフで豚バラ肉の燻製を切り出し、切ったばかりの肉を鉄板に置いた。脂が弾ける音と豚が焼ける香ばしい匂いが広がり、油が染み出し鉄板の上に溜まっていく。

 傍らにある目玉焼きをヘラでひっくり返しもう片面を焼くと、ナイフを手に取り丸い黒パンに切れ目を入れ始めた。

 切れ目を入れ開いたパンにキャベツを引き、その上にオリーブオイルで和えた細切りのニンジンのラペを乗せ、更に焼き上がったばかりで油がしたたるぶ厚いベーコンと目玉焼きを乗せる。

「こぼさないように気を付けな」

 ノーラはパンが閉まらなくなるほど具だくさんのサンドイッチを受け取ると代金を払い、サンドイッチを落とさないように気をつけながら、人混みをすり抜けるように小走りで中央広場に向かった。

 中央広場のベンチに座っているリットに、「ちょっと持っててくだせェ」と言ってサンドイッチを押し付けると、ノーラは再び屋台通りへと戻っていった。

 リットはまだ温かい出来立てのサンドイッチにかぶりついた。

 固めのパンに歯を突き立てると、ライ麦パンの香ばしさとニンジンのラペの汁が染み込んだ僅かな甘味と酸味を含んだ匂いが鼻を抜ける。

 キャベツの繊維を噛み切る気持ちの良い歯ざわりを感じながら、サンドイッチを噛みちぎる。

 ベーコンの脂と半熟卵の黄身が混ざって、粘りつきながら溶けてゆっくりと喉を滑り落ちていった。

 塩辛いベーコンだが、ニンジンのラペの酸味でマイルドになり、噛めば噛むほどうまみが出る濃厚な味だ。

 カラフルでボリュームのある断面図を見ながら、もう一口食べようとしたところでノーラが急ぎ足で戻ってきた。手にはスープの入った器を持っている。

「あーっ! やっぱり食べてましたね!」

「人に預けるってのはこういうことだ。一口しか食ってねぇんだからいいだろ」

「これじゃ半熟にした意味がないっスよォ。黄身の膜を破くのが好きなのに」

 ノーラは垂れている黄身がこぼれないようにサンドイッチを口に運ぶ。一口二口とかじって頬を膨らませると、スープで流し込んだ。

 また一口かじって飲み込むと、ノーラは中央広場を行き交う忙しそうな流れを見た。

「暇っすねェ……」

「暇だな……。急いで来なけりゃ良かった」

 まだ山には雪が積もっており、溶けるまで馬車を走らせるのは危険な為、しばらくリゼーネで観光でもして待っているようにエミリアから言われていた。

「大きい城下町ですけど、屋台通りしか見るとこないっスもんね」

「美術館やら博物館は前に来た時に見たしな。まぁ、好きなだけ飯でも食ってろ」

「どうしたんスか? 今回はずいぶんと気前がいいっスねェ」

「この間の依頼で、アイツからたんまり金をむしり取ったからな。あるもんは使わねぇと」

「賛成賛成! それじゃあ、第二弾は店ごと買い取ってやりましょうか」

 ノーラは口いっぱいにサンドイッチとスープの残りを放り込むと、指についた油を舐めとった。

「おう、どうせなら通りごと買い取ってこい」

 リットが金を渡すと、ノーラはスキップでもするような軽い足取りで屋台通りへと歩いて行った。

 それからしばらく行き交う人の声に耳を澄ましていた。とれたての川魚を調理してだす催し物があるとか、ジャガイモの大食い大会があるなど、色々な情報が耳に入ってきた。

 突然ベンチの後ろの方から大きめの声が聞こえてきた。

「今更それはニャいですよ。お客さんがお金を用意できるって言ったから紹介したんですよ。せっかく何十倍にもなって返って来るっていう、おいしい話だったんですけどね。ニャンとももったいないことを……。――えぇ、無理ですニャ。今すぐお金が用意できないと。代わりを探すしかニャさそうですニャ。――あぁ困ったニャ、困ったニャ」

