第十七話
オークの村に来て五日経った。
もう五日かと思うほど居心地がよく、普段と生活スタイルが全く違うが、それに慣れるのは早かった。
朝は朝日と共に起き、あぜ道のような細い道を通って全員で川へと向かう。川の水で顔を洗い、顔を出したばかりのまだほんのり赤い太陽の光を浴びると不思議と目がシャキッとした。中には服のまま川に飛び込み、そのまま水浴びをする者までいる。
リットは呆れた目で見ていたが、オークは心配した目と勘違いしたらしく「夏の日差しですぐに乾ク」と言って、リットも川に飛び込まないかと誘った。
リットは苦笑いで答えを濁すと、手のひらを重ねて水をすくい、口に流し込んだ。
それからしばらく思い思いに川で目を覚ますと、二手に分かれる。
一組は森に狩猟に出かけ、もう一組は村にある畑に水やりをする。
リットとローレンは畑のグループに入っていた。
村に井戸はないので、木製バケツで川の水を汲んで持って帰る。リット達は、大股で歩くオークに少し遅れながら村へと戻った。
村に住むオークは十人ちょっとで、畑の規模こそ小さいものだが、カブにアスパラ、イモやキャベツなど、色々な種類の野菜が植えられていた。その中から今日の朝に食べるものを収穫し、スープとサラダの下ごしらえをしておく。
だいたいスープの味見をしている頃になると、狩猟に行っていたオーク達が戻ってくる。
手にはヤマドリとカルガモを持っており、血抜きされた鳥はダランとしていた。
カルガモの羽を素手でむしって丸裸にしながら「たまにはイノシシの肉が食べたいもんダ」と、ブホホは言った。
リットは風に乗って飛んできた羽を手で払いながら「この辺にはイノシシはいないのか?」と聞く。
「ザラメ山脈の方まで遠出すればいるが、ここにはいなイ」
ザラメ山脈に行くには、フェムト・アマゾネスの住処の近くを通らなければならない。避けて迂回すると何倍もの日数が掛かってしまう。村に持って帰るのなら燻製にしなくてはいけないので、その時間を考えると、狩猟というよりもちょっとした旅になってしまう。
「そう言えばグリザベルが、オマエらのことをヨルムウトルの近くで見かけたって言ってたな。そんなにフェムト・アマゾネスが怖いのか?」
「そこまで怖くはなかっタ。数週間前までワ……。仲間の一人が襲われタ」
そう言うと、ブホホは憤りをぶつけるように乱暴にカルガモの羽をむしった。
「そいつは殺されたのか?」
「いいヤ……。裸に近い姿で足取りも覚束ないまま帰ってきて――次の日に村から姿を消した」
ブホホは重々しく言うと、羽をむしる手を止めた。
「そりゃ、童貞を捨てて価値観が変わったんだろ。この村にいたらダメになるってな」
「また童貞って言っタ……。オレ達とたいして変わらない癖ニ」
「どういうことだ?」
「ローレンが、リットは日銭を稼ぐのに精一杯で、女の子と遊ぶ余裕がないって言っていタ」
「アイツめ……」
リットはローレンを見るが、ローレンはブヒヒと笑いながら談笑をしていて、リットの視線には気付いていなかった。
「昔の恋人のことを引きずっているとも言っていタ」
「うるせぇな。詮索すんなよ」
「なぜ別れル? 愛とは、お互いに求め合うことじゃないのカ?」
すっかりローレンに感化されたブホホは、恥ずかしげもなく愛についての質問をリットに投げかけた。
リットは面倒くさそうに頭を掻きながら答えた。
「オレは向こうの金目当てで、向こうもオレの金目当てだった。それだけだ」そこまで言って、リットはブホホが哀れみの視線を送っているのに気付いた。リットは鬱陶しそうにブホホの頭を叩く。「――目的はアレだけどな。それなりに上手くやってたんだ。お互い別方面から金が手に入って、結局別れたけどな」
叩かれた頭を手でさすりながら、ブホホは身を乗り出した。
「リットは金持ちだったのカ?」
「もう一度言うぞ。詮索すんな」
リットはさっきよりも強くブホホの頭を叩いた。
ブホホはまだ聞きたそうにしていたが、しぶしぶカルガモの下処理を進めた。
下処理した鳥に香草を詰めて蒸し焼きにしている間に、出来上がったスープとサラダを食べる。
