第二十三話
目がくらむように鋭く走る閃光は、景色を真っ白に染める。
一瞬の出来事であったが、強い光のためしばらく目を開けることが出来なかった。
やわらかく甘いヒッティング・ウッドの焼ける匂いと、大気を焼き焦がすような音が聞こえる。
瞼の裏に焼き付いた光が消えると、ヒッティング・ウッドの灰の山の前で立ちすくむノーラの姿があった。
閃光の正体は見当たらず、かがり火が風に煽られ不気味に揺れている。試しに空を見上げるが、相変わらずの黒雲が渦巻いているだけだった。
「おい、ノーラ! なにしやがった!」
「わ、私じゃないっスよ!」
ノーラは地面に落ちている柄の端まで焦げたマッチを踏みつける。靴裏で擦られたマッチからは、まだわずかに黒煙が出ていた。
リットは睨み目のまま、ノーラの近くにいるマグニへと視線を移した。
「ボ、ボクでもないよ!」
マグニも手を離し、マーメイド・ハープを浴槽の水の中に落とした。跳ねた雫が浴槽下に転がっている空き瓶を濡らす。
空き瓶の口は既に別の液体で濡れていて、水滴を弾いている。予備で持ってきた妖精の白ユリのオイルの瓶の一本であることに間違いない。
リットは使用済みのマッチと、妖精の白ユリのオイルが入っていた空き瓶をもう一度見やると、ノーラに近付いていた。
ノーラはそれだけで、あっけなく口を割る。
「一本だけっスよ。一本だけ使ったんっス。マグニの作る火の鳥がキレイだったんで、小さいのを作って見ようと思いましてねェ。ちゃんと余った枝を使いましたからご心配なくっス」
「何をしたんだ?」
リットの顔は怒りよりも驚きに満ちていた。
「だから、旦那と同じことでさァ。マグニにマーメイド・ハープを演奏してもらって鳥の形を作ったところに、マッチをポイってなもんで。結果爆発しちゃったんスけど、あはは」
リットは乾いた笑いを浮かべるノーラをじっと見ると、影執事達に残りのヒッティング・ウッドを運んでくるように言いつけた。
そしてノーラからマッチ箱を取り上げると、代わりに長い柄のマッチを渡した。
「こっちのマッチを擦ってみろ」
「私が火をつけたらどうなるか旦那も知ってるでしょ。マッチの長さは関係ありませんぜェ」
「んなのわかってるよ。確認だ」
「何をしたって、変わるわけじゃないと思うんスけどねェ……」
ノーラは一本取り出すと、マッチを擦った。シュッと音を立てながら火がつくと、何十本もマッチを重ねたような大きな火柱が上がり、柄を食いつくすように手元まで焦がしていった。
「ね、だから言ったじゃないっスかァ」
ノーラは慌てて手を離し、燃えるマッチを踏みつけて火を消した。
「火力だ!」リットとグリザベルが同時に声を上げると、驚いたノーラは雷にでも打たれたようにビクッと肩をすくめた。
「ヒッティング・ウッドとマーメイド・ハープ。この二つが明確になっているのに、オイルだけは不明確なままだった。このヨルムウトルで研究半ばのまま亡いたならばともかく、ディアドレはテスカガンドに亡命しておる。幾度失敗してもエーテルの研究を続けたほどの完璧主義者だ。この城にメモだけ残して、研究を途切らせるとは考え難い……」
グリザベルは喋りながら歩くと、ヒッティング・ウッドの灰の山の前で立ち止まる。しばらく眺めると、灰をつまみ上げて観察を始めた。
「でも、諦めたからこの城の研究室にメモを残したままだったんだろ」
「恐らくディアドレの研究自体は終わりに向かっていた。しかし、手段がなかったのであろう。――フェニックスの命の源となる炎を作るには、生半可な炎では意味を成さないということだ」
「確かにノーラには、火を使えば何でも一瞬で黒焦げにするくらい火力が上がる不思議な力があるな」
「手を差し出せ」グリザベルはリットの手のひらを人差し指の腹でなぞり、灰で二本線を引いた。そして左側の灰の線を指先で突いた。「こっちがリットが燃やしたヒッティング・ウッドの灰」次に右の線を指す。「そして、こっちはノーラがヒッティング・ウッドの枝を燃やした灰だ」
「で、なんだ?」
リットは見た目は全く同じ二本の灰の線を見ながら言う。
「わからんか? ノーラが作った方の灰は、濃い魔力が放出された跡がある」
「魔力……。魔力ねぇ……」
「そうだ」
「……これが」
