第七話
「さて……困ったものだ」
男がため息のような呟き声をだす。
街灯の光を背負い、男の顔は逆光で黒く塗りつぶされていて見えないが、片腕を組んで手を顎に当ててもたれているのがわかった。
声の正体は、ブラインド村の村長のコニーだ。
捕らえられたリット達はブラインド村へと連れて行かれた。
そこでコニーにいなくなった理由と、今まで何をしていたかを話したのだが、それを聞いてからコニーは「困った」という言葉をうわ言のように呟きだした。
「まったく……。とんだ巻き添えを食らってしまったぞ」
グリザベルは縄で両手を後ろ手に縛られたまま、居心地が悪そうに肩を揺らした。
「とばっちりを食ってんのはこっちだっつーの。元はオマエのせいだろ」
リット、ノーラ、チルカ、ジャック・オ・ランタンも同じように縛られ、ブラインド村の草が生えていない地面に座らされていた。
今ここにはコニーしかいなく、リット達を捉えた男達の姿はない。
コニーはリット達から視線を外すと、短い距離を行ったり来たりウロウロと落ち着かない様子で歩き始める。
リットが街灯がひとりでに動く理由を説明してから、コニーはずっとこんな調子だった。右に数歩歩けば一旦止まり、また左に数歩歩く。
考えがまとまらないコニーの顔は険しい。
術者本人が解けないのならば、いよいよ村を移さなければいけない。山と川に囲まれたブラインド村から他の土地へと移動するのは一苦労だ。老人はどうする。また一から田畑を耕し、家を作るのには時間が掛かり過ぎる。しかし、野菜がとれずこのまま魚だけを食べて生きていくのにも限界がある。
考えがまとまらず焦る心は足に現れ、あっちへうろうろこっちへうろうろするコニーの足取りは、競歩のように早くなっていた。
「とりあえず縄を解いてくれねぇか? 悪いのはオレじゃなくて、こっちなんだし」
リットはグリザベルに向かって顎をしゃくる。
「こら! なんでもかんでも我のせいにするでない!」
「一から十までグリザベルのせいだろ。オレがなにかしたか?」
「街灯を作ったのはリットではないか」
「オレは頼まれたんだから関係ねぇよ。撒き餌に使う夜行性の羽虫が集まってくるような街灯が欲しいってな。それを勝手に改造して動きまわるようにしたのもグリザベルだし、陽が当たらないような黒雲を作り出した原因もグリザベルだ」
「ならば、元はといえばヨルムウトル王が悪いということにならんか?」
「――死人を起こして、ちょっかいをかけたオマエが悪い」リットは間髪入れずに答えた。
グリザベルは矛先をなんとか自分から逸そうと思案を巡らせるがなにも浮かばない。知識はあるが、人と接することがあまり得意ではないので、思い浮かぶ言葉全てが不正解に思えてしまっていた。
「ならばどうすればいいのだぁ……」
「とりあえず謝っとけよ。それで許されるとも思えないけどな」
「我は謝り方などわからんのだぁ」
「簡単だ。ボロは出しても自分は出すな」リットは口元に歪んだ笑みを浮かべる。
リットはからかい半分というところだった。いつものように高圧的で陳腐な言葉を吐くよりも、子供っぽく打たれ弱い方のグリザベルの方が許される確率が高いだろうと思っていた。
「もういいよ……。どうにもならないからね」
気落ちした声でコニーは言うと、リットの縄を解いた。
「そう自棄になるなよ」
リットは解かれたばかりの手でコニーの肩を叩く。
「自棄にもなるよ。徘徊する街灯だけでも受け入れられないっていうのに……。影が動いたり、フェニックスを作ったりなんて話で、前向きに考えられると思うかい? こっちは田舎で平和にのんびり暮らしていたんだ。摩訶不思議な出来事に慣れていないんだよ」
「まぁ、人間しかいない村だしな。人間の形をしていない奴なんて滅多に見ないだろ。ノーラはともかく、羽の生えてるコイツは大丈夫なのか? 今更だけどよ」
リットは縄を解くのに苦戦しているチルカを、トンボでも掴むように持ち上げてコニー見せた。
「ちょっと! 気安く触んないでよ! アンタの臭くて汚い手垢が付くでしょ!」
