第二十三話
リット達は無口なブホホを引きずるように連れて村に帰ってきた。
リットもローレンも同じく口を閉ざしており、連れ去られたブヒヒのことを伝えることはなかった。
重々しい空気を感じ取ったのか、村にいるオーク達が話しかけてくることはない。
リットはオーク達から向けられる視線だけを感じながら、横になった丸太の上に腰を下ろす。
ジャック・オ・ランタンが見つかったことだし、リゼーネ王国にまで買いに行った方が早そうだと一時間ほど考えていると、リットの目の前をオークが通り過ぎていった。
一人、また一人と、小走りで村の入口へと向かっている。
「ブヒヒが帰ってきタ!」誰が言ったのかはわからないが、その声はよく響いた。
リットもオーク達と同じように小走りで村の入口へと向かい、歩いてくるブヒヒを遠く見ていた。
一見してフェムト・アマゾネスの住処に行くときと変わらずの重い足取りに見えたが、そのわりには距離を詰めるのが早い。
遠く小さく見えていたブヒヒの姿が、どんどん大きく近づいて来ている。
片方だけの靴に、腰に汚い布を巻いたブヒヒは、村の入口まで来ると立ち止まった。
うつ向いているせいで表情は読み取れないが、時折引きつらせるように肩を動かしている。
村にいるオークは、ブヒヒのそんな様子を見て声を掛けられずにいる。近寄りがたい雰囲気だ。
意図的か偶発的かはわからないが、リットは誰かに背中を押された。バランスを崩しながら村の外に出るが、その後をついてくる者はいなかった。
リットが振り返ると、オーク達は手を振ったり頷いたり、後は任せたと言わんばかりの様子だ。
このままブヒヒに声を掛けずに戻るのも居た堪れない雰囲気なので、リットはしょうがなしにブヒヒに近づいていく。
「あーその……なんだ。生き物で一番大事なのは生きてるってことだからな。恥辱にまみれようが、輝けるっていうのか……。芽を出す日ってのは必ず来るわけだ。まっすぐ帰って来ただけでも大したもんだ」
リットの慰めることに慣れていない話し方に、村のオーク達はこれはダメだと思ったが、ここでようやくブヒヒが反応を示した。
と言っても、だらんとしていた手を軽く上げただけで、肩辺りで力なく手のひらを開いている。
とりあえずリットも同じように手を上げてみるが反応がない。握手のように手を伸ばしてみるが、これにも反応がない。
どうすればいいんだと、リットはそのまま何の気なしに手首をひねり手のひらを上に向けると、緑色の手が勢い良く振り下ろされ、辺りに乾いた音が響いた。
「痛え!」
リットの手のひらは一瞬で赤く染まる。
手のひらにくる衝撃は半端なものではなかった。痛さとむず痒さが相俟って、まるで火傷を負ったかのようにジンジンとしている。肘まで痺れているようだ。
手をぶらぶらさせるだけでも痛むので、リットは先程までのブヒヒのように項垂れた姿で手の痛みが引くのを待っていた。
反対にブヒヒはしっかりと顔を上げ、数回瞬きをすると、村のオーク達に焦点を合わせた。いつの間に握っていた右拳を高く上げると、口角を上げてニヤリと笑う。
まるで風格者のようにゆっくり歩いて行くと、村の入口で固まっているオーク達の間で立ち止まった。そして左手も拳を作り高く掲げる。
二人のオークが恐る恐る手を差し伸ばすと、ブヒヒはその手のひら目掛けて、拳を開いて手のひらを叩きつけた。
柔な人間の手とは違い、オーク同士の手が合わさる音は、爆発でも起こったかのように大きく響かせた。
そして、ブヒヒはまた一歩足を踏み出すと同じように拳を掲げる。その瞬間オーク達の唸るような歓声が轟いた。
「オレは誰なんだナ?」ブヒヒが天に向かって吠える。
「勇者ブヒヒだ!」とすぐに一人のオークがブヒヒに人差し指を向けて応える。
「違うんだナ」ブヒヒは静かに言うと、「オレは漢! ブヒヒなんだナ!」とまた天に向かって吠えた。
仲間達の歓声を一身に受けたブヒヒが両腕で自分の胸を叩き、「うおぉぉぉっ!」と声を上げると、ひとり残らずその場にいたオーク達が呼応した。
