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ランプ売りの青年  作者: ふん
漆黒の国の魔女編(下)

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第五話

 サンドラの嵐のような来客から数時間が経ち、あくびで濡れた瞳に夕陽が滲む時間になっていた。

 リットは誰かに行き先を伝えることなく家を出ると、外ではあちこちから色々な料理の匂いが混ざって風に流されていた。大抵はスープの匂いで、家々からご飯の時間を知らせている。

 行きの足音は少なく、帰りの足音ばかりだった。リットが人だかりを通りかかると、よそ者に聞かれたくない内密の話をしていたかのように会話が止んでいく。

 リットは他の人の無言を聞き流すように本通りから裏通りに入って行くと、空と同じ夕陽色の明かりが漏れる両開きのドアに手をかけた。

 いつもならそのまま無言でカウンター席に座り、黙っていても出てくるウイスキーを飲むリットだったが、今日は座るなりカーターに声を掛けた。

「人魚」

 リットが短く言うと、カーターは間髪入れずに答えた。

「D・グイットなら一杯。アクラカンなら二杯。ビールなら五杯分」

 D・グイットは『ディナイン・シテン・マンネ・グイット蒸留所』で製造されたウイスキーで、シルクのようななめらかさとハチミツの風味が漂う。

 反対にアクラカンは刺すような辛さが特徴であり、如何にもウイスキーと言った感じの酒だ。

 D・グイットにアクラカン。どちらの銘柄も、カーターの酒場では値段が高い部類に入る酒だった。

「……アクラカン」

 カーターは初めからリットの答えをわかっていたらしく、すぐにアクラカンのボトルからウイスキーを注ぎ、コップをカウンターに置いた。

 リットがコップに口を付けたのを確認すると、気持ち多めに入ったナッツの小皿をコップの隣に置く。

 いつ頃からの決まりかは定かではないが、リットがコップに口を付けてから、カーターがツマミを出すのがお決まりだった。

 リットのコップのウイスキーが半分ほどなくなったところで、ようやくカーターが口を開いた。

「『港町ドゥゴング』では、『イサリビィ海賊団』とかいう人魚の集団が船を狙って暴れまわってるらしいぞ」

「知らねぇな、そんな町は」

「だろうな。ここからじゃ馬車でも二ヶ月はかかる場所にあるからな。入江にある大きな町だ。ドゥゴングじゃ、人魚も店を持ってるらしいぜ」

「人魚と良好な関係を築いてるのに、人魚の海賊団が出るのか? そりゃ、おかしな話だ。なんでまた船を襲う?」

 リットはコップのウイスキーを飲み干すとカウンターに置く。すかさずカーターが二杯目を注いだ。

「そんなこと言われても、オレは人魚じゃないから気持ちはわからないぜ。冒険者が、出港回数が減って満足に旅が出来ないって嘆いてるのを聞いただけだからよ」

 カーターは煮玉子のような褐色のハゲ頭をポリポリと掻く。

「他にはなんかねぇのか? ――例えばマーメイド・ハープが裏ルートで安く出回ってるとか」

 リットは声のトーンを落とすと、顔をカーターに少し近づけて、さも重要なことを言うように声を潜めた。

「そんな情報があったら、オレが買い取って高く売り飛ばしてるよ」

 カーターは肩をすくめると、そんなおいしい話がやすやすと転がってるはずがないだろうと鼻で笑う。

「……それもそうか。盗まれたとか、新しく発見されたってのもないのか?」

 カーターは天井を仰ぎながら顎に手を添えて考えているが、顔色が変わることはなかった。

「うーん……ないな。それにしても、なんでいきなりハープなんだ? リットは音楽なんて聞きやしないだろう。聞いてもせいぜい酔っぱらいの調子外れの鼻歌くらいのもんだ」

「鼻歌だって立派な音楽だろ。それに鼻歌を鳴らすほど上機嫌な奴は、たかられても次の日にはすっかり忘れてるってオマケ付きだ」

 リットは調子良く言うと、ナッツを掴んで口の中に放り込んだ。

 ガリゴリと咀嚼すると、心地良さと不快感の間の絶妙な音が、顎から耳へと直接流れ込んでくるように音を立てる。

 気分が良ければ酒が進むだろうし、気分が悪ければ耳に纏わり付いて離れない。そんなような音だ。

 リットが手元のコップのウイスキーを飲み干し、口内に纏わり付いたのナッツの欠片を流し込むと、カーターは耳障りの良い水音を立ててリットのコップにウイスキーを注いだ。

「ははーん……わかったぞ。吟遊詩人だと客に酒を奢ってもらえるから、ランプ屋から鞍替えってわけか」

「そりゃいいな。専属で雇ってくれよ」

 酒場で歌う吟遊詩人へのおひねりは酒やツマミ。暗黙の了解のようなルールがある。どこの国の酒場でもだいたいそんなものだ。昼は外の広場で旅費を稼ぎ、夜は酒場でその日の晩飯代や酒代を稼ぐ。

