第十六話
「で、どうするんだ? 「現実の女は怖くなーい」なんてあやしても、あいつらは話を聞かなさそうだぞ」
リットは座っていた丸太から、首の骨を鳴らしながら立ち上がった。
「まずは話を聞いてもらうのが大事だからね……。否定でも肯定でもいいけど、話を流されないようにしなくちゃ」ローレンは少し考えると、すぐに手を叩いた。「よし! 昔にカーターの酒場でやったアレをベースにする」
「イミル婆さんとカーターが、酒の飲み比べをした時のアレか?」
「そう。イミルの婆様が酒に滅法強いのを知ったカーターが怯んでしまって、それじゃおもしろくないからって僕達がカーターをけしかける為に仕向けたアレだよ」ローレンは左手で自分をさすと、右手でリットをさした。「ただし、今回の役割は逆だ」そう言うと、左手はリットに、右手は自分へとさす指を変えた。
含み笑いを浮かべながら、ローレンはゆっくりと歩き出した。
ローレンがこちらに向かって歩いて来るのに気付いたオーク達は、嘘と妄想が入り混じった会話が止まり静かになる。
オーク達は皆ローレンに顔を向けて、向かって来る足取りを確かめていた。
一人。ブヒヒだけが気付かずに、自分の妄想話を話しながらそれに浸っている。
ローレンがブヒヒの真後ろに立つと、右手を高く上げた。ブヒヒ以外のオークは、ローレンが上げた手に視線を集中させている。
いつ振り下ろされるのかという、無駄な緊張感がオーク達に走った。しかし、ブヒヒに教えることはなく、固唾を呑んでその様子を見送っていた。
ローレンが手を振り下ろすと、いかにも中身が空っぽそうな空虚な乾いた音が気持よく響いた。
「モテない男の妄想話ほど醜いものはないね。モテないと愚痴る奴のほうがマシだよ」ローレンはブホホの頭を数回軽く叩くと、オーク達の輪の中心に入り、グルッと回り顔を見渡す。「キミ達は実益のない妄想を繰り広げているだけだ」
突然の乱入者にオーク達は目を丸くする。呆然とするオーク達の視界の片隅からは、面倒くさそうに重い足をゆっくり進ませるリットの姿も見えた。
リットは輪の中には入らず、オーク達から二、三歩離れたところで立ち止まり、ローレンに話し掛けた。
「……オマエよく殴りかけられるな。仮にもオークだぞ」
「仮じゃなくて、正真正銘本物のオークなんだナ」
ブヒヒがローレンに叩かれた頭をさすりながら、恨みがましそうにローレンを見るが、ローレンはフンッと鼻を鳴らすだけだ。
「見ろ、この腕」リットはブヒヒの腕を掴むと、力を入れるように指示した。「オレ達人間じゃこうまで鍛えられない」
ブヒヒも満更でもなさそうにポーズを取り、筋肉を強調させる。
「人間にはいないかもね。でも、筋肉なら獣人だって立派なものだよ」
ローレンは興味なさそうに、ブヒヒから視線を外した。
褒められていたことを否定されたように感じ、ブヒヒは少しむっとしたが、リットの言葉ですぐに機嫌をよくした。
「獣人なんて所詮オークに劣った種族だろ。やつらの筋肉なんて衣食住の食の為だけにしか使われねぇ。その点オークは、衣――」リットはブヒヒの綺麗とは言えない服を見て言葉を呑んだ。代わりに村の家を見ながら言葉を続ける。「食と住。二つも筋肉に使い道がある。見ろよ立派な家じゃねぇか。オマエが作ったのか? ブヒヒ」
「み、みんなで作ったんだナ。オレは木を切ったり、加工したリ」
「どうりで頑丈そうな家が建つわけだ」リットはブヒヒの背中を褒めるように叩くと、ローレンに向き直った。「森の中にこんな立派な家を立てられる種族はなかなかいねぇだろ。エルフなんて木を繰り抜いて生活してんだぞ」
ローレンは腕を組み悩む仕草を見せつけると、意味ありげに頷いた。
「仮にオークが優秀な種族だとしても、ここにいるはのオークじゃない」ローレンは鼻をひくつかせながら、再びオーク達を見回す。「……おや、なにか臭いがするね」
ローレンは嘲るように意地悪く口角を上げる。
その言葉に、オーク達は自分の体の臭いを嗅ぎ始める。腕を上げて腋を、俯くようにして胸元の臭いを、麻のシャツのひっぱり服の匂いを確かめる者もいる。汗の匂いはするが、それほど酷く臭うものではなかった。
ローレンは、リットに振り返ると「これは、なんの臭いだい?」と大げさな手振りを交えて聞いた。
