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ランプ売りの青年  作者: ふん
東の国の灯台編(上)

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第一話

 嵐の夜だった。

 捲れた波が砕けて白く濁り、海は海でなくなっていた。

 巨大なエネルギーの固まりが岸壁を削るように飛沫を上げる。高く上がった飛沫は更に風に吹かれて、丘の上にあるまだ真新しい石積み造りの灯台に打ち付けられていた。

 海面より遥か高くにある灯火室から放たれる光は、太陽にも思えるくらいだ。それほど嵐の夜に灯台は求められる。

 灯台のすぐ横にある灯台守の家から一人の老いた男が出てきた。老いた男はいくつか並ぶ納屋を通り過ぎ、まっすぐに灯台へと向かった。

 円柱の灯台の内部はとても狭く、壁際に沿って螺旋に伸びる階段に、男の足音がはちゃめちゃに跳ね返って響く。

 一つ上の階に上がると、一階よりも狭い広場があり、反対側の壁から更に上階へと続く階段がのびている。

 徐々に狭くなる灯台内部を上り、六階にある監視室についた。

 監視室には木製のテーブルがあり、その上に日誌や書類が置かれている。他には肘掛け椅子が一つと、横になれる布団が一つ敷いてあるだけ。いつもと変わらない質素な風景だ。

 部屋に異常はないが、探している者はいなかった。

 老いた男がズレた半月眼鏡を直し、テーブルの上の日誌をパラパラ捲っていると、上から嵐の音ではない叫び声が聞こえてきた。

 ハシゴを使って更にひとつ上の階にある灯火室まで上がると、青年が海に向かって何度も叫んでいた。

「おーい! おーい!」

 青年が嵐の海に向かって大声で叫ぶ。声はこだますることなく、暴力的なまでの風にかき消された。

「無駄じゃ」

 老いた男は青年に近づくと、そっと肩に手を置いてそう言った。

「万が一ということもありますから……」

「風と波に掻き消される届かぬ声の代わりにそびえる灯台じゃ。灯すのは希望ではなく、火だけでよい」

 老いた男の顔が回転する灯台の光に照らされる。悲しみでも励ましの表情でもない、達観したような表情だった。

 灯台の光が老いた男の顔を通り過ぎて表情が確認できなくなると、青年は口惜しそうな顔をして「……はい」と返事をした。

「わかったのならばやることは一つ……。――はよ、オモリを巻いてこぬか!」

 老いた男の怒号は暴風に負けずに響いた。

 青年は足を滑らせながらハシゴを落ちるように降りると、灯台を廻すカラクリが設置してある部屋まで慌てて階段を駆け下りていった。

 制御室には歯車が複雑に絡み合ったカラクリがある。

 青年はカラクリを動かすためのハンドルを握ると、はち切れそうなほどの力こぶを出して廻していく。

 カラクリの下にぶら下がったオモリを巻き上げて、そのオモリの落下力を使って灯を回転させる仕組みだった。

 日に何度もオモリを巻き上げているせいで、青年の腕は丸太のように太くなっている。

 オモリを巻き上げ終わり、汗で濡れた額を手のひらで拭き取ると、青年はオイルが切れていたことを思い出した。

 吹きすさぶ冷たい雨風の中、青年は灯台を出て納屋へと向かった。

 ボロ納屋は隙間風のせいで床が濡れており、今にも屋根が吹き飛んでいきそうなほどギシギシと軋んでいる。

 入口のドア近くにあるロウソクにマッチで火を付けて明かりを確保すると、まだ慣れていない納屋内を漁り始めた。

 主に丘を下りたところにある海岸の漂流物がしまってあり、海棲生物の牙や、貝殻、流木などが所狭しと並べられていた。

 灯台守は海が穏やかな時間に、これらに彫刻をして暇つぶしをするのが日課だった。

 今日は嵐で海が荒れているので、そんな暇はないかと青年が思っていると、戸棚の間に挟まるようにして大きな箱があるのに気付き、好奇心から箱に手を伸ばして開けた。

 箱のなかには顔以上もある大きな鱗が一枚大切にしまわれているだけ。他には何も入っていない。

 青年は鱗を手に取ると、すぐにこれが何かを理解した。

 そして、数年前の厄災を思い、その場で静かに黙祷を捧げた。





 長いのか短いのかわからない冬を越して、枯れ葉の隙間から雪解けの水を吸った色濃い新芽が顔を出し始めていた。

 リットの住む町でも、白と黒の殺風景の冬が終わり、ようやく春だと知らせていた。

 リットは店の椅子に座り、暖を取るために四つほど火をつけたランプに囲まれて手紙を読んでいた。


  リット、ノーラ、チルカ、元気でやっているか?

