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ランプ売りの青年  作者: ふん
漆黒の国の魔女編(下)

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第十話

 木製の縦笛は三十センチ程の長さで、朽ちた落ち葉のような茶色と苔生したような濃い緑が交じり合い変色していた。

 音孔は水生生物にかじられたらしく、歪な丸の形をしている。

「よく躊躇いもなく、こんな汚え笛を咥えられたな」

 マーメイド・ハープではなくとも人魚の楽器であるには違いないと、リットは若干の期待を込めて縦笛の観察を続けた。

 ヒッティング・ウッドのように特別な木で作られたわけでもなさそうだし、名のある楽器職人が作ったわけでもなさそうだ。そこらにいる吟遊詩人のなりそこないでも持っていそうな、ごく普通の縦笛だった。

「ちゃんと洗ったから大丈夫! 拾った時はもっと汚かったから、これでも綺麗になったんだよ」

 マグニはなぜか握りこぶしを作って、意気込みながら言った。

「拾った? 人魚の竪琴ならぬ、人魚の縦笛とかじゃねぇのか?」

「違うよー。どんぶらこ~どんぶらこ~って流れてきたのをボクが拾ったんだ」

「ってことは、ただの笛か」

 リットは満腹の犬が横切る獲物を見送る時のような冷えきった目をしていた。

「ただじゃないよ。ボクとリットの友情の証!」

 もう一度握手を求めてくるマグニに向かって、リットは手を伸ばすのではなく笛を渡した。

「今月の友達料払えないから返す」

「無償の愛。これこそ真の友情だね!」

 突っ返されたにもかかわらず、マグニは嬉しそうに笑っている。

「……下手くそな演奏を聞かされた迷惑料を貰いたいくらいだけどな」

「リットが聞きたいって言ったのに……。それに、ボクは誰も来ない場所でひっそり練習してたんだよ」

「ひっそりねぇ……。風が助けを呼ぶ声を運んでたぞ。キャーってな」

「あはは! そんな音が鳴るわけないよ」

 マグニがハープの弦を弾くと、楽器とは思えない甲高い音が響き、ビリビリと耳障りの悪い音が残る。

 リットは耳鳴りが起きた時のように耳を塞いで顔をしかめる。

 マーメイド・ハープを弾いてるマグニ本人は、音に酔いしれるように目を閉じていた。

「それのどこがハープの音なんだよ。……その音を完成させたかったら、鍛冶屋に弟子入りした方が早えんじゃねぇか?」

「まぁまぁ、練習中はみんなこうだよ」

「音楽のことなんか知らないオレでも、これは音楽じゃないってわかるぞ」

「そんなに言うなら、どうしたらいいのさ」

「簡単だ。オレが良い鍛冶屋を紹介してやるから、そこで思う存分金切り音を鳴らせばいい。だからそのハープはオレにくれ」

 リットが手を伸ばすと、マグニはリットの手を握る。手を振りほどいて改めて手を伸ばしても、マグニはまた握手をするだけだ。

「ダメだよ。ハープはあげられないっていったじゃん。なんでリットはそんなにハープを欲しがってるの?」

「欲しいって言うよりも、しばらく貸してくれるだけでもいんだけどな――」

 リットがマーメイド・ハープを欲しい理由を話している間、マグニはおとぎ話を聞く子供のように目を輝かせて聞いていた。

 リットの話が終わると、マグニは話を反復するように頷く。

「――なるほど。そういうことなら貸してあげてもいいよ」

「おぉ、そうかそうか。最初から話しとけばよかったな」

「――でも、ボクが弾かないとただのハープだよ」

 そう言ってマグニはハープの弦に触れると、耳を塞ぎたくなるような音色をギーギーと弾く。

