第十二話
街灯が徘徊する時間になった。
以前のように恐々と家の中から外の様子を確認する村人の姿はないが、カーテンは鉄のように重くしっかりと閉められている。
隙間風にも揺れないところを見ると、中から木板でカーテンを固定しているのだろう。リット達が厄介になっている宿屋の一室にも、木板を固定するために溝のある木枠が窓に取り付けられている。
たださえ暗いブラインド村で窓まで木板で固定すると閉鎖感で息苦しくなるので、リットはカーテンは閉めずにいた。
窓際に座っているだけで、三連灯の明かりが動き回っているのが良く見えた。
街灯は深夜から朝方にかけて、一軒一軒じっくり家の様子を確認すると、元の動かない街灯に戻る。
あれだけ街灯に囲まれていたら、カーテンをしっかり閉めていないと眩しくて目を覚ましそうだ。
リットが街灯を観察していると、窓際に酒の入ったコップの影が薄くなる。
「覗きなんてしてないで、寝なさいよ」
飛んできたチルカが窓際に立つと、コップの影はチルカの羽の光で消えた。
「寝れねぇんだよ。朝か夜かもわからないところに居すぎてるせいで、すっかり体内時計が狂っちまった」
「大変ねー。狂ってるのは頭だけじゃないのね」
「おかげでオレに話しかけてくる人面蛾が見えるな」
「可愛い妖精と、害虫の蛾を見間違うんなんてどうかしてるわよ。相当酔ってるわね」
チルカはコップの中に手を突っ込むと、手ですくった酒を一口飲んだ。口に含んだ瞬間、ピンっと羽を立たせてきつく目を閉じた。鉄の玉でも飲み込むようにゆっくり喉を鳴らすと、ようやく一口分の酒を飲み下す。眉間に影ができるほどしかめていた顔を少し和らげると、大きく息を吐いた。
「なにが楽しくて、こんな臭くてスースーするだけのものを飲んでるのかしら」
「妖精社会には酒はねぇのか?」
「あるわよ。でも、こんな酷い飲み物じゃなくて、ほっぺたがとろけるくらい甘い花蜜酒よ」
「それはもう酒じゃねぇな。つーか人が飲んでるコップに手を突っ込むなよ」
「細かいこと愚痴愚痴言うとモテないわよ」
チルカは手についた酒を振って飛ばしながら、リットに流し目を送る。
「まぁ、薄めりゃいいや」
リットは酒瓶を手に取りコップに注ぐと、酒でなみなみになったコップを慎重に持ち上げて、こぼれないように口をコップに持っていった。
美味しそうに酒を飲むリットを、チルカは理解が出来ないといった顔で見ている。
「もうやらねぇぞ」
「いらないわよ。そんな薬品臭い液体」
チルカは無造作に置いてある茶色の木の実を両手で取ると、窓際の壁に叩きつけた。
数回叩きつけてもヒビすら入らず、一滴の汗がたらりと額に流れた頃にようやく殻クズが細かくこぼれ始めた。
チルカのこぶし大の小さな穴があくと、乳白色の中身が顔を出した。チルカは穴の両端を掴むと、肘をたたんで引き千切るように殻を裂こうとする。
目一杯力を込めると、羽が強く光った。
「――黙って見てないで、なにか言うことでもあるんじゃないっ?」
木の実の殻を咲きかけの蕾くらいまでこじ開けると、プルプルと体を震わせながらチルカが言った。
「わざわざ悪いな」
リットは親指と人差指で木の実を摘むと、そのままひょいっと自分の口の中に放り込んだ。
「違うわよ! 一から十まで、ぜーんぶ間違ってるわよ! オレが割ってやるよの一言くらい言えないの?」
「オレが持ってきた木の実だ。オレが食ったって問題無いだろ。オマエこそしれっと食おうとしてんなよ」
「たった一個くらいで目くじら立てないでよね」
「たった一個くらいなら食わずに我慢しろよ」
「あー言えばこう言うわね。だいたい妖精に優しくないのよ。――なにもかも! 食器だって日用品だって人間サイズなんだから、木の実くらい殻を割って持って来なさいってのよ!」
チルカは殻クズを掴むと、リットに向かって闇雲に投げつける。
「んなことしたら日持ちしねぇだろ」
「じゃあ堅い殻の木の実を持ってくるのやめなさいよ! 桑の実とかでいいじゃない」