「うおぉ……」リットは静かに声を出す。
「声が小さいんだナ! リット!」
「違ぇよ。オレは痛みで声を上げてんだよ」
ブヒヒはつまらなそうにリットを一瞥すると、オークの群れに向かってまた声を上げた。
歓声が鳴り止まない中、ブホホはリットの肩に手を置いた。
「大丈夫カ?」
「わりぃ……。水持ってきてくんねぇか」
「……それは無理ダ」
ブホホは二度リットの肩を叩くと、手を引っ込めた。そして両手で自分のシャツの首元を掴むと、「ふんっ!」と力を込めてシャツを破く。一度両手で左右に引っ張るだけで、シャツはただのゴミと化した。肩に乗った布クズを手で払う。
「……行ってくル」ブホホはやたらに男前な顔で渋い声を出した。
パンツ一枚でカッコつける光景はマヌケそのものだが、村のオーク達はたまらないと言った風に野太い声を上げた。
ブホホは雨で何日も家の外に出られなかった子供のように、軽い足取りを走らせてフェムト・アマゾネスの住処に向かった。
その様子に、リットは呆れながらブホホを見送ったが、手のひらがジンジンとズキズキの間で痛み、顔をしかめた。
「……腐ってもオークだな。やたら小指が痛むけど、折れてねぇだろうな……」
ブヒヒは人差し指を立てて左右に振ると、舌を三回鳴らした。
「オレはオークじゃなイ。――マイティ・オークなんだナ」ブヒヒは力こぶを作ると、興奮冷めやらぬ様子のまま、言葉の節々に荒い鼻息を混ぜて話す。
「それだけテンション高けりゃ平気だろうから言うけどよ。あんまし熱を上げねぇ方がいいぞ。後悔することになるからな」
リットは核心に触れ過ぎないように遠回しに言ったが、ブヒヒは考えることもなくすぐに言いたいことに気付いたようだ。
「遊ばれたってことなんだナ?」
「当たらずといえども遠からずと言いたいとこだが……。んなピタリと的を射なくても」
「それって、オレの体だけが目当てってことなんだナ?」
ブヒヒはグイグイとリットに詰め寄ると、土埃が舞うほど鼻息を荒くした。
「一概に言えねぇけどよ。向こうの気が変わるかもしれねぇし、かと言って向こうが惚れてくるとも思えねぇし……。まっ、いい経験したと思えば。な?」
「……凄イ」感嘆の吐息と共に漏らしたその一言には、ブヒヒの語尾にいつもの「なんだナ」がなかった。
しかし、次にはいつもの口調に戻っていた。
「オレっ……女性に遊ばれたんだナ! 『ドン・ファニー』みたいでカッコイイんだナ!」
「……あぁ、ローレンが唯一男で尊敬してる好色漢というか、漁色家というか……ただの女たらしの奴か」
ブヒヒの場合はもてあそばれただけで、もてあそんだわけではないのだが、リットは流石にそこまでツッコム気にはならなかった。
「童貞を捨てただけで、世界が違って見えるんだナ」
「そりゃ良かったな。てっきり、フェムト・アマゾネスは軽蔑対象になると決めつけてた」
「……軽蔑してるんだナ。――でも――気持ち良いことには変わりなかったんだナ!」
細かいことはいい。そう言うように、ブヒヒの声は底抜けに明るかった。
好きな人とお互い初めてで、一緒に迎えた朝はお茶でも飲みながら微笑み合っている。ブヒヒの思い描いていた初体験とは違う。おそらく何年も経てば、初体験の相手となった女性の顔も思い出せないだろう。
だが、今のブヒヒにとってはそんなことはどうでも良かった。自分にも出来たということだけで、生物としての価値が上がったような気がする。ブヒヒは体内に不思議な自信が湧き起こっているのを感じていた。
不安は伝染するというが、自信も伝染する。それは不安が伝染するよりも早い。自信は人から人へと感染し、どんどん好循環していく。今向けられているブヒヒへの敬意は次にブホホに向けられるだろう。そしてブホホから他のオークへと、他のオークから他のオークへと、自己強化に繋がってく。