 会話というよりも一人芝居のような口ぶりだった。声の主はウロウロとしながら、鈴の音を響かせて少しずつリットの座るベンチに近づいて来る。

 踏み荒らされた草原のような濃い緑色の毛糸のコートを羽織っており、フードの隙間から猫の顔が見える。

 背はノーラより少し高いくらいだろう。小さめの猫の獣人だ。

 猫の獣人は、リットの目の前まで来るとフードを外した。毛皮は白をベースに黒の斑模様で、陽の光を浴びて艶やかに光っている。

「お隣いいですかニャ?」

 猫の獣人は、縦細い黒目を光らせてリットに聞いた。

「かまわねぇよ」

 リットの言葉を聞いて笑顔を浮かべると、飛び乗るようにしてベンチに座った。座るなり、ごろごろと喉を鳴らして、リットの顔を覗き込むように視線をやった。

「いニャー、聞こえちゃいましたよね。ニャーの話」

「なにがだ? こんな人通りの多いところで、人の話は耳に入ってこねぇよ」

 猫の獣人は少し困った顔を浮かべたが、すぐに取り繕うように笑った。

「知らないフリなんて、お兄さんもお人が悪い。でも、その注意深さは、さぞ商売上手とお見受けしたニャ。名前も知らない人の話を聞くなんて、そりゃ無理なことだニャ。ニャーの名前はリングベル。なかなかオシャレな名前で気に入ってるニャ」

 猫の獣人はそう言うと、首元の鈴を持ち上げてチリンチリンと鳴らした。

「そりゃ、よかったな」

「お兄さんの名前は?」

 リットの無愛想をもろともせずに、猫の獣人は話を続ける。

「ローレンだ」

「名は体を表すというのは本当ですニャ。精悍で凛々しくて、ニャーがメスだったらほっとかないニャ」

「……嬉しくねぇな。世辞っつーのは安いから、いくら売っても金にならねぇぞ」

「いニャーハッハ。まさしくその通り、世辞に乗る人はわがままですから結局は高くつくんですニャ。商売上手は世辞下手と。……お失礼ながらお仕事はニャにを?」

 猫の獣人は口元の猫ヒゲをピンっと張りながら言う。

「宝石屋」

「ニャンとも羨ましい! こっちはしがない土地売り――それもたった今、契約を破棄されたばかりなんですニャ。同じ商売人ってことで、ちょっと商売道具を拝見させてもらうことはできませんかニャ?」

「あいにく今はこれしかないな」

 リットは上着のポケットに入れっぱなしだった、トルマリンの指輪を取り出して猫の獣人に渡した。ヨルムウトル城の宝物庫でローレンと取り合った物だ。

「宝石は本物みたいですが、ずいぶんボロボロになってますニャ」

「お得意さんから、古くなったからって貰い受けたんだ。小さいし輝きも悪いが、リング台を取り替えれば豪華なディナー代にはなるだろ」

 リットは指輪を取り合っていた時に、ローレンが言っていたことをそのまま話した。

 猫の獣人は「ニャるほど」となにやら確認するように頷くと「お店はどちらに?」とリットに聞いた。

「……ディアナ国」

「不況知らずのディアナ国とは、ますます羨ましいですニャ。ずいぶん遠いところから来てますけど、こちらで商売をする気は?」

「向こうに庭付きの家があるからな」

「それは素晴らしいニャ! ――でも、お店が二つあると商売人としての格が付くってもんです。それに今ならリゼーネの商人ギルドへの紹介文付きですニャ」

「なるほど。余った土地を売りたくって、一人芝居をしながら近づいてきたってわけか」

 猫の獣人の手から指輪を取り上げると、リットはポケットの中に入れた。

「いニャー、バレてましたか。どうやら大金をお持ちのようで……。知り合いが売りたくて困ってるんですニャ。ニャーはその仲介人ニャ。そして、ニャーはこれから長い間出掛けなければニャらないから、その前に売りたいんだニャ。ちょっと高いでけど、それに見合っただけのものですニャ。庭付きは勿論のこと、前の住人はワニの亜人だったおかげでプールも付いてますニャ。人通りもいいですから、お兄さんの程の商売上手ニャらば、誰かからまたむしり取ればすぐにお釣りがくるってもんですニャ」

