第十一話
「よいか、人間は劣等な種族とも言える。本来、人間の体は魔力を入れる器としては出来ておらぬ。故にウィッチーズカーズという現象にも耐えられぬのだ。『熱』と『乾』が合わさった火の魔法を使えば、乾きを潤すための『湿』と熱を下げるための『冷』の性質が働き、使用者は氷漬けになる。小さき魔力ならば軽い凍傷程度で済むが、当然魔力の放出が膨大になるにつれウィッチーズカーズの影響も大きくなる。太古の戦争において魔法使いの役割とは特攻だったのだ」
「ほうほう」
マグニは尾ビレを抱えて、グリザベルの話を食い入る様に聞いていた。
「本来ならば戦争の度に魔法使いは死に、やがて魔法使いの血は途切れてしまう。――しかし血は途絶えなかった。何故ならば時代の節目節目に、魔法使いの生き方を変える大きな変革があったからだ。これを『魔女三大発明』という。その一つが『使い魔』であり、自分とは別の命あるものにウィッチーズカーズの影響を移すというものだった。しかし、これはただの延命に過ぎなかった。そのうち使い魔も数が減ってしまい、結局前と同じことになってしまう。そこで、黒猫やカラスなどではなく、大量生産が出来るものにウィッチーズカーズを移し替えようと考え作られたものが、二つ目の『杖』だ。水と土の養分を吸い、太陽の火と風を浴びて育つ木は、四大元素を扱う魔法と相性が良かった。木も人間と同じように様々に成長する。自分に合った木が見つかると、それだけ長く前線に立つことが出来た。――しかし、やがて戦争にも終わりが来る。殺すことで生計を立てていた魔法使い達に、長い氷河の時代が訪れることになる。そこに、三つ目の『魔宝石』という技術が生まれたのだ!」
「ほうほう!」
グリザベルの声が大きくなると、マグニの短い腹ビレが興奮でピチピチうるさく音を立てた。
「ほうほうじゃねぇよ」
リットはマグニの膨らんだパンのようなお腹をつまんだ。
「うぶぅっ! すぐにお腹をつままないでよー!」
「あのなぁ、そんな話はどうでもいいんだよ」
「どうでもよい話ではないぞ。魔力とは流れるものだ。それを宝石に繋ぎ止めるというのは、魔法の根幹を揺るがすような出来事だったのだぞ」
グリザベルは少し下唇を付き出してムッと口を結んでいる。マグニの食い付きが良かったので、邪魔をされたのが面白くなかったのだろう。
「魔女の歴史なんて聞いても得にもなんねぇよ」
「これから、なぜ魔法使い三大発明ではなく魔女三大発明なのか。正しい杖の選び方。魔法陣の歴史。――と、興味が尽きなくなること請け合いの話があるのだぞ」
グリザベルは手を開いて親指から順番に一本、二本、三本と折っていく。
「マグニを連れてきたのは、冗長で退屈な話を聞かせるためじゃねぇんだよ。別のことでグリザベルの力が必要だから連れてきたんだ」
「ほう、我の力が必要とな」
リットの言葉を聞いて鼻の穴を膨らませたグリザベルは、浮かぶ笑みを押さえつけるように頬をひくつかせた。
「そうだ。この中じゃグリザベルが一番教養があるだろ。一般でも芸術方面でもな」
「如何にも! 我の眼であればアラスタン絵画の巧妙な贋作でさえも見分けがつく。我の耳であればトリノー・カラゲ・オーケストラの指揮棒の迷いにも気が付くわ! フハハ!」
「そう、それだ。オーケストラを聞いたことあるんだろ? 楽器は弾かないのか?」
「無論嗜んでおる。ヨルムウトル城には楽器が残っていなかったので、久しく弾いてはおらんがな」
「なら、マグニにハープの弾き方を教えてやってくれよ」
リットは親指を外側に傾けて、お腹をさすっているマグニを指した。
「ふむ、ハープか……。弾けぬことはないが、我はレベックという弦楽器を主に弾いておってだな。ハープではなくレベックを弾いて聞かせた方が良いと思うのだが」
「あのなぁ……、一応マーメイド・ハープが見つかったんだからもっと反応しろよ。つーか人魚を見た時点で反応しろ」