リットは手のひらをグリザベルに向けると、そのままグリザベルの顔を掴んだ。
「これ、なにをする!」
「んなもん、オレにわかるわけねぇだろ。口で説明すりゃ充分だっての」
「わかった! わかったから、顔に灰を擦り付けるでない!」
リットが手を離すとグリザベルは顔を拭ったが、汗を含んだ灰を塗られた為、思うように取れなかった。グリザベルのの白い顔が、灰で死人のような不気味な色になっていた。
「結局なにが言いてえんだよ」
「ヒッティング・ウッドにこもっている微々たる魔力を増幅させるには、高温で一気に燃やす必要があるらしい。だから、より燃焼性の高いオイルを探していたのだろう。妖精の白ユリはその一候補だったというわけだ」
「火というよりも、雷が落ちたような光だったからな」リットはさっきの光景を思い出していた。
「いやー、あれはビックリしましたねェ」ノーラの口調はどこかのほほんとしている。
「なんだ、いきなり話に入ってきて」
「グリザベルの話の内容は全く分からなかったスけど、とりあえず怒られるわけじゃないというの察しましたから。むしろ褒められるべきだと思いました」
ノーラは両手を腰に当てて背を反らし、ふんっと荒めの鼻息を一つ吐いた。
「確かに……。リットが火をつけても何も起こらなかったのを思うと、ディアドレの予想を遥か上回る火力が必要だったのだろう。ノーラがいなければドラゴンを捕まえて、火炎を吐かせなければいけなかったかも知れぬ」
「んな大げさな。オイルを染み込ませた布でも投げつけりゃいいだろ」
「聞いておったか? ヒッティング・ウッドの魔力を増幅させると言っただろう。この時点で魔力を持った灰が必要だと察せぬか。魔力の流れは繊細なもの。つまりは、布の灰などと言った不純物を混ぜてはいかんということだ」
グリザベルは強引に話を終わらせる。
既に離れたところでは、影執事達がヒッティング・ウッドの設置を終えていた。
ヒッティング・ウッドの数も減っているので、一回目ほど高くは積み重なっていない。これで失敗すれば、またオークの村までヒッティング・ウッドを取りに行かなければならなかった。
「旦那、よく聞いてくだせェ」
「なんだ?」
「マッチであーなるんスから、これだと丸焦げになると思うんですけど……」
ノーラの手には松明があった。ヒッティング・ウッドを細く削りだし、それを幾つも束ねて円錐状にしたものだ。火がつきやすいように先端はささくれ立たせている。
「灰を作るんだから、丸焦げになっていいんだぞ」
「違いますよォ! 私の方です! わ・た・し!」
「大丈夫だ」
「本当スかァ……」
「オイルに火をつけたら、すぐにマグニの浴槽に飛び込め。いいな?」
リットはノーラのいる場所から、マグニの浴槽までつま先で線を引いた。
「いいな? じゃないっスよ。なんで私がそんな命がけのことをォ……」
「オマエしかいないんだからしょうがないだろ。――今日ほどオマエがいて良かったと思った日はない……」
「私の評価がそんなに低かったとは……。よよよー」
ノーラは地面に倒れ込むように座り、いじけたポーズを見せる。
「良かったな。評価を上げるチャンスだぞ」
「もう、そういうことじゃなんスけど。まっ、やってやりましょう! 実はというと少しワクワクしてるんスよ。火の鳥に卵を生ませれば、いつでもゆで卵が食べられるって寸法っスから」
「思い切りが良い奴で助かった。いつもはそのせいで迷惑掛けられてんだけどな」
「やーやー! 旦那ァ! さっさとフェニックスとやらを呼び出してください。私が見事一突きで仕留めてみせやしょう!」
ノーラは松明を槍に見立てて、ヒッティング・ウッドの枠組みに向けて何度も突いた。
「こらこら、突くのではなく火をつけるのだ」
グリザベルは心配そうに、ノーラの後ろで手をそわそわさせている。
「ほっとけ。どうせあの閃光が起これば、驚いて手を離すって」
「それもそうか……。よし! 頼むぞマグニ」
「あいあいさー!」
マグニはグリザベルに向けて調子外れに敬礼すると、マーメイド・ハープに手を添えた。
美しい音色と共に、妖精の白ユリのオイルは鳥に形作られていく。
そして、完全に鳥の形になったところで、ノーラは松明の先に火をつけてオイルの鳥に向けて突き出した。
「ちょいさー!」
