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ランプ売りの青年  作者: ふん
妖精の白ユリ編
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第五話

 リットが昨日散々文句を言ったイチゴのジャムだが、値段がするだけあって美味しかった。

 悔しいことにそれも今日で無くなる。買ったのは昨日の昼。無くなるのは今日の朝。ノーラが人一倍も食べるせいで、一日ももたなかった。

「ふわぁ~、おはようございます。旦那ァ」

 リットの長袖のシャツを寝巻き代わりにしたノーラが、あくびをしながら二階から下りてくる。

 明らかにサイズの大きいシャツを身につけたノーラの格好は、長すぎる裾のせいでワンピースを着ているようにも見えるが、同じく長過ぎる袖のせいで幽霊の格好をしているようにも見えた。

 まだ眠そうに頭を揺らしながら食卓につくと、目を見開いて声を上げた。

「ジャムがありませんぜ!?」

 リットは最後のジャムを塗ったパンを口の中に放り込むと、昨日のうちに食べ終わっただろと適当に言葉を並べて、口の中を水で潤す。

 リットの口の端に付いた赤い果肉を、ノーラが恨みがましく睨むように見つめるが、そんな視線など気にせずにリットは水を飲み干した。

 ノーラは涙目をリットに向けて、意地汚く瓶にこびり付いたジャムを千切ったパンでこそぎ取るようにして食べだした。

「悪かった。また買ってきてもいいから、そんな目をしながら飯を食うなよ」

「旦那なんて、お腹に入れば満足するんだから、素パンをモソモソと食べてればいいのに」

「昨日は頭を使ったから、甘いものが欲しくなったんだ」

 工房にある本を読み漁ったが、これといって有益な情報は出てこなかった。試したいことは幾多にあるが、そんなことをする時間はない。いっそ近くにエミリアが居てくれれば楽になる。

 そんなことを考えていると、油の切れたドアが音を立てて開いた。

「邪魔をする」

 エミリアが入ってきたのを見て、昨日の夜に鍵をかけ忘れていた事を思い出すが、それよりも心配になったのは、エミリア自身のことだ。すこぶる顔色が悪かった。手には大きな荷物を抱え持っているが、顔色の悪い理由はそれではない。

「やっぱり効果なかったみたいだな」

「せっかく知恵を出してもらったのにすまない。ただ、長い夜の暇つぶしにはなった」

 エミリアが差し出した人魚の卵が入った箱を、リットはそのままポケットの中に入れた。

「ダメ元って分かりきってたしな。それより、そんな顔で出歩いて大丈夫なのか?」

「雨や曇りの日なら引きずるが、今日は晴れているから問題ない。この顔色もじき良くなるハズだ」

 重そうな荷物をその場に置くと、エミリアはリットの前まで歩いて行き、深く頭を下げる。

「今日から暫く世話になりたいと思う」

「そうか、世話になるか……。ん? 誰が、どこに?」

 あっさりとしたエミリアの口調に一瞬、流してしまいそうになったが、リットは慌てて疑問を投げかけた。

 エミリアはリットの問いかけに、ゆっくりと手振りを付けて「私が、リットの家にだ」と答えた。リットが何も答えない様子を見て言葉を続ける。

「ここに住み込んだ方が、リットも研究しやすいのではないかと思ったのだが、どうだろうか?」

「確かに、その方が色々と便利だが……」

「既に宿は引き払ってしまった。……なので、リットに断られると私はとても困る」

 エミリアの瞳が、不安そうに少し揺らいだ。

「知らない男の家に泊まるなって、母親から教わらなかったのか?」

「母上に教わったのは、殿方に頼み事をする時は、多少強引な方が効果があるということだ」

 確かに、思いついたことをすぐに試せるので、願ったり叶ったりなのだが、素直に了承したくはない。何故なら、会ったことのないエミリアの母親のしてやったりと笑う姿がエミリアの後ろに透けて見えたからだ。

「当然宿代は出すぞ。食事は肉は苦手なので、野菜を中心にしてもらえると助かるが、もし私の分の食事を用意するのが億劫ならば、自分で用意するから心配しなくていい。あとできればベッドは窓側にあると助かる。眠れない夜は窓から外を見ているのでな」

