第九話
グリザベルが指した方向には何もない。
牢の中は、墨を擦ったような黒に覆われている。
窓一つない地下は、まるで箱の中に閉じ込められたような圧迫感があった。
「姿を見たかったら、餌を与えることだ」
リットは手に持ったままになっていたセクシャルキャロットを牢の中に投げ入れるが、なにも起こらない。
暗闇のせいでセクシャルキャロットがいつ床に落ちるかわからないので、音が遅れたように聞こえた。
「ヨルムウトルの王ってのは人見知りなのか?」
「そんなわけなかろう。ヨルムウトル王は誰よりも自己顕示欲が強い男だ」
グリザベルはリットにランプを持つようにと渡すと、胸元に手を入れて、身につけている真珠の首飾りとは別の首飾りを引っ張りだした。
銀の鎖に通された、深い海のように青く美しいサファイアの首飾りを牢屋の中に投げ入れる。
青い放物線を描き、ランプの光が届かない牢屋の奥へと飛んで行く。
コツコツと小さい音を数回鳴らしながら転がっていくのが聞こえた。
しばらくなんの変化も訪れなかったが、砂漠の砂の一粒一粒が風に流されるよう、静かに。しかし、はっきりと牢屋の床がうごめいた。
黒い絨毯の様な影がうねり小山を作っていく。
その先端にはグリザベルが投げ入れたサファイアの首飾りが乗っかっている。飲み込むようにして宝石を掴むと、影は牢屋の奥へ這うように消えていった。
グリザベルはランプの火屋を開けるように言った。
リットは服の裾越しに火屋を掴み、キュキュッと金属が擦れる音を響かせながら回し開ける。
火は揺れながら、不安定な明かりを放つ。
肌に感じないものの、地下にも風が流れているのがわかった。
グリザベルは壁に備え付けられている燭台から、溶けて短くなったロウソクを剥がすように取ると、風に揺れるランプの火からロウソクの芯に火をつけて、牢屋の奥へと投げた。
牢屋の奥には、乱雑に財宝が固められて置かれていた。ロウソクを投げ入れられたことによって、薄くなった影よりも黒濃い影が、財宝を守るようにしているのが見えた。
他の影執事のように人間の形はしておらず、水をまいた跡のような歪な形をしている。
「こやつの欲のせいで、ヨルムウトルの住人は彷徨い人のまま、この地に縛り付けられておる」
「ヨルムウトルの王が望んだのは富じゃないのか?」
「……最初はな。過ぎたる富とは、いずれ長寿を望むようになる」グリザベルは鉄格子に沿って歩いた。足取りは直線ではなく、弧を描いていた。しなやかな手で鉄格子を掴むと「これがなにかわかるか?」と、リットに問いかけた。
「なにって、牢屋だろ」
リットは考えるまでもなく答えた。重い扉、地下、鉄格子。この条件から絞り込めるものは、牢屋しかない。
念の為に鉄格子に触れてみるが、冷たい鉄の棒が石の床に深く突き刺さっており、渾身の力を込めても抜けることはないだろう。
中央には錠が付けられた扉がある。それがただの扉ではなかった。なんともバカでかい扉だ。
リットが気づくのと同時に、グリザベルは「上を見てみろ」と言った。
リットは精一杯腕を伸ばしてランプで照らそうとするが、鉄格子は光が届かない場所まで高く伸びていて、全貌を確認することは出来なかった。
好奇心からリットは横格子に足をかけてよじ登っていくと、徐々に体が前へと傾いていく。
天井に向かうにつれて滑らかにすぼまっていく形状になっている。反対側は壁に付いているので、それ以上行くことはできなかった。
慎重に横格子に足を置いて降りていき、最後は飛ぶようにして床へと降りた。
改めて鉄格子を眺めると、格子の間はかなり開いていて人間なら体を捻れば通り抜けられるのがわかった。
牢屋ではない。鳥籠だ。それも、なにか大きな鳥をいれる為の物。
リットが口にする前に、グリザベルが口を開いた。
「フェニックスの鳥籠だ。尤もフェニックスがこの鳥籠に入ったことは一度もないがな」
滑稽だとでも言うように、グリザベルは鼻で笑った。
「フェニックスね……。ペットにしたかったわけじゃないよな。……不老不死か」
「いかにも。その時既に、ヨルムウトル王はウィッチーズカーズに縛られていたのかもな。フェニックスの捜索に、手に入れた膨大な富のほとんどを使ってしまった」
「あんまり他人事だとは思えねぇな……」
リットは、エミリアから受け取った依頼金で買った本を思い出して苦笑いを浮かべる。