  このフクロウが信頼できるかわからないが、手紙が届いてるのならば信頼できるのであろう。

  時というものは、カスティ大河の流れのように早いものだ。

  そなた達と袂を分かってから、もう四ヶ月も過ぎた。

  我のことならば心配はいらぬ。ブラインド村の者達とはうまくやっておる。無論マグニともな。

  たまに、不自由にもあうが……。だが、心配はいらぬ。

  数日で野菜が育つはずもなく、今年の冬はカボチャと魚だけで参ってしまった。

  だが、心配はいらぬぞ。我はやっていける自信があるのだ。だから心配はいらぬ。

  さて、運命と友情は歯車のようで、一つ欠けてしまえば動かぬものである。

  今の我の心がまさに欠けた歯車のようであり――


 まだまだ終わりそうにない長い手紙を読んでいる途中で、店の奥の居間から何かがぶつかる音が聞こえてきた。

 リットが座ってる椅子の奥にあるドアが開くと、ノーラが手に持った手紙を突き出した。

「旦那ァ。また手紙きましたよォ、一体誰からなんスか?」

「グリザベルからだ」

「全部?」

「そうだ」

「まさか、文通でもしてるんスか?」

「それこそ、まさかだ。勝手に送ってくんだよ。それも、オレ達が町に帰って来るよりも早く手紙が届いてたからな。別れてから一週間くらいしか経ってなかったんだぞ。それからも三日おきくらいに届くしな」

 リットはこの冬の注文書よりも溜まった手紙の束を見てうんざりとした表情を浮かべた。

「せっかくのグリザベルからの手紙なんスから、私にも一言教えてくれればいいのに」

「読むか? 長い上に最後まで読んでも、寂しいから自分を心配してくれってことしか書かれてねぇぞ」

 グリザベルから届く手紙の中には、毎回「心配はいらぬ」という言葉が十回以上も書かれている。一度でも返事を書けば収まるのだろうが、こう矢継ぎ早に手紙が来られてはどうも返事を書く気が失せる。

「それより、毎度裏ドアにぶつかって自分が来たことを知らせる迷惑なフクロウはちゃんと帰したか?」

「毎度裏ドアにぶつかって自分が来たことを知らせる迷惑なフクロウは、ちゃんと餌をやって帰しましたよ」

「いちいち餌をやるんじゃねぇよ。そのせいで、あのフクロウは冬中餌を食いに来てたようなもんじゃねぇか」

「だって、ヨルムウトルじゃまだフクロウの餌になるような小動物が出てこないでしょ。ご飯が食べられないのはかわいそうじゃないっスか」

 ノーラは手紙の束の紐を解くと、その中から適当に一枚選んで読み始めた。最初は順調に左から右へと視線を動かしていたが、中程まで読み進めると急に視線が左から右へ、右から左、また左から右へとせわしなく動き出した。

「な? 同じ内容を言葉を変えて書いてあるだけだろ」

「こんなに「心配はいらぬ」って書いてあるんだから、心配して手紙を書いてあげましょうよ」

「それじゃあ、オマエもフクロウをとっ捕まえて、手紙を届けられるように調教するんだな。そのクリクリの目玉をクチバシで突かれないように気を付けろよ」

「どれどれ、こっちも同じ事書いてあるんスかねェ」

 ノーラは聞かなかったことにすると、手紙の山に手を突っ込んで別の手紙を取り出す。その時乱暴に引っ張りだしたせいで、手紙の山は崩れて床に落ちてしまった。

「春になったんだから雪崩を起こすなよ」

「いやいや、雪崩は暖かくなってきてからこそ注意するもんなんですぜェ」ノーラは床に散らばった手紙を素早くかき集めると、一度動きが止まり、その中から一つ手に取る。他の手紙とは毛色の違う手紙をまじまじと眺めた。「旦那ァ、別なところからの手紙も来てますよ」

