第二十五話
目蓋の裏がピンク色に染まり、晩秋の陽光が顔を温めていた。
リットがベッドから体を起こすと毛布がはらりと落ちた。素肌の背中は外気に晒された体から熱が逃げていくように寒い。
テーブルの上に置いてあるランプに火をつけようと足の裏を床につけたところで、明るい室内に気付いた。
太陽の光が窓枠の影を床に落としている。
そこで、リットはようやくヨルムウトルに太陽が戻ったことを思い出した。
ベッドに腰掛けて、ひんやりとした床から足を離すと、なにか着るものを探した。
クシャクシャになったシャツが、毛布に絡みつくように巻き込まれていた。
寝酒で火照った体に任せてシャツを脱いだのは間違いだった。
秋終わり、冬の初め。枯れ切った草木のせいでわからないが、夏はとっくの間に過ぎていた。
寝起きの顔、特に鼻が冷たい。
温めるように一度鼻をつまむと、シャツに袖を通す。衣擦れ音が寒く乾いた空気によく響いた。
目やにを擦り取りながら応接間へと向かうと、ブクブク泡ができては弾ける音が聞こえてきた。
大口を開けたマグニが、昨夜酔っ払って機嫌が良くなったリットとローレンが運んできた浴槽の中で寝ていた。口を半分浴槽の水に浸して、寝息を立てる度にボコボコと大きな泡が水の表面を泳いでいる。
いつもなら影執事の作るスープの匂いがしている頃だが、ツンっとした寒い空気の匂いしかしない。
影執事がいなくなってしまったので、それはしょうがないことだが、食事は任せきりにしていたので食べるものが残っているのかもわからない。
最悪でも、畑に植えられた奇妙なニンジンとカボチャはあるので、食べるものがないという事態にはならないだろう。
リットは応接間から出ると、城横にある畑へと向かった。
畑のカボチャは何個か爆発した形跡が見られた。皮と同じ色をしたオレンジ色の果肉と種が、遥か上空から落下してきたかのようにグチャグチャになって広がっている。
いつもならパンプキン・ボムが爆発する前に収穫して端に積み上げてあるのだが、管理している影執事がいないせいでそのままにしてあったからだ。
飛び散った果肉には既に虫がたかっており、冬を超える準備をしていた。
夏の間食べるものが少なく、やせ細ったカエルが気力を振り絞るようにしてその虫を狙っている。
ヨルムウトル近郊でハエ以外の虫は見かけることがなかったが、久しぶりの陽の光に色々な種類の虫が誘われ出てきた。それを餌にする山鳥の声も聞こえる。
冬が始まり、そして終わり。わずかばかりの命が芽吹き、明るい春の色を連れて少しずつ昔の姿を取り戻していくのだろう。
リットは持って帰ろうとパンプキン・ボムに手を伸ばしたところで、ふと奥に続く道に視線を移した。
この道はフェニックスの鳥籠がある地下室へと続く道だ。
気付けば、リットは地下室へと続く大扉の前に立っていた。
大扉は開かれており、地下に向かって風が流れ込んでいる。
驚いたことに地下は薄暗かった。てっきり足元さえも見えないままだと思っていたが、どこかの隙間から明かりが漏れている。
調子の良いリズムで階段を降りていくと、天井付近にある風窓から明かりが差し込んでいるのが見えた。風窓は鉄格子がはめられていて、下半分は瓦礫で埋まっている。頼りない陽の光を浴びて埃が四方八方に反射し、光の進路をはっきりと目に映していた。
光はフェニックスの鳥籠の奥まで差し込んでいて、遠くに落ちているサファイアの首飾りを透かし、床を青く染めていた。
他にもいくつか指輪のようなものが転がっているのが見えるが、取ることは出来ない。
フェニックスの鳥籠の格子は人が入れる程の隙間はないし、格子扉にはしっかりと錠がかけられていた。錆びることない特殊な金属を使っているので、錠は不自然なほど光沢を帯びている。
中にヨルムウトル王の姿は確認できない。
