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ランプ売りの青年  作者: ふん
漆黒の国の魔女編(下)

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第八話

 リットは食事と談笑が弾んでいるブラインド村から抜け出すように歩いていた。

 川べりには小舟が二つ打ち上げられたように停まっている。そのすぐ横では、手入れされた汚い落ち葉色の漁網が一箇所に固められて蟻塚のようになっていた。

 川の流れに沿って歩くと、足下の砂利は鎧が軋むような苦しそうな音を立てた。

 夏とは思えないほどの冷たい川風が、リットの体を通り抜けていく。

 視野の隅に、枯れ草が風でちぎれて飛んでいくのが見えた。枯れ草はリットの影を切り裂くように飛んで闇へと消えていく。

 ヒョーヒョーと吹きすさぶ川風。ホーホーと遠くで鳴くフクロウの声。ゴオゴオと暗闇の中で不気味に流れる音。サシャサシャと鼓膜に纏わり付く衣擦れの音。全てが一つとなってゴブリンのオーケストラが奏でる奇怪な交響曲のように聞こえた。

 そのおかげで耳寂しくはなく。リットはオーケストラに混ざるように、キシキシと川砂利を踏みしめながら、モーモー川とランオウ川の合流地点に向かっていった。


 川の合流地点に着くと、リットは靴が濡れない川のギリギリに立ってランプで川を照らした。

 水面には川波で歪んだランプの光が映る。まるで月明かりが反射しているようだ。

 リットは脇の筋が痛くなるまでぐっと腕を伸ばしてみたが、映るのは川面だけ。岩なんてものは影も形も見えなかった。

 せめて星明かりでもあればもう少し先が見えるのだが、空では相変わらずの黒雲が闇に溶けている。

 膝辺りまで濡らせばもう少し何か見えそうな気がするが、リットはそんな気にはなれなかった。光が届かず真っ黒に染まったような川は、奈落の底へと落ちる穴のように見えたからだ。

 リットは川べりの中程まで引き返すと、ランプを足元に置いて、小岩に腰掛けた。ちょうど座りやすい形をしており、これがコニーの言う岩ということはないだろう。

 興味が無いと一蹴した川の合流地点にリットが来た理由は、岩が風を切り不思議な音を立てると聞いたからだった。

 ディアドレが正解を残しているわけではないので、必ずしもマーメイド・ハープが必要とも限らない。別の何かという可能性も充分ある。

 『妖精の白ユリ』は踊り疲れた妖精が花弁の中で休憩を取るのに使われると言い伝えがあり、『ヒッティング・ウッド』はオークの楽器だ。そう考えると必要なのは『音楽』に関係してくるのかもしれない。

 コニーの言っていた岩が、なにかしら楽器のような役目をするものなら、フェニックスを生み出すために使われる可能性も十分にある。

 リットが一時間ほど思案を巡らせていると、地面からあまり離れていない位置で光る何かがふわふわ浮いて近づいてきた。

 光の上に手が見えるようになると、近づいてくる光の速度が上がった。

「旦那ァ、探しましたよォ。こっちはもう眠くて眠くて」

 ランプを持ったノーラは、リットの顔を確かめるなり大口を開けて盛大にあくびをした。

「ちょうどいいところに来たな」

 リットはノーラに向かって手招きをすると、近寄ったノーラのランプを受け取った。

「旦那のランプのオイルでも切れたんっスか?」

「そうじゃねぇけど、もう一つランプがないと暗くて帰れなくなるからな」

 リットは言い終えると、思いっきり振りかぶった。そして、火がついたままのランプを暗闇に向かって投げつけた。

 炎の先になにか見えた時には割れる音が鳴り響き、オイルが撒き散らされて盛大に燃え上がった。

 五十メートル程先で燃え上がる炎の中には大きな岩が見える。

 長い年月をかけてモーモー川とランオウ川の両方の流れにえぐられたのか、大岩は砂時計みたいにくびれた形をしていた。薄暗くよく全貌が見えないので、大岩は遥か上空まで伸びる大木の幹のようにも見える。

