第十三話
「流れ星のようにビュンビュンって飛んで行く感じ!」
「朱と金が混じった貴婦人のような情熱と高潔な夕焼け色も捨てがたいな」
「うんとね、あとねー。焼けるような夏の日差しもいいよねー」
「薄幸の憂いを含んだ月光もよい。――では、そんな感じで頼むぞ。リット」
グリザベルは子供にお使いを頼むようにさらっと言った。
「流れ星で、夕焼けで、夏の日差しで、月光ね……。人魚の心臓と魔女の生首が必要だけどいいか?」
リットはグリザベルの首に手の側面を当てると、トントンと軽く何度か叩いた。
「じょ、冗談だ。……ほんの少し調子に乗ってしまったようだな」
「あぁ、ほんの少しな」
リットは手を引っ込めると腕を組んだ。
「なんだー出来ないんだ。つまんないのー」
場の空気を察せずに、マグニはのんきな声を出す。
「ランプ屋をなんだと思ってんだよ」
「じゃあ、リットが考えてよー」
「そう言われると、困るんだよな……。生活照明ならいくつも作ってきたけど、舞台照明となると簡単には思いつかねぇからな」
舞台照明の主は太陽だ。野外で行わない舞台でも、天窓や吹き抜けのある建物でやる。シャンデリアを使って照明を確保する劇場もあるが、そんなものは数える程度しかない。
それほど明かりの確保は難しく、例がなかった。
幸いというのもおかしな話だが、ヨルムウトル近郊は黒雲に包まれ四六時中暗いので、どんな小さな明かりでも光になる。
光の存在を打ち消す光はなく、明るい舞台の一部だけを影にするのには大掛かりなことが必要になるが、暗い舞台に一部だけ光を当てるのならば簡単なことだ。
やはりヨルムウトルは、光を効果的に使うのに最適な場所だ。
反対に夜が訪れないところで舞台照明を作るのなら、舞台小屋ごとつくらなくてはいけなかった。
しかし、そんな普通のスポットライトではマグニは納得しないだろうと、リットは目を閉じて唸るようにして考え、その考えをまとめようと動かずにじっとしている。
「燃えるような情熱的な光っていうのもいいよねー。メラメラって感じの」
マグニののんきな声がリットの思案を掻き乱す。
リットは目を開けるとリュックから瓶を取り出した。中に入っているヒハキトカゲのオイルは尾花色をしており、蓋をあけると燃やす前から既に焦げたような匂いが漂い始めた。
瓶を軽く揺らし、中のオイルを重そうにゆっくりと波打たせながら、リットは川に近づいていく。
瓶を傾けようとしたところで、マグニがリットの腕にしがみついた。
「ちょっと! やめてよー! 川を汚さないでよー!」
マグニは背中を弓のように曲げて、必死にリットを川から遠ざけようと引っ張る。
「マグニが燃えるような情熱の光がいいって言ったんじゃねぇか。だから手っ取り早く――」
「ようなだよ! 本当に燃えたら困るのーっ!」
「川にオイルを流して火をつけりゃすぐなのに」
「ボクが焼き魚になっちゃうよ!」
「そりゃ脂が乗ってて美味そうだ。――嫌なら、もうちょっと具体的に言ってくれねぇか」
マグニは人間が膝で立つように尾びれを曲げて腕を組むと「うーん」と声に出して言う。
頭を揺らして考える仕草を始めた。
犬の尻尾のように、尾ビレの先を左右に激しく振らしていたのがピタリと止まると、マグニは下唇を突き出した。
「考えるのめんどくさーい。キラキラ光ってればなんでもいいや」
「自分のことだろ。もう少し考えろよ」
「うーんと……やっぱりキラキラしてればいいよー。星空みたいな光の中で弾けたら素敵だろうなー」
「軽く言うけどよ。あんなまばらな光の作り方なんて、これぽっちも思い浮かばねぇな」
星空のような明かりを作るとなれば、単純にランプの数が多くなる。それも小さいものだ。ランプが小さいとオイルの量も少なくなる。最後のランプに火をつけた頃には、最初のランプの火は早々に消えているだろう。
「大丈夫大丈夫! あれをこうしてそうすれば、チョチョイのチョイだよー!」
「是非、どれをどうしてどうすればいいのか聞かせてもらいたいもんだ」
「そこは自分で考えてよー。なんでもかんでも人に頼っちゃダメー!」
マグニは両腕をクロスさせてバッテンを作ると、リットの胸に腕を押し付けた。
「……良かったな、ノーラ。オマエより脳天気がこの世に存在したぞ」
「嫌ですぜ旦那ァ。私は難しいことを考えないようにしてるだけですぜ」
「その通り! ボクもそうなんだー。だいたい難しいことを考えるから考えるんだよ。難しくないことを考えれば考えないで済むよー」
「そりゃまた、大層な哲学をお持ちなようで」
リットは、バシバシとクロスさせた腕で言葉を発する度に叩いてくるマグニの腕を、苛立たしげに乱暴に押しのけると、リュックの中にオイルの入った瓶を戻す。
その時、横目でグリザベルの方を見ると、会話に入るタイミングが掴めずにうずうずしているのが見えた。