 ノーラに手渡された手紙は赤い蝋で封蝋されており、蝋は何かの紋章の形にへこんでいた。

「こりゃ、マルグリット家の紋章だから、エミリアだろうな」

 手紙といえば九割方グリザベルだったこともあり、適当に置いていたせいで、まとめる時に他の手紙が間違って混入してしまったのだろう。

 リットは封筒の隙間に指を入れると、指を横に滑らして乱暴に封蝋をこわした。封蝋はポロポロ砕け、カウンターの上に血のようにこぼれていく。

 手紙には、ライラに無理やりつけられたであろう薔薇の匂いが染み込んでいた。


  急用で申し訳ないのだが、手伝ってもらいたいことがある。

  新芽が伸び始める頃、迎えをよこすので屋敷まで来て欲しい。

  リリシア・マルグリッドフォーカス・エルソル・ララ・トゥルミルスバー・カレナリエル・シルバーランド・エミリア


 手紙の内容は簡潔に済まされていた。

「……手紙っつーよりも、召集令状だな。新芽が伸び始める頃ってのは今頃か」

 手紙に書かれている発送日を確認すると、冬にエミリアが妖精の白ユリのオイルを取りに来てから数日経った頃だった。

「なんでしょうねェ」

 手紙を覗き込んでいたノーラは、思い当たることはないかと悩んだ顔のままリットを見上げた。

「オイルの調整だったらリゼーネの屋敷じゃなくて、こっちじゃないとできねぇしな。――おい、チルカ! ――おい!」

 ドア向こうの食器棚の中に住み着いているチルカに聞こえるように、リットは大声で叫んだ。

 初めは反応がなかったが、八回ほど叫んだところで、ドアをガンガンと苛立ちに任せて叩く音が響いた。

 ノーラがドアを開くと、隙間から不機嫌な顔でリットを睨みつけながらチルカが飛んできた。

「一回呼べば聞こえるわよ」

「じゃあすぐ来いよ」

「無視してたの。バカがバカみたいにバカ丸出しで叫んでたから」

 チルカはカウンターの上の手紙の山を蹴散らして自分の居場所を作ると、突っ立ったまんま悪態をついた。

「オマエ、エミリアと仲良いだろ。前に来た時になんか言ってなかったか?」

「……ちょっと、喧嘩売ってるんだから無視しないでくれる。売ったら買うのが礼儀でしょうよ」

「無駄遣いしないことに決めたんだ。飛び回る蚊にうるせぇなんて言っても通じねぇしな。蚊は手で潰すに限る」

「旦那旦那。それ結局買ってますって」

「まぁいいわ。エミリア……。そうねぇ……。そういえば、なにか言ってたわね。――大事なことを」

「なんだ?」

 チルカは悩んだ素振りを見せたあと、指でちょいちょいと手招きした。

「ノーラには聞かせられないことだから、ちょっと耳貸しなさいよ」

「気持ちわりぃな……」

「知りたくないの? 後悔するわよ」

「わーったよ」

 リットが耳をそばだてると、チルカはリットの耳を掴んで口を耳の穴に近づけた。「いい?」とくすぐるような声で囁くと、大きく息を吸った。

「なぁーんも言ってないわよ! ばぁーか!」

 リットの耳の穴ではバカという言葉が何度も反射して鼓膜を揺らした。言葉が消え、金属音のような耳鳴りが聞こえ始めると、反対側の耳からはチルカの悪魔のようなキレの良い笑い声が聞こえてきた。

「あーっ、すっきりした」

 悪魔のような笑い声とは裏腹に、チルカは天使のような笑顔を浮かべて満足そうにしている。

 うずくまるリットにノーラが駆け寄り、注意深く耳を観察した。

「大変っスよ、旦那ァ! 耳に穴があいてますよ!」

「……それでか。オマエのおとぼけ声がよく聞こえるわけだ」リットは耳の穴を指で押さえたり離したりして、耳の様子を確かめてからチルカに向き直った。「――気が済んだなら、エミリアが何を言ってたか話せ。そしてそれが済んだら、何も話せなくなるくらい鍋底に頭を打ち付けてこい」

「本当に知らないわよ。ライラが私に会いたがってたって言う、嫌な情報はエミリアから聞いたけどね。それがアンタの聞きたいことなの? 聞きたいこと聞いたんなら、もういいでしょ。その必要なくなった耳に、アンタの大好きなお酒でもかけて火をつければ?」

「何のために」

「ほんの景気付けよ。バカはよく燃えるらしいから」

「なるほど。だからオマエはすぐかっかするわけだ」

 リットはヤカンの中のお湯が沸騰したような音で口笛を吹いた。

「安い挑発ね」

 チルカは鼻で笑う。しかし余裕のある笑みは、リットがからかうように吹き続ける口笛の回数が増えるごとに、徐々にしかめっ面に変わっていった。

「いますぐ熱湯をアンタにかけて、体中を真っ赤にしてやるわよ!」

「今のオマエの顔みたいにか?」

「そうよ!」

 チルカは今にも噛み付きそうな表情で吼えた。

「よくまぁ、毎回毎回。喧嘩のネタが尽きないっスねェ」

「ノーラこそ、よくコイツと暮らしててのんびりできるわね。殺そうとか、殺してやろうとか、ぶっ殺してやろうと思ったことないの?」

「旦那の皮肉は話半分で聞いてますから」

「大事な話も半分しか聞いてねぇだろ」

「そこですよそこ。半分はしっかり聞いてるんスよ。半分聞いてたら、何事も問題なくいくってもんでさァ」

 ノーラは全く気にした様子を見せずにあっけらかんと笑う。

「チルカも少しはこの脳天気を見習え」

「脳があるだけアンタよりマシだもんね。アンタはただの天気よ。脳みそが入ってなくて頭蓋骨の中のスペースが有り余ってるんだから、中で洗濯物でも干せば?」

「じゃあ、オマエはへそで茶を沸かしてみろよ」

 リットがまたも口笛を吹いてからかうと、チルカは「バーカ! バーカ!」と応戦した。

 突如、二人の喧嘩を止めるようにノックの音が響いた。

 店のドアを控えめに三回叩くと、ゆっくりとドアが開く。

「ここはリット様のお店でしょうか?」

 丸メガネを掛けた真面目そうな男が、喧騒の中申し訳無さそうな顔をして店の中に入ってきた。






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