第十四話
ヘビにトカゲにサソリにクモにムカデ。どれも毒の贓物を持つ生き物が、手で軽く触れただけで崩れそうなほど干乾びて吊るされている。
とてもじゃないが、毒がなくなっていたとしても触る気にはなれない。
リットは一人、ヨルムウトル城まで戻り、ディアドレが使っていた研究室に来ていた。
マグニに作る照明ランプのことで使えそうなことを調べる目的もあったが、他にも色々確かめたいことがあったからだ。
以前にも来ていたが、ディアドレの書いたメモを見つけるとすぐにオークの村まで行ってしまったので、ゆっくりと部屋を調べることはしなかった。もう少し調べていたら、ノーラがここで見つけた種が妖精の白ユリの種だと早めに気付いていたかもしれない。
リットは他にも見落としたものがないかと、埃を蹴散らし、クモの巣を掻き分けて、研究室を調べていた。
チルカはヨルムウトル城をゴミの山と例えたが、リットにしてみれば小金持ちが捨てたゴミくらいの価値はあった。
魔女薬にはハーブを原料とするものが多々あるので、抽出の結果や考察が書かれている本があるからだ。
オイル作りにも役立つ情報が多少記述されているが、目から鱗と言うほどの情報はない。
魔女薬の本としては有用なものなのだろうが、専門外のリットにはさっぱりわからなかった。
リットは本を閉じると、元あった本棚ではなく机の上に投げるようにして積み、本棚から別の本を手に取ってパラパラ眺めると、また机の上に投げ置いた。
次にリットは、本棚の横にあるクモの巣をかぶって汚れた箱に目を付けた。
クモの巣を手で払いのけながら、机に積まれたバランスの悪い本の上へ置いて箱の蓋を外すと、雨晒しの牛革のような臭いが鼻の奥を刺激してきた。
箱の中には墨を水で薄めたような色をした物が見えたが、暗くて何かまではわからない。
リットは悪臭に顔をしかめながらランプを手に取り、箱の中が見えるように照らした。
中にはコウモリの羽根が敷き詰められており、虫に食われたようにボロボロになっている。
古いはずのコウモリの羽は、昨日切り落としたかのような妙な生々しさがあった。
長いこと見ていたいような物でもないので、蓋を閉めようと手を伸ばしたが、蓋の裏に紙が張られているのに気付いた。
これで三枚目だ。
一枚目は前にノーラが見つけた机の裏に貼り付けてあったメモ。二枚目は本棚の上から二段目の背板にも貼り付けてあった。
ディアドレはやりかけの研究のメモを一箇所にしまうのではなく、自分がよく使う場所に分けて保管する変わった癖があるらしい。
今見つけた三枚目のメモも、魔女薬ではよく使われるコウモリの羽がしまってある箱にあった。ノーラが見つけたメモは机の裏に貼り付けてあったが、その机の下には魔女薬を入れる空き瓶が保管してある木箱が置いてある。
本棚は言わずもがなだ。
しかし、一枚目のメモ以外にはフェニックスのことは書かれていなかった。
二枚目は魔法について何か書かれているが、これはグリザベルに聞かないとわからないだろう。
三枚目は植物について書かれていた。カボチャ、ニンジン、リンゴ。それに小麦とイモについてだ。
カボチャとニンジンとリンゴは、ヨルムウトル城の畑に植えられているものだ。太陽の光が届かなくても育つ不思議な野菜は、おそらくディアドレが品種改良をして植えたものだ。
――まるでヨルムウトルがこうなることを予期していたかのように。
植えられていない小麦粉とイモは研究途中で終わっていたが、主食となるものも確保する予定だったのだろう。
ディアドレが妖精の白ユリの種を手に入れたということは、花を咲かせオイルを精製することが出来る。そうすれば太陽の代わりになり、植物を育てられる。
しかし、リゼーネ王国の近郊にある迷いの森に生えていた妖精の白ユリ全部を精製しても、畑を照らすには一週間も保たないだろう。
妖精の白ユリを育てるのには、長く人の手が入っていない土が必要ということを知らなかったか、葉と花のオイルを合わせて太陽の光の色にしなくてはいけないのを知らなかったのか、ディアドレの書き記したメモを見ても、書きかけの本を読んでも、妖精の白ユリについては詳しく書かれていなかった。
