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ランプ売りの青年  作者: ふん
漆黒の国の魔女編(上)

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第十二話

 巨女の体は人間の倍以上。周りの木よりも大きかった。

 その高木と同じくらいの高さから、濁った翡翠のような色をした瞳でリット達を見下ろしている。

 リット達は木に隠れることもなく、見上げたまま体を固まらせている。

 生物の影に体全体が浸されるのは初めての経験で、恐怖とはまた違ったなにかが体を縛り付けた。

 巨女はウェーブがかったつつじ色の前髪を手櫛で軽く整えると、肩甲骨辺りまで伸び広がっている後ろ髪のくせ毛を空気を入れるようにかきあげた。

 そして周りの木を三本引き抜き、その内の二本は横置きにして自分の椅子代わりに、もう一本はリット達の後ろに投げた。

 ハンマーで地面を目一杯叩いたような鈍い音が広がり、土埃が舞う。揺れる地面に足元のバランスを崩して尻餅をついた先は、投げられた木の上だった。

「そう言えば……。人間を見たのは随分久しぶりだねぇ。あたしはてっきり絶滅したのかと思ってたよ。あっはっは!」

 哂然として口を半ば開いたままでいるリット達を気にせずに、巨女は世間話をし始めた。

 しばらく一人で話していたが、リット達が黙っているのを見て少し悩んだような表情を浮かべると、身を乗り出してリット達に顔を近づけた。

「そんなに怖がらなくても、人間は取って食わないよ。別の意味で男は食べるけどね。でも、あんたらは小さすぎて無理だね。あっはっは!」

 巨女が膝を叩いて笑う度に、大股で開いた足の間から動物の皮で作った下着が見える。岩のように角ばった筋肉質の隙間から見える動物の皮の下着は、洞穴に獰猛な動物が潜んでいるように見えた。

「とりあえず、敵意はなさそうで安心した」リットが言うと。

「やっと口を利いてくれたのは嬉しいけどね。――そこは顔じゃない」

 巨女は人差し指の腹をリットの顎の下に付けて、顔を上げさせた。

「動物が好きなもんでつい。それよりなにか用なのか?」

「なんだい、聞いてなかったのかい」そう言って巨女がため息を吐くと、強風が吹いた。「どこから聞いてないんだい?」

「名前も知らねぇな」

「ほとんど最初からじゃないのさ。アタシはブリジットだよ。ブリジット・カーラー。小柄だけど巨人族さね」

 巨人族はブリジットの倍以上。伝説の巨神族ともなると、山以上の大きさとも言われている。その巨人族の中では、ブリジットは確かに小柄だった。

 ブリジットは巨人族の中でも『フェムト・アマゾネス』という女性のみで生活する種族で、体が大きすぎて生まれた住処を動けない他の巨人族と違い、巨人族の中でも小柄なフェムト・アマゾネスは森から森へと点々と住処を変えながら生活している。住処を変えるのは理由があり、子孫を残す為の男を探す意味もある。

「ちょうど今、私達は繁殖期でね。男に飢えているのさ」

 ブリジットは大きく発達した手で頭を掻きながら言った。

「そりゃ、発情期って言うんじゃねぇのか?」

「どっちでも同じさね。子孫を残すのも大事、性欲を処理するのも大事。でも、ここら辺りにはアタシ達に合うような男がいなくてねぇ」

 ブリジットが困ったように頭を掻いて笑った。そのまま腕を振り下ろしたら大地が割れそうだと思えるほど、硬い筋肉と血管が浮き出ている。女性の白い柔肌とは正反対の、ゴツくて木の幹のような腕は、太陽に照らされ褐色に焼けていた。