誰もいない鳥籠を見ているリットの頭の中では、ヨルムウトル王の最後の念は本当に不老不死だったのだろうかという疑問が渦巻いた。
もっと単純に、引くに引けない自棄のようなもの。フェニックスさえ手に入れることができたら元通りの日常が待っている。フェニックスを一目皆に見せたら納得するだろう。だから純粋なフェニックスでなくとも成仏したのではないだろうか。
確証とは言えない淡い想像のようなものだが、ヨルムウトル王が口ごもる姿とグリザベルが口ごもる姿が似ていたせいか、意地っ張りの子供の思考だったような気がしてならない。
二人の姿を頭の中で重ね合わせていると、思わず口角が上がっていた。
地下室に差し込む光が強くなったことに気付いたリットは、何か名残惜しいものを感じながら階段を上っていた。
「私は思うんっスよ」
黄色の重そうな液体にスープを刺してかき混ぜながらノーラが言った。
「なんだ? 文句なら聞かねぇぞ」
「なぜ旦那はなんでもスープにしたがるのかと」
「……美味いからだ」
「うまいって言うのは、おいしいって意味ですよね?」
ノーラは信じられないといった具合に目をまん丸に大きく開いた。
ドロッとしたカボチャのスープをスプーンでひとすくいすると、中身をスープの中にボタボタ垂らす。鈍く重苦しい波紋が広がるのを見ると、まん丸い目は細くなった。
「泥水で作ったんじゃないだろうね……」
ローレンは鉛球を飲み込んでいるかのように大きく喉を鳴らして、口の中に入れたスープを飲み込んだ。
「うるせぇな。入れて煮こむだけだから楽なんだよ、スープは。無駄なく栄養が取れるしいいだろ」
「普通はミルクを入れたりするもんなんじゃないのかい」
カボチャの匂いしかしないスープを鼻に近づけると、ローレンは顔をしかめた。
「入れたきゃ絞ってこいよ。馬小屋の隣に牛がいたぞ」
「そういう問題じゃないんだよ。玉ねぎで食感をつけたり、小麦粉でとろみをつけたり、工夫のしようがあるじゃないか」
「とろみならあるだろ」
「これはとろみとは言わないよ。ただカボチャの量が多いだけじゃないか。普通はポタポタと垂れ落ちるんだよ。ところがどうだい? キミが作ったのは。ボタボタとだまになって落ちていく」
ローレンはノーラがやっていたみたいに、スープをすくってはスープに落としていく。
「自分じゃ作らねぇくせに。語るなよ」
「僕は作っちゃいけないんだよ。僕に手料理を食べさせたがる女性が多いからね。それに答えるためにも僕は料理をしないのさ。もっとも、料理ができる男を好きな女性を口説く場合はマスターするよ。三日でね」
「んなことできるか」
「できるさ。昔付き合ってた軍の部隊長の女性の時だって、三日で彼女好みの男になったんだ」
「嘘だろ」
リットが疑う言葉をかけると、ローレンは急に立ち上がった。背中に棒を入れたように姿勢を正すと、右手を上げて肘を曲げ、人差し指を頭の前部にあてるようにして手のひらを下に向ける。
「イエス、マム!」
そう言ったローレンの大声は、今まで聞いたこともないような野太い声だった。
「……オレは女じゃねぇよ」
「ソーリー、サー!」
ローレンはまた野太い声を響かせると、満足気に笑みを浮かべて椅子に座った。
「……オマエにはプライドがねぇのか」
「あるに決まってる。でも、プライドを削ってこその口説きなんだよ。相手よりも自分のプライドを一つ下げておく必要がある」
「なんでだよ」
「女性は自分の足元を確認できないからね。男が一段下がって確認してあげるのが大事なのさ」
「どういうことっスか?」
ノーラはテーブルから少し椅子を引いて、自分の足元を見ながら言う。
「シャツの胸元を引っ張ってみろ」
「こうっスか?」
ノーラは、リットに言われたとおり両手でシャツを掴み引っ張った。
「下見えるか?」
「……見えないっスね」
「そういうことだ」
「でもこれって、胸が大きい人限定だと思うんですけど……。ねェ?」