「見た目っつーか、性格に難ありだな……」
「ははっ、可愛らしいじゃないか。それに、こんな状況だし光はありがたいと感じるよ」
コニーの言葉に、チルカはご満悦とばかりに頷く。そして如何にも含みのある顔でリットを見た。
「本当っ、人間がみんなこうだったらいいのに」
「はっ、可愛らしいじゃないか」リットは鼻で笑いながら言う。
「……バカにしてるの?」チルカはリットを鋭く睨んだ。
「褒めたつもりだけどな。バカにはバカにされたように感じるらしい」
「なるほど……ね。バカが、バカにしかわからない言葉で喋ってるのね。それならここに向かって喋ってなさい。同じバカがいるわよ」
チルカはリットの鞄にぶら下がっている水筒の蓋を開ける。途端にアルコールの匂いが漂い始め、水面には覗きこむリットの顔が映っていた。
「なんも映ってないぞ」リットは目を凝らす。
「そんなことないわよ。よく見なさいよ。ちゃんと映るから」
チルカも水筒の中の水を覗き込んだ。
「本当だ。よく見える。確かにバカが映ってるな」リットは水面に映るチルカの顔を指差した。
チルカの顔が歪んだのは、揺れる水面のせいだけではない。チルカは深呼吸をして、平常心を保とうとする。
「……やるじゃない。カウンターってわけ?」
「カウンターというよりも、ハエトリグサだな。頭の悪い虫が興味深げにやってきて覗いて勝手に食われる。考えるってことを知らないんだろうな」
「……あっ、手が滑っちゃった」
チルカは白々しく言うと、言い終えてから水筒に蹴りを入れる。
地面に酒がこぼれ、小さな水溜りを作った。
「おい! 手と足の区別もつかねぇのか! 今蹴ったろ」
「ごめんなさいねー。野蛮な人間の言葉はわからないわ」チルカはニッコリと笑う。「勿体無いし、飲めばいいじゃない。手のひらと膝を地面について、頭を下げながらね」
「……いまいちわからないな。やって見せてみろよ」
今度はリットがチルカを鋭く睨んだ。
「こっちは失意に暮れているっていうのに、気楽なものだよ……」コニーが呆れたように頭を掻いた。
「手がないわけじゃない。コニーがマーメイド・ハープさえ手に入れれば解決だ。……たぶんな」
リットが、チルカに頬をつねられ伸ばされながら言う。
「そんな大金があると思うかい?」
「ないだろうな。村娘を売っても雀の涙程度だろうし」
「そんなこと出来るわけがないだろう!」コニーは叫ぶと、ふらつき始めた。
「冗談だ。大丈夫か?」
「すまない。最近めまいや頭痛が酷くってね。よくふらつくんだ」
逆光で見えなかったコニーの顔は、最初に会った時よりも痩せこけていた。
徘徊する街灯のせいだけではなく、野菜不足も原因だろう。
リットは馬車に向かって声を掛けた。
「おーい、オマエの頭持って来い。腐るほど余ってんだろ」
リットが声を掛けると、ジャック・オ・ランタンは馬車を走らせてヨルムウトル城に向かった。
夜になり。と言っても昼間と暗さは変わらない。いつもは冷たい川風の匂いが吹き抜けるブラインド村だが、今は芋臭いようなカボチャの匂いが湯気と一緒に混じっていた。
村長のコニーの家でカボチャ料理が作られ、村人に配膳されている。
ブラインド村が黒雲に包まれる原因を作ったグリザベルだが、村人から向けられたのは罵声ではなく感謝の声だった。老人からは神様のような扱いを受けていた。
「ありがたや、ありがたや」とグリザベルに手を合わせて、何度も頭を下げる。
「よい、気にするでない。民の願いを叶えるのは当然のことだ」
「いいえ、いくら感謝をしても足りません」
「よいよい。冷める前に食ろうてしまえ。久方ぶりの新鮮な野菜なのだろう?」
グリザベルは椅子にどっかりと偉そうに座っている。
普通の椅子が玉座に見えるものだから不思議だ。同じようにリットが優雅に足を組んで座ったところで、玉座には見えないだろう。
グリザベルの足元で、しきりに頭を下げて感謝する老人を見ると、グリザベルが王族のように見えた。
「自作自演で村人の心を掴んで……アイツは国を作れるな」
