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ランプ売りの青年  作者: ふん
漆黒の国の魔女編(上)

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第十九話

 アーテルカラスの羽で黒く染めたシャツは、太陽の光を浴びて油を塗ったように光っていた。

 シャツの胸元をナイフで切り裂いて開けると、三回クロスさせるように麻紐を通す。

 シャツは、日当たりがよく、風通しの良い場所に干していたので、アーテルカラスの独特の臭いはとれて、代わりに日差しの匂いがしていた。

 しわしわの麻のシャツは、ガタイのいいブヒヒが着るとピッチリと肌に張り付いた。

「いいよ! 鎧を着て無骨に見せるよりも、牙や爪の装飾品で野蛮に見せるよりもずっといい!」

 ローレンが褒めると、ブヒヒは照れ笑いを浮かべた。その後に少し心配そうな表情になりながら、シャツの裾を伸ばしている。

「でも、長く水につけていたせいで、少し縮んだんだナ」

 ブヒヒは窮屈そうに肩を動かしたり、体を左右に捻ったりして、服が破れないかを確認する。

「本当は麻の服のシワ具合も込みでの考えだったんだけどね……。まぁ、でも筋肉が強調されてるし……。うん。悪くはない」

 オークの格好は完璧――とは言えず、ローレンは自分を納得させるように頷きながら言った。

 ところどころ縫い目が食い込んでいて、腕を曲げると上腕二頭筋が紐縛りのハムのように見える。胸元を切り裂いてVネックにしたのも、ブヒヒの頭が通らなかったからだ。麻紐を使ったのは、胸元がはだけ過ぎるのを抑えるためだ。

 課題はいくつも残るが、そもそもオークで満点を取る事自体不可能に近い。

「それにしても、黒は太陽の熱を吸って暑いんだナ……」

 そう言って汗を拭うブヒヒの顎を、ローレンは人差し指で押し上げた。

「ただでさえ黒で揃えてるのに、話す時に下を見るのはダメだ。陰気臭く見えるからね」

「それは、オレよりローレンの方が背が小さいからなんだナ」

「はい、口答えしない」ローレンはリズムよく手を叩く。「――背筋を伸ばす――顎を引く――肩は楽に」

 ローレンの言う通りに、手拍子のリズムに乗ってブヒヒが動く。

 ピンっと背筋を伸ばして、ガクッと顎を引き、だらんと肩を下げる。

「はい、復唱しながら。――背筋を伸ばす――顎を引く――肩は楽に」

「……背筋を伸ばス。……顎を引ク。……肩は楽ニ」

 ブヒヒは一つ一つの動作を確認しながら、ゆっくり体を動かしていく。

「リズムが悪い! もう一度!」

 ローレンが少し声を荒げると、ブヒヒはキビキビと動き始めた。

「――背筋を伸ばス――顎を引ク――肩は楽ニ」

「その調子。姿勢と会話は深く関係している。正しい姿勢。それすなわち口説き落とす近道。――背筋を伸ばす――顎を引く――肩は楽に。はい、続けて」

「――背筋を伸ばス――顎を引ク――肩は楽ニ」

「ようし、次はランニングだ」

「それは関係ないと思うんだナ」

「景気付けだよ。ほら、走る走る」

 ローレンに背中を押されたブヒヒは、釈然としないまま走りだす。ゆっくりと一周したところで、今度は強くローレンに背中を押された。

「な、なにするんだナ!」

「ただ、ダラダラ走るなら子供だって出来る。掛け声くらいかけたらどうだい?」

「急にそんなこと言われても、なにを言えばいいかわからないんだナ……」

 ローレンに怒られるのが嫌なブヒヒは、その場に止まりながらもしっかりと腿を上げながら教えを請う。

 ローレンは「しょうがないね……。僕の後に続くんだよ」と言うと、先陣を切って走り始めた。手拍子の代わりに、腕を振る度に脇下の衣擦れがリズムよく響いた。

「――緑の肌にハゲあたま。はいっ」

「――緑の肌にハゲあたマ」

「――愛嬌あるだろ豚っぱな」

「――愛嬌あるだろ豚っぱナ」

「――清楚も濃艶もどんとこい」

「――清楚も濃艶もどんとこイ」

「――フェムト・アマゾネスを抱いてやる」

「――フェムト! いや、……それはちょっト――」

「はい! フェムト・アマゾネスを抱いてやる!」

 ローレンが声を大きくしてブヒヒの声を遮る。その勢いにつられて、ブヒヒの声も盛り上がった。

「――フェムト・アマゾネスを抱いてやル!」

 ローレンが遠くの木に向かって指をさすと、それを目標にして二人は走って行った。



 リットはオークの村の入口にある物見櫓の木の幹に、頭と肩を預けていた。なにか思案を巡らせるわけでもなければ、眠るわけでもない。ただ酒を片手に涼んでいた。

 繁殖期の雄鳥が求愛のために鳴く、長く美しいメロディーに耳を傾けていると、大地を踏みならすような足音と、野太い声が響いてきた。足音が大きくなるにつれて、息も絶え絶えな掛け声も聞こえてくる。

