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ランプ売りの青年  作者: ふん
漆黒の国の魔女編(下)

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第十六話

 リットは夢に星を見ていた。美しく澄んだ夜空に無数の星が輝く、色褪せることのない夜空の星だ。

 流れ星が線を描き、星と星とを繋ぐ。繋がれた星は大空に絵を描いた。星が瞬く度に、絵は様々な形に変化していった。

 魚が大鷲に食べられて、大鷲は狩人に射抜かれる。狩人は四つ翼のドラゴンに焼かれ、ドラゴンはクジラに飲み込まれた。クジラは二匹の狼に食い千切られてバラバラになり、バラバラになった欠片は再び夜空に浮かぶ星になる。

 そんな映像を見せつけられているように、星が生きているように輝いていた。

 あまりに圧倒される光景は、自分が見上げているというよりも、星に見下ろされている感じがする。


 長い夢は生活音を響かせて唐突に終わりを迎えた。

 リットの寝ぼけ眼には、ノーラがスプーンでスープの入った木の器を叩いている姿が映っている。

 リットの視線に気付いたノーラは、木の器を叩くのを止めた。

「起きましたかァ? いいかげん料理が冷めますよォ」

 ノーラの言葉に遅れて、青臭いかぼちゃのスープのにおいが鼻に届いた。

 ノーラはやまぶき色をしたスープがこぼれそうなほど器を傾けてリットに見せつけると、早く食べるように促した。

「スープか……」

 リットは鈍く疼くこめかみを押さえながらベッドから起き上がると、足の筋を切られたみたいな覚束ない足取りでテーブルまで向かった。

「あとは石みたいなパンも」

 ノーラは半分になったパンを手に取って、リズム良く二回テーブルを叩く。ポロポロと固いパンのクズがテーブルに落ちた。

「……スープだけでいい。朝は腹に入りそうにねぇからな」

 頭は両端に鉄を縫い付けられたように重く、つい今しがたまで走っていたように体が重い。考えるまでもなく、体は二日酔いに打ちのめされていた。

「そう思いまして、他のオカズは全部私が平らげておきましたぜェ」

 テーブルの上にはスープが入っている器に、無地の布の上に置かれたパン。魚の骨が端に寄せられている汚れた皿がある。

 スプーンも既に使った跡があるが、リットは気にせずスプーンを使ってスープを飲み始めた。

 スープは既に冷めている。

 かぼちゃのスープは大した味付けはされていない。冷めていると、押しつぶしてペースト状にしたカボチャを水で溶いただけのように感じる。

 リットは一口、二口とだるそうに音を立ててスープを飲んでいった。

「よくまぁ、そんなブビブビ飲めますねェ。私はパンを浸しながらじゃないと、とてもじゃないけど飲めませんでしたよ。魚料理の方は美味いんスけどね、それも続くと飽きちゃいますよ」

 そう言って尖らせた唇がヌメヌメと光っている。

「魚が続いてるっていうのに、オマエの息は鶏臭えな」

「おぉっと」ノーラは手の甲で唇に付いた鶏の油を乱暴に拭く。「今日はたまたま漁網に水鳥がかかったらしいですよ。温かい内にどうぞって言うもんですから。冷めたのを旦那に食べさせるわけにもってなもんで。ねェ?」