 猫の獣人は、あくどい笑顔を浮かべた。

 しきりに物件を進めてくるのを見ると、ノーラとしていた冗談の会話を本気にしているらしい。いつから盗み聞きをしていたのかはわからないが、リットが金持ちに見えているのだろう。

「そんなに金があるように見えるか?」

「そりゃもう。服で油断させていても、靴を見ればわかりますニャ。そんなピカピカの靴は、使用人がいる家でニャければありえませんニャ」

 そう言って猫の獣人はリットの靴を指した。

 確かにリットの靴は陽の光を反射させている。エミリアの屋敷の使用人が磨いたからだ。

「なるほど。見るとこは見てんだな」

「当然ですニャ。二流はみてくれだけの服にお金使いますが、一流のお金持ちは鞄と靴にこそ気を使うものですニャ」

「猫に人相までは見分けがつかねぇか……」

「ニャンと?」

「残念ながら時間切れだ」そう言ってリットは立ち上がる。両手いっぱいに食べ物を持って歩いてくるノーラを見つけたからだ。「暇で暇で油を売ってたんだ。買ってくれてありがとよ」

 リットはノーラが抱える食べ物の山からソーセージの串焼きを抜き取ると、猫の獣人に別れを告げて歩いて行った。

「旦那ァ、どこ行くんです?」

「橋の下だ。釣りたての川魚を振る舞うイベントがあるんだとよ」

「おぉ! いいっスね。今日は食べ道楽。明日も食べ道楽ってなもんです」

 ノーラは器用に抱えた食べ物の山から1つずつ取り分けて口に運びながら、リットの後についていった。



 夕方になり、エミリアの屋敷の応接間では、エミリアと二人の獣人が集まっていた。

「ランプ屋の旦那ってのは、まだ来ないんですかニャ?」

「約束をしているわけではないが、もうすぐ帰って来るだろう。いつも食事前には帰って来るからな」

「こっちはせっかくの仕事終わりでニャーの自由時間だというのに、早く来てもらいたいもんだニャ」

「パッチワーク! エミリア様にその口の聞き方は何だ!」

 ハスキーが吼えた。

「緊急事態以外は、仕事が終われば上司もただのメスだニャ。それにニャーは、犬と違って上官に尻尾を振る仕事はしてないニャ」

「貴様っ!」

 ハスキーは牙をむき出しにして、パッチワークという猫の獣人に唸る。

「やめないか二人共」

 エミリアの一声で二人の獣人はおとなしくなる。が、パッチワークはすぐに口を開いた。

「聞いてくださいよエミリアさま。ニャーは昼間いけ好かない男に絡まれて大変だったんだニャ。仕事を邪魔せれるしさんざんだったんだニャ」

「仕事……ということは、城に侵入してきたのか?」

 パッチワークは「ニャニャ!」と声上げて慌てて首を横に振った。「休憩中の時ですニャ、報告にあった中央広場の石畳の修繕が本当に必要がどうか、ニャーは休憩を返上して見に行ってたんだニャ」