そんなことを知ってか知らずか、ブヒヒは向けられる敬意に最大限に答えていた。
しかし、テンションが上がっている村のオーク達が、城攻めで城門をこじ開けた時のように、我を忘れてフェムト・アマゾネスの住処になだれ込もうとしないのを見ると、まだ少し及び腰になっているのが見て取れた。
そんな中ローレンは、ブヒヒとのタッチで手を痛めたリットよりも苦い顔をしていた。物見櫓の木に背中を預けて寄りかかり、深く腕を組んで肩を怒らせてそっぽを向いている。話しかけるなと体で物語っていたが、リットはこの上なくおかしそうに笑顔を浮かべて近づいて行った。
「どうした? 儲け損ねたような顔して。ずいぶん儲けただろ。分けられるものなら分けて欲しいもんだ。ほら、言うだろ? 骨折り損の?」
「……うるさいよ」ローレンはリットに一度も目をやらずに言った。
ローレンの熱心の教えは役に立たず、結局ブヒヒがフェムト・アマゾネスに襲われただけだった。村を出る前はあんなに気にしていたコンプリートの新品の靴も、片方がなくなっているのに気にもしていない。
ローレンがこだわってアーテルカラスの羽で染めた服など影も形もない。
ブヒヒは裸同然の姿で帰ってきた。それでも上手くいったことに、行き場のない感情がローレンには湧き上がってきていた。
「だから下品な女性は嫌いなんだよ」ローレンは吐き捨てるように言う。
「でも、乳はでかいぞ」
「……そこだけは認める」
しかめていた顔を少しだけ和らげるとローレンは村の奥へと歩いて行った。
それから三日三晩、オークの村ではお祭り騒ぎになっていた。おそらくこのまま最後の一人のオークが童貞を捨てるまで、このお祭り騒ぎは続くだろう。
そこらかしこで薪を燃やし、村全体を明るく照らす。オーク達が下手くそな踊りを踊る度に伸びる影のせいで、実際にいる人数よりも人が増えたように感じる。
同じく下手くそな音楽が鳴っているが、これは不思議と心地よい音楽だった。
オークの楽器と言えば当然ヒッティング・ウッド。
まだ童貞のオークが叩くヒッティング・ウッドは、一定の音を鳴らすだけで如何にも打楽器といったものだった。
ところが、童貞を捨てたブヒヒが叩くヒッティング・ウッドは、叩く度に音を変えた。上がったり下がったり、適当な音階が鳴って不思議なメロディーを奏でる。
打撃音だけの音楽は気持ちよく心をざわつかせてくる。
前にリゼーネ王国で旅芸人が使っていたヒッティング・ウッドではこんな音は鳴らなかった。
また一つ、ヒッティング・ウッドを繰り抜き、中を空洞にしたものが運ばれてくると、一人のオークが踊るのをやめてヒッティング・ウッドを叩き始めた。
新たな音階が加わり、ハーモニーのようなユニゾンのような、形容しがたい深い音楽に変わっていく。
ヒッティング・ウッドを叩くだけで、童貞か童貞じゃないかが丸わかりだったが、そんなことを気にする者はいなかった。
「生命力溢れる良い音楽だロ」
頭よりも高く足を組み、ごろ寝しながら酒を飲んでいるリットに、ブホホが自慢気に言った。
「……数億の命が犠牲になってるからな。そりゃ生命力も溢れるわな」
「楽しくないのカ?」
リットの不貞腐れているような姿を見て心配になったのか、ブホホは気を使うように言った。
「いいや、楽しんでるぞ。酒が飲めりゃ満足」
「そうカ……」ブホホは安心したように笑う。「それじゃ一杯注がせてもらウ」
リットのコップが空になったのを見て、ブホホが酒瓶を持ち上げて注いだ。リットも酒瓶を取ると、ブホホのコップに注いでやった。
「酒はいいもんだ。どの種族でも、どこに行ってもある。この村でも女はいなくとも酒はあるしな。この分じゃ天国にも地獄にも酒はあるだろうな」
ブホホはリットの言葉に笑うと、感慨深げに酒臭い息を吐いた。
「空はより青ク、森はより緑に見えるようになっタ。……今まではオークだけで生きていくのになんの躊躇いもなかったガ、誰かと交わるのもいいものダ」ブホホは幸せそうに言うが、リットの視線に気付くと「そ、そっちの意味の交わるじゃないゾ!」と慌てて訂正した。
