第十四話
二人のオークは、クロスさせて通せんぼしていた槍の刃先をゆっくりとリット達に向けた。
太陽に反射する刃は、より鋭く見えた。
リットは声を上げる代わりに後退りをする。
土を靴の裏で擦り、小石をかかとで蹴ると、ローレンにぶつかった。
ローレンは逃げようとすることなくじっとしている。
「おい、逃げないのか?」リットはローレンの胸に背中を預けたまま小声で言った。しかし、ローレンは変わらず、何かを考えた顔つきのまま動かない。「……まさか、オレを押して逃げようとしてないだろうな?」
数秒の間があり、ローレンはおもむろに口を開いた。
「……それも考えていたんだけどね」
「おい」
「まぁ、落ち着きなよリット」
「落ち着けるか!」
リットは振り返りローレンの胸ぐらをつかんだ。その瞬間、ローレンはオーク達を見て確信めいた笑みを浮かべる。
ローレンは、「えい!」という幼稚な掛け声とともにリットを強く両手で押した。
押されたリットは背泳ぎをするように空中を手で掻き、なんとか転ばないようにバランスを取ろうとする。
なにかに背中を引っ張られるように、おぼつかない足を地面に二度三度とつけ、オークの村の入口へと背中から倒れこんでいった。
地面に転がったリットは、背中と尻をしたたかに打ち付けてうめき声を上げる。
仰いだ空は、輝く太陽に照らされ、厚い雲に濃い影を作っていた。それ以外はなにもなく、突き付けられると思っていた槍は、刃先どころか影もなかった。
不思議に思ったリットは、立ち上がると服に付いた土を払いながらオーク達を見た。
オーク達は村の入口にある物見櫓の付いた木のずっと後ろにいた。地面には幾重にも足跡が慌ただしく重なっており、それは途中から線になっていた。両足二本の線が二人分。合計四本の線はオークの足元で止まっている。リットと同じく後ずさりをした跡だった。
「動くナ! ブヒヒ!」と一人のオークが鼻息荒く言うと、もう一人も「そうダ! 動くナ! ブホホ!」と同調した。
オーク達は再びリットに槍を向けるが、腕を目一杯伸ばしても当たらない距離にいる。
その様子を見てローレンは、散歩でもするかのようにのんびり歩いてくると、リットの隣で足を止め「やっぱりね」と言った。
「なんだよ。わかるように説明しろよ」
リットが太ももの土を手で払いながら言う。強く払ったせいで、大きな音が響いた瞬間。オークの体が痙攣したように一度ピクッと動くのが見えた。
「まぁ、見てなよ」
ローレンは不敵に笑うと、背負っていたリュックを下ろす。
そして、落ちている少し太めの指揮棒くらいの長さの枝を拾った。
枝先をオークに向けて構えを取るが、その姿はひどく情けないものだった。
椅子に座る直前のようなへっぴり腰に、枝を持った手はフライパンを使うように手首が上を向いている。
腰の据ったしっかりとした構えのオークに比べて雲泥の差があった。
まるで子供の遊びのような速度でローレンが枝を振り下ろすと、オーク達はとたんに腰が引け始め、押されるようにずるずるとまた後ずさりを始めた。
ローレンは心持ち片眉を上げると、少しおどけたように「ね?」と言うった。さらにオーク二人を見回して「……彼らはヘタレだ」と続けた。
改めて落ち着いてみると、「ブヒヒ! 悪女の手下め!」とオークが腹を揺らして出した言葉は喉を通り、声をも震わせていた。
視線も合うことはなく、一人はリットの足元を、もう一人はリット達の遥か後ろの景色を見ている。
「でも、オークだぞ。色情狂で蛮族の」
そんな種族が自分達に怯むはずがない。しかし、オークはたじろいだように距離をとっている。リットは半信半疑だった。
「でも、アレは確実にヘタレだよ」
リットと違ってローレンは自信満々に言う。腕を組み余裕の立ち姿で、すっかりオークを自分より格下に見ていた。
「そう言うけどよ。根拠はあんのか?」
「あるよ」ローレンは呼吸をするように簡単に言ってのけると、もみあげ辺りを人差し指でかいた。「昔奪った女の子の恋人がヘタレだったからね。彼も、今のオークと同じように遠くから文句を言うだけで、近づいて来なかったよ」
ローレンはどこか誇らしげな表情を浮かべている。
「……そうかよ。今回は人の恋人奪いに来たわけじゃねぇから、余計なことすんなよ」
リットは一歩踏み出してオークに近づくと、オークの二人は「ブヒー! それ以上来るナ!」「ブホー! 止まレ!」と声と鼻息を荒らげた。
「落ち着け、ブヒヒとブホホ。オレ達は争いに来たわけじゃねぇんだ。武器なんか一つも持ってないだろ?」
オークはリットとローレンの身なりを注意深く観察すると、お互いの顔を見て頷いた。
「じゃあ、なんの用で来タ!」