「ローレンにとってキロ単位の肉が乳に付いてねぇ女は、女じゃねぇからいいんだよ」
「はいはーい! ボクも下が見づらいよー」
浴槽に仰向けに寝るようにして、お腹をテーブル代わりにスープの皿を乗せたマグニが手を上げて言った。
「グラム売りでもしとけ。脂がたっぷりのってるから高く売れるぞ」
「そこまでいくと、身を切る思いだねー」
「マグニの場合は切り身だろ」
「上手いこと言いますねェ」
ノーラが無駄に感心した様子を見せる。
「不味そうな魚だけどな」
「話がすり替わってるよ。そういうことが言いたいんじゃないんだよ、僕は。まぁ、胸が大きいのは大事だけども」
「前から気になってたんスけど。ローレンの好みのサイズは何カップからなんスか?」
「Aから順に数えて確認したくなるアルファベットからだよ。指を一つ一つ折る度に期待は膨らみ、全て折った指が開き始める時には、女体の神秘を感じずにはいられないね。そして、その指をまた折っていくなんてことになったら、そこはもう神々の住む国だよ」
リットは試しに親指から順に折って数えていった。折って開き、二回目の親指を折る時に『K』というアルファベットが出てきた。
「なるほど。そこまで乳がでかけりゃ、下から見上げた時は顔なんか見えないから、手を出す女の幅が広がるってわけか」
「違う違う! まったく……。いいかげん話を戻すよ。僕が言いたいのは、何も生まない自尊心は捨てろってことだよ。わかるかい?」
「拾ってこいよ。オマエみたいな男でも、いずれ必要になるぞ」
「キミこそ皮肉だけじゃなくて、もう少し骨のある男を目指したらどうだい?」
ローレンは少し顔をしかめて、指先でさっと前髪をかきあげた。
しかし、テーブルの上の水差しを取ると、一転して爽やかな浮かべて空になっていたグリザベルのコップに水を注いだ。
「……女に骨抜きにされてる奴に言われたくねぇよ。――つーかずっと黙ってるけど、どうしたんだ?」
リットは朝の挨拶をしたきり無言になっているグリザベルに話しかけた。
「昨夜からずっと……フェニックスのことを考えていた。フェニックスの色は覚えておるか?」
「赤だろ」
「そのとおり羽毛は赤色だ。――しかし、それだけではない。金色の羽で日輪のように首を飾り、尾は薔薇色が混ざった青色をしているはずだ」
「自分でもフェニックスに理由づけ出来るって言っただろ」
「如何にも。それは間違っているとは思っておらん。我が言いたいのは『生み出した』のではなく、『還した』のではないかということだ」
コップを口に運びながらそう話すグリザベルの表情は、重苦しくただならぬ雰囲気だった。
「とっくの昔にフェニックスを捕まえていて、それが影執事達と一緒にヨルムウトル王の念に縛られていたとでも言うのか?」
「いや……そうではない。……もしかしたら根本から違っていたのかもしれないということだ。我らが思い描いていたフェニックスの姿は『霊鳥フェニックス』。そして、それに良く似た姿の悪魔がいる。体は燃えるような朱色をしており、人語を解し、話す言葉全て美しい詩になるが、それを人が聞くと聞き苦しい声で喋るように聞こえる。そして、聞いた者は命を燃やされる。名は――『魔神フェニックス』」
リットがわかっていない顔をしたので、グリザベルは説明を続けた。
「我は最初、ヒッティング・ウッド、妖精の白ユリのオイル、マーメイドハープは魔力の流れを作りフェニックスを産み出す為の魔法陣的な役割をしていると思っていた。だが……香り、炎、音。これらは全て儀式に使われるものだ。怪しげな香りを漂わせて、聖と穢の狭間に揺れる炎を灯し、呪詛を詠う。儀式とは生み出すのではなく呼び出すもの。そして儀式で呼び出したものは、儀式で還すものだ」
「ヨルムウトルが滅んだのは、ウィッチーズカーズの影響じゃなかったってことか?」