「それも日が保たないっての。妖精らしく花の蜜でも吸ってろよ」
「――どこに――花が――あるって――言うのよ! ――周りは――枯れた――雑草ばかり――じゃない!」
チルカの声は徐々に大きくなっていった。
「うーん……うるさいぞ。我が起きてしまったではないかぁ」
グリザベルが目尻をこすりながらベッドから上半身を起こす。くわぁーと大きなあくびをすると、猫のような手でもう一度目尻をこすった。
「リットに言ってよ! 原因はこいつなんだから」
「なんだ……また喧嘩か。妖精ならば、魔法で追っ払えばよいではないか」
グリザベルは船を漕ぎながら。開いているのか開いていないかわからない目をチルカに向けた。
「オマエ、魔法を使えたのか」
チルカが魔法を使っているのを見たことがないリットは、少し目を丸くした。
「当然よ。フェアリーだもん。でも――」
チルカは口ごもると、羽をギュッと押さえてリットから目をそらす。
「なんだ? 使えないのか?」
「使えるわよ! ――ただ……。わかりづらいというか……見せても……」
「別に興味が有るわけじゃねぇからいいわ」
リットは口ごもるチルカに気を使ったわけではなく本心から言ったのだが、チルカは気に障ったらしく、目を吊り上げてリットを睨んだ。
「いいわよ! 目をかっぽじってよーく見てなさい!」
「目をかっぽじったら見えねぇよ……」
「それじゃ心の目でも使って見なさいよ!」
チルカが目をつぶりグッと体に力を込めて「えい」っと声を掛けると、チルカの足元に散らばっていた木の実の殻クズが後ろに吹き飛んだ。
「……屁でもこいたのか?」
「――っ! バッカじゃないの! なんでわざわざアンタにおならを聞かせなきゃなんないのよ! せっかくバカにもわかりやすいように、力を込めたり目をつぶったりして無駄なアクションを加えてやったっていうのに! 今すぐ死んで詫びなさいよ! バカ! 仮におならだとしてもそこは無視しなさいよ! デリカシーって言葉はないのアンタには!」
チルカは一度信じられないというように絶句すると、リットに向かってまくし立てる。
「屁放き虫なんて、そこまで自分を卑下しなくてもいいだろ」
「くっだらないことを言ってんじゃないわよ!」
「でも芳ばしい臭いがぷーんと鼻に……」
「――それはアンタが食べた木の実の匂いよ! フェアリーが使うなら風魔法に決まってるじゃない! 風の魔法を使って、地面から一気に上空まで飛ぶのよ!」
チルカは額に青筋を立てて、上に向かって指を差す。
「わかりにくいっての」
「だから始めにそう言ったじゃない!」
「せめて上まで飛べよ」
「天井にぶつかるでしょ! 少しは考えなさいよ!」
チルカはリットの耳を引っ張って、大声を張り上げた。
そんな様子を見ながら、グリザベルは布団ごと膝を抱えてそこに頬を埋めている。
「……我はもう寝てもよいか?」
「いいや。ちょうど思い出したことがある。前に、妖精の白ユリを使った街灯があるってゴーレムから報告があるって言ってたな。あいつら喋れないだろ? どうやって報告が来るんだ?」
リットの問いに答えず、グリザベルはしばらく同じ体勢のままぼーっとしていたが、機嫌悪そうに唸るとベッドから重い腰を上げて、寝間着の裾を引きずりながらのろのろ歩いてクローゼットに向かう。
クローゼットにある黒いドレスに手を突っ込み何かを取り出すと、戻って来てテーブルの上に置いた。
それは丸められた羊皮紙であり、グリザベルは紐を解くと日焼けしたような色の羊皮紙を広げた。
羊皮紙にはブラインド村の地図らしきものが描かれており、家の絵の横に「問題なし」という言葉がいくつも書かれていた。
リットが羊紙皮を眺めている間にも「問題なし」という文字が勝手に書き加えられていく。
「なにかあったらここに記されるようになっておる。今は平和ということだな」
「妖精の白ユリのオイルの報告があった以前はなんて書いてあったんだ?」
「問題なしだ」
「……それ、役に立たないんじゃねぇか?」