個人で食べることは基本ない。朝昼晩全員が一か所に集まり食事をする。
例外は、雨の日だったり風邪をひいたりしている時だけで、その時は自分の家で食べるらしい。
食後のデザートの代わりに、狩猟の獲物を香草で蒸し焼きにしたものを食べながら、遠慮の知らない男同士の猥談やバカ話に腹を抱えて転げまわる。
早朝の労働後に食べるご飯はなによりも美味しかった。
朝ごはんを食べ終えた後の午前中の時間は、畑の拡張や家の修繕など大仕事をやり、またバカ話で盛り上がりながら昼ごはんを食べる。日が高く昇ってからは、農具や狩猟道具の修繕など、ゆっくりと時間が流れていく。
昼の短い影が再び長くなり出す頃になると、皆仕事は止めて、木陰に入り、ローレンの話に耳を傾け始める。
「いいかい? 男は生まれながらにして童貞だ。すなわち、スタート地点は同じなんだ。なぜ差がついたか……。心の底から女性を求めないからさ」
「これでも、デートに誘われたらとか、告白されたらどうしようかとか、色々考えているんだナ」
ブヒヒは周りに同意を求めると、他のオーク達は声を上げずに頷いた。
その様子を見てローレンは首を横に振る。
「それはただの受け身だよ。するのではなく、されるシミュレーションばかりしてどうするんだい? まずはキミ達の勘違いを一掃する必要がありそうだ。いいかい? 自分なんて存在は、女性の眼中にないということに気付くべきだ」
「そんナ……。元も子もないんだナ」
「僕みたいないい男だと、自然に女性は目を向けてくれるけどね。その他大勢の男達なんて石ころみたいなものさ。そんな変哲もない道に落ちている石を見るのはどんな時だと思う?」
ローレンが投げかけると、オーク達は顔を見合わせて首を傾げたりするが、少しずつばらばらと答え始めた。
「いきなり動いたら驚いて目を向けるナ」
「話しかけてきても、石を見ル」
「光ったら気になりまス」
オーク達の言葉を聞いて、ローレンは満足そうに頷くと、オーク達の意見を聞いて開いた指を一本ずつ折っていった。
「キミ達が言ったことはどれも間違っていない」ローレンがそう言うと、オーク達は嬉しそうに声を上げた。「――しかし、答えは合っていても、キミ達自身は間違っている。キミ達の答えはどれも自ら動かなければ意味が無いもの。答えがわかっているのにどうして実践しないんだい?」
今度はローレンの言葉に、オーク達は押し黙った。名指しで答えさせられないように、皆地面とにらめっこをしている。
その中ブヒヒが恐る恐る手を上げて答えた。
「石が投げられて飛んできても、反応すると思うんだナ」
「それは誰かに投げられてこそ成立するものだ。それも受け身の考えだね。それに、たとえそれで女性が反応を示したとしても、投げられた石ではなく、投げた人を見るものだよ」シュンと項垂れるブヒヒを見て、ローレンは話を続ける。「本当に女性に石を投げるなんて論外だけど、必ずしもファーストコンタクトで良い印象を与える必要もない。もちろん、最初からいい人でもかまわないが、最初印象が悪く、話していく上で「この人いいところもあるんだ」と思い始めてから、恋に火がつく女性もいる。この場合注意しなければいけないのは引き際だ。押せ押せも有効な手ではあるけど、もし行き過ぎたら、悪評が彼女の友人たちに伝わる可能性がある。彼女の友達が十人なら十人。百人なら百人。出会う人数が減っていくと考えていい。避けなくても跨いで通れる石が、避けなければならない岩に変わってしまう。印象がプラスでもマイナスでもいいけど、出会う前から避けられたらお終いだよ」
ローレンがまくし立てるように言うと、オーク達は呆けたまま口を開けていた。
「……なにを言ってるかわからないんだナ」
「キミ達にはちょっとレベルが高かったかもね。話を目を向けてもらうにはどうすればいいのか、というところに戻そう。他に意見はないかな?」
「珍しい石があったら見てみるんだナ」
「ほう……。珍しいとは?」
ローレンは深く頷き、ブヒヒの意見に食いついた。
「変な形をしていたり、おもしろい色をしていたり、宝石の原石だったりだナ」