「今だって吟遊詩人と変わらない暮らしをしてるだろう。あっちへフラフラこっちへフラフラ。最近町で見かけねぇぞ」

「そうなんだよな……。最近やたら厄介な依頼ばかり入りやがる。次帰ってきた時にはこの店が潰れてんじゃねぇかとヒヤヒヤもんだ」

「リットが金を落としていかないんじゃ潰れるかもな。金を落とさない奴もいるし……」

 そう言ってカーターは、リットの隣の無口な影に目をやった。

 リットとカーターの話を黙って聞いているのはジャック・オ・ランタンだった。

 喋れないし、酒も飲めないので楽しくないハズなのだが、ジャック・オ・ランタンはどこか楽しそうに酒場の様子を伺っていた。

「勝手についてきたんだよ。別にいいだろ、迷惑を掛けてるわけじゃねぇんだし」

「酒場で酒を飲まない奴は迷惑だよ。だいたいそいつは何者なんだよ」

 カーターはジャック・オ・ランタンの目となっている空洞をジッと見ながら言った。

「なにって、動くただのカボチャだよ」

「動いたら、ただのカボチャとは言わねぇって。――おんもしろい生き物だなぁ……」

「生き物とカウントしていいのかはわからんけどな」

 リットがジャック・オ・ランタンに目をやると頭がなかった。カボチャ頭があるべきの場所では、ジャック・オ・ランタンの手がなくなった頭をオロオロと探していた。

 ジャック・オ・ランタンの目の前では、カーターがカボチャ頭を小脇に抱えている。

「見ろよ! こいつ、頭がねぇぞ!」

 カーターが大声を店内に響かせると、酒場の客がわらわらとジャック・オ・ランタンの周りに集まってきた。

 酒が入っていることもあり、ジャック・オ・ランタンに警戒心を抱くことなく、むしろ新しいオモチャを見つけたかのような軽い足取りで歩いてきた。

「頭がないやつなんているわけ無いだろ。酒場の店主のくせに飲み過ぎたんじゃねぇのか?」

 そう言った、口周りに濃いヒゲを生やした一人の男が、わざとらしくジャック・オ・ランタンの頭が乗っかっていた場所に肘を乗せた。

 ジャック・オ・ランタンが迷惑そうに男の腕をペチペチ叩くと、男はこれまた大げさに驚いてみせた。

「こりゃ驚いた! 開いた口が塞がらないってのはこのことだ!」

「いやいや、こいつの開きっぱなしの口ってのは、結構イケる口だぜ」

 別の男がカボチャ頭の口に瓶を突っ込み、安物のビールを流し込んでいる。流し込まれたビールは空いた穴のせいで床に流れていくが、カーターは気にせず大笑いをしていた。

「もったいねぇな……」

 カボチャ頭の穴から流れるビールの滝を眺めながら、リットが言葉を漏らした。

「面白い奴に酒を奢るのがもったいないか……。否、そんなことはなーい!」

 ジャック・オ・ランタンを肘置きにしていた男がリットにビシっと指を差すが、強風で折れる寸前の柳の木のように危なっかしくゆらゆら体が揺れていた。

 揺れる度に動く目玉は既に焦点は合っていなく、リットを見ているのか、その奥の壁を見ているのかもわからなかった。

「窓を見てみろよ。アンタが今一番おもしろいぞ」

 男はリットに言われるがまま窓に映った自分を見ると、手を叩いて笑った。

「色男がいるぞー! オーレだー!」

「確かに色男だ。顔を真っ赤にしちゃってまぁ、明日の朝には真っ青になってんぞ」

「んん? リットはいつからいい子ちゃんになっちゃったんだぁ? んん?」

 男はリットの首に腕を回すと酒臭い息を吹きかけて、呂律が回らない口調で絡み始めた。

「ついさっきからだよ。カーターが高い酒を売りつけるせいで、酔えやしねぇ」

「そりゃいかんぞっ。酔うのは安酒に決まってるってもんだ! 高い酒なんて飲んじゃ……酔いが醒めちまう!」

「同感だ。カーターのせいで、もう安酒を飲む金も残ってねぇ。アンタみたいな色男と違って、カーターは色を付けるってことを知らねぇんだ」

「いかんぞ……いかんぞカーター! 酒を安く提供するのが酒場ってもんだ! まけてやれ!」

 男は遠くの人間に呼びかけるような大声で、目の前にいるカーターに捲し立てた。

「無茶言うなよ。アンタが飲んでる酒だって本当はもっと高いんだぞ」

「酒場であーだこーだ情けないやつめ。オレが酒場の礼儀を教えて……やる!」男は口髭に付いたビールの泡を手の甲で雑に拭くと、ふらふらの頭を更に目一杯振り回しながら叫んだ。「今日はみーんな! オーレの! 奢り! 安酒をたらふく飲め!」