「別にそっちの意味でもいいだろ。オマエらだって子孫を残さなきゃいけねぇんだし」
「実際問題、オレ達が子を作ると言うのは出来るだろうカ……。フェムト・アマゾネスのように子供を作るのは拒否されるかもしれなイ……」
ブホホは元気なくチビチビと酒を飲む。
「またネガティブに考えてんな。オマエらは小さい村で臭い男達としか生活してないから知らねぇだろうけど、世界ってのは変わっていってんだ。今じゃ、人間が動物の耳や尻尾が生えた赤ん坊を産むのだって珍しくないってーの。緑の肌に豚っ鼻で筋肉質の子供だって欲しがる奴はいるだろ。戦争が始まって兵士が足りない国の女とかな」
リットのいつもの軽口を聞くと、ブホホは可笑しそうに肩を揺らしながら顔を上げた。
「……有難ウ。世話になっタ」ブホホはリットに向かって深々と頭を下げた。
「それはローレンに言ってやれ。オレはなんもしてねぇよ」
「それガ……探しているのだガ、ここ最近見かけないんダ」
「あいつはどっかで拗ねてるよ。まっ、腹が減ったら出てくるだろ」
リットは残りの酒を飲み干すと、コップをその辺に置いて立ち上がった。
「どこに行くんダ?」
「もう一人の拗ねた奴の機嫌を直しにな。ちょうどいいから手伝えよ」
リットはブホホを無理やり立ち上がらせると、森の中へと入って行った。
ジャック・オ・ランタンは最後に見た時と変わらないままの姿勢で馬車の中にいた。
リットは、ジャック・オ・ランタンの影を見ると頭を狙って丸太をぶつけた。丸太は幌を破り、ジャック・オ・ランタンの頭を馬車の端に飛ばした。
突然の事にジャック・オ・ランタンはリットに詰め寄る。顔は無いが、睨んでいるような気がした。
「ほらよ」
リットは丸太と一緒に持ってきた蔦をジャック・オ・ランタンに手渡す。
「苦労したんだぞ。オマエと同じサイズの木を探すってのは」
ジャック・オ・ランタンは、外皮が付いたままでじゃないと嫌だとか、枝根が付いていないと嫌だとか、変なこだわりがあった。それも普通の木ではなく、珍しい木が好きらしい。
ヒッティング・ウッドならもしかしてと思ったリットは、ブホホにヒッティング・ウッドの木を、オノで切るのではなく殴り倒してもらった。
ジャック・オ・ランタンは馬車の端に転がった頭を装着すると、ヒッティング・ウッドを持ち上げて興味深く観察し始める。
リットはジャック・オ・ランタンの反応を待って、手持ち無沙汰に眺めていたが、三十分経ってもジャック・オ・ランタンは観察するのを止めない。
リットが馬車に寄りかかり夜空を眺めていると、ジャック・オ・ランタンがちょんちょんとリットの肩を叩いた。
リットが振り返ると、ジャック・オ・ランタンは手袋をしててもわかる細い枝の指を、ヒッティング・ウッドにあいている小さな穴に向けている。
中に幼虫が住み着いていたらしく、細い枝を使って幼虫を追い出してやると、ジャック・オ・ランタンは大事そうにヒッティング・ウッドを抱きしめた。
次にリットに抱きつくと頬ずりまでし始める。
ジャック・オ・ランタンのカボチャ頭からは、腐りかけた臭いがしていた。
「わかったから、やめろ。オマエ、ヨルムウトルに帰ったらすぐに頭を替えた方がいいぞ。いつかの腐らせたジャムと同じ臭いがしてやがる……」
ジャック・オ・ランタンは名残惜しそうにリットから離れると、ようやく馬車の外に出た。そして、地面に文字を書き出す。
「この木には不思議な魔力が篭ってるだって? そりゃそうだ数億人分の魔力が――」言いかけたところで、咳払いをして誤魔化した。「オレには魔力のことなんてわからねぇな」
ジャック・オ・ランタン怪訝そうな目をリットに向けたが、リットが「そっちはもういらねぇなら、燃やしてこいよ」と、ブリジットに削られた体を指差すと、ジャック・オ・ランタンは物凄い速さでそれを取り、炎の中に焚べた。