「ブヒヒ……。キミには花丸をあげよう」ローレンはじっくり間を開け、溜めてからブヒヒを褒める。「つまり、身なりを変えろと言うことだよ。と言っても、そのハゲ頭をいじることは出来なさそうだ。そうなると、大事なのは衣服だね。キミ達の野卑な衣類なんて、即刻変えるべきだ」
「麻のシャツは汗を吸うからいいものなんだナ……」
「確かにキミ達の仕事上、麻のシャツはいいかもしれない。でも、それしか持っていないんだろう? 女性と会う時には汗のことなんて気にしなくていい……。どうせ汗をかく時はお互い裸になるんだ」
ローレンの最後の言葉を聞いたオーク達は、これまでにない歓声を上げた。妄想話の時の気を使い合った歓声ではなく。本物の歓声が渦巻いている。
「そ・こ・で、キミ達には服を変えてもらうわけだが――」
「でも、あんまり奇抜すぎる服も避けられると思うんだナ」
「いいところに気がついたね。だからこそ信頼できるところに頼むのさ」
ローレンはポケットから、とんがり靴の形をした木製の小さな笛を取り出して吹いた。
一本調子の高い音が辺りに響くと、怪訝な顔をしたリットがやってくる。
「なんだ? 戦争でも始めるのか?」
リットがやってくると、オーク達はリットに群がり始めた。
「オレ達に服をくレー!」
「そ、その服がモテる服なんだナ!」
リットは服を掴むオーク達を足で蹴って払うと「オークらしく追い剥ぎでも教えてんのかよ」と、ローレンを睨んだ。
「リットが着てるのは、キミ達と同じ麻の服だ……。そんな貧乏人の服を参考にしたってモテやしないよ」
「おい、わざわざ喧嘩を売るのに笛吹いたのか?」
リットがそう言って一歩踏み出すと、目の前で小さな旋風が巻き起こった。
「「いいえ、売るのは靴でございます」」
声が二重に聞こえたので、リットが視線を下に移すと、小さい人型が二人、顔を上げてリットを見ていた。
尖った長い鼻と、同じく尖った長い耳。ガラス球のようなまん丸の目玉が少し飛び出している。
二人とも、緑のシャツに茶色のベストと、緑のズボン。長く茶色のシルクハットをかぶっており、ローレンと目を合わせるとシルクハットを頭から取り、胸元に持っていって、腰を軽く曲げると挨拶をした。
「お呼びいただき」「ありがとうございます」「生活は足元から」「で、お馴染みの」「レプラコーンの靴屋」「コンプリートの出張販売です」
前もって譜割りしていたように、レプラコーンの二人は交互に言った。
「いきなり呼び出してすまないね」
「いつもご贔屓にしていただいているローレン様のためならば」「人魚の入江にでも」「ドラゴニュートの住む雲の上の山頂にでも」「このオークの村にでもすぐにやって参ります」
レプラコーンはまたも交互に言い、その場でお互いの腕を組んだ。そして、その場でグルグルと回り出す。何周も回ると、呆気にとられているリットを見て「「どっちがどっちだか――わかりますかな?」」と声を合わせて言った。
「わかるか。そもそもどっちのことも知らねぇよ」
元から知っていたとしても、同じ顔で、同じ声をしていて、同じ服を着ている二人を見分けるのは難しい。双子よりも瓜二つで、鏡に写したレプラコーンが出てきたと思うくらいだ。
レプラコーンはお互い目を合わせると「失礼いたしました。自己紹介がまだでした」と姿勢を正した。
左側のレプラコーンが「右の靴を作る私めが『レフト』」と言い。
右側のレプラコーンが「左の靴を作る私めが『ライト』」と言った。
最後は二人合わせて「「二人でコンプリートという靴屋を経営しております」」と言い、深々とリットに向かって頭を下げた。
「ややこしい名前だな」
「人間社会に出ても私達は妖精。人を惑わすのが妖精の性分ですので」
レフトが少し意地悪な笑みを浮かべた。
「今回はご紹介で? えっと――名前をまだ」
レフトと反対に、ライトは気持ちのいい笑顔をリットに向けた。
「リットだ」
「あー、覚えなくていいよ。リットは貧乏人で、コンプリートの靴を買う余裕なんてないから」
「そうですか……。リット様は貧乏でしたか。人並みの生活を出来るようになったら、是非我がコンプリートでお買い求めを」