 しかし、大きく飲み込む川の波のせいで、火はすぐに消えてしまった。

「おぉー。嫌な客が来た時にランプを投げて割ってるのは、こういう時のためだったんスね」

 ノーラの最初の「おぉ」だけは感心した声色だったが、後半の言葉は明らかにからかっている様子だった。

「結構でかいな」

「そうっスね。私の身長だったら二人分は楽に隠れられますね」

「上の方はよく見えねぇけど、もっと隠れられそうだな」

 リットは高さを確かめるために、足元の石を拾って岩の上に向かって投げつけた。

 石は暗闇でコンっと音を立てると、ボチャンと水音を立てた。

「どれどれ私も」

 ノーラも石を拾って投げる。パシパシパシっと水面を叩く音が聞こえるとコツンと岩に当たり、跳ね返って水音を立てた。

「水切りしてどうすんだよ」

「いやー、ついっすよつい。たまたま手に取ったのが、平たく形の良い石だったもんで」

「投げるなら上に投げろ。上に」

 リットが石を投げると、最初と同じように岩に当たり、水に落ちる音がした。

 しばらく投げ続けていると、滞空時間が長く、岩に当たる音が聞こえなくなった。代わりに「あいたっ!」という女の子の声が水音に混じって聞こえた。

「オマエか?」リットは隣りにいるノーラに聞く。

「違いますよォ。私が喋ったように聞こえました?」

「一応確かめただけだ。これが不思議な音ってことはねぇよな」

「さぁ? 確かめてみます?」

「そうだな」

 リットとノーラは同時に岩の上に向かって石を投げた。二つとも岩に当たらず上を抜けたようで、ぶつかる音も水に落ちる音も聞こえない。

 リットは耳をそばだてる。

「いたっ! 痛い痛い!」

 またも声が聞こえると、ドボンっと大きな水音が鳴った。

「……誰か居たみたいでしたね」

「川に落ちた音が聞こえたけど。大丈夫だろうな……」

「大丈夫っスかーっ!」

 ノーラが大声で呼びかけるが反応はない。

 それからも何度か石を投げてみたが、水に落ちる音ばかりで声は聞こえなかった。

「……でかい蛙だったな」

「蛙でなかったことにするには、流石に無理があると思うんスけどね」

「蛙ピョコピョコ三ピョコピョコ、合わせてピョコピョコ六ピョコピョコ。ほれ」

「蛙ピョコピョコ三ヒョコヒコ、かわしぇてソコホコ六ホコモコ」

「最初しか言えてねぇな」

「だいたい蛙をピョコピョコで数えるのがおかしいんっスよ。――って、私を誤魔化しても意味がありませんぜェ」

「仕方ねぇ……。とりあえずもう一回石を投げてみて安否を確認してみるか」

 リットが振りかぶった時だった。岩の陰から何かが飛んできた。

 それはリットの顔面に命中し、張り手を食らったような衝撃と、鼻に纏わり付くような生臭さがリットを襲う。

「ほっぺにウロコが付いてますぜ、旦那ァ。目からうろこっスか?」

「痛えな……。なんだ……魚か」

 リットの足元では手のひらサイズの魚がピチピチ元気に跳ねていた。砂利まみれの魚を拾おうとしゃがむと、さっきまで顔があった位置に再び魚が飛んできた。

 魚はリットの後ろにある小岩に当たった。ノーラがそれを拾い、喋るように口をパクパクさせている魚をリットに向けた。

「魚なのに虫の息とはこれいかにっス」

「……さっきから何言ってんだよ」

「知識をひけらかそうと思いましてね」

「半可通を振りかざすなよ」

「ハンカチ? なに言ってんスか。ハンカチは拭くものですぜ」

 そう言ってノーラはハンカチをポケットから取り出すと、背伸びをしてリットの顔を拭こうとするが、アゴあたりまでしか手が届かない。

 リットは無言でノーラからハンカチを取り上げると、顔に付いた生臭い水滴を拭き取り、最後に鼻をかんでノーラに返した。

「うへェ……。汚いっス」

 ノーラはハンカチの端を人差し指と親指でつまむと、腕を伸ばして自分の体から離した。

 その時、また水に落ちるような大きな音が聞こえた。

 リットは視線を向けたが誰もいなく、それっきり声が聴こえてくることもなかった。

「ったく……。魚を投げて逃げるとは、なんて奴だ」

「でも、先に石を投げたのはこっちですよ」

「夜に川で遊んでる方が悪いに決まってるだろ。ブラインド村に帰ったら見つけて説教してやる」

 リットは小岩に立てかけるように置いていたランプを持ち上げる。

「ブラインド村の子供じゃなかったらどうすんですか?」

「んなもんチルカで憂さ晴らしすりゃいいだろ」

「まぁまぁ、帰ったらお酒でも飲んで気分転換してくださいなァ」

「酒はチルカにこぼされたんだよ」

 リットが歩き出すと、ノーラも合わせて歩き始める。

「たまにはお酒なしってのもいいことですよォ」

「どっちだよ」

「どっちもっスねェ。旦那には大好きなお酒を楽しんで欲しいし、健康でもいて欲しいんス」

 ノーラは満面の笑みをリットに向ける。

「そういや……。オマエはオレを探しに来てたな……。――なにしたんだ?」

「いやだなァ。なにしたって言い方はないっスよ。――まぁ、ちょぉーっと旦那の着替えにカボチャのスープをこぼしちゃっただけっスよ」