「ヨルムウトルが滅びゆく様は歴史にも残っておる。ウィッチーズカーズも一因であることには間違いないだろう。覚えておるか? 前に話したことを。このヨルムウトルで魔宝石は二つ作られている。一つはヨルムウトルを金銭面で発展させたもの。もう一つの魔宝石は失敗作で命を奪ったものだ。本題に入る前にリットに聞いておきたいことがある。魔宝石を手に入れたことがあるか?」
「前にな。箱に入れて渡された」
リットはリゼーネ王国で買った小さな魔宝石を思い出しながら言った。
「そう、魔宝石は保存することが出来るのだ。魔法陣を書いて制御された箱の中でな。――さて、ここで本題に戻ろう。果たして、ふたつ目の魔宝石は本当に使われていたのか?」
「……ないだろうな。研究所に残っていたメモのことを考えると」
「ほう……」
グリザベルは感心と、話が通じた喜びが混ざったような声を上げた。
グリザベルの推測通り、リット達が霊鳥フェニックスを生み出す為のメモだと思っていたものが、城に入り込んだ魔神フェニックスを還すためのメモだったならば、ふたつ目の魔宝石でヨルムウトル中の命を奪ったのはおかしい。
ディアドレが還す儀式の為の材料を探しに出た時に、魔神フェニックスが死の歌声をあげたと考えれば、ディアドレ一人が生き残ったのも頷ける。
「そうなると、魔神フェニックスを呼びだしたのはディアドレか、それとも別の人物なのかってことになるな。グリザベルは子孫なんだろ。関係するような話を聞いてないのか?」
「ディアドレはヨルムウトルで子を産み、危険を察してかその赤子を遠くの知り合いに預けた。そして引き取らぬままテスカガンドへと身を寄せた。故に子孫である我も、ヨルムウトル崩壊直前からのディアドレのことはよう知らんのだ」
グリザベルは眉間にしわを寄せて、困ったような顔を浮かべる。
「結局ヨルムウトルはどうなってたんだ?」
「魔神フェニックス本体は飛び去ったが、転生前のフェニックスの思念が影達のようにヨルムウトルに縛られていたのだろう。魔神フェニックスの転生の歌声でヨルムウトルは滅び。ヨルムウトルの念の力で魔神フェニックスもまた縛られていたということだ。詳しいことはわからぬがな……。――それでだ。我はしばらくこの地に残り、調べ進めようと思っておる」
そこまで言うと、グリザベルは急に申し訳無さそうな顔をした。
「なんだ? ……手伝わねぇぞ」
「違う。我はやることがあるから、そなた達にはついてはいけないと言っておるのだ」
グリザベルは長い髪が床に尽きそうなくらい深々と頭を下げた。
「あん? 別に誘ってねぇぞ。ついて来られても迷惑だし」
「なっ!? 普通こういう時は、仲間を増やして新たな地へと旅立つのが定石であろう!」
「旅立たねぇよ。オレはこれから家に帰るんだ。雪が降らねぇうちにさっさとな」
「そんなに急がなくてもよいではないかー。友との別れは惜しむものだぞー!」
「急ぐんだよ。山を超えるのに雪が積もってたら困るからな。明日。いや、早ければ今日にでも帰るぞ」
リットの突然の発言にノーラが驚きの声を上げた。
「旦那ァ、私聞いてませんぜェ」
「言ってねぇもん。それに今ならチルカを置いていけるからな」
妖精の白ユリのオイルの明かりではなく、直に当たる太陽の光が気持ち良いのか、チルカは朝ごはんも食べずに外をうろついていた。
「そうはいかないのよね」
指輪を二つ両肩に担いだチルカが飛んできて、テーブルの上に落ちるように降りた。
「なんでオマエがそんなもの持ってんだ?」
「地下室で見つけちゃった」
チルカは声を弾ませる。
地下室にあるフェニックスの鳥籠の格子の間は、リットは通ることができなかったが、チルカのサイズなら楽々間を通り抜けて指輪を取ってくることが出来る。
「でかした!」
「なぁに言ってんのよ。これは私のものよ。私がなんでアンタについて来たと思ってんのよ。こいつを売っぱらって、捨てられた家具の代わりを買うのよ! ――さぁ、買い取りなさいよ!」