「……フェム……を……やる……」

「――フェムト・アマゾネスを抱いてやル」

 疲れきって腰より下で腕を振り、かすれた声を出すローレンとは違い、ブヒヒはまだ元気に腕を振って声を出している。

 リットの目の前まで来ると、ローレンは足を止めた。崩れるように両膝と両手を地面につくと、嘔吐するようにだらしなく口を開けて、懸命に酸素を取り込み始めた。

 そうしてしばらく身体を休ませると、虚脱状態から立ち直り、目をリットに向けた。

「なにを……してるんだい?」まだ吸う息多くローレンが言った。

「そりゃ、こっちのセリフだ。似合わないことをして、短時間で老けこみやがって」

「昔、軍の部隊長をやってる女の子に習ったんだけど、声を出しながら長距離を走るのがこんなに疲れるとは」

「村の端から端まで走っただけなんだナ」

 ローレンはブヒヒの呆れたような視線に気付くとヨロヨロ立ち上がり、いつものように左目が隠れるように垂れ下がった前髪をかき上げた。

「それよりもだ。なにか言うことはないかい?」

 リットは「ほれ」と言って地面に落ちている木の棒を拾ってローレンに投げる。「杖代わりにちょうどいいだろ。ローレン爺さん」

「そうじゃないよ」ローレンは投げられた木の棒を受け取ると、その先端をブヒヒに向ける。ブヒヒの上半身辺りでグルグルと円を描き、リットの注意をブヒヒの着ているシャツに向けた。「これを見てどう思うんだい?」

「筋肉で丸々膨らんだ腹に、黒のシャツの胸元から覗く緑の肌。……どっからどう見てもスイカだな。まっ、夏だしちょうどいいんじゃねぇか」

「キミはそうして、すぐ人のやる気を削ぐようなことを言う……」

「オマエはオークと着せ替えごっこして遊んでるからいいけどよ。こっちは暇なんだっつーの。おかげで昼間から酒が進む進む」

 リットは影に隠れていたコップを持ち上げると、コップの中身を飲み干した。

「そんなに暇なら、フェムト・アマゾネスの住処に行くとかしたらどうだい?」

「行ってどうすんだよ。また、服でも脱げって言うのか?」

「したければご自由に。オークとフェムト・アマゾネスが上手くいくように根回しとか、色々あるじゃないか」

「問題なのはオークの方だろ?」

「こっちは問題ない」ローレンはブヒヒに向き直った。「フェムト・アマゾネスなんて怖くないだろう?」

「怖いとか、抱くとか、もうわけがわかんないんだナ」

「彼女たちはキミを待ってるぞ」

「それは嬉しいんだナ」

 ローレンの指示通りに走らされていたブヒヒは、夏の暑さのせいもあり思考能力が低下していた。

 ローレンが大声を上げ、それを聞いて自分も同じ言葉を繰り返している内に、ブヒヒはフェムト・アマゾネスも悪く無いと頭の片隅で思い始めていた。

「こりゃ、教育じゃなくて洗脳だろ。何日かすりゃ、またしょうもない幻想にまみれた女を理想に上げるようになるぞ」

「童貞の幻想なんて、一回女性とベッドを共にすれば簡単に崩れるよ」

「まっ、そこは同意だな。でも、童貞捨てるだけじゃ困んだよ。慈善事業しに来てるわけじゃねぇんだから。なんでも童貞を捨てた後に、ヒッティング・オークの木を叩かないとダメらしいからな。最悪の初体験で引きこもられたら困るんだよ」

「だ――か――ら――」と、ローレンは一文字ずつ区切って言うと、小声でリットに耳打ちをした。「そうならないように、キミがフェムト・アマゾネスの住処に行って話を通しておいてくれって言ってるんだよ。くれぐれも「なかなか元気がでないね」とか「え? もう?」とか言わないように言っておいてくれよ」

 ローレンはリットに念押しすると、再び村の奥へと掛け声を上げながらブヒヒと一緒に走っていった。



 リットは食料が入った小袋や水筒。それにランプを腰にぶら下げて、累々と木の根が露出したり、岩肌が顔を出している山道を歩いて行く。

 フェムト・アマゾネスの住処までは、それほど遠くないはずだし、荷物を最低限にしていた。よほどのことがない限り、軽装でも問題はないからだ。余計な荷物を減らせば、早くフェムト・アマゾネスの住処に着くと思っていた。

 フェムト・アマゾネスのブリジットに運ばれて。オークの村に移動して来た時は近く感じたが、実際に自分の足で歩くとなるとかなり時間が掛かる。長時間歩いているリットは道に迷ったのかもわからない状態なので、まだまだフェムト・アマゾネスの住処に着きそうになかった。