「それは感心だな。しかし、休憩は休憩。休む時はしっかり休まないと、有事の際に動けなくなるぞ」

「気をつけますニャ。でも、そいつのせいで腹の虫が収まらないのニャ。ニャーの商売を踏みにじって踏みにじって――」

「石畳を踏んで壊していたのか?」

「……まぁ、そういうことニャ」

「中央広場は、各区画へと繋がる大事な場所だ。そこを荒らしたとなれば……。手配をした方が良いかもしれんな。人相は覚えているか?」

「ニャニャニャ!」と頓狂声をあげたパッチワークは、「リゼーネの人間じゃないみたいだし、もう逃げたかもしれないニャ」と慌てて取り繕った。

 ちょうどその時、メイドに案内されたリットとノーラが応接間にやってきた。

「リット、遅かったではないか」

「悪いな。あちこちで食い歩きしてたら城壁が有る端まで歩いちまった。買いすぎたせいで食いきれないしな。――食うか?」

 リットは手に持った、小麦の生地を薄焼きにしたものに子羊のローストを挟んだものをハスキーに渡した。

「はっ! 自分の為にわざわざありがとうございます! この御恩は決して忘れません!」

「んな、かしまるなよ……。ただのあまりもんだ。肉ばっかでエミリアが食えるもんはないな……」

「私はいい。もうすぐ夕餉だからな。リットもノーラも、食事が要らないのならば前もって言ってもらわないと困る」

「あー、小言はやめてくれ。重い腹に響く……。――オマエもいるか? あまりもんだけど、猫の獣人なら魚食うだろ」そう言って魚の塩焼きを渡そうとしたところで、リットはパッチワークの顔をまじまじと眺めた。「ん? オマエは」

 リットが名前を言おうとしたところで、エミリアが口を挟んだ。

「紹介がまだだったな。東の国に付いて来る私の部下だ。ハスキーは知っているだろう。もう一人の猫の獣人は、パッチワーク・ノーシトラスという。私の部隊の会計記録官だ。ハスキーとパッチワークに来てもらったのは、こちらの二人を紹介するためだ。今回の任務に力を貸してくれるリットと、ノーラだ」

「パッチワーク・ノーシトラスだ? オマエ、リングベ――」

「ニャーハッハッハ! よろしくお願いしますニャ! ニャーの名は『パッチワーク・ノーシトラス』。お間違えなくニャ」

 パッチワークはリットの両手を握ると、体を揺らすほど手を振って握手をした。

「オマエ中央広場で会った奴だろ? エミリアの部下だったのか?」

「なんだ、二人は知り合っていたのか? なら、紹介するまでもなかったな」

「ニャ……ニャーハッハッハ! そうですニャ! 意気投合してすっかり仲良しなったんだニャ! ちょっと固い絆の友情のお話がありますので、お兄さんをお借りしますニャ」

 パッチワークはリットの腕を掴むと部屋を出て行った。無言のまま笑顔でリットの腕を引っ張り、誰もいないことを確認すると笑みを解いた。

「どうか昼間のことはエミリア様には内緒にございますニャ。平に平にニャ」

 パッチワークは深々と土下座をする。その勢いは靴でも舐めそうなほどだった。

「城で働いてるんだろ。城の仕事の時間中に別の仕事をしてたらまずいんじゃねぇか?」

「あれはお兄さんが景気の良い話をしたから、つい食い付いちゃっただけニャ。いつもはしていないんだニャ」

「仲介人ってのはいいのか?」

「住民管理の為、土地が空いたら城に知らせがくるニャ。その情報を先買いして、ちょーっと懐を潤してるだけなんだニャ。だけどエミリア様や国にバレると、ニャーは凄ーーい困るんだニャ!」

 パッチワークは床に頭を擦り付けて懇願する。

「まぁ、売れるもんなら早く売れた方が国も助かるだろうしな」

「話がわかる人で助かるニャ!」

 リットの言葉を聞いて、パッチワークは頭を上げた。

「――そういう商売してるってことは、太いパイプがあるんだろう」

「ニャんとも言い難いことを聞きますニャ……。しかし、信用を勝ち取るため、しっかり「はい」と答えるニャ」

「東の国にもあるか?」

「モチのロンですニャ」

「なら、貸しにしといてやるよ」

「恩に着りますニャ! 敬愛の気持ちを込めて、顔を舐め回したい気分だニャ!」

「んなことしたら、その化けの皮を剥いで売りに出すぞ」

「……冗談だニャ」

 パッチワークは立ち上がると、ズボンを払う。そして、リットと約束を守るために握手を交わした。

「それじゃ、早く戻るぞ、あんまり遅いとエミリアが怪しむからな。アイツ小言が長えんだよ」

「まったくですニャ。それよりお兄さん。くれぐれもリングベルの名前で呼ばないように頼みますニャ。アレは裏の名前なんだニャ。ニャーを呼ぶ時は、パッチワーク。溺愛する飼い猫を呼ぶようにパッチでもかまわないんだニャ」

「……うるせぇな」

「獣人ってのはお喋りなんだニャ。ハスキーみたいに言葉数が少ない方が珍しいんだニャ」

「アイツは別の意味でうるせぇよ」






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