グリザベルは自分が原因だということを正直に話すと、恨みつらみが混ざった声が飛んできたが、新鮮な野菜を積んだ馬車が戻ってくると、一変して感謝の声が広がった。
ブラインド村の村人は、ずっと干し野菜ばかりの生活をしていた。それも底が尽きそうとしていた頃だったので、一躍して悪役からヒーローへと早変わりだ。
死人や重い病人がいなかったのも幸いしたのだろう。
納得がいかず怒りに満ちた顔をした者もいたが、パサパサで甘いカボチャを食べると顔を和らげた。
「弱ったところに優しくされたら感謝しますもんねェ。あァ、懐かしき旦那との出会いを思い出しますよ」
ノーラは感慨深そうに言うと、口の端に付いた蒸しカボチャをペロッと舐め取った。
「オマエとの出会いって言うと、イミル婆さんのとこの店からパンを盗んだ罪をオレになすりつけたアレか?」
「……旦那との付き合いは長いから、昔のことなんか覚えてませんぜェ」
小首をかしげておさげを揺らしながらノーラはとぼける。
「たった五、六年前の話だろ」
「六年もあれば、子供も大人になりますってもんですよ。長い長い。ね? 旦那ァ」
「そうだな。長いもんだ。普通は六年もあれば料理の一つは作れるもんになると思うんだがな」
「サラダは作れますぜェ」
ノーラは得意気に小さな胸を張った。
「野菜をちぎっただけのもんは料理とは言わねぇよ」
「旦那はお腹に入ればなんでもいいんでしょ? なら、他の人はともかく、旦那に対しては立派な料理ってもんでさァ」
「上手くなったのは口だけか……」
「旦那の教えの賜物ですねェ」
リットとノーラが話しているところに、コニーが木の器を持ってやって来た。
「妻が作ったカボチャのスープだ。よかったらどうだい?」
リットが返事をする前にコニーはスープの入った器をリットとノーラに渡すと、向かいの椅子に腰掛けた。
スープからは湯気が立ち上り、食欲を掻き立てた。
「川で魚はとれるし、ヨルムウトル城に移住すれば解決なんじゃねぇのか?」
「街灯が動くだけで怯える僕達が、影が動くヨルムウトル城にかい? ずっとのんびり暮らしていたんだ、無理だよ」
「こいつは平気だったじゃねぇか」
リットは近くにいたジャック・オ・ランタンの頭を叩く。空気が破裂するような良い音が三回鳴ると、四回目を叩いたところでジャック・オ・ランタンのカボチャ頭が地面に落ちた。
「ひい! 頭がない!」
ジャック・オ・ランタンを被り物をした人間だと思っていたコニーは腰を抜かし、腕の力だけで後ずさる。
「……オレんところの町ってのは順応性が高いんだな。――まっ慣れるんだな」
コニーはまた腕の力だけを使い匍匐前進で近寄ってくると、震える手でカボチャ頭を拾い、ジャック・オ・ランタンに恐る恐る被せた。
「いいかい、他の人の前じゃ決して頭を取らないように頼むよ。これ以上不安要素を村に持ち込まないでくれ」
「だとよ」リットはジャック・オ・ランタンに笑いかける。「コイツが浮いてるのにも気付かないとは、相当参ってたんだな。村長なんて辞めちまえばいいんじゃねぇか?」
「そうはいかない。親父が死んで、僕。その次は僕の子供が村長になる」
「世襲制なんて、争いの元だぞ」
「急に誰かが権力を持つほうが危険さ。この村にはそんな人はいないから争いなんて起こらないよ。僕も無茶なことをするつもりはないしね」
コニーに不満を持つ村人はいなかった。むしろ村人は、小さい頃から見ていたコニーがどこまでやれるかを期待しているようだ。
「村長も村人もずいぶん優しいことで。それにしても、ヨルムウトルにも別の土地にも引っ越したくないねぇ……。――いっそ街灯を壊すか」
リットがポツリとこぼした言葉に、遠くからグリザベルが素早く反応した。
「ならぬ! 無茶をすると、それこそ人を毀傷することになる! なれば、この村は行く末は滅びぞ!」
グリザベルの言葉に、村長の家に居た全員が言葉を飲んだ。そして、ヒソヒソと不安の声を漏らし始める。
「そういえば、あの街灯は一応ゴーレムだったんだな。――何もしなければ、人間には危害は加えないんだろ」