「オレはこの辺にオークの村があるって聞いて来たんだが。オークじゃダメなのか?」

「あるけど、ありゃダメさね。アタシ達が近づくと逃げちまうんだよ。どうしてだろうねぇ……」

「その割れた腹筋で、こっちの頭を割られそうだからだろう」

 リットは見事に六つに割れたブリジットの腹筋を見ながら言った。割れた腹筋の一つ一つが、岩壁のような迫力がある。

「リット!」と耳元で大声で出すローレンに、リットは「なんだよ」と面倒臭そうに答えた。

「彼女が気分を害したらどうするんだ。あの太い腕が下りてきたら、僕ら骨も残らずに潰されるよ」ローレンは小声で話す。

「ちょっとしたジョークだろ」リットも同じように小声で話した。

「……いいかいリット。彼女がこの場を離れるまで、キミは口を開かないでくれたまえ」

 ローレンは木の上から下りて立ち上がると、ズボンに付いた土埃を払ったり、服の襟を直したりして身なりを整えた。そしてお決まりの、左目にかかった前髪をかき上げる仕草。

「お嬢さん。愛とは露の滴のようなもの。万人に平等に降り注ぐ天からの水。水は生命の源。水とは愛。夜露朝露を受けた花は、それが歪な雑草であっても、愛しく、美しいのです」

「あーっはっはっは! 面白い坊や達だ。……みんなに見せてやろうかね。ちょいと失礼するよ」

 ブリジットはリットの襟元をつまむと、猫を持ち上げるようにして右手に持った。もう片方の手は同じようにしてローレンがつままれている。

 ブリジットが動き出すと世界が揺れた。

「おい、オマエのせいで面倒くさいことになってきたぞ」

「キミも文句ばっかり言ってないで、なにか考えたらどうだい」

「そうだな……」

 リットはシャツの首もとを両手で掴むと、体を左右に振りながらシャツをまくり上げるように脱いでいく。

 リュックの肩紐が少し邪魔をしたが、片方の腕を抜き取ると後は簡単だった。

 ブリジットの手の位置は高い場所にあるが、幸いなことに下は草が密集している。落ちても軽い怪我で済みそうだった。

「じゃあな、ローレン。サンドラには上手いこと言っておいてやるよ」

「あっ! キミ一人で逃げるつもりかい!? 卑怯者!」

 ローレンも同じように服を脱いで抜けだそうとするが、シャツの上にベスト、更にその上にマントとめかしこんでいるため、服を脱ぐことが出来ない。

 ローレンがあたふたしているのを横目に、リットはブリジットの手から抜けだした。耳に風を切る音だけが鮮烈に聞こえ、目を閉じていないと乾いてきて痛む。

 リットがギュッと目を閉じると「おっと」と言ってブリジットが手を伸ばした。リットが落ちた先は柔らかい草の上ではなく、それ以上に柔らかいブリジットの手の中だった。

「サービスがいいねぇ。眼福眼福。男の裸なんていつぶりだろうね。まぁ、ちょっと鍛え方が足りないけど、あいつらも裸の方が喜ぶよ」

 ブリジットは軽く手を丸め、親指と人差指の間の穴からリットの顔を出させると、スキップのような小走りのような微妙な速度で森を駆けた。といっても一歩の幅が広いので、景色はどんどん置き去りにされていく。

「僕を見捨てようとした罰だよ。きっと」ローレンの瞳には、ざまあみろという感情がはっきり見て取れた。

「オレは、今までオマエが捨てた女の恨みが、神に届いたせいでこうなったと思ってるんだが」

「僕は女の子を捨てたりしないよ。ダメな男を演じて向こうにフラせるんだ」

「優しい男なこった。ついでにブリジットにもフラれてくれよ。熱烈な歓迎される前に」

 リットは、もう一度ブリジットの手から逃げ出そうと体を動かしたが、温かい手の中でかいた汗のせいで、裸のリットの肌にブリジットの指の肉が張り付いた。

 脱水症状になるまで汗をかけば潤滑油代わりになるかもしれないが、今の中途半端な汗の量だと樹液のように引っ付くだけだった。

「諦めなよリット。僕たちはこれからフェムト・アマゾネスの住処に連れて行かれ、見世物にされるのさ。生きるも死ぬも、まさに彼女の手の中ってわけさ」

「そのつまんねぇジョークで口説けば、ブリジットの気が変わったりしねぇかな」

「無茶言わないでくれたまえ」

「オマエ好みの女だろ? 胸はでかいし」

「僕は成長した胸が好きなんだ。鍛えられた胸じゃない。だいたいキミが無駄に女性と縁があるのがいけないんじゃないのかい! エミリアといいグリザベルといい胸が大きい子ばかりじゃないか!」