 リットが断らないことは分かっているようだった。宿屋に予約する時のように次々と待遇を要求してくる。

 我侭というよりは、良いところのお嬢様なのだろう。最初に会った時から思っていたが、断られるということに慣れていなさそうだ。

 お嬢様ならば、どうして兵士という職業に就いているのかも気になるが、とりあえず目障りな大きな荷物を運んでもらうことにした。

 近くに居たほうが色々とやりやすいので、リットにとっても願ったり叶ったりだった。

「ノーラ……。二階の空き部屋に案内してやれ」

「あいあいサー。さぁ、客人こっちですぜ」

 ノーラは手首をクルクルと回して合図をすると、エミリアを部屋へと案内するため二階へと上がっていた。



 階段を上がり、一番手前にあるのがリットの部屋だ。その右隣がノーラの部屋。そして一番右端の空き部屋。ここがエミリアの使う部屋になる。

「ここを使ってくださいな」

「案内助かった。礼を言う」

 エミリアは部屋に足を踏み入れて、ゆっくりと周りを見る。ベッドにテーブルに椅子、洋服ダンスもある。空き部屋と言うよりは、誰か住んでいた抜け殻のようだった。

「気に入りました?」

 ノーラの問いに答えようとエミリアが振り返ると、歩いてきた足跡だけ綺麗に木目が見えていた。

「ふむ……なかなか悪くない。が、まずは掃除からだな」

 普段は使われていないので、部屋の天井の隅のクモの巣がほこりまみれになっていた。

 エミリアが窓に近づき、開きの悪い窓を両手で持ち上げて開けると、舞った埃は外へと吸い込まれていった。

「このまんまで住むのはよっぽどの物好きしかいませんねェ。あいあい、バケツに水を入れて持ってくるんで、それまで窓の外の景色でも楽しんでてくだせェ」

 ドタドタと階段を踏み外しそうな勢いで走り下りてくるノーラに、リットは本から目を逸らさずに声だけで注意する。

「こっちは調べ物してるんだから、あんまり騒ぐなよ」

 リットは図鑑を開き、“太陽”と名がつくモノを片っ端から調べていた。

「あいあい、旦那はゆっくり本でも読んで、客人のことは私に任せてくだせェ。ドビョーンっと面倒見るんで」

 ノーラは大きな音を立てて扉を開けると、庭にある井戸へと水を汲みに行く。しばしの静寂が流れる間もなく、やたら楽しそうに足音を刻みながら家へと戻って来た。

 両手にそれぞれバケツを持って、ヨタヨタとバランスを崩しながらエミリアの部屋まで歩く。

「客人。そこに突っ立てると危ないですよォ」

 ノーラはエミリアが部屋の入り口から廊下へと出るの待つと、掛け声とともにバケツに入っている水を部屋にぶちまけた。

「この街の掃除とは、随分豪快なのだな」

 呆れているわけではなく感心の声。エミリアはこの方法がこの街の風習なのだと受け取った。

「旦那に教わったんでさァ。埃だらけの時は水で濡らしてから掃除すべし!」

 空のバケツを床に置いて、もう一つ水の入ったバケツを遠くにぶちまける。壁、天井には飛び散った水の飛沫の跡ができていた。

「しかし、布団まで濡れてしまったのは困る」

「なぁに、この天気ならすぐに乾きますって。二人ならすぐに終わります」

 そう言ってノーラは、箒をバトンのように回して穂先を勢い良く床につけた。

「手伝ってくれるか。心強いぞ」

 握手を求めるエミリアの手は手甲に覆われている。

「いいかげんに、鎧脱いだらどっすか?」

「確かにそうだな。これでは満足に動けない」

 廊下の床に重い音を立てて、鎧を脱いでいく。胸当てに押さえられていた、実った乳房が弾かれたように揺れた。

 それでもまだ肌着に押さえられているので、実際の大きさは計り知れない。

 眼前で揺れる乳房に、ノーラは思わず手を伸ばして揉みしだく。

「なんだ、まだ乳離れをしていなかったのか」

 エミリアは気にした様子もない。表情を変えたのはノーラの方だった。悲しそうな影を目の下に浮かべると、絞りだすように声を出した。

「離れるどころか、くっついていたこともありませんぜェ……」

「む? 乳房とは、女性は皆平等についてるものではないのか?」

「これが、王者の余裕ですかい……」

「私は王族ではないぞ。ただ、名家ではあるな」