リットは最後の言葉をわざと大きくして、村人に良く聞こえるように言った。
「そうだ。何もしなければ、ただ徘徊するだけだ。しかし――制約を破ると暴走し、制御不能になってしまうのだ。荒れ狂うゴーレムは災害のようなものだ。誰にも止められぬ。ただ静観するのみ。己が故郷を還り地にするゴーレムをな……」
余計なことばかり付け足すグリザベルにリットは頭を抱える。
「まぁ、ブラインド村の連中が怖がるってことは、野盗の連中も怖がるってことだな。今しばらくは、無償で警備を雇えたと思えばいいな」
リットがまた大きな声で言うと、その意味を理解したコニーがすぐに続いた。
「――そうだね。こう暗いと野盗に目を付けられるかもしれないけど、その心配はないってわけだね。いやー助かるよ」
リットとコニーは大げさに肩を叩き合いながら笑うと、村人の声はヒソヒソからザワザワへと変わり、やがて心配を口にしていた声もやんだ。
「でも――」の後に、それじゃ結局なにも解決してないのよね。と言おうとしたチルカの口をノーラが手で塞いだ。
「我がいる限り、街灯ゴーレムは大丈夫だ。民の安全を約束しよう」
グリザベルは立ち上がると、村人に向かって不敵な笑みを浮かべた。
「彼女は助けに来たのか、謝りに来たのか……。それとも脅しに来たのかい?」コニーが心配そうにグリザベルを見る。
「……あーいう性格なんだよ。人間なのに人間に慣れてねぇんだ。だから、察するって言うことを知らねぇ」
「まだ子供なんだね」
コニーは仕方がないという風に笑った。
「そういうことだな。普通は子供時代に友達と遊びながら学ぶんだろうけど、グリザベルはそういうとこがすっぽり抜け落ちてるんだよ。だから自分の思い通りにならないとすぐに泣くし、本で見たような言葉ばかり使いたがる。何も考えずに自分が興味あるものを突っついたせいで、この状況だしな。犬の糞を木の枝で突っつくガキと変わんねぇよ」
「こら! 聞こえておるぞ! リット!」
グリザベルが不機嫌をそのまま声にする。
「オマエの悪口言ってんだ。勝手に聞くなよ」
「す、すまぬ……。――ん? わけがわからんぞー!」
リットはグリザベルに向かって手を払い適当にあしらうと、ようやくカボチャのスープに手を付ける。
スープといっても、ペースト状にしたカボチャを水で煮込んだだけのようなものだ。スープはすっかり冷めていたが、不思議と温まる味だった。
「で、コニーの嫌いな摩訶不思議な話で悪いんだが、この村に言い伝えみたいのはないのか?」
コニーは少し考えて見たが、なにも思い浮かばないらしく「ないね」の一言で片付けた。しかし、でも――と続けた。
「リットが言うような不思議じゃないんだけど、面白い音が鳴る岩があるんだよ。ヨルムウトルのあるザラメ山脈から、この村のすぐそこまで流れているモーモー川。そしてリットの町の方角にあるカラザ山から流れてくるランオウ川。その二つが合わさりカスティ大河になり、ガレット地方を流れていく。このブラインド村から一時間ほど歩いたところに、モーモー川とランオウ川の合流地点があるっていうのは話したね。行ってみたかい?」
「いいや。興味が無い」
「……そうかい。こんなことになるまでは、川の合流地点を見るために訪れる人もたくさんいたんだけどね」
コニーは窓から空を見上げる。
「普通の川をみたけりゃここじゃなくてもいいからな」
ランオウ川は川べりに群生する黄色い花が水面に映り川の色が黄色く見えるのだが、花の生えていない今の状況ではただの川だった。
石灰の成分が多く白い土壌のせいで白く濁って見えるモーモー川。二つの川の合流地点では白と黄色の水が、混ざることなく大きな一つの川になって流れていく光景が見られる。
ブラインド村が魚中心の食生活の理由は、異なる性質の川があるおかげで多種多様の川魚がとれるからだ。
「まぁ、話を進めるよ。――その合流地点に大きな岩があるんだ。面白い形をしていてね。風が吹くと、岩に切られた川風が不思議な音を流すんだよ」