「どういうことだ?」

「リットが言うような、ハープの音色で液体を何かの形に作るっていうのはボク達にしか出来ないんだよ。人間が弾いても、ただのハープを弾いてるだけなんだ」

「なんだよ……。また魔力かよ」

「そうそう水魔法。えいっ!」

 マグニは両手を被せてギュッと握ると、親指の付け根の隙間からリットに向けて水を飛ばした。何度もピュッピュと空の手から水が飛び出てくる。

「わかったから、こっちに飛ばすな。風邪引くだろ」

「水の精霊はハープ自体も水で作っちゃうんだよ。すごいよねー。便利だよねー。こんな重い物持ち運ばなくてもいいんだもん」

 マグニは自分のマーメイド・ハープを眺めながら言った。

「ここに住んでるわけじゃないのか?」

「違うよー。家はあっち!」

 マグニが元気良く指をさした方角にはカラザ山がある。その山を越えて三日程歩いた場所にリットの住んでいる町がある。

「ふもとか?」

「ううん、山中の湖だよ。山のてっぺんからちょっと下に降りたところ」

「んだよ。結構近いとこにいたんじゃねぇか」

「ご近所さん? 今度家に遊びに行くねー」

 マグニはリットの手を無理やり挙げさせると、「ハイターッチ」と言ってペチペチ手を合わせた。

 ノーラが見た巨大な魚の正体は間違いなくマグニだ。人魚に背ビレはないが、マーメイド・ハープの上部が水面から出ていたら背ビレに見える。

 ノーラが発見した二回とも、カラザ山から人の居ない大岩へとマーメイド・ハープを持って通う途中のマグニだ。

 一番探すのが面倒くさいと思っていたマーメイド・ハープは、一番最初に見つけていた。

 しかし、ハープだけでは意味が無く、持ち主のマグニも弾くのが下手となれば、結局は振り出しに戻ってしまった。

「……来なくていい」

「えー、なんでなんで。遊ぼうよー」

「オレの家は、食えない魚は出入り禁止なんだ」

「そっかー。それじゃあ、しょうがないねー」

 リットは「そうだな」と一言で返すと、ノーラの頭をリュックから引きずり出して頬をペチペチ叩いた。

「おい、いつまで寝てんだ。帰るぞ」

「寝てるんじゃなくて、死にかけてるんですよォ……。ほら見てくだせェ、もう脈がないんっス」

 ノーラは力なくダランとした腕をリットに見せた。短い腕はかすかに震えている。

「脈は見れねぇし、なかったら死んでるよ」

「でもこんなに手が震えて」

「酒場に行けば、震える手で酒を飲んでるジジイがいっぱいいるっての。ほら立て」

 リットはノーラの腋に手を入れて持ち上げると無理やり立たせた。

「あの音嫌いなんスよ」

「ドワーフだろ。金切り音なんて聞き慣れた音じゃねぇか」

「だからっスよ。洞窟で響く金切り音。アレは地獄っス。一日中拷問を受けているようなもんスよ」

 ノーラは薪の煙りが顔をなぞった時のように、煙たそうな表情で言った。

「もしもーし。二人ともー。金切り音じゃなくて、ハープの音だよー」

 リットの肩をマグニがツンツンと指でつつく。

「ハープは金属音なんか鳴んねぇよ。――じゃあな」

 ブラインド村に戻ろうとするリットのシャツの背中あたりを掴んで、思いっきりマグニが引っ張った。

「……なんだよ」リットは首を後ろに逸らしながら言う。

「ボクがハープの練習をするのを手伝って欲しいなーって思って」マグニはシャツから手を離すことなく言う。

「なんでオレが」

「だって、ボクがハープを弾けるようになったら、リットの悩み事は解決するんでしょ? それに、困ってるならなんとかしてあげるのが友達。リットも「友達が困ってんだ、なんとかしてくれ」って言ってたでしょ」