太陽の代わりではなく、燃焼性の高さだけを求めて妖精の白ユリを手に入れたのだろう。
そうなると、やはりディアドレはフェニックス。または、それに近しい何かを創りだそうとしていたと考えるのが妥当だった。
リットが蓋からメモを剥ぎ取り、コウモリの羽が入った箱を元の場所に戻していると、足音が聞こえてきた。
足音はゆっくり近づいてきて、開けっ放しのドアの前で止まった。
「帰ってきたなら、一言あってもいいんじゃないかい?」
そう言ってローレンはリットではなく、首を動かして物陰や隙間を見ている。
「グリザベルなら一緒に来てねぇぞ」
「……そうかい。それなら挨拶はいらないね」
ローレンはつまらなさそうに言うと、崩れた壁の小さな破片を足でどかしながら研究室の中まで入ってきた。
舞っている埃に目を細めると、鬱陶しそうに前髪をかきあげる。
「暇なら手伝えよ」
リットは積み重なったプランターを一つ一つ外しながら、ここにもメモがないかと注意深く確認しながら言った。
プランターを持ち上げると、カラカラに乾燥した土や根が床を汚した。
ローレンは床に視線を移し、苦い薬を口に含んだような顔をすると、リットがいる方ではなく机を挟んで反対側まで歩いて行った。
「土にまみれるようなことはしたくないんだよ。だって僕の柄じゃないだろう?」
「オークの村じゃ土にまみれた汚え服を着てた癖によく言うよ」
「……確かにオークの村では、洗濯をしていたとは言えヨレヨレの服を着ていた。でも今じゃ、ミスティのおかげでほら」
ローレンは服を見せ付けるために両腕を伸ばした。
ランプの光を良く反射する広いシャツの上に、重い鉄板を押し当てたようにピシっとした飴色のベストを着ている。
リットの服を見ると、ローレンはこれみよがしにベストのボタンを掛け直しだした。
「あの影と結婚でもするつもりか?」
リットがローレンの新妻を自慢する夫のような態度に呆れたように言うと、リットの口をローレンの手が素早く押さえた。
「恐ろしいことを言うのはよしてくれたまえ!」
「影がか?」
「結婚がだよ! 僕はまだ男でいたいんだ。夫になって毎日決まった女性の元に帰るなんて、とてもじゃないけど考えられないね」
ローレンは自分を殺す計画を企てられたのを知らされたかのように、恐怖に怯えた表情を浮かべて身震いをした。
「まぁ、オレ一人の金が二人の金になるなんて、考えただけでめまいがしてくるな」
「僕の愛の価値観を、そんなケチくさいキミの考えと一緒にしないでくれたまえ。いいかい? 愛は――」
「愛は乳の重さだろ。オマエのチチくさい考えも聞き飽きたよ」
ローレンが言い終える前に、リットは言葉を被せた。
ロレーンはリットにセリフを取られたところで眉間にしわを作り、茶化されたところでもどかしそうに肩の埃を手で払った。
「いいかい? 男の目が二つある理由は両目で両方の胸を等しく見る為なんだよ。揺れ跳ねる胸の軌道は鎖となり、僕の心を縛り付けるのさ」
ローレンは自分に言い聞かすように言ったが、自分でもおかしなことを言っている自覚があるらしく、しきりに自分の言った言葉に小首をかしげていた。
「女にも目は二つあるだろうが。バカなこと言ってないでランプ作りに使えそうな物を探せよ」
「まだ何かをしなくちゃいけないのかい? オークの村にまで行ったっていうのに」
「今度は人魚だ。マーメイド・ハープの為に、キラキラ光る明かりを作らなきゃならねぇんだ――」
リットは机の上を漁りながら言うと、目の前にローレンの手が振り下ろされた。
机の上にあった瓶が割れ、本が落ち、金属の道具がぶつかり合い、騒々しい音を響かせる。
ローレンの手は机に張り付いたかのように動かず、その手を軸にして上半身を持ち上げるようにずいっとリットに近づいた。
ゆっくり頭を上げてリットを見る瞳には、研ぎたてのナイフのような鋭さがあった。
「……親友に隠し事とは感心しないね」
ローレンは机に打ち付けて真っ赤になった手のひらでリットの胸ぐらを掴んだ。