 リットは休憩する為に浮きだした太い根に腰を下ろすと、丁度いい具合に曲がった根が背もたれになった。

 ウトウトと頭を上下に二回振ったことは覚えているが、そこで意識は途切れる。次に目を覚ますのは、頭の千切れた鳥がお腹の上に落ちてきた時だった。

 突然のお腹への衝撃と、起きて一番最初に目に入った物がかなりグロテスクなものだったせいで、まだ夢の中なのではないだろうかと、不思議な気持ちと不快感の間でリットは呆然としていた。

「この辺に落ちたと思ったんだけどねぇ」

 聞いたことのある声が近づいてくると、リットは慌ててお腹に乗っている鳥を払い落とした。そして声がする方を見ると、木よりも頭一つ飛び出た女の顔が見えてきた。

「アンタは確か、えーっと――シッコ?」

「……リットだ。まぁ、長え付き合いじゃねぇし、名前の間違えはどうでもいいけどよ。丁度いいところに来たな」

 リットは転がっている鳥の足を掴むとブリジットに投げて渡したが、ブリジットの腰ほども飛ばず、ブリジットは少しバランスを崩しながら鳥をキャッチした。

「これこれ。あって良かったさね。この鳥は丸焼きにして骨ごとバリバリ食べるとなかなか食べごたえがあってねぇ」

 ブリジットは大きな弓と、リットから見れば槍の様なサイズの矢を持っていた。これで打ち抜かれれば、鳥どころか人間の頭も吹き飛ぶだろう。

 リットが思わず弓矢を見ていると、ブリジットは地面に腰を下ろして胡座をかいた。その時に周りの木を倒したが、そんなことは気にした様子もない。

「確かアンタともう一人をオークの村まで送ったハズだけどね。それがこんなところにいるとなると……。大丈夫かい尻の穴は? 女に飢えたオークに襲われて逃げてきたんだろう? あっはっは!」

「まぁ、女に飢えてるのは間違いない……。知ってるか? 飢えが進むと、想像上の生き物を食い始めるんだぞ」

「知ってるさね。アタシも男を乱暴に組み轢いて無茶苦茶にする妄想を食べて生きてるよ。なんせこっちも繁殖期さね。男に飢えて飢えて、最近じゃ女同士慰めあってるよ」

「聞かなけりゃよかった……」

 下品に笑うブリジットを見て、リットは額に手を付いてガックリとうなだれた。ローレンの言う通り、話を通しておく必要がありそうだ。

「女同士慰め合ったって不思議じゃないだろう? 女の気持ちいいところは女の方が知ってるもんさね。アンタも一度男で試してみたらいい。あっはっは!」

「老後になんもやることなくなったら考えてみるよ。んなことより、その様子じゃ男なんて出来てないんだろ?」

「そうさねぇ……。なんだい? またストリップでもしてオカズを提供してくれるのかい?」

 ニヤニヤ笑っているブリジットに、リットは眉間にしわを寄せると人差し指を向けた。

「いいか? ストリップってのはお触り厳禁なんだよ。あの時は遠慮せずにこねくり回しやがって。触りたけりゃチップを寄越せってんだ」

 リットは怒気を混じらせながら言い捨てる。

「確かに……乱暴に扱えば取れちまいそうだったよ。アタシの小指サイズもなかったもんね」

 ブリジットはタコが出来たゴツゴツした大きな小指を立てる。

「んなイボだらけのもんをぶら下げてたらオレは病気だよ」

「人間ってのはそうなのかい? オークってのは身長に似合わずデカイらしいって聞いたことがあるさね」

「そうだ。そのオークのことで話がある。とりあえず住処まで案内してくれよ。迷ったらしくふて寝してたんだ」

「アタシ達の村なら。ほら、すぐそこに見えてるさね」ブリジットは指をさしてリットに方向を教えるが、いくら目を凝らせどリットには立ち並ぶ樹木しか見えなかった。ブリジットはリットを手のひらに乗せて持ち上げると「ほら、すぐそこだろ」と言った。

 高く視界が開けると、木が切り払われた平坦な土地があるのがわかった。ちょうど明かりをつけ始めたところらしく、山火事のように丸太がぼうぼうと燃えているのが見えた。他のフェムト・アマゾネス達の姿も薄っすらと見える。

 リットの足なら真っ直ぐ歩いてもまだまだかかりそうだが、ブリジットの歩幅なら言う通りすぐに着きそうだった。

「狩りが終わってからでいいから、ついでにこのまま運んでいってくれよ」

「ずうずうしい男さね」

「今まで謙虚で得したことがないんでな」

「その通りさね。男は欲しいものは暴力を使ってでも手に入れるくらいの気概がないとダメさね」

「いや、そうまでは言ってねぇよ……」






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