 噛み合わない会話に珍しくノーラが呆れた顔を見せたが、そんな表情もエミリアには通じなかった。

「気にせずとも、そなたはこれからどんどん成長する。そんなに案ずるな」

「そなたじゃなくて、ノーラっスよ」

 ノーラは名乗ると、握手のために手を伸ばす。エミリアはその手を優しく握り、笑顔を浮かべて名乗り返した。

「私も客人ではなく、リリシア・マルグリッドフォーカス・エルソル・ララ・トゥルミルスバー・カレナリエル・シルバーランド・エミリアだ。よろしく頼む」

「えっと……。リリシア・マルゲリータ・なんたらかんたら……長すぎやしませんか?」

 覚えることが苦手なノーラにとって、エミリアのフルネームは迷宮に誘うかのような呪文に聞こえていた。

「そう言われたのは、この町に来て二回目だな」

「一回目は、どうせ旦那っすよねェ」

「そうだな。「長い!」と一言で両断されてしまった」

 注文書を書くのに名前を聞かれた時のことを思い出して、エミリアは苦笑いを浮かべる。

「旦那ってば、思ったことをすぐに口にするタイプですから、慣れしかないっスよ」

「そうか。周りにいなかったタイプの人間だ。リットに付き合うには、面白くもありそうだが、なかなかに大変そうだな」

「……きっと旦那も同じこと思ってますよ」

 ノーラは、真面目なエミリアに付き合うリットも同じく大変だろうと、小さく小さく呟いた。

「なにか言ったか?」

「いや、さっ早く掃除を始めないと、寛ぐこともできませんぜ。頑張りましょうエミリア」



 ガタガタ、バタバタ、ドッカーンドッカーン。ノーラが口にする間抜けな擬音のような騒音が二階で鳴っている。

 集中力が足りない自分のせいか、集中させない二階の住人のせいか、リットが読んでいる図鑑のページは一向に進まない。

 イライラと進みが遅い時間をリットが過ごしていると、やがて音は止まり。二人が二階から下りてきた。

 リットは、そのイライラをぶつけるように声を掛ける。

「楽しそうでいいな、お二人さん」

「うむ、汚い部屋が綺麗になっていくのを見るのは楽しい」

「オレは、エミリアの為に本を読み漁ってるんだけどな」

 机に突っ伏すようにうなだれるリットを見て、エミリアは気が利かなかったといった風に頭を下げた。

「今は掃除をしなくてはならないが、世話になる分、手伝えることはなんでもする。なにかあったら遠慮なく言ってくれ」

「それじゃ、お・と・な・し・く。しなびた野菜のサラダを食ってもらえると助かるね」

 リットは嫌味が通じるように一音一音区切って言い、テーブルの上にまるごと一個乗っているキャベツをサラダと称して勧めると、エミリアは椅子に座り「気を使ってもらってすまない。実はまだ朝は食べていなかったんだ」と言って、葉を一枚一枚剥がして口に運び出した。

 嫌味を諦めたリットは、まだ少し悪い顔色を眺めて言った。

「そんなんで力が出るのか?」

「野菜は好物だ。問題ない」

 ひたすらキャベツを食べる姿は、うさぎが葉っぱを食べているように見える。

「エミリアって真面目っすよねェ」

 ノーラがしみじみ言った。

「オマエのお気楽さを少しやって、エミリアの真面目さをオマエが少し貰えば丁度いいのにな」

「どうせ貰うなら、お胸が欲しいっス」

「オマエがそんなに体型を気にしていたとは知らなかったな」

「夢と乳は大きいからこそ価値があるって、ローレンからの受け売りっす」

「オマエなぁ……。もっとマシなことを受け売りにしろよ。つーか、あの野郎の言うことに耳を貸すなよ。間違ったことしか言わねぇんだから」

 ローレンの名前を出されて、リットはあからさまに機嫌が悪くなった。

「そのローレンという人物を私は知らないが、夢は言わずとも大きいほうがいい、胸も赤ん坊の為には大きいほうが良いのではないか?」

 エミリアは自分の胸を持ち上げて強調しながら言った。

「エミリアって世間知らずっスよねェ……」

 呆れるノーラに、リットは更に呆れてみせた。

「オマエも立派な世間知らずだけどな」






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