 リットは余計なことを言ったと嘆息を漏らした。

 しかし、マグニの言うことも尤もで、マーメイド・ハープを手に入れるには一番安価な道だった。

「手伝うって言ったって、オレは音楽のことなんかなにもわからねぇぞ」

「大丈夫! 楽器は人に聞いてもらうだけで上手くなるんだよ!」

「隠れて弾いてた癖によく言えたもんだ」

「だって、やっぱり恥ずかしいじゃん……。でも、もう吹っ切れたよ! リットにいっぱい聞いてもらって、どんどん上手くなろう! えいえいおー!」

 マグニは拳を高く上げて、短いヒレをパタパタと動かす。

「……待てよ。オレはその金切り音をずっと聞かなくちゃいけないのか?」

「だからー、金切り音じゃなくてハープだってばー」

「他に人魚はいないのか? マーメイド・ハープをちゃんと弾ける人魚」

「いるよー。でも、みんな演奏会で海まで行っちゃってるんだ。戻ってくるのは三ヶ月後くらいかなー」

 リットが信じていない顔で唸るのを見ると、マグニは両手で元気よくガッツポーズした。

「大丈夫! こういうのはコツをつかめばスグなんだよ!」

「その根拠の無い自信はどこから来るんだよっ」

 リットはマグニのお腹を掴んで引っ張る。

 発酵して膨らんだ小麦粉の生地のようなマグニのお腹は、例えと同じ小麦粉の生地と同じように柔らかかった。

 癖になる感触に、思わずリットは何度も指を動かしていた。

「痛い痛いっ! お腹をつままないでよー!」

「わりぃ、ついな。つまみやすい腹だったもんで」

「旦那ァ……。それはただのセクハラですよォ」



 ブラインド村ではグリザベルが老人相手に冗長な講釈を垂れていた。

 聞こえているのかいないのか、老人はニコニコしてまばらに拍手をしている。

「おい、変な宗教を広げるなよ」

 リットはグリザベルの服の襟を掴むと歩き出した。

「なんだ、いきなり。――こら! 首根っこを掴むでないわ!」

 リットに引きずられるグリザベルのかかとの跡が二本。川へと続いていった。

 村の外れにある川べりでは、ノーラが弾くハープの音が響いていた。メロディーにはなっていないが、ちゃんとしたハープの音が鳴っている。

「演奏会か。ふむ……悪くないぞ。友と語り合うには素晴らしい催し物だ」

「オマエも友達友達うるせぇよ。どいつもこいつも勝手に友達になりやがって」

「そう照れるなリット。我が友と認める者はそうはいないぞ」

「ただ友達がいねぇだけじゃねぇか。根暗な奴め」

「そう言うなら、誰か紹介してくれてもよいではないかー! 同年代の友がいないのは寂しいのだー!」

 グリザベルはリットに引きずられながら、駄々っ子のように手を振り回す。

「うるせぇな。大声出すなよ。今から紹介してやるから」

「なんと!? まことか? ちょっと待っておれ、心の準備が……。初対面の相手と話すことは慣れておらぬ――」

「適当に気の利いたジョークでも言えばいいだろ」

「何を言えばよいのだ?」

「自分で考えろ。――連れてきたぞ」

 リットは川べりに着くと、持っていたグリザベルの襟から手を離した。

 ドシャっという鈍い音が鳴り、グリザベルの黒いドレスが砂に汚れる。

「些か乱暴すぎるぞ!」

「自分で歩かないからだろ」

「リットが無理やり引っ張ってきたのだー! そんなこと言う資格はない!」

「友達なんだろ? 小せえことで怒るなよ」

 グリザベルは言葉をこらえると、一度鼻を鳴らした。立ち上がると、ドレスに付いた土を払い落とす。

「むぅ……わかった。許す……」

「……友達っつーのは便利な言葉だな。――ほれ、そこにいるぽっちゃり人魚がオマエの新しい友達だ」

 リットは顎をしゃくって川を指す。

 マグニは目を丸くしてグリザベルの失態を見ていたが、リットの言葉が聞こえると川の中から勢い良く飛び出した。

「ぽっちゃりしてるのはお腹だけなんだよ!」

「別にいいだろ。よく食う健康な証なんだから」

「だよねだよねー! 実はボクもそう思ってたんだ。おかげで生まれてから病気知らず! 尾ビレの張りもゼッコウチョー! だよ」

 マグニの癖なのか、また拳を高く上げている。

 張り上げる声はうるさいというよりも、元気よく響いた。

 ハープの演奏とは大違いだなとリットが苦笑いを浮かべていると、脇腹をグリザベルが肘で小突いた。

「なんだよ」

 答えの言葉はなく、再びグリザベルが肘でリットの脇腹を小突く。

「だからなんだよ」

「我に紹介するというのは、あの人魚ではないのか?」

 グリザベルはひそっとリットの耳元で言う。

「そうだ」

「ならば、そろそろ紹介してくれてもよいではないか。焦らされるにも限度があるぞ」

「たまには自分から動いてみろよ」

 リットが背中を押すと、グリザベルは覚束ない足取りでウロウロし始めた。

 鉄球でも付けられたかのような重い足取りのグリザベルは、小舟のへりに腰掛けると、長い足を組んで闇に溶けるような黒いドレスの裾を直した。

「我は知勇を兼ね備えし漆黒の魔女グリザベルぞ。ヒレのある種族のおなごよ……我と知友の仲になることを許そう」

 グリザベルは腕を組みふんぞり返ると、マグニに不敵な笑みを向ける。

「なんか二つ名が微妙に長くなりましたねェ。ダジャレ入ってますし」

「ありゃ、オレが余計なことを言ったせいかもな……」

 呆れるリット達とは違い、マグニは表情を明るくした。

「友達になってくれるの? ボク、マグニ! よろしくね!」

 そう言って差し伸ばされた手を、グリザベルは腰を浮かしておずおずと握った。

「よ、よろ、よろしくたの――」

 マグニはグリザベルが言い終える前に、握手したままの手を元気よく上下にブンブン振る。

「友情の証の握手完了! これでボクとグリザベルは友達だよ!」

 グリザベルのフヒっと言う鼻から抜ける笑いが聞こえると、マグニの手は再びグリザベルに強く握られていた。

「フハハハ! 我、終生の友マグニの為ならば――例え地獄の業火に灼かれようが! ――死の極寒の大地に滾る血を凍らせられたとて! ――ドラゴンに半身を食いちぎられたとしても! ――死神の鎌に喉を切り裂かれようとも! すぐに駆けつけることを誓おう!」

 グリザベルは鼻と口から音が聞こえるほどの荒い吐息を出し、三日月を横にしたような不気味な口元で満面の笑みを浮かべる。

 鬼気迫るグリザベルを見たマグニは、怯えた魚のように目と口をパクパクさせた。

「なんか怖いよー。この人」

「……病気なんだ。優しくしてやれ」






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