ノーラの気の抜ける掛け声が聞こえると同時に、辺りは閃光に包まれた。
今度はなにが起こるかわかっていたので、リット達はしっかり目を手で覆う。それでも手を透かすような強い光だった。
肌の色が透ける視界の中、ドボンと水に飛び込む音が響き、マグニの演奏も途切れた。
ほんの数秒の出来事。
目を開けた時には、ヒッティング・ウッドの枠組みは灰になり崩れていた。
――しかし、フェニックスの姿はない。
「まぁた、失敗っスか?」
前髪を焦がしたノーラが、マグニの浴槽から顔を出して言った。
「いや、そうではない……。――見よ!」
グリザベルの声は興奮で上ずっている。指す先では、灰山が僅かに蠢いていた。
灰の山が崩れる度に白煙を登らせる。隙間からはマグマのような赤いものが見えている。
雛が卵の殻を破るように、少しずつ時間をかけて灰の山から正体を現した。
――思わず目を塞ぎたくなるような醜悪な姿をした鳥だった。
ゲッゲッと苦しそうに産声をあげると、羽は抜け落ち、腐ったような肉が剥がれ、肋骨がむき出しになった。
腐敗臭の代わりに、吐きそうになるほど甘いにおいを振りまいている。
フェニックスと思われる鳥は、零れ落ちそうな目玉で辺りを睨むように見回した。
「あれがそうとは思えないな……」
リットは鼻を手で覆いながら言う。
グリザベルも鼻を手で覆い、考え事をまとめるように一人でぶつぶつと何かを言っている。数分経ったところで、ようやくリットに答えた。
「――あれをフェニックスと呼びたいなら。……理由付けはできる」
「……オレはノーラじゃねぇから、そんなので誤魔化されないぞ」
リットはフェニックスと言うよりも、山道に落ちている狼に食い千切られた鳥の死骸のような生き物を見ながら言った。
真っ赤な羽毛がまだ熱を持っている灰の上に落ち、ブスブスと煙を上げる。既に半身は骨だけになっていた。
「ヨルムウトルの影達と同じようなものだ。転生を繰り返すフェニックスの生命の欠片が集まったもの。命の魔力がこめられたヒッティング・ウッドは冥府の扉を開ける鍵。感情豊かに響くマーメイド・ハープの音色は現世への導き手。太陽の輝きを放つ妖精の白ユリのオイルは魂を移す器。――そして、太陽とは昇るものだ」
グリザベルは空を指した。
グリザベルと違い、リットは半疑のまま、うずくまるようにしているフェニックスを眺める。
するとフェニックスはボロ布のような翼を広げ、金属を勢い良く擦り合わせたような奇声を発し始めた。
苦しみの悲鳴にも似た鳴き声は、世界中に響き渡っているのではないかと思うほど大きい。
一際高く鳴き声を響かせると、ボロボロの翼と骨だけになった翼を大きく何度もはためかせて、灰を撒き散らす。
そしてまた苦しそうな鳴き声を唸りあげると、上空を目指して飛び立った。
かろうじて一本残っているフェニックスらしい長い尾羽が、真っ暗闇に赤い道筋をつける。
フェニックスに遅れ赤い道筋を辿り、闇と同じ色をした黒い物体が幾つも伸びていた。螺旋を描き、黒い中に赤い道が見え隠れしている。
黒い物体はヨルムウトル城から伸びていっている。人の形を成していないので、それが影執事達だということにすぐに気付けなかった。
リットが気付いたのは、ずっとグリザベルの面倒を見ていた影執事が、グリザベルに向かって深々と礼をしているのを見たからだ。
影執事は言葉を待つように、頭を下げたまま動かない。
グリザベルは言葉を探しあぐね、それでも何か言おうと唇をもごもご動かしている。
「……長らくの務め、大儀であった」
短いグリザベルの言葉を受けて、影執事は顔を上げる。真っ黒で平面な顔はどこか笑っているように見えた。
影執事はリット達に向けて頭を下げると、身を翻し仲間の後をついて天に伸びる赤い道へと向かった。
気付かないうちにフェニックスは真っ赤に燃えていた。燃え盛る翼を大きく広げ、風と闇を切り裂いて一直線に飛翔を続ける。
闇に向かうフェニックスはいつしか閃光に変わった。覚えのある強い光だが、何故か目は開けていられる。
リットは真っ白に染まる世界で沈黙を聞いていた。ノーラの姿も、グリザベルの姿も、誰の姿も見えない。
――自分の姿さえも。
肉体は無く、自分の存在はここにあるという思考に縛り付けられているような不思議な感じだ。まさに夢見心地。