「隠すも何も、オマエがヨルムウトル城にこもってるからだろ」
「そうかい……」ローレンはリットから手を離すと、その手を首元に持って行き、人差し指でシャツの襟を引っ張って緩めた。そして、右、左、右と、首を曲げて音を鳴らす。「――さて、どこの海に行けばいいんだい?」
「とりあえず手頃な井戸の中にでも沈んでみろよ」
「僕は真面目に聞いているんだ! 海のように大きな胸を持つ人魚はどこにいるんだい? まさか独り占めするつもりじゃないだろうね」
「乳の大きさは言ってねぇだろ。それに、海というよりも水溜りだな。紹介して欲しけりゃ紹介料寄越せよ」
「なんだい。水溜りなんて有って無いようなものじゃないか。その子は本当に人魚なのかい?」
ローレンのギラギラした瞳はすっかり冷えきっていて、声もただの世間話のようなトーンになっていた。
「さぁな。人魚じゃなけりゃトドの獣人だろうな。――興味のねぇ人魚の話は置いといてだ。――巨乳ちゃんがオマエのことを探してたぞ」
「それは誰だい!」
リットは鼻息荒く近づいてくるローレンの顔に、まだ未読の本を手に取り押し付ける。
「オマエも探したら教えてやるよ」
「本当だろうね」
ローレの目がリットの顔を探るように眺め回した。
リットは何も答えることなく、別の本を手にとって中を確認する。
まだ疑いが半分残っていたが、ローレンは渋々本を手に取って捲り始めた。
それから二時間経ったが、リット達はまだディアドレの研究室にいた。
ランプの油壺の中のオイルが半分ほどなくなり、芯が音を立ててちろちろ燃えている。
「ステンドグラスはどうだい?」
「ありゃ、キラキラって感じじゃねぇだろ」
「新雪の草原」
「雪を降らすことが出来るなら降らしてみろよ」
「昔にメリーナ・グリル・フィッシュと一緒に見た、朝露に濡れたクモの巣なんていうのも綺麗だったね」
「どんだけでけぇクモの巣を探させる気だよ。それに、オマエが見てたのは昔の恋人の谷間に落ちた汗のしずくだろ」
「……キミはさっきから否定しかしていないじゃないか。そもそも僕の意見を取り入れる気はあるんだろうね」
ローレンは棚に寄りかかると、首を曲げて天井を眺めながらため息を付いた。
「ねぇよ。そういうのはまともな意見を出してから言えっての」
「そういうキミは何も考えついていないんだろう? 僕を頼って来た癖に文句ばかり言うんじゃないよ」
「こういうのを考えるのはオマエが一番得意だろ。女を騙す時に使ってるようなのねぇのか?」
「口説くだよ! ――く・ど・く。まったく……ブヒヒ達の方がよっぽど物分りが良かったよ」
ローレンは自分の腰を数回叩くと、埃だらけの椅子を見た。悩む素振りを見せたが、立ちっぱなしで疲れていたらしく、埃を手で払いのけて腰を下ろした。
「自然物以外でキラキラと言えば宝石か……。砕いて撒いてみるか」
「宝石は種類に合ったカットをするから光るんだよ。粉々に砕いたら砂と一緒さ」
「なら、ダイヤモンドでも散りばめりゃいいのか?」
リットの投げやりな言葉に、ローレンは熱く返す。
「確かに、ダイヤモンドの輝きは他の宝石を圧倒してる。他の宝石をブリリアンカットにしても光が漏れてしまうからね。ダイヤだけだよ。入ってきた光を増幅させて光を放つのは。手に入るダイヤモンドは、小さくて指輪にするのが限度だけどね。それでも、あの輝きは女性の瞳を捕らえて離さない」
「そんなんいいからよ。一万カラットのダイヤモンドとか持ってねぇのか?」
「なんだい、その頭の悪そうな単位は……。百カラットのダイヤモンドだって、片手で数えられる程度しか存在してないんだよ。王族だって持っているかどうか」
「王族か……。王族ねぇ……」
リットは小さく呟くと、いつもグリザベルがやるみたいに指を鳴らした。
ランプの光で床に伸びた本の影が盛り上がると、どんどん上に伸びて人の形になっていった。
「宝物庫に案内してくれ」
リットが影執事に言うと、影執事は了解したと頭を下げて道案内を始めた。