村人を散々驚かせておいて、問題なしという言葉を使うのはあんまりだと思うが、そもそも異常ありの基準がわからなかった。
「我にとって問題になることはないということだからいいのだ。――それより、お主痛くないのか?」
グリザベルは、チルカに引っ張られエルフの耳のようになっているリットの耳を指した。
「羽虫ってのは払っても寄ってくんだよ」
「虫は噛むのよ! 覚えておきなさい!」
チルカはリットの耳たぶを噛むとぶら下がった。
「……痛くないのか?」
「痛くねぇ」
「頬がヒクついて、食いしばった歯が見えておるぞ……」
「……痛くねぇ」
その後、リットが痛いと言うまで、チルカが歯を離すことはなかった。
「なーんかみんなご機嫌斜めだねー」
マグニが川べりに肘を立てて、手に顎を乗せて腹ばいに寝転がり、尾ビレで川水をパチャパチャはねさせながら言った。
「私が起きてたら、みんなこうなんスよ。なんかあったんスかァ?」
しかめっ面のリット、チルカ、グリザベルと違い、ノーラだけはいつも通りののんきな顔をしている。
「我は寝不足だ」グリザベルは珍しく強気にリットを睨んだ。
「オレは毒虫に噛まれたんだよ」リットはチルカを睨む。
「私は下品な言葉を掛けられたからよ」チルカはリットを睨んだ。
「勝手に夜中に起こしておいて、我を仲間外れにするでない! 誰か睨み返してこんかー!」
グリザベルは自分の存在をアピールするように自分の膝を叩く。
リットとチルカが振り返り、同時にグリザベルを睨んだ。
「ふ、二人して睨むでない……」
強気の瞳から一転、目尻に涙を溜めたグリザベルは視線を逸らした。
「ね? わけわかんないっスよ」
「うーん……。――そうだ! 泳ごう! 泳げば気分爽快さっぱり! イガイガーがニコニコーに変わるよ!」
マグニはリットとグリザベルの袖を掴むと、川の中に引きずり込もうと引っ張り始める。
「ありゃりゃ、わけわかんない人がまた増えたっス」
「わけわかんなくないよー! 運動で流す汗は素晴らしいんだよ! ね? グリザベル」
「い、如何にもだ! 我が友マグニの言葉に間違いはない」
リットは勇んで川に向かおうとするグリザベルの腕を掴んで止めた。
「やめとけ。この水温で川に入ったら死ぬぞ」
「しかしだ! 友の言葉を無碍には出来ぬ!」
「マグニは脂肪があるから冷たくねぇんだ。ガイコツみてぇに細いオマエなら、あっという間に心臓が止まるぞ」
「ボクは太ってるわけじゃないよー。このお腹は、ナマズの人魚の宿命なんだよー!」
マグニは「……きっと」と小声でボソッと言ったつもりだが、地声が大きいのでしっかりみんなの耳に届いていた。
「そういや、聞きたいことがあんじゃねぇのか? マグニに」
リットはグリザベルの腕から手を離しながら聞いた。
「あー無視した! 無視はいけないんだよー」
「わかったわかった。今度ゆっくり聞いてやるから」
「絶対だよー! ――で、なになに? グリザベルー」
マグニはリットの手を握って強引に誓いの握手を交わすと、その手をグリザベルに向けた。
「マーメイド・ハープというのは、ただ弾けるようになればよいのか?」
「それだけじゃないよー、水を操るには決まりがあるんだー。うんとっね、グリザベルが言うような水を形作るのには『波綾のノクターン』って曲を弾けばいいんだ」
「ふむ……。曲によって効果が変わるのか」
「そうそう! 『勇魚のスケルツォ』を弾くと水柱がいっぱい出来るんだー! 『海雪のセレナーデ』を弾くと小さい泡がいっぱい出来るんだよ!」
マグニはいっぱいの単位を両手を目一杯広げて表現している。
「ほう、実に興味深い」
「他にもね『潮騒のファンタジア』を弾くと水に色を付けることが出来るし、『磯鴫のプレリュード』を弾くと霧が発生するんだよ!」
マグニは心底楽しそうに身振り手振りを使い、曲の説明をする。
「津波を起こしたり、嵐を呼んだりするものもあるのであろう?」
「ないよー、そんな危ないの」