「いや……。オレは、なんにも臭わない」
リットもとぼけるように大げさに首をかしげた。
「いいや、確かに臭いがする……。ヘタレの臭いがぷんぷんするね。……それも、自分だけは特別だと思い違いをしている、どうしようもないヘタレの臭いだ」
ローレンが顔をしかめて鼻を押さえながら言うと、ブヒヒが立ち上がった。
「さっきから失礼なんだナ!」
ブヒヒが歯を食いしばると、太く短い首に筋肉と血管が浮かび上がった。今にもローレンに殴りかかりそうな雰囲気だが、ローレンはブヒヒを鼻で笑いあしらった。
「失礼。失礼ね……」ローレンは言葉を繰り返すと、一歩一歩地面を踏みしめ、ゆっくり円を描いて歩いた。「僕は女性がいるのに口説かない方が、よっぽど失礼だと思うけどね」
「で、出会う女性がいないから仕方ないんだナ」
「奪い、犯す。超アグレッシブなオークに、出会う出会わないは関係ないと思うけどね」
「オレ達は違うんだナ。普通に出会い、普通に恋愛すル」
「まさか、その気になればいつでも恋愛が出来ると思っていないだろうね、キミ達」
心の片隅にそんな気持ちがあるオーク達はざわめき出した。
「そんな――」そこから続く言葉は肯定かもしれないし、否定かもしれない。しかし、ブヒヒはそれ以上言葉を続けることはなかった。悔しそうに、歯がゆそうに顔を歪めている。
「まぁ、そう思うのは勝手だけど……。キミ達がそうグズグズしている間に、世の女性達はみんないい男に口説かれてしまう。明日やる気になっても、もう遅い。一日あればなにが出来ると思う? キスをして、身体を合わせて、別れることが出来るんだ。次の日になれば、また新しい出会い。女性は、こんな男だらけの集まりであーだこーだ妄想だけを膨らませる男に目を向ける程暇じゃないんだよ」
いつしかオーク達は、ローレンの言葉に真剣に耳を傾けていた。足を組み、猫背になりだらしなかった姿勢は、しっかりと膝同士を合わせ、背筋を伸ばし、真っ直ぐにローレンを見ている。途中途中に飛ぶ辛辣な言葉に顔色を変える者もいるが、なにかを学び取ろうとしていた。
ローレンもからかうわけではなく、今度は真剣にオーク達の顔を見回した。
「いいかい? 男はみんな狼になれるんだ!」
「豚だろ」リットは自分の鼻を人差し指で押して豚鼻を作る。
「いまこそ爪を研げ!」
「豚はヒヅメだろ」リットは両手でチョキを作り、閉じたり開いたりする。
「リット……。今いいところなんだから、邪魔をしないでくれたまえ」
ローレンは目を細めると、犬を追いやるように右手をリットに向けてシッシと払った。
茶化してばかりのリットとは違い、ローレンはすっかりオーク達に尊敬の念を込めた瞳で見られている。
リットは「わかったよ」と、手持ち無沙汰に手を上げると、焚き火をしていた場所まで戻っていった。
焚き火は火が消え、木片の形をした灰が残っていた。まだ煙が立ち昇っており、柔らかく甘い匂いが漂っている。
細い枝で灰を崩すと、香りが強くなった。
やはり、灰はただの灰で、魔力がこもっていることはなさそうだ。
リットは丸太の上に腰を下ろすと、膝に肘をつけて頬杖をついた。
この灰がフェニックスの寝床となるらしいが、寝床を作ったところで、そこにフェニックスがやってくるのか、そこから生まれてくるのかもわからない。
この灰は魔力のこもっていないただの灰だが、魔力が込められたヒッティング・ウッドの灰だとしても、フェニックスに関係するようには思えなかった。
それにしても、妖精の白ユリといい、ヒッティング・ウッドの香木といい、匂いのするものに縁がある。
「お若いの。火のない煙を眺めて、なにをお考えかな」
ピッグノーズは「よいしょ」と気だるそうに言うと、リットの隣に座る。
「ランプ屋をたたんで、香屋でも開こうと思ってな」
「それはよい。おなごが好きそうじゃ」
「……この村に、ジジイのオークは一人なのか?」
「そうじゃ。皆わしを置いていったのじゃ……」
ピッグノーズは昔を懐かしむように目を細め、少しアゴを上げる。
青空には薄く三日月が浮かび、遠くから夕日が染めだしていた。夏虫が音を奏でて、哀愁の音色を流す。
「アンタもそのうち逝くんだから寂しくはないだろ」