「オマエらが使ってる楽器の木を分けてもらいに来たんだが」
オークはまたお互いの顔を見合わせて、なにやらこそこそ相談をしている。
渋い顔で首を振ったり頷いたりして相談を進めると、やがてオークは顔を上げた。
この時、オークは初めてリットの顔をまともに見た。
「嘘だ。オレ達の女神を奪いに来たんだロ!」
「どこから嗅ぎつけたかは知らないが、女神は渡さんゾ!」
オーク達は奮起したように槍の柄を地面に強く付いた。小さな砂塵が舞い、風の導べを映し出す。
「おいおい……。それはオマエらが言っていいセリフじゃないだろ。オレはヒッティング・ウッドが欲しいだけだ。オマエらがその木を女神と崇拝してるなら話は変わるが――」
「違ウ! 女神は女神ダ! 触れることも喋ることも出来ないが、オレ達を優しく見守ってくれていル!」
「……どっかで聞いたようなセリフだな。まぁ、とりあえずオレが欲しいものが、オマエらの女神じゃなくて安心したよ。ここら辺りに生えてるのは全部ヒッティング・ウッドなのか? ほら、オマエらがボンボコ鳴らすやつ」
リットは拳を握り木を叩く仕草を見せた。
オークはまだ疑いの視線をリット達に向けている。槍を向けることはしなくなったものの、槍を持ったまま一定の距離以上近寄って来ようとはしない。
変わらぬ現状がしばらく続くと、「よい、通せ」と老人の声が響いた。
村の奥から、細くしわがれたオークが歩いてきた。左腕に青いゲル状の何かを抱いて、右手でそれを撫でている。
「大賢者様……」
オーク二人は戸惑っていたが、「わしの家へ案内しろ。わしは後から行く」としわがれたオークに言われると、ようやく槍を下ろし武装を解除した。
しわがれたオークは、リットとローレンの顔を見比べると顎を手でさする。含みのある表情を浮かべると、一足先に村の奥へと消えていった。
「入ってもいいのかな?」
ローレンが尋ねると、オークは頷いた。
「悪いな。ブヒヒにブホホ。ローレンのせいで無駄に警戒させて」
リットの言葉にオークは怪訝そうな顔を向けた。
「さっきも言っていたが、そのブヒヒとブホホっていうのはなんダ?」
「なにってオマエらの名前だろ」リットは背の低い方のオークを指さして『ブヒヒ』背の高い方のオークを指さして『ブホホ』と呼んだ。
「違ウ。オレの名前は、『アルバート・ヴィンセント』ダ」
ブホホは自分の胸を誇らしげに二回も拳で叩きながら言った。
「いいや、オマエは今日からブホホだ。そのなりに、その名前は合わないだろ。格好良すぎ。却下だ」
リットはブホホの出っ張った固い腹をポンと叩いた。
「わ、分かったかラ! 暴力はやめてくレ! 暴力は嫌いなんダ」
「……ちょっと小突いただけだろ。鎧を着なくてもいいような筋肉をつけてるくせに、なに言ってんだ」
「悪女の手下は、デリカシーがなくて困ル……」
「だから、そういうセリフはオークが言うなよ」
大賢者のオーク家に案内されたリットとローレンは、椅子に座りオークの大賢者が来るのを待っていた。
ブヒヒとブホホも椅子に座り、共に大賢者のオークが戻ってくるのを待っている。
「ブヒヒ、一つ聞いてもいいか?」
リットは背もたれに体重を預けて椅子を傾け、椅子をぷらぷら揺らしながら聞いた。
「なんだナ?」ブヒヒは大きな耳をピクッと動かした。
「オークってのは魔法が使えない種族だろ? なんで長老は大賢者って呼ばれてんだ?」
ブヒヒは大きな耳の後ろをかきながら思案を巡らせるが、答えは出てこなかった。
「……なんでだろうナ。オレが子供の頃から大賢者様は大賢者様だったんだナ」
「あだ名みたいなもんか。偉人と同じ名前だったとか」
「大賢者様の名前は『ピッグノーズ』。あまり関係ないと思うガ」ブホホが口を挟む。
「あと悪女ってのは――」
リットがフェムト・アマゾネスとのことを聞こうとすると、家のドアが開く音が聞こえた。引きずる音と足音が部屋へと近づいてくる。
ピッグノーズは引きずっていた丸太を部屋の隅に置くと、手に持っていた青い物体をテーブルの上に置いて椅子に座った。
青い物体は透き通っており、テーブルの上でプルプル震えている。ゲル状の柔らかそうな体の中には、正八面体の硬そうな小さいスライムコアが見えた。暴れることも、鳴き声を上げることもなく、時折体を揺らすだけだ。
そんなスライムを片手で撫でながら、ピッグノーズはリットが言いかけていた言葉を理解し、話し始めた。
「わしらが言う悪女とは、フェムト・アマゾネスのことじゃ」
「それはわかってる。いざこざでも起こったのか? 縄張り争いとか」
「難しい話じゃのう……」
ピッグノーズは眉間の深い縦シワを更に深くした。垂れ下がった瞼の皮の奥の瞳は、言おうか言わまいかを考えている風だった。