「それで?」

「それで、今着てるシャツを汚したら旦那の着るものがなくなるなぁーと思いましてねェ。――大丈夫みたいで良かったっス」

 ノーラはリットの服の汚れを確認しながら言う。

「オレのシャツはリュックの中にしまってあったはずだぞ。どうやったら中のシャツにカボチャのスープをこぼせるんだよ」

「簡単っスよ。旦那のリュックから、ナッツの入った袋を取ろうとしただけっス。――片手にスープの器を持ちながら」

 言い終えると、ノーラはリットから顔を逸らした。

「となると、汚したのはシャツだけじゃねぇだろ」

「……そうとも言えますねェ。でも、カボチャ臭い服を着ることに比べれば、他は些細な事ですって」

「瓶を割ったりしてねぇだろうな」

「大丈夫っスよォ。そこまでしてたら、もっとご機嫌取ろうとしてますって」

 カボチャのスープをこぼしたことなんて大したことではない。ノーラはそう言いたげに、からからと大口を開けて笑った。

「まぁいい。やることもないし帰ってささっと寝るぞ」

 これが数ヶ月前や、一ヶ月経った後だとリットは怒ったかもしれないが、しばらくオークの村で生活していた感覚が残っていたので、リットは自分の服を洗うくらいなんともないと思っていた。

「ありゃ、もっと怒られると思ってましたぜェ」ノーラは拍子抜けしたように言った。

「今度機嫌を取る時は、洗い終わった洗濯物でも見せるんだな」

「私がそんなことをしたら、余計に旦那に怒られるような結果になると思うんスけどね」

「それもそうだな」

 リットとノーラは吹きすさぶ川風に、シャツを膨らませながらブラインド村へと戻っていった。



 翌日の朝リットは目を覚ました。朝か夜かもわからないブラインド村で朝だとわかったのは、宿屋の外から生活の音が聞こえてきたからだ。

 部屋で起きているものはリットだけで、ノーラは小さな寝息を立てているし、チルカも体の何十倍もあるベッドに一人で寝ている。しかし、グリザベルの姿はなかった。

 リットは一階に降りて宿屋の主人に朝食のメニューを聞くと、少し笑みを浮かべながら宿の外へと出た。

 魚料理という答えがわかっていたのが、案の定その通りの答えが帰ってきたものだから、不思議な可笑しさがリットの頬を緩めた。

 宿屋のすぐ目の前の街灯をグリザベルが眺めている。

 足音に気付くとグリザベルはリットの方を見た。

「ようやく起きたか。我は夜半中、多事多端で大変だったのだぞ。街灯が動く度にブラインド村の民が我を求めてな。席を温める暇もなかった」

 グリザベルは不自然なほど眉をしかめて話しているが、口角は上がりっぱなしで嬉しさのようなものが滲み出ていた。そのせいでやたらと不気味な表情になっている。

「そりゃ大変だったな。次は村に火を付けて、川の水で消してやれよ。ありがたがられるぞ」

「なんだ。ずいぶん不機嫌だのう……。昨夜のカボチャでもあたったのか?」

「当たったのは魚だ」

「ふむ、いくら涼しいとは言え夏だ。食す物には気を付けるが良い」

 まだ遠くで暖められた風が吹く夏だから涼しいで済むが、このまま冬になれば血まで凍るような寒さになるだろう。

 そう思わせるような一際冷たい風が吹き抜けた。

「この様子じゃ、一つ季節が過ぎればオマエは火炙りだ。今のうち媚びを売るのは懸命かもな」

「灼かれるのは、我を待ち焦がれるブラインド村の民の方ではないのか」

 グリザベルは高笑いを響かせた。

「なんだ? 今日はオマエ絶好調だな……。朝からそんなうざったいテンションだと、元々友達がいないオマエの辞書から友達って言葉自体消えるぞ」

「そういうことを言う奴の方が友達はいないんだぞー! それに我はこの村で生涯の友を得たのだ」

 グリザベルはフフンと鼻を鳴らして腕を組み直すと、リットに向かって不敵に笑った。

「そりゃ、知らなかった」

「――グリングリンお婆だ」

 リットが「誰だ?」と聞かなかったにもかかわらず、グリザベルは即座に名前を言った。

 それからも聞いてはいないのに、グリングリンお婆の好物はアスコルという魚だということや、趣味は魚の匂いにつられてやって来た野良猫の餌付けだとか、最近は見かけなくなったので寂しいとか、リットにとっては意味も興味もない情報を延々と喋り続ける。

 冗長な話からわかったことはグリングリンお婆というのは、ずっとグリザベルに頭を下げていた婆さんだということだけだった。

「終わったか?」

 グリザベルが一息つくように呼吸をしたのを見計らって、リットが言った。

「うむ。生涯の友が出来るとはなかなか良いものだ」

「そりゃまた……。生涯が残り少ない奴を友達に選んだな」

「友とは刻の長さではない。密度だ。それは、満ち欠けを繰り返す月のように我を魅了するものよ」

「その月はオマエのせいで見えなくなってるんだけどな」

「相変わらずお主はいちいち興を削ぐな……」






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