 ローレンは口の前で両手の指先を合わせて大声で叫ぶ。負けじとリットも大声で叫んだ。

「オマエも昔すげえデカイ乳をしたのを連れて歩いてただろう!」

「アレは男友達だ! ……食べて寝ることだけが趣味の」

「アイツも良い胸してたじゃねぇか」

 口喧嘩が絶えないリットとローレンを見て、ブリジットはおかしそうに笑った。

「いやぁ、退屈しないね」



 ブリジットが軽く汗を流す程度森の中を走ったところで、フェムト・アマゾネスの住処に付いた。

 まさに住処と言う呼び名がピッタリの場所だ。家という家はなく、適当に切り広げられた広場に雨よけの屋根だけが付いているものばかりだった。椅子とテーブルが並べられているスペースがあり、ほとんどのフェムト・アマゾネスはそこに座っていた。

 皆動物の毛皮で作られた腰ミノと、ブラのような上着を着けているだけだ。

 リット達は加工された木材ではなく、丸太だけを適当に合わせて作られたテーブルに置かれた。

 テーブルだけではなく、椅子も屋根も切り出した丸太だけを組み合わせて作られている。

「なんだい? ブリジットはお人形遊びにでも目覚めたのか?」

 緑の髪のフェムト・アマゾネスが、興味深そうにテーブルに置かれたリット達を見ている。

「まさか、人間だよ。……動かないけど」

 リットとローレンは、ブリジットの手に揺られ、すっかり酔ってしまっていた。

 状況を確認しようと、のろのろと立ち上がったローレンだが、緑の髪のフェムト・アマゾネスに息を吹きかけられ遊ばれている。

「ひ弱な体だね。枝よりも細いんじゃないか?」

 緑の髪のフェムト・アマゾネスは、息を吹きかけられてよろけるローレンの姿を楽しみながら言った。

「こっちのはなんで裸なの?」

 青い髪のフェムト・アマゾネスはリットを見ながら言った。

「さぁ、いきなり自分で脱いだんだよ」

「ふーん……。それ!」青い髪のフェムト・アマゾネスはリットのズボンを爪で引っ掛けて下着ごと下ろすと、目を細めて顔を近づけた。「ちっちゃくても付いてるものは付いてるんだ」

 その言葉に興味を持って集まってきたフェムト・アマゾネス達に、リットはじっくり体を観察される。酒が運ばれてくるまで興味の的になり続けた。

 開放されたリットはテーブルの上で、深く暗いため息を吐いた。

「ローレン……。オレ、生まれて初めて死にたいと思ったよ」

「……心中お察しするよ。相手は巨人族、大小の見分けが僕らとは違うんだ。自棄になっちゃいけないよ」

「励ますなよ。……オマエのよりはでけぇぞ」

「僕のを見たっていうのかい! 適当なことは言わないでくれたまえ! それよりいいかげん服を着たらどうだい?」

「……パンツまで持ってかれたんだよ。オマエのマント貸せよ」

「僕のマントを、男の体を包むために貸せって? 冗談を言ってもらっちゃ困るよ。断る」

 ローレンがそう言って突っぱねると、空からリットの服が落ちてきた。

「いやぁ、悪かったね。男の裸なんて久しぶりだからみんなテンションが変に上がっちゃってね」

 そう言ったブリジットの手には牛の丸焼きがあった。リット達が潰されないように慎重にテーブルの上に置く。

「フェムト・アマゾネスっつーのはテンションが上がると痴女になるのか?」と、リットが睨んだところで、ブリジットにとっては小動物の威嚇のようなものなので、慈愛のような笑みで返した。

「明日はオークの村まで送って行くから許しておくれよ。最近は欲求不満の奴も出て大変だったんだよ。リットのおかげでしばらくはオカズに困らなさそうで安心さ。あっはっは!」