「そうじゃな……。そうなればよいが、この歳じゃもう無理じゃろう」
「あん? 何言ってんだジイさん。その歳だから死ぬんだろ?」
「死? 確かにもう長くはないじゃろうが、わしと同じ年のオークは他の村で村長をやっておるよ」
「それじゃ、なにがその歳で無理なんだよ」
リットが言うと、ピッグノーズは言いづらそうに口をモゴモゴし始めた。両手の指を組んで親指同士をくるくる回したり、咳払いを何度も挟み落ち着かない様子を見せる。
オーク達をチラチラ見るので、リットもローレンの口説きの講釈に耳を傾けているオーク達を見た。なにか特別なことが起こっているわけではなく、ピッグノーズの視線の意味はわからなかった。
リットが特に追求しないでいると、ピッグノーズは少しずつ言葉と言葉を繋げ始める。
「オークというものはな、移住種族ではないので大抵は生まれた場所から離れぬ。近くの村で他種族のおなごを攫い子を孕ませる。しかし、この場所から一番近い場所でも、ヨルムウトル程離れておるのじゃ。ヨルムウトルの現状は知っておるかの?」
リットが頷いて答えると、ピッグノーズは話を続けた。
「人間も他の種族のおなごもおらん。わしはここに村を作りたかった。当然他の者には反対された。こんな場所じゃ子孫を残せないとな。しかし、わしは仲間から離れることに決めた。わしを慕ってくれておる数人のオーク達とな。それで出来たのがこの村じゃ」
「なんでわざわざ女がいないところに村を作るんだよ。まさか――」
リットはピッグノーズから距離を取る。
「違う違う! わしはおなごが好きじゃった」
「だった? 過去形ってことは、やっぱり……」
リットは丸太から腰を浮かせると、またピッグノーズから距離をとった。
「じゃから違うと言っておるだろう! ただ苦手なのじゃ……」
「苦手ねぇ……。ますますオークらしくねぇな」
「色々あるのじゃ……どんな状況でも男を傷つけるナイフを持っている」
ピッグノーズのしわしわの額には脂汗が滲み、膝の上で握った拳は小刻みに震えていた。
「あんまし言いたかねぇけどよ。これからやろうって時に色々気にすんなよ。オークのくせによ。普通はやろうと思う段階の前に色々気にするもんだ」
「いざ始めれば全てが上手くいき、後にはバラ色の人生が待っていると思っていたのじゃ。まさか……入り口のドアも叩けないとは……」
「あいつらが都合のいい妄想をするのはじいさんの影響か」
リットはオーク達を顎で指すと、心底呆れた風に言った。
「そうかもしれんな。前の村にいる時からわしの話を楽しみに聞いておった連中だからじゃのう」
「あのアラスタンの贋作の絵だけが原因ってわけじゃなくて、元からヘタレの奴らが集まってるわけか」
「おなごを見るだけで、接することはなかったからのう……。ヘタレというより、どうしてよいのかわからないのじゃろう」
そうなるとローレンも苦労しそうだ。長いこと男だけで暮らしていた奴らに、いきなり女性の扱いについて教えたところでどうにもないかもしれない。
しかも、相手はオーク達の理想と正反対のフェムト・アマゾネスだ。粗暴で、下品で、我が強い。ヘタレがどうこう言う前に、あれを好みの女性として上げる男はいないのではないだろうか。
「オレとしては、早くヒッティング・ウッドが欲しいから焦ってほしいんだけどよ。ジイさんが、焦らなくてもそのうち童貞は捨てれるってあいつらに教えてやりゃいいんじゃねぇか?」
「わしには嘘を教えることなんて出来ん。……わしがなんて呼ばれているか覚えているかの?」
「……大賢者だろ――あっ――」
重苦しい空気が流れ、無言の時間が流れる。
リットは、ピッグノーズと目を合わせないように自然と地面に顔を向けていた。
縫い付けられたように口を開くことは出来ず、口の中は乾き始めていた。反対に背中では、夕時の生ぬるい夏の風に吹かれて気持ちの悪い冷や汗が流れている。
先に口を開いたのはピッグノーズだ。
「仕方ないのじゃ……。あれから一度も勃つことはなかったのじゃ……」
「それを聞かされて、オレはどうすりゃいいんだよ」
「光を浴びるだけで、再び勃ち上がるランプとかないかの?」
「あるか。来世で光を浴びる人生になることを祈ってろ」