少し離れたところに見知らぬ男が立っていた。年老いてやつれた瞳で、こっちを見ている気がする。
リットが彼の顔を見ようと思った瞬間、男はバツの悪そうな顔を浮かべて目を逸らした。何か言おうと口を動かしているが何も聞こえない。そもそも唇を動かしているだけで、何も言っていないのかもしれない。
今度は女性が出てきた。男よりいくらか若いが、老という言葉が付く。やはりというか、見知らぬ顔だ。
女性は励ますようにニッコリ笑いながら男の手を握る。男が意を決したように顔をあげると、老夫婦の姿はなく、二人共若返っていた。服装まで変わっている。
男はやたら装飾が入ったマントを脱ぎ捨てると、リットに向かって頭を下げた。同時に女性も頭を下げる。
二人が顔を上げると、その後ろにはいつの間にかたくさんの人が立っていた。
皆リットに向かって頭を下げると、一斉に道を開けた。
夫婦の二人はその道をゆっくりと歩いて行く。
端まで歩いて行くと立ち止まり、振り返ってもう一度リットに向けて頭を下げた。
その瞬間。リットの視界は突然青空に奪われた。柔らかな日差しが降り注ぎ、まるで春の訪れを見ているようだ。
ヒッティング・ウッドの灰から香る甘い匂いのせいで、夢見心地のままの頭を振り払うと、リットは振り返った。
皆先程までのリットと同じように、空を見上げたまま固まっていた。
その中でグリザベルがポツリと呟くように言った。
「ヨルムウトル王もいったぞ」
「そうか……あれが」
リットは老夫婦の姿を思い出していた。
「すると、女の方はディアドレか?」
「あぁ、そうだ」
「……同じものを見ていたのか?」
「恐らくな」
話している間、グリザベルは一度も青空から視線を逸らさなかった。
リットはもう一度辺りを見回した。
葉の禿げた木のおかげで青空がよく見える。雷が落ちるたびに不気味に浮かび上がった白い城壁は、太陽に照らされ青空によく映えた。
廃城であることには変わりないが、優雅にそびえている。
そして、生きている者の姿以外誰もいない。
ヒッティング・ウッドを運んでいた影執事達も、元からいなかったかのように消えていた。
この様子だと城の中にいた影達も皆いなくなっているだろう。
「おい、ノーラ。城の中に戻るぞ」
「あい」
ノーラは浴槽に入ったまま焦点の合っていない目で返事をする。まだ青空を眺めていた。
「ちょっとー! ボクの事忘れてるよー! 影執事がいなくなっちゃったんなら、リットに運んでもらわないと」
マグニは尾ビレで浴槽の水を叩いて飛沫を上げると、自分の存在をアピールした。
「ったく……。浴槽は我慢しろ。んなの運べねぇから」
「了解!」
マグニは飛びつくようにリットの背中に乗った。
「ノーラ。オマエはチルカを拾って来い」
「どこにいるんスか?」
ノーラは空を見上げるのをやめて、辺りをキョロキョロ見回しながら言う。
「光ってるからすぐに見つかるだろ」
「それは、ついさっきまでの話ですぜ。こう明るくちゃ、チルカの光なんて目立たないんスから」
「そういえばチルカが光るのは暗いところ限定だったな。……枯れ草に火をつけろ。飛び上がってきたのがチルカだ」
「またなんか燃やすのー?」
マグニはリットの肩を叩きながら楽しそうに言う。
「そうだ。背中で暴れるやつから順にな」
「そんな怒んないでよー」
「たださえ魚の下半身は引っ掛けるところが少なくて持ちづれぇんだから、おとなしくしてろ」
「じゃあ、人間の脚に変身する?」
「――んなことできんのか?」
「できないよー。あっはっはー」
テンション高く言うマグニにイラッときたリットは、マグニから手を離した。
「背負うのはやめだ。引きずることに決めた」
リットはマグニの尾ビレを掴むと、そのまま歩き出す。
「痛い! 痛い! お腹が擦れるよー!」
「楽なダイエット方が見つかって良かったな。部屋に着く頃にはスリムな体型になってるぞ」
「やだやだー! 鱗がとーれーるー」
「ナマズに鱗なんてねぇだろ」
「……そういえばそうだった」
すぐにいつも通りやかましくなったリット達を見ると、グリザベルは微笑んだ。
そして、また青空に視線を移すと、自分自身に言い聞かせるような小さな声で呟いた。
「蔓延る夜も霧も雨も取り除いたぞ。星光のヨルムウトルよ」