 ブリジット豪快に笑うと、牛の肉を手で引き裂いた。人間サイズの皿などあるはずもなく、牛の丸焼きが乗っている皿の端に肉片を置く。

「……酒は?」

「あるけどねぇ……」

 ブリジットは困ったようにコップを見た。

 コップも皿と同様に人間サイズの物はない。一度コップをテーブルに置き、どうしようかと考える。

 考えたまま動かないブリジットに業を煮やしたリットは、牛の丸焼きによじ登った。一番高いところまで来ると、コップの中に注がれている酒が見えた。リットはコップ目掛けて思いっきり跳躍した。

 鈍い飛沫音と重い水柱が立つと、リットがゆっくり酒の中から顔を上げて出てきた。

「あっはっは! いいねぇ。豪快な男だねぇ」ブリジットは楽しそうに言った。

「どうせ裸だしな」リットは両手で酒をすくい取り口元まで持って行くと固まる。「……体洗ってねぇけど」

 躊躇いは一瞬。リットはドロドロとした馬乳酒を喉を鳴らして飲んだ。不衛生なことは確かだが、少しでも酔って先程のことを忘れたかったからだ。

 リットがぬるい馬乳酒につかりながら久方ぶりの月夜を眺めていると、「アタイとやるってのかい!」「そっちがその気ならね!」と遠くで言い合いが始まった。

 他のフェムト・アマゾネス達は、睨み合う二人を眺めながら物音一つ立てずに静観していたが、――ダンッ! と、誰かがコップの底をテーブルに叩きつけて「やれ!」と叫んだ。離れた席でもう一人同じようにコップをテーブルに叩きつけて叫ぶ。

 水滴の波紋が広がるように徐々にだが、叫ぶ人数が多くなっていく。間が空き、バラバラだった声と打撃音は、呼吸が合わさり一つの音へ。

「やれ!」「やれ!」という掛け声は「やれ! やれ!」へ、それから「やれ! やれ! やれ!」と間を置くことなく地鳴りのように響き始めた。

 どの声にも怒りの色はなく、皆この上なく楽しそうな表情を浮かべて、争う二人のフェムト・アマゾネスを煽る。

 ブリジットも、テーブルの上にいるリット達に気を使って静かにだが、テーブルをコップの底で叩き、「やれ! やれ! やれ!」と声を上げている。

 リットはコップの縁に腕をかけて、どこか懐かしむ目でその光景を見ていた。

「恐ろしいところに来てしまったよ」ローレンがうんざりとした様子でつぶやいた。

「そうか? オレはこういうの好きだけどな」

「キミはこういう雰囲気のところで育ったからいいかもしれないけど、僕は上品に育ったんだ。飲むのはワイン。吐き出す言葉全て愛の言葉。僕がいたところが天国だとしたら、ここは紛れも無く地獄だね」

 ローレンはブリジットが切り裂いた肉を、更に自分が食べやすい大きさに切り裂きながら言った。

「昔はカーターの酒場でもこういう光景をよく目にしただろ」

 リットが言うと、ローレンの瞳にも懐かしさが揺らいだ。

「そういえば……そうだね。覚えてるかい? カーターとイミルの婆様が飲み比べして、負けたカーターは危うくイミルの婆様に店を取られそうになったこと」

「覚えてるよ。今みたいにみんなコップの底を打ち付けて煽ってたもんな。ローレンは加減を知らなくて、反動でこぼれた酒が全部自分の服にかかってたけど」

「あの頃は町に来て間もなかったしね。酒やら、暴言やら、悪いことは全部キミから教わった気がするよ」

 酒の席の喧騒が最高潮に達している時、リットとローレンの間にはしばらく無言が広がっていた。

「ローレン……」

「なんだい?」

「酔って動けねぇ……。引っ張ってくれ」

 リットは酒の中で具合が悪そうに言う。

「何をやってるんだい……。まったく」

 ローレンはリットをコップの中から引き上げてると、自分のマントを外して酔いつぶれて横になったリットの体を隠すようにかけた。






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