「でも、実際小難しいことを考えると頭が痛くなりますぜ。あと、字だけの本とかを読んでもズキズキしますねェ」
「そうそう。それに、本とか文字が滲んでて読めないし、ページを捲るたびに千切れていっちゃうし」
「川の中で拾った本だからじゃないっスか?」
「なるほど! それは考えつかなかったよー。水で濡れてれば当然だね」
マグニはポンっと拳を手のひらに叩きつけた。
「火で乾かせば問題解決っス。新品同様綺麗になりますよ」
「へぇー、火ってそんなことまで出来るんだー。空飛んだりも出来るー?」
「きっと頑張ればできますぜェ。食べ物を食べ物じゃなくしたりも出来るんスから」
ノーラはまるで魔法だとでもいうように、内容を大げさにして話している。
「……頭の痛くなる会話はどっかよそでやれよ」
「それじゃボクん家に来て、続き話す?」
マグニは両手の人差し指を川に向ける。
「いいっスねー」
歩き始めるノーラの肩をリットが掴んで止める。
「おいおい、マグニの家って水の中だろ。どうする気だ?」
「石を体に縛れば問・題・解・決! 湖の底まで一気だよ。一気!」
マグニは得意げな顔で、そこら辺に落ちている石を指差した。
「ナイスアイディアっス! これなんかちょうどいい大きさっスね」
リットは一瞬マグニの腹を見たが、大きめの石を持ったノーラに視線を移した。
ノーラの頭に軽くゲンコツを落とすと、ノーラは持っていた石を落とす。
「あいたっ! なんで私なんスかァ」
ノーラは殴られた頭を手で押さえながら、納得のいかない表情でリットの顔を見た。
「悪ノリして、調子に乗らせるからだ」
「ありゃりゃ、バレてましたかァ。流石に考えなくても水中で息が出来ないのはわかりますからね」
「いいや! 出来るぞ!」
グリザベルの声は必要以上に大きかった。このタイミングを逃すまいと吐く息多く声を出したので、すぐに酸素を欲しがりゼイゼイと肩で息をする。
みんなの視線が集まると、グリザベルは飲み込むように息を吸った。
「し……しばし待つがよい」
「おう。勝手にしてろ」
リットはグリザベルの整わない呼吸を見ると、マグニと話し始めた。
五分程すると、息を整えたグリザベルがおもむろに話し始める。
「さて……。確実に出来ると言うわけではないが、あくまで可能性として聞いて欲しい。風の魔法陣を応用するなら……。巡り来る車輪の円。いや、角形を使い安定したまま循環させる……。しかし、安定しすぎては空気は発生せぬ。五芒星の先を円の外に出し熱を暴走させ、そこから角形で――いやいや、それとも強き熱の力を発生させ、湖の水の力で抑え込むのならば……。やはり円の方が――」
グリザベルは気取った声でブツブツ一人で話している。
リットは聞こえづらいグリザベルの声を無視してマグニと話を続けていた。
「――だからよ。んなことより、オマエはまずハープの練習だろ」
「えー、でも遊ぶのも大切だと思うよー。行き詰ったら気分転換も必要じゃん」
「そこは認めるけどよ。最初くらいやる気を見せろって言ってんだ。弾かないことには上手くなんてならねぇだろ」
「それもそうだねー。案外教えてもらったらすぐに上手くなるかも!」
マグニがやる気を出したところで、グリザベルが声を大きくした。
「――三日! 三日待つがよい。我が三日で水中でも呼吸できるように、なんとかしてみせようぞ」
「なに言ってんだ。グリザベルのやることは、マグニにハープを教えることだって言っただろ。水中で呼吸とかどうでもいいんだよ」
「あっ、えっ!? あ、遊びに行くのではないのか?」
「そんな暇ねぇっつーの。オマエは城から出たら遊ぶことしか考えてねぇじゃねぇか」
「あ、遊びぃ……。同い年のおなごの家に遊びに行くのは初めてだったのにぃ……」
グリザベルが背中を丸めてしょげている姿を見たマグニは、負の感情を吹き飛ばすかのように声を張り上げた。
「よーし! 景気付けに一発弾いちゃおー! おー!」
マグニはハープを傾けると後ろに体をしならせて片手を大きく上げた。どう見てもハープを弾くような格好じゃない。
マグニが腕を振り下ろすと同時にリットが大声で叫ぶ。
「――おい! ちょっと待て!――」
頬が痛い。朦朧とする意識の中で最初に思ったことがそれだった。体は冷えているが、動かないわけではない。試しに指を動かしてみるが、しっかりと動く。
ただ、起き上がるのは面倒くさい。そんな気怠さが全身を襲っている。
リットは半ば閉じた目で眼球だけを使って辺りを見回すと、闇の中でぼんやりと光りが見えた。思わずリットはそれに向かって手を伸ばす。
柔らかい感触が手のひらに広がると、カエルを踏み潰したような声が聞こえた。
カエルにしてはずいぶんと温かみがあり、不思議に思ったリットは手を顔の前まで引き寄せた。