チルカはローレンに向かって投げ捨てるように指輪を置いた。
ローレンは指輪を手に取ると、陽の光に透かしてしげしげと眺める。
「これは木で作った土台で、ただのガラスをはめ込んだものだね」
「如何にも。我が影執事に作らせたものだ。地下のヨルムウトル王の様子を見るのにな。本物の宝石を投げるのには、流石に勿体無くてな」
最初にリットが地下室へと案内された時には、本物のサファイアの首飾りを投げ入れていた。今思えば化けの皮が剥がれる前の事だったし、思いっきりカッコつけていたのだろう。
「紛らわしいことしてんじゃないわよ! つまんない城! さっさと帰るわよ、こんな城!」
「意見があったな。帰る奴は急いで支度しろ」
リットは冷めたカボチャのスープを一気に流しこむと、立ち上がって荷物が置いてある部屋へと向かった。
「帰るか……。ならば我は笑って見送ってやろう」
「さーみーしーいー! さーみーしーいーぞー!」
グリザベルは駄々をこねる子供が母親の服にしがみつくように、馬車の幌を握っていた。
「まぁまぁ、ボクはしばらくいるから」
マグニがあやすようにグリザベルの背中をさする。
「わ、我の真の友は……。マ、マグニ一人だけだ」
リットは鼻水を垂れ流して涙を浮かべるグリザベルを見ると、今度はヨルムウトル城を見上げた。
「最初、この城とグリザベルに少しビビッてたのがバカらしくなるな」
「少しィ?」
ノーラはからかうように目を細めてリットの顔を見上げた。
「うるせぇな」
「ふははは! 恥じるでない、リット! 我の威光に圧せられたならば致し方ないことよ!」
まだ目尻に涙を浮かべながら、グリザベルが高笑いを響かせた。
「……うるせぇな。泣くかバカ笑いを響かせるか、どっちにかにしろよ」
「しかし、本当によいのか? 謝礼はしっかり用意しておるぞ」
「オレは今回掛かった費用と報酬はローレンから貰う約束してるからな。そして、そのローレンは巨乳からは金を取らねぇ」
リットは馬車に乗り込みながら答える。
「そうか……。もし、我を頼ることがあったらブラインド村に来るがよい。グリングリンお婆のところで世話になりながら、ヨルムウトルの研究を続けるつもりだからな」
「オマエは……。誰かの世話にならねぇと生きていけねぇのか」
「モテるということはそういうことだ。我を世話したいと思うものがおるのならば、我はそれに答えねばならん」
「あのセリフはオマエのせいだぞ」
リットは台詞の引用元のローレンに言った。
「僕で良かったらいつでもお世話をしに来ます。香るバラの花びらをベッドに散らし、その上に横になって、あなたという愛の女神を迎え入れましょう」
「そういう台詞は帰ったら、サンドラにでも言ってやるんだな」
「そうだった。キミという花を遠くから眺めてみたくなったんだ。いや……、僕の心の寒さを温めるのはキミしかいない。うーん――」
ローレンは謝罪の言葉というよりも、口説き文句をブツブツ口に出して考えていた。
リットはノーラを馬車に引き上げると、グリザベルの方を向いた。
「じゃあな」
「別れの言葉はないのか?」
「だから今言ったろ。じゃあなって」
「我はリットとも、友になれたと思っておる。名残惜しんで、詩の一つでも読んでから別れてもよいではないか」
「友達なら仰々しい別れの言葉を交わすよりも、暇になったら会いに来いよ。――じゃあな」
リットが顔を引っ込めると、馬車の車輪が乾いた土の上で回り、黄土色の砂塵を巻き上げた。
砂向こうので、大きく手を振るグリザベルの影が見える。
「じゃあな!」
リットと同じ言葉で別れを告げたグリザベルの声は、ヨルムウトル城のあるザラメ山脈にこだまし、いつまでも響き渡った。
二章の「漆黒の国の魔女編」はこれで終わりです。