「いや、言わなくてもいい。ヒッティング・ウッドさえ貰えれば――」
「その話をするにはわしらの女神様に合わせる必要がある」ピッグノーズはリットの言葉を遮って言った。
「まさか女神様に合わせる気ジャ!」
立ち上がったピッグノーズを見たブホホは、テーブルに拳を叩きつけて叫んだ。
「そう声を荒げるでない。事はもう、わしらだけでは解決することは出来んのじゃ」ピッグノーズは窓のない木の葉を貼り合わせて作られたカーテンを掴む。「始まりは五十年前。オークの村に迷い込んだ一人の青年がおった。山越えと森を彷徨ったせいでひどく衰弱しておってな。わしらも看病をしたのだが、体力のない人間は元気になることはなかった。やがて彼は恋人を残してこの世を去って行ってしまった。――これがその彼女じゃ」
ピッグノーズがカーテンを開けると少女が出てきた。いや、少女というよりも、少女と女性の中間辺り。黒い髪と白い肌は互いを映えて魅せている。膨らんだ胸は純白のドレスに隠され、小丘のような場所で寝そべっていた。
カーテンの奥にあったのは見事に描かれた絵だった。
「まさか、この贋作の絵がオマエらの女神なのか」
清楚な女性が自然の中で佇むのはアラスタン絵画の代名詞だった。しかし、アラスタンは身体の曲線美を追求するため、男性も女性も裸しか描かない。
「誰が描いたかは問題じゃなイ! 彼女は間違いなく女神ダ! なぜならオレは彼女と出会って愛を知ったからナ!」
ブホホは声と鼻息を荒らげた。
「おい、お仲間がいるぞ」
リットは話に入ってこようとしないローレンに話し掛けた。
ローレンはぶすっとした顔で「一緒にしないでくれたまえ」と言った。
「影も絵もたいして変わらないだろ」
「僕は、こんな童貞丸出しの男達と一緒にしないでくれと言ったんだ!」
ローレンはブヒヒとブホホを指しながら言った。
「ブホ!? オ、オレは――ど、童貞じゃなイ!」とブホホはしどろもどろに言い。
「オレはキスまではしたことあるんだナ。ブヒヒ!」とブヒヒはわかりやすい嘘を付いた。
「そうかい――」ローレンはテーブルの上のスライムを手に取ると、ブホホの前に置いた。「それなら、このスライムで女性の体を作ってみたまえ」
「い、いいだろウ」
ブホホはスライムをこね始めた。スライムは最初、オークの手から逃げ出そうとしたが、オークの力に適うはずもなく、なすがままにされている。ブホホは顔を赤くしながら、途中鼻の下を伸ばし、時間を掛けて形を作り上げた。
ブホホが作り上げた女性の体は、出るところは不自然に出て、引っ込むところは不自然に細くなっている。陰部は何度も手直しした跡があり、最終的には鋭利な食い込みが作られていた。
スライムは気に入らなかったらしく、体をプルプル震わせて元の形に戻った。
「オマエ……。女の裸見たことねぇだろ」
リットの言葉に、ブホホは赤い顔をさらに赤くした。なにか言おうとしたが、下唇を噛み、そっぽを向いて椅子に座り直した。
「問題はこれじゃ……」ピッグノーズは深いため息を吐く。「この絵のせいでオーク村は繁殖の危機にせまっておる」
「オマエらオークは、男版ハーピィだろ? 女を攫って犯すんじゃないのか?」
「村のオーク達はあの絵の女性を理想としておっての……。しとやかで、一途で、家事が出来て、いい匂いがして、適度なアプローチをかけてくれて、向こうから告白をしてくれる。それに加えて、処女だが、自分に抱かれると嬉しく感じる。そんなおなごを待ち望んでおるわけじゃ」
「あの絵一枚で、ずいぶんと都合のいい女を想像したもんだな」
「そのせいで、フェムト・アマゾネスみたいなおなご達は苦手になってしまってのう……」
「まっ、頑張んな。オレは帰る」リットは立ち上がると、ピッグノーズが持ってきた丸太の元まで歩いて行く。「これ持っていっていいんだろ?」
「構わんぞ。ただの丸太でよかったらのう」
ピッグノーズは抑揚なく言った。
「どういう意味だ?」
「わしらオークは、魔法は使えないが魔力は持っておる。童貞を失ったばかりのオークが、喜びとともに木を叩くことによって、体内にある使えない魔力が丸太に流れる。俗に呼ばれているヒッティング・ウッドになるのじゃ」
「それじゃ――こいつらが――童貞を捨てるのを――待てって言うのか? 一生!」
リットがブヒヒとブホホを見ながら、徐々に声を大きくしていった。
「いくらなんでも一生なんてことはないじゃろ。……十年位掛かるかのう。……童貞を捨てるには」
ピッグノーズも、ブヒヒとブホホを見て情けなさそうにしている。
顔を赤くしてうつむいたままのブホホの代わりに、ブヒヒがつぶやくように言った。
「あまり童貞童貞言わないで欲しいんだナ。ブヒ……」