 ノーラは同意を求めるように首を傾げた。

「同じセリフをスープの時にも言われてるはずだと思うが。――どうせ食う気は起きねぇからな」

 困ったことに、わずかに胃液の臭いをさせてもお腹は減っている。固形物を喉に通した瞬間に、食道のダムは決壊するだろう。

 リットはスープの器を手に持ち、少ない残りを一気に胃に流し込んだ。

「そうでしょう。そうでしょうとも」

 リットに怒られなかったノーラは、手柄をとったかのように偉そうに言った。

「今何時くらいだ?」

「朝ごはんを食べて、ごろごろして、小腹が空いたから旦那の分の鶏肉をつまんで、またごろごろして、暇になったから旦那を起こしたから――」

 ノーラの話の最中に控えめなノックの音が聞こえた。そして、ノックの音と同じくらい控えめにドアノブが周り、ゆっくりとドアが開いた。

「昼食はどうしましょう?」

 宿屋の主人がドアの隙間から顔だけ覗かせて言った。

「――昼っスね」

「……言われなくてもわかったっつーの」

 リットが昼食はいらないと言うと、宿屋の主人は残念そうな顔をして「そうですか」と言ってドアを閉めた。

「私はお腹が減ってなくても食べられたんスけどね」

「無理して腹に詰めると、マグニになるぞ」

「でも、宿屋のおじさんは寂しそうな顔してましたよ」

「ずっと宿屋を休業してたから、客がいるのが嬉しいんだろ」

 リットはずり落ちるように椅子に浅く腰掛けて、背もたれに寄り掛かった。そしてだるさに任せて目を閉じる。

 テーブル上のロウソク火が瞼の裏に焼き付いていた。ゆらゆら燃える炎は催眠術を掛けるようにリットを眠りに誘う。

 闇に揺らめくロウソクの炎が砕け、火花が散った。

 リットが慌てて目を開けると、目の前には手のひらが合わさったノーラの両手があった。

「ハエっスよ。旦那の邪魔をしたわけじゃないですよォ。そこのところ誤解なく」

 ノーラの言うとおり部屋のどこからか、耳障りなハエの羽音が聞こえている。

 ブラインド村は漁業が盛んなため、干物や魚から出る生臭いゴミにハエが寄ってくる。ハエが部屋に入ってくるのも今日だけのことではない。

 ブラインド村に限らず、夏とハエはセットのようなものだが、一度気になりだしたらチルカと同じくらいやかましく感じてくる。

 チルカとハエを関連付けて考えていたことを本人が聞いたら、一緒にするなと憤慨するだろう。

 妖精の羽は鳥とは違い翼ではない。羽は蝶とトンボの中間の様な形をしている。他の妖精もそうかはわからないが、チルカはそうだ。

 その羽根に細い胴体が合わさると、どうも羽虫に見えてしまう。ハーピィが妖精と同じサイズだったならば、きっと小鳥に見えるだろう。

 そんなことを考えていたリットの頭に何かが引っかかった。しかし、その何かが沈んだまま浮かんでこない。

 いくら考えても、手の届かない肩甲骨の下辺りが痒くなるようなもどかしさが増すばかりだ。

「……旦那ァ。……もしかして怒ってます?」

 ノーラが目の前で手を叩いた瞬間から、リットは目を開けたまま黙り込んだ。考えを深めるにつれて、目が細く鋭くなっていったので、ノーラは少し心配していた。

「いいや。こう……思い出せそうで思い出せなくて、頭の中が沸騰しそうなんだよ」

「そりゃあ便利っすね。どこでも温かいお茶が飲めて」

 ノーラは白い歯を見せるようにニカッと笑った。

「……でかした!」

 リットは自分が出した大声にズキリと頭を痛めて、こめかみ辺りを押さえる。

「なにしてんすかァ」

 ノーラは水差しからコップに水を注ぐと、波波に注いだ水をこぼしながらリットの前に置いた。

 リットは頭痛を誤魔化すように喉を鳴らして水を飲むと、だるさを外に逃がすように大きく息を吐いた。

「で、なにがでかしたんです? 褒められた理由がわからないと、喜びようがないってもんでさ」

 ノーラは右腕で拳を握り、それを振り上げて喜ぼうか、控えめにガッツポーズをしようか、迷ってる風に腰の下でブラブラさせている。

「笑え」

「はい?」

 ノーラは高く頓狂な声を上げる。

「だから笑えよ。得意だろ? 笑うの」

「いやー……。そう言われましてもねェ。笑うのは嫌いじゃないスけど……。いきなりっていうのも、なんかおかしくないっスか?」

「おかしくねぇよ。いいから、ほら早くしろ」

 ノーラは疑問の表情を浮かべていたが、一度咳払いをしてもったいぶるとニンマリした半端な笑顔を浮かべた。

「違う違う。いつもみたいに脳天気な笑顔だよ。無駄にでかい口を開けて歯を見せて笑ってるだろ」

「そんな言い方あんまりっスよ。――でも、なにかご褒美があれば頬が緩むかもしれませんねェ」

 ノーラは腕を組んで悩む素振りをしながら、横目でリットの顔を見ている。

「……高えのはダメだぞ」

「大丈夫っス。私の贅沢なんて小さなものですから。――いざ」

 ノーラはまたもったいぶって咳払いをすると、今度はいつも通り愛嬌のある顔でニカニカと笑った。しかし、リットの表情は渋い。

「なんか違うんだよな……。他にいたのはマグニにチルカ。グリザベルは確かいなかったな……」

 リットは考えを口にしてブツブツ言いながら部屋を出て行く。

「旦那ァ……。旦那ァ! 私はいつまで笑ってればいいんスかーッ!」



 サワガニが大移動していた。川石に足が生えたかのように、集団で川沿いをガサガサ歩いている。自分の体の何倍もある岩を乗り越え、青あざのような色をした胴体と小さく丸いつぶらな瞳を浅瀬から出していた。