「やっぱり売るのは喧嘩じゃねぇか」
レプラコーンの小さな体を目掛けて蹴りを入れようとするリットを、ローレンの腕が止めた。
「今回はこっちのオークがお客さ。少しでも見た目がマシになるような靴を頼むよ」
「変えるのは服って話だったんだナ。靴なんて履ければいいんだナ」
文句言うブヒヒに、ローレンは人差し指を立てて左右に振って見せた。
「靴は大事だよ。シャツとズボンを見繕っても、靴にボロが出るとそれまでさ。それに、令嬢とかを射止める時には、このコンプリートの靴は評判が良くてね。みんな食いついてくるんだ。今回は僕が買うわけじゃないから、このオーク達に見合う感じでよろしく」
レフトはオーク達を見回した。見た目には筋肉か肥満なのかわからない体。裸足の足は、汚れて角ばった大きな足をしている。レフトは少し難しそうに顔をしかめたが、手を顎に付けてよく考えている。
「でしたら木靴はなしですね。重労働者丸出しで汗臭そうに見えます。」レフトは木靴を袋にしまうと、袋から先の尖った革靴を取り出した。「細く尖った靴は、労働をしない階級の証し。一夜を誤魔化し通せるならば、貴婦人にお嬢様、ご令嬢だって口説けましょう」
「そういうのはちょっとね……」
明らかにオーク達に合わない靴を見て、ローレンは難色を示す。
「それでしたらこれは? ワメキガエルの鳴嚢を使って柔らかい肉球まで再現しております。さらに、膨らませた鳴き袋がクッションになって疲れ知らず。さらにさらに、猫の獣人の抜け毛を使っておりますので、履いただけで猫になった気分が味わえますよ」
ライトが別の袋から猫の足を象った靴を取り出して言った。
「それもちょっと……。色物を目指してるわけじゃないんでね」
「なかなかに難しい……」ライトがそう言うと、すぐに二人同時に手をポンっと打った。
「オーク様達には全ての靴を履いて決めてもらいましょう」
「同じ靴を欲しがっても大丈夫。すぐに同じ靴をお作りしますので」
そう言ってレプラコーンは、オーク達を二列に並ばせて靴を合わせ始めた。
刺が付いた靴や、ネズミを背中から繰り抜いて作ったような靴など、次々と変な靴が出てくる。まともな靴が出てくるには時間が掛かりそうだった。
「こいつらのセンスはなんなんだ?」
「彼らは無差別に色んな靴を作り続けるからね。売れない靴から売りつけてくるのさ」
「妖精のくせに、しっかり商売人ってわけか。で、お得意さんのオマエは変な靴のコレクションでもしてるのか?」
「失敬な。僕はちゃんとした靴を買ってるよ。彼らは人を選ぶ。金を持ってそうな相手には、ちゃんとした靴しか用意しないさ。この笛も金払いのいいお客にだけ売る特別な笛さ」
ローレンは木笛をリットに見せた。
「ってことはオレがこの笛を拭けば、レプラコーンがやってくるわけか」
リットが興味深そうに笛を持ち上げ見ていると、ライトが鼻で笑いながら言った。
「いいえ。私達も忙しい身。貧乏人の元へと飛んで行くことはありません」
レフトも同じように鼻で笑い言う。
「私達は、その笛の持ち主の呼吸を覚えます。覚えのない貧乏人の呼吸には反応しません」
「……オレ、こいつら嫌いだわ」
リットの矢の的を睨むような鋭い目付きに、レプラコーンの二人は気にした様子を見せない。
「私めも貧乏人は嫌いでございます」
「お金を持ったら好きになりますが」
「「人並みの生活を出来るようになったら、是非我がコンプリートでお買い求めを」」
「うるせぇな! いちいち声を揃えんじゃねぇよ!」
声を荒げるリットを、ローレンが背中を軽く叩きながらなだめる。
「ダメだって、リット。さっきレプラコーンが自分で言っていただろ? 人を惑わすのが性分だって。まともに取り合ってると、いつの間にか変な靴を買わされるハメになるよ」
「ローレン様。それを言うのは営業妨害でございます」
レプラコーンの思惑にはまりそうになっていたリットは盛大に舌打ちを鳴らした。
「チルカといい、レプラコーンといい、妖精とは気が合いそうにねぇな」
「いやぁ、キミとチルカは結構気が合ってると思うけどねぇ……」