リットの手の中から顔を出したチルカが、この上なく不機嫌な瞳を吊り上げてリットを睨んでいる。
しばらく無言で見つめ合っていると、チルカが歯を剥き出しにした。
次に来る動作がわかっていたのだが、チルカの素早い行動に、リットはなにも出来ないまま身を任せるしかなかった。
「オマエ最近噛み癖ついてないか……」
川で手を冷やし終えたリットは、手をぶらぶらさせて水を切りながら言った。
親指と人差し指の付け根には、まだくっきりとチルカの歯型が残っている。
「アンタが噛まれるようなことするからでしょ。起き抜けに人の胸を掴むなんてどうかしてるわよ」
「触ってねぇよ。掴めるほど膨らんでねぇだろ」
「しっかり触ってたわよ! 中指の第二関節の腹で!」
「ありゃ、胸だったのか……。カエルのイボかと思ってた。それなら確かに触ってたな。すまん」
リットは片手を上げて謝る仕草をするが、チルカはリットの上げられた小指に抱きつくように握ると、力を込めて手の甲側に反り返らせた。
「痛え! 素直に謝っただろ」
「どうやったら私の張りの良い胸と、カエルのイボを間違えるのよ!」
「そういやガキの頃出来たニキビも同じ感触だったな」
「イボとかニキビとかできものと一緒にしないでよね! ――傷つくじゃない……」
チルカはリットに背中を向ける。
堪えるように体を震わせて、腕にはギュッと力が入っているのがわかる。
リットは消えていたランプにオイルを足すと、火を付けて自分の足元に置いた。
明かりを確保すると、周りに落ちている流木を集めて火を灯した。
秋の終わりのような冷たい川風がリットの体を通り抜けていく。
「ちょっと……。こういうときは泣いてるかどうか確かめるもんじゃないの?」
「だって、オマエ……。顔を覗き込んだら、その握った拳をオレの顔面に向けて打ち付けてくるだろ」
チルカは手の色が変わるほど拳を強く握っていた。
「右目左目、鼻の下よ」
チルカは空中に右手左手の順番にパンチをかますと、最後に右手でアッパーをかました。
「んなもん覗けるか」
「ははーん。アンタ、私が怖いのね」
「そりゃな。虫は人間に病気を運んでくるからな」
リットは水筒を持って立ち上がると、川に向かって歩く。
「言いたいこと言って逃げる気」
「グリザベルを起こすんだよ。オマエはノーラを起こせ」
「命令しないでよね」
チルカの羽が強く光る。これは怒っている時に出る癖というか現象だ。
笑い転げてる時はチカチカ点滅をする。悲しい時はまだ見たことがない。
リットは水筒で川水を汲むと、それをグリザベルの顔に勢い良くかけた。
グリザベルはしばらくシーンとしていたが、ズズッという鼻で水をすする音が聞こえると、咳込みと共に飛び起きた。
「な、なんだ!? 陸にいるのに溺れたぞ」
グリザベルは鼻から水を垂らして辺りを見回すと、自身を落ち着けるように濡れた髪を整えながら言った。
「不思議な事もあるもんだ。急に川の流れが強くなって飛沫が飛んできたのかもな」
「うぅ……。鼻の奥がツーンとするぞ」
川の水か涙かわからないものを目尻から流しながら、グリザベルは髪から水滴を飛ばしてブルっと震えた。
濡れた体に冷えた川風は堪えるらしく、グリザベルはドレスに燃え移りそうなほど焚き火に近づいて暖を取り始めた。
「タオルいるか?」
リットはリュックからタオルを取り出すと、グリザベルの答えを聞く前に投げて渡した。
「すまぬ……」
グリザベルは上着を羽織るようにタオルを肩に置いた。
「風邪でもひかれたら寝覚めが悪いからな」
リットは焚き火の明かりが届かないところまで歩いて行くと、手探りでマグニを探す。
ヌルっとしたものが手に当たると、そこから手を上に滑らせてマグニのお腹をつまんだ。
「オマエまでなんで気絶してんだよ」と言いながら掴んだ手を揺らすと、マグニのお腹が波を打った。
「うぐぅっ! 内臓がかき乱されるよー!」
マグニは飛び起きると、リットにつままれていたお腹を擦る。
「気絶させた本人が気絶してどうする」
「ボクは気絶してたわけじゃないよ。リット達が倒れたまま何をしても起きないから、ボクも寝たのー!」
マグニの声は、本当に寝起きか疑うほど元気な声だった。
「今度からいきなりハープの演奏をするな」
「弾けって言ったり、演奏するなって言ったり、どっちかにしてよー」
「弾きますって宣言しろ。じゃないとまたぶっ倒れるからな」
「……面倒くさいなー。リットって面倒くさい人って言われたりしない?」
「オマエには言われたくねぇよ……」
リットは気絶して忘れてしまったマグニの要望をもう一度聞きながら、一時間程燃え上がる焚き火を眺めた。
焚き火の火も消え、マグニが帰っていくのを見送ると、リット達はブラインド村に戻っていった。