 酒場の端で指笛が鳴り響くのと同時に、酒場の喧騒は最高潮に達した。

 しかし、奢ると宣言した男に対する賛美は最初だけで、後はタダ酒を飲めるというテンションと、ただ騒ぎたいだけの大声の喧騒に変わっていった。

 リットも近くにいる適当な人とコップをぶつけ合わせて、安酒をあおっていた。

「あーあー、可哀想に。帰ったらカミさんにどやされるどころじゃすまないぜ、あれ」

 カーターも自分のところの酒を飲みながら呆れたように言った。

「そう思うんだったら、話の合間に酒を注ぐなよ。情報料はアクラカン二杯のはずだろ」

 リットは口を付けずにいた三杯目のアクラカンのウイスキーが注がれたコップをカーターに見せ付けるように持ち上げた。

「バレてたか」

「しかも役に立たない情報だしよ」

「そりゃ無理ってもんだ。海どころか川もないこの町で、人魚の話題なんて早々出るもんじゃないぜ。冒険者の愚痴から人魚ってワードが出ただけでも奇跡みたいなもんだ」

「仕方ねぇ。気を取り直して、もう一つの安い奇跡に感謝するか」

「そりゃいい」

 リットがコップを持ち上げると、カーターもコップを持ち上げた。

「予期せぬタダ酒に」

「予期せぬ売り上げに」

 リットとカーターがそれぞれ言うと、「乾杯」と声とコップを合わせた。



 気付けばリットは酒場のカウンターに頭をめり込ませるような格好で寝ていた。

 リットを起こしたのはジャック・オ・ランタンで、カウンターに突っ伏しているリットに見えるように、こぼれた酒を指でなぞりテーブルに文字を書いた。

「帰りたい? んなことで起こすなよ。一人で帰っていいぞ」

 リットが目を閉じると体を揺すぶられる。目を開けると、カウンターには新たな文字が書かれていた。

「道がわかんない? オマエは寝ないんだから、朝までその辺ふわふわ散歩してろよ。昼になったら探してやるから」

 リットが目を閉じようとする度に、ジャック・オ・ランタンはリットの体を揺さぶった。

「……わかったわかった。帰りゃいいんだろ……」

 リットが椅子から降りると、誰のかわからない足を踏みつけた。

 酒場の床ではカエルの死骸のような姿で倒れ、いびきで合唱しながら男達が寝ていた。

 起きてみると、今までこの騒音の中で寝られていたことが不思議に思える。

 リットは半裸の男を足でどかしながら、酒場の出口へと向かった。

 外はすっかり日が暮れていて、夜の帳が下りた町の中を歩いて行く。

 月の高さから見て夜中にはなっていないのはわかるが、最後に残っていた記憶が酒場の大騒ぎのせいで夜中のような静寂に感じる。

 酒場に来る時と同じように、リットの後ろについているジャック・オ・ランタンを見ては通りすがる人の足は止まっていた。

「他種族に寛容な町でも、カボチャが浮いてるってのはまだ受け入れ難いらしいな」