「なるほどの。自然バランスを崩さない程度に力を使うわけか。確かに……いきなり水柱を立てるだけでも、海を荒らす船乗りには効果があるな。海中に潜む伝説の生き物も、人魚が創りだしものかもしれんな」
「うーん……違うよ。そんな災害みたいのが起こっちゃったら、演奏を聞いてくれる人達もいなくなっちゃうじゃん。バーン! って水柱が上がれば目はくぎ付けになるし、シュパパパパパーって泡がいっぱい出来れば何か楽しそうなことが起きると思うでしょ? 人魚の曲は目でも耳でも人を楽しませるものなんだよ」
いちいち重苦しく話を広げるグリザベルとは反対に、マグニは明るく言ってのける。
人魚がマーメイド・ハープで奏でる曲は、視覚や聴覚を効果的に刺激する舞台効果のようなものらしい。
「弾けるようになったら色んなことが出来て楽しいんだけど、それまではつまんないんだよねー。だから飽きちゃってさー、気分転換に歌ってる歌の方が上手くなっちゃった。えっへへー」
気恥ずかしそうに笑うマグニに、リットは呆れた顔を向ける。
「ただの飽き性かよ……。上手くなりたいなら死ぬ気で練習しろっつーの」
「死んだらハープも弾けないじゃん。変なのー、リット」
「……そうか」リットは重い溜息を吐く。「飽きっぽいのをどうにかしろよ」
「えぇー。そんなこと言われても……。――あっ! じゃあ、リットがなんとかしてよ」
マグニはポンッと手を叩くと、興奮気味に尾ビレを揺らした。
「どこをどうしたら、じゃあに繋がんだ」
「だって友達でしょ? グリザベルはボクにハープを教えてくれるし、ボクはリット達の為にハープを練習する。だからリットは、ボクに飽きさせないための工夫をするのー!」
イエーイとマグニが上げた手に、ノーラがイエーイと言ってタッチする。
「おい、ノーラ。マグニを調子に乗せるな」
「なーんか、ノリに押し切られましてねェ」
ノーラがマグニの洗礼のブンブン握手を受けながら言った。
「私は嫌よ。なんの義理もないんだから」
チルカは部屋のインテリアに使えないかと、タニシの殻を観察しながら言った。中がヌルっとしているのを感じると、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべてタニシを遠くに放り投げた。
「オレだって嫌だっつーの。だいたいなにをしたら飽きないで済むんだ?」
「まだハープを弾けないボクの後ろで、ドーンっと派手に水が飛沫を上げるとか!」
マグニは尾ビレを川面に叩きつけて飛沫を上げる。
「マグニにそういうことをしてもらおうと思って、練習しろって言ってるのに、オレが飛沫を上げてどうすんだよ」
「じゃあ……。霧を立たせて、その中でボクがハープを弾くの! 幻想的でしょ! そうなればボクのやる気も出る出る!」
「同じことだ」
リットは無茶言うなと、小石を蹴りあげて川に飛ばす。
「……なんだ。そんなことでよいのか」
グリザベルの言葉は不思議とよく響いた。
「そんなこと出来んのか?」
「出来ぬ」
「おい」
「――我は出来ぬが、リットなら出来るであろう?」
「話を聞いてたか?」
「なにも水にこだわる必要はないと言うことだ。気分を出すだけでよいのなら、お主お得意の光学知識でマグニをライトアップすればよいではないか。のう? マグニ」
グリザベルはリットに否定される前に、マグニに尋ねた。
マグニは満面の笑みでグリザベルの意見に拍手を送る。
「おぉー! いいねーいいねー! ここは一日中暗いから、ライトアップされたら綺麗だろうなー! けってーい!」
すっかりその気になったマグニは、グリザベルと共にあーでもないこーでもないと話し合い始めた。
グリザベルは、マグニよりも満面の笑みを浮かべて話をしていた。
「これだから話を聞かない奴は嫌なんだよ」
「まぁまぁ、人魚って言えば世の男達の憧れみたいなもんですよ。ローレンも一度はって言ってましたぜェ」
「あの胸じゃ、ローレンの対象外だ」
「旦那は?」
「人魚の下半身は魚だろ?」
「需要がない人魚ってのも可哀想っスねェ……」
「魚屋にはモテるだろ。きっと」