グリザベルはマグニの尾ビレを見ると、小舟に立て掛けてあるマーメイド・ハープに視線を移した。
そして一度大きく深呼吸をすると、座っていた小舟のヘリにお尻を擦り付けるようにして座り直して、鼻から息を漏らして笑った。
「でかしたリット! ようマーメイド・ハープを見つけた!」
「オマエ……。婆さんの友達が出来たから、浮かれて忘れてたんだろ」
リットは拍手を送ってくるグリザベルに、冷たい視線を送り返した。
グリザベルは一瞬怯んだが、喉を鳴らしてツバを飲み込むと、視線を泳がせながらリットに視線を合わせなおした。
「――と、とにかくだ。我がこのマーメイド・ハープを弾けば、ようやくフェニックスの誕生というわけだな」
「話を聞いてたか? オマエが弾くんじゃなくて、マグニに弾き方を教えてくれって言ってんだ」
「我が弾けばよいではないかぁ! 我だって役に立つんだぞ! 我にだって出来るんだぁー!」
「いや、出来ねぇから」
グリザベルは小舟から腰を上げると、似合わないガニ股で黒いドレスをひきつらせながらマーメイド・ハープに近づいて行った。
「さては、我がハープを弾けぬと思っておるな! ちゃんと弾けるんだぞ!」
「んなこと思ってねぇよ……。だからよ――」
「よいから耳をかっぽじいて聞いておれ!」
リットは溜息をつくと、右手の小指を耳の穴の入り口に入れてクルクル手首を動かす。
「こらぁ! 耳を塞ぐでない! ちゃんと聞くのだぁ!」
「……一体オレにどうして欲しいんだよ」
「よいから黙ってそこで聞いておれ!」
グリザベルはマーメイド・ハープを自分の体に傾けると、右肩に軽く乗せた。
まるでマーメイド・ハープがグリザベルに身を委ねているように見えた。
グリザベルはマーメイド・ハープの中間辺りに手を伸ばすと、頬をなぞるような動作で優しく弦に触れた。
音の響きを確かめるだけで、旋律もなにもない音だが、物語の始まりを告げるような美しい音色を奏でた。
余韻が残る中、グリザベルはゆっくりと体から離すように左手を伸ばし弦を弾いた。それは海底の岩に海流が擦れるような深く低い音だった。静かだが強く心臓に響く単調な低音は、浮上するように音調を上げていく。
右手の不規則なアルペジオが加わると、魚の談笑をすり抜けていく気分になる。大小様々な魚の群れを通り過ぎると泡になった。泡は海面に向かうにつれて小さく分散し、太陽に惹かれるように速度を上げる。高音から低音へ、そしてまた高音へ。狂い走る旋律と、激しく捲し立てるようなリズムへと変わっていった。
そして、海面に揺蕩う泡が風にゆっくり弾かれ消えるような浅い断続的な中低音を響かせると、心地良い余韻をマーメイド・ハープに残したまま、グリザベルが両手を下ろした。
「凄ーい! 凄ーい!」
マグニが届かず合わさらない腹ビレと両手で盛大に拍手をする。
グリザベルはマグニの言葉に満足気な笑みを浮かべると、意気揚々とリットに振り返った。
「ふふーん。どうだ。ちゃんと弾けただろう」
「スゲェな。ここまで弾けるとは思ってなかった」
「そうだろう、そうだろう。我を見くびっていたことを後悔するがよい」
「その腕があれば充分過ぎるな。マグニに教えてやってくれ」
「リット! お主は我の話と演奏を聞いておったのか!」
「……オマエもオレの話を聞けよ。一言も弾いてみせろなんて言ってないだろ。マーメイド・ハープは人魚が弾かないと意味が無いんだとよ」
リットはグリザベルの長話で、すっかり眠りに付いたノーラの体を揺さぶりながら言った。
しかし、ノーラは起きる気配がない。
グリザベルが小刻みに震えながらゆっくりマグニの方を向くと、マグニはニコっと笑って頷いた。
「き――聞いておったとも! 教えるにも、我の腕前を知らしめた方がよいと思ってな。調べを奏でたまでぞ」
「……なんなんだよ。今日はいつにもましてテンションが気持ち悪いぞ」