リットは城の宝物庫に行くのは良い考えだと思っていたが、甘かった。グリザベルの話をすっかり忘れていたのだ。
確かにヨルムウトルは数え切れない程の宝石を所有していたが、ヨルムウトル王がフェニックスの鳥籠を作らせたり、捜索隊を派遣したせいで財政は破綻してしまった。
宝石なんて残っているはずがなかった。
「まぁ、当たり前だよね」
宝石ということで、興味があって付いて来たローレンはつまらなさそうに言った。
「美術品は幾つか残ってるんだけどな」
「美術品なんていうのは、時代が終わり買い手がいなくなればゴミ同然の物だからね」
「本当のゴミだって、どっかの成金が高値で買えば値打ち物に早変わりだしな」
宝物庫の広さは相当なものだ。広すぎるせいで、ランプの明かりは心許ない気がするし、端から端まで走れば喉から血の味をする息を吐くだろう。
ディアドレの魔宝石の力で栄えていた時代は、この宝物庫いっぱいに財宝があったことを思うと、魔法が使えなくてもディアドレの魔力の凄さを思い知る。
そして、それがあっという間になくってしまうことを考えると、背筋に冷たいものが走った。
リットは宝物庫入り口辺りをランプで照らしていると、ここに案内した途端にいなくなっていた影執事が再び現れた。
影執事は手を伸ばすと、リットの手のひらに指輪を落とす。
指輪は鈍く汚れていて、台座には小指の爪にも見たいないくらい小さな青空色をした宝石が付いている。
「トルマリンの一種だね」ローレンはリットの手から指輪を取ると、ランプの光に当てて細かく見ていく。「ちょっと小さいし……。うーん………輝きも悪い。だけど……リング台を取り替えて売れば豪華なディナー一食分にはなるだろうね」
そう言うとローレンは指輪を懐にしまった。
「ちょっと待った」リットはローレンの腕を掴むと、懐から引っ張りだした。「それは、渡されたオレのだろ」
「こういうのは価値がわかるほうが持つものだよ。キミに宝石の価値がわかるとは思えないね」
「確かに宝石はオマエほど詳しくないが、豪華ディナー一食ってことは高い酒も飲めるだろ」
リットはギリギリとローレンの腕を強く握りしめた。
リットの力が強くなる度、ローレンの顔も強く歪んでいく。
「わかったわかった! ……まったく醜い男だよ。キミは」
ローレンは指輪を諦めると、やれやれと首を横に振った。
「どっちがだよ。横取りしやがって。オマエがヨルムウトルに来る前に割ったランプの弁償代だ」
「あれは、追いかけられてたから仕方ないんだよ」
「割った火屋ガラスをオレに向けて脅してたじゃねぇか」
「とにかく! 譲ってあげたんだから、さっき言ってた僕を求めている女性を紹介してもらうからね。嫌とは言わせないよ! いいね!」
「あぁ、いいぞ。町で嫉妬の炎に焼かれながら、オマエの帰りを待ってたぞ。――サンドラが」
リットがサンドラの名前を出すと、ローレンの動きが止まった。
そしてゆっくり、木彫の操り人形のように噛み合わない口で喋り出す。
「な、なんで! そこでサンドラが出てくるんだい!」
「町一番の巨乳だろ。なんて言ったってオマエの女だからな」
「まさか、ミスティのことを話してないだろうね」
「言ってねぇよ。向こうが勝手に誤解したんだ。サンドラが壊したドアノブ代もこの指輪でチャラにしてやるよ」
「サンドラに僕のことを話すこと自体がおかしいんだよ! サンドラに見つからないようにキミに付いて行ったのに、これじゃ意味が無いじゃないか! サンドラが許してくれるまで姿をくらませる予定だったんだよ!」
ローレンは早口にまくし立てると、疲れた顔で膝を床についた。
「サンドラは絶対許さねぇってよ」
「キミのせいだろ! というより、堂々とサンドラの名前を出すんじゃないよ! 影を通してミスティの耳にも入るじゃないか!」
「オマエが一番連呼してるじゃねぇか……」
「なんで僕ばかりこんな損する役割を引き受けなくちゃいけないんだい!」
「……これで別れるって言われねぇんだから。充分得してるっつーの。な?」
リットが呆れ顔でつまらなそうに言うと、影執事は大きく頭を下げて頷いた。