 リットは夜の空気を思いっきり吸い込むと、あくびと一緒に息を吐いた。


 家に帰ると、居間でノーラとチルカとグリザベルが残り物のパンを食べていた。

「おかえりなさいっス」

 ノーラが口からパン屑をこぼしながら言う。

「おう。今は夕飯時か」

「いつもよりちょっと遅いですけど、そんな感じっスね。旦那も食べます?」

「いや、いい……」

「それだけお酒を飲んでれば、ご飯なんて入んないですよねェ。旦那がドアを開けてからお酒の臭いがプンプンしやすぜ」

「好きで酒場に行ってんじゃねぇよ。情報収集だ。情報収集。マーメイド・ハープのな――」

 リットは空いている椅子に座ると、顎を打ち付けるようにテーブルに突っ伏した。

「それで、なにかわかったのか?」グリザベルがリットに聞いた。

 グリザベルの皿の上にはパンを食べ終えた残骸が残っていた。革靴の先端を切り落としたようなパンになっており、中の白い生地だけが綺麗に繰り抜かれている。

 外側の固くなったパンの皮は噛みきれなかったようだ。

「……なんか言ってたけど、酒を飲んで寝たら忘れた」

「それでは情報収集をした意味がなかろう」

「忘れるってことは、役に立たない情報なんだろ」

「そんなことはないぞ。情報とは話し手から聞き手へと伝えられる、意味を持つものだ。そして聞き手は話し手となり、別の聞き手へと情報を伝えなければならない。そうして蜘蛛の糸のように広がった人倫の中から答えを見つけ出すものであろう。しかしリットは蜘蛛の糸を断ち切ってしまったわけだ。切られた蜘蛛の巣には獲物はかからぬ。つまり幾星霜の――」

 長々と喋るグリザベルの言葉にリットは耳をふさいだ。

「やめてくれ……オマエの呪詛のような言葉は頭にガンガン響く。二時間も寝てねぇのにもう二日酔いなんだよ……」

 グリザベルは一度話を辞めてリットの方を見たが、不敵な笑顔を浮かべると水で喉を潤し、本腰を入れて話を続けだした。

「知識は知恵を作り出し、知恵は経験から生まれ、経験は知識を覆す。思考の精度を高めるには知識と情報が必要不可欠だ。でなければ行動に移せん。情報を得て、己の知識で判断し、適切な行動を選ぶことが、目の前にある問題を解決することに繋がるのだ。愚者に成り果て――」

 グリザベルの透き通るような声は、両手で耳を塞いでもリットの鼓膜を揺らした。

「ノーラ……。グリザベルを黙らせろ」

「無理ですよォ。どうしろって言うんですかい?」

「簡単だ。……グリザベルを殺せ。――もしくはオレを殺せ」

「無茶言わないでくださいな」

 グリザベルは日頃の仕返しとばかりに、弱ったリットに向かって延々と飽きるまで話を続けた。






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