グリザベルはリットの腕を引っ張って頭を下げさせると、マグニに聞こえないように囁いた。
「我の立場というものを考えてもらいたい」
「失笑の魔女だろ。充分立場に見合った働きをしてるよ」
「違うわ!」大声を出したグリザベルはハッとした顔になり、マグニに不器用な笑みを送ると、またリットの耳で喋り始める。「よいか。このままだとマグニに我は頼りなく映ってしまうではないか。知恵者で威厳のある我の本来の姿が伝わらぬ」
グリザベルが顔を近づけると甘ったるい匂いが鼻をくすぐった。
リットはムズムズする鼻を指でつまむ。
「威厳ね……。本当に最初だけだったよな。安物のメッキだってもうちょっと保つぞ」
「だから、そう余計なことばかり言うでないわ。マグニに聞こえたらどう責任を取るつもりだ」
「そん時は新しい友達を紹介してやるよ」
「お主も友が多いわけではなかろう。そう安々と紹介できるとは思えぬが」
グリザベルはリットから体を離すと、言ってやったと言わんばかりに鼻で笑った。
「ほらよ。新しい友達だ」リットはポケットから取り出したものをグリザベルに投げ渡す。「ミスター・マッチと、ミセス・オイルだ」
「ただのマッチと、オイルの入った小瓶ではないか!」
「気を付けろよ。ミスター・マッチは火付けるのが上手いからな。口説かれてるところを見られると、ミセス・オイルに嫉妬の炎で焼かれるぞ」
リットは調節ネジを回してランプの火を大きくした。
「ええい! もういい!」
ランプの光が大きくなリ、闇に消えていたリットの影の全貌が映ると、その影を踏み越えてグリザベルがマグニの元へと向かった。
「さて……まずはマグニがどれくらい弾けるのか聞かせてもらおうではないか」
リットはグリザベルの言葉を聞いて、すぐに耳を塞いだので会話の内容は聞こえないが、マグニの笑顔につられてグリザベルが笑っているのが見えた。
次に見えたのが耳を済ませるグリザベルの姿で、しばらくするとリットの視界から消えるように前のめりに倒れていった。
慌てた顔でマグニがグリザベルの体を支えるのを見ると、リットは耳を塞いでいた手を離した。
「な? 自分がどれくらい下手かわかったか?」
「な? じゃないよ! グリザベル死んじゃうの!? 顔色がすごく悪いよ!」
「そりゃ、元からだから心配するな」
宿屋のベッドに運ばれたグリザベルは、寝息の合間に苦しそうな唸り声を混ぜていた。
「ゲチャゲチャと、すごい音でしたねェ」
こびりついた音を剥がすように、ノーラは耳の穴を指でほじりながら言った。
「そんな音が鳴ってたかは置いといて。参ったなこりゃ……。グリザベルがこんなになるなら、ハープを教えることなんて出来ないだろ。――いっそ、チルカでもグリザベルの耳の穴に突っ込むか」
「そういえば、チルカはどこに行ったんスか?」
部屋にはチルカの姿がなかった。タンスや引き出しに入っていようとも隙間から光が漏れるのだが、それも見当たらない。
「気まぐれだしな。村をうろちょろしてるか、それとも魚に食われたか……。キラキラ光って魚にはモテそうだからな」
リットが声を出して笑う。
「そんなこと言ってると、またチルカに怒られますよォ」
「怒られたとこで羽音がうるせぇだけだけどな。でも、面倒くせぇから黙ってろよ」
「んー……。もう遅いっスね」
ノーラの視線はリットではなく、その後ろに向いていた。
「ノーラの言うとおりよ!」チルカはリットの後ろ髪を掴むと、思いっきり引っ張った。
リットの目に映ったのは部屋の天井だ。次に後頭部に痛みが走り、遅れて首にも痛みが広がった。
「おい! ハゲたらどうすんだよ!」
リットは後頭部と、首を押さえながらチルカに怒鳴った。
「ハゲくらいなんだって言うのよ! なんで私が目覚めていきなりサワガニと一戦交えないといけないのか説明しなさいよ!」
「知るかよ。オマエがフラフラ遊びに行って、カニにちょっかいでもかけたからだろ」