 一匹残らず同じ方向へ進んでおり、途切れることなくサワガニの大行列が出来ている。

 リットが向かう先とは反対方向へと行軍を続けるサワガニは、川鳴りを一層騒がしくさせた。

 時折列からはみ出したサワガニが、踏み出されるリットの足から逃げていく。

「なんか異変でもあったんスかねェ」

 ノーラは遠く闇に消えていくサワガニの先頭集団を見ながら言う。

「異変といえば異変だろうな。あんなのがいきなり聞こえてきたら、その場で気絶するか逃げ出すの二択だ」

 サワガニに聴覚があるとは思えないが、川の生き物を騒がす原因はハープの音色だろう。

 マーメイド・ハープの音色は水を形作る力があるので、不完全な音色は不快に水や大気を振動させるのかもしれない。

「ハープってそんなに上手くならないもんなんスかねェ?」

 リット達がマグニのハープの練習に関わるようになって一週間以上経つが、未だ単音ですら綺麗にハープの音が鳴ったのを聞いていない。

「オマエの家事と一緒だろ」

「火事は得意なんスけど」

 リットとノーラはとりとめのない話をしながら、マグニのいる大岩へと向かっていた。

 大岩付近で、ランプの僅かな明かりの中にマグニの姿と黒い塊が見える。

 リットの姿に気付いたマグニが大きく手を振った。

 手を振っている右腕では、真珠のネックレスが揺れている。

「おっはよー!」

「もう昼も過ぎただろ」

「はじめの挨拶はいつでもおはよーだよ。さぁ、リットも言ってみよー! おっはよー!」

「はいはい。おはよーおはよう」

 リットは口だけを動かして適当に言うと、若干のえくぼを作ったまま倒れているグリザベルの頬をペチペチと叩いた。

「あと、十分くらいしたら自分で起きるよ」

「教える側がいちいち倒れてたら、上手くならねぇよな」

「これでも、前より上手くなったんだよ。聞いててね」

 マグニは制止しようとリットの手よりも早く、ハープを弾き始めた。

 相変わらずハープの音とは思えない酷い音色が響くが、いつもとは違っていた。

 マグニが短いフレーズを弾き終わっても気絶することはないし、いつもの悲鳴のようなものの中にメロディーのようなものが混ざっていた。

「おぉ……。私倒れませんでしたぜ」ノーラは驚いて目を丸くする。

「耳障りなことには変わりねぇけどな」リットは塞いでいた耳から手を離した。

「でも、私が家事をして、物を三つだけしか壊さないようなものですよ」

「……そりゃすげぇな」

「ボクのことより、リットの方はどんな感じなの?」

「オレの方も進んだな。それで材料を取りに来たんだけど……。――いねぇな」

 リットはランプの明かりで照らしながら辺りを見回した。

 探しているのはチルカなので、ランプの明かりで探す意味はなかったが、なんとなくその方が見付けやすい気がした。

 リットの視線は地面ではなく空中をさまよっていたので、マグニも探しているものが何かわかった。

「チルカなら巻き貝を探してたよ」

「貝? アイツいつから肉食になったんだ?」

「食べるんじゃなくて、部屋のインテリアに飾るんだってー」

 巻き貝を? と思ったが、チルカのサイズなら椅子でもテーブルでも小物入れにでも、何でも使えそうだ。

 貝を探しているなら川べりにいそうなものだと思って、リットは視線を川に移す。

「岩の向こうにいると思うよ」マグニは大岩に向かって大声を響かせた。「チルカー! チールーカー! チルチルチルカー!」

 マグニの声は川に吸い込まれるように、こだましながら消えていった。ややあって、岩陰からこぶし大の光がふわふわ出てきた。

 優しい光は棘々した言葉を響かせる。

「うっさいわね! 一回呼べば聞こえるわよ!」

 チルカはふてぶてしい表情で唇を吊り上げている。

「今日も不機嫌だな」

 リットは思ったことをつい声に出した。

 チルカは聞き逃すことなく、いつも通り噛みつく。

「なによ。喧嘩売るために呼んだんじゃないでしょうね」

「違う違う。これ忘れていってたぞ。大事なものなんじゃないのか?」

 リットが握ったまま腕を差し出すと、チルカは訝しげな表情で近づいてきた。

 リットはチルカが手元まで近づいてきてたのを確認すると手を開いた。しかし、手の中には何もなく、手はチルカを握っていた。

「ノーラ。口開けろ」

 ノーラが「なんスか?」と言おうとした「な」で口が開いた瞬間に、ノーラの口に手の中で暴れるチルカを放り込んだ。

 しばらく手をノーラの口に当ててチルカを閉じ込めると、ノーラの頬が暴れるチルカの手や足で膨らんだ。

 リットが手を離すと、ノーラが溜まっていた空気を吐き出すのと同時に、勢い良くチルカが放り出された。

 ペッと吐き出されたチルカは、ノーラのヨダレにまみれて砂利の上に落ちた。

「いーっしろ」

 リットが歯をむき出しにして言うと、ノーラも真似をするように口をいを言う時みたいに開いて歯をむき出しにした。

 ランプの光で照らして確認すると、ノーラの歯の隙間からキラキラと鱗粉が光っているのが見える。

「よしっ、光ってるな」

 満足気に笑うリットの頬に、ノーラの唾液で濡れたチルカの拳が突き刺さる。

「よしっ。じゃないわよ! やっぱり喧嘩売るために呼んだんじゃない! 買うわよ!」

「まぁ、まてまて。たまには友好的にいこうじゃねぇか」

「どの口がそのセリフ言ってんのよ」

「口に入れたのはノーラだろ」

「ノーラの口には入ったけど、入れたのはアンタでしょ! そもそも、そういう意味で言ってんじゃないわよ!」

 リットはいつもの癖で余計なことを口走ったことを珍しく後悔していた。

 これからチルカの協力が必要になるからだ。






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