「違うわよ! アンタが川に私を放置して帰ったからじゃない!」
「あぁ……、そういえば」
リットは思い出した。チルカもマグニのハープのせいで気絶していたことを。
「言い訳があるなら言ってみなさいよ。――絶っっっ対許さないけどね!」
「言い訳をするつもりはない。本当に忘れてたからな」
「そういう潔さはいらないわよ! 泣いて謝って許しを請いなさいっての!」
「文句ならマグニに言えよ」
「一生懸命やってる子に言えるわけ無いでしょ。だからアンタに八つ当たりしてるのよ」
チルカは、ベッドにグリザベルが寝ているのに気付かずに乱暴に乗っかった。
「うっ」と言ううめき声とともにグリザベルは目を開けると、ゆっくり体を起こして辺りを見回した。宿屋だと言うことを確認すると目を大きく開けた。
「んっ……。マグニは?」
「帰らせた。人魚をこの村に連れてきたら、コニーに変な奴を連れて来るなって怒られるからな。マグニは明日も同じ時間に同じ所で待ってるとよ」
「そうか……。我は寝ておったのか? 気を失っておったのか?」
「両方だ」
「そうか。世話を掛けたな」
グリザベルは肺の中の空気を全て吐き出しているのではないかと思うほど深いため息を吐くと、ベッドから起き上がり椅子に座った。
「やっぱりあれは、ハープの音色に魔力がこもってるのか?」
「間違いないだろう。本来ならばマーメイド・ハープの音色をより美しくさせるものなのだろうが、それが失敗して不快な音になっていると考えておる」
「前に言ってた、人魚は水かきがあるからハープが下手ってやつか?」
「それもあるだろうが……。人魚だからどうというよりも、マグニの集中力がもたないのであろう。指が迷ったらフィーリングで弾く節があった」
グリザベルは水差しからコップに水を注ぐと、一気に飲み干した。
「そんな真剣に聞くから気絶すんだよ。で、どうすんだ? ハープを教えるって言ったって、毎回毎回倒れるわけにもいかねぇだろ」
「明日、一度マグニと話し合ってみないことにはなんとも言えんな……。明日か……」グリザベルは再び水差しからコップに水を入れて一口飲むと、水で濡れた唇を震わせる。「――のう、リット」
「なんだ?」
「やはり手土産を持って行くべきなのだろうか? 押し付けがましい気もするが……。しかし、気が利かないとも思われたくないのだ! いくら我が頭脳明晰でも、友の事になると途端にわからなくなるのだ」
グリザベルの質問は矢継ぎ早に続いた。食べ物がいいのか。それならお菓子がいいのか、軽食がいいのか。それとも服がいいのか、アクセサリーがいいのか。思いつく限りの言葉を羅列している。
「……マグニは人魚だろ。虫とか苔なら喜んで食うんじゃねぇか?」
「我の初めての同年代の友だぞ! そんな変なものを送ることなど出来ぬ! こういう時普通は何を送るのだ?」
「普通は、会って一日で贈り物をする奴なんていねぇよ。ローレンくらいだぞ。会ってすぐ花とか宝石を送る奴なんてな」
茶化したはずのリットの言葉に、グリザベルは真剣な顔をして頷く。
「そうか、花に宝石か……。花は飾る場所が……。――いや、水中花にすれば――リット! この辺に花屋はあるか?」
「こんな辺鄙な場所にあるかよ……。あってもオマエのせいで潰れてるっつーの。贈り物なんてやる必要ねぇだろ。いきなり送られたら気持ちわりぃぞ」
「そ、そうなのか。……聞いておいてよかったぞ。となると……やはり親睦を深めるには、寝間着に着替えて夜通し語り合うのが一番だろうか?」
「……オマエどうしてもそれやりたいんだな。で、話し終わったら、深い川底で眠りにつく気か?」
「ふむ、確かに人魚の話には、人間と愛し合い海底に沈み深い眠りにつくというものもあるな。……我はマグニと共に深い眠りについた方がよいのだろうか?」
「……オレじゃなくて、自分の人生と相談しろ」