「そう恥じるな。生物なら誰でも欲はある。食欲、睡眠欲、性欲。どれも生きるためには必要なものだ。人並み外れた欲を持っていると厄介だがな」
「面倒くせえ話だな。ヨルムウトルってのは」
「いや……よくある恋物語だ。ディアドレという名を知っておるか?」
「あぁ、破滅の魔女だろ?」リットが言うと、グリザベルは喉を鳴らして、この上なくおかしそうに笑った。
「確かに破滅だな。二つの国を滅ぼしたのだから。一つ目はこのヨルムウトル。二つ目はテスカガンド」
ディアドレ・マー・サーカスは、宝石に魔力を留めるという技術を確立したことで名を馳せたが、ディアドレは同時にもう一つの研究をしていた。
四精霊の力を借りて使う四大元素は『火』『水』『風』『土』。それは『熱』『冷』『湿』『乾』の四性から成り立っている。『火』は『熱』と『乾』が合わさったものであり、『水』は『冷』と『湿』が合わさったもの。『風』は『熱』と『湿』。『土』は『冷』と『乾』。
これらをもっと複雑に組み合わせれば、四精霊の力を必要としない新たな魔力が生まれるのではないかと考えた。
それは『空』。つまりは『エーテル』のことだ。ディアドレは、五つ目の元素を創りだそうとしていた。
その実験の場となったのがヨルムウトルだ。元より欲の強いヨルムウトル王は、ディアドレの美貌に惹かれ、研究の為の資金援助や城の権限などを与えていた。
初めは後ろ盾としてしか利用していなかったディアドレだが、いつしかヨルムウトル王に惹かれ恋に落ちていた。
魔宝石という技術を確立してからは、なによりまず研究者や偉人として見られていた。ディアドレがヨルムウトル城を選んだのも、山にあり木に囲まれ好奇の目がなるべく届かない場所を選んだからだ。
だから、ヨルムウトル王にただの女として見られることは幸せだった。
しかし、欲の強いヨルムウトルは好色家だ。なんとかして自分だけに振り向いて欲しい。そう思ってたディアドレに転機が訪れる。
それはエーテルの失敗作だった。エーテルとしての力はないものの、その魔力は不思議と幸福エネルギーを増幅させる性質があった。
ディアドレは自分だけを愛してくれるのならば、この魔力を込めた魔宝石を渡すとヨルムウトル王に言った。
しかしヨルムウトル王は、半信半疑でなかなか頷かない。ディアドレには魔宝石の技術を確立した実績があるが、幸福エネルギーなんてものは聞いたことがなかったからだ。
決めかねるヨルムウトル王にディアドレは「効果がなければ、この話はなかったことにしてもかまいません。でも……。でも、もし効果があった時は私一人を愛してください」と持ちかけた。
当然ヨルムウトル王は了承し、幸福エネルギーの効果を確かめることにした。
効果は直ぐに現れた。
ヨルムウトル城のあるザラメ山脈。そこから流れるモーモー川に『アスコル』という栄養価の高い魚がいる。この魚が流行病に効くということがわかったのだ。
ディアドレに金を使い、側室にも金を使う。その時のヨルムウトル王にとっての幸福とは金だった。
アスコルはヨルムウトルの星空のように鱗を光らせる容姿もあって、病がなくなっても観賞魚として盛んに高値で取り引きされるようになる。
こうしてヨルムウトル王は、表向きにはディアドレだけを愛した。
長く続いた繁栄の歴史は、『飽き』というものに崩されていく。多種族交流が盛んになりだした頃、人々の関心はドワーフが作る家具や、エルフが育てている植物などに移っていったのだ。
これがおそらくウィッチーズカーズの始まりだった。
エーテルを作り出す四大元素は精霊の力を借りる。借りたものは返さなければならない。四大元素は四精霊の元へ返るが、幸福エネルギーというものには当てはまる精霊はいない。
ヨルムウトル王が魔宝石の魔力によって手に入れた金というものは、人間が作り出したものだ。手に入れた金は別の人間の元へと流れていく。
拍車が掛かったのは、ヨルムウトル王がフェニックスの鳥籠を作るように命じてからだ。
高熱でも溶けない特殊な鉄を使った鳥籠、捜索隊、情報収集、古文書。手に入れた金がなくなっていくのはあっという間だった。
この頃のヨルムウトル王は、呪詛のように「永遠の命があれば何度でもやり直せる」と呟くばかりだった。
なんとかしようと思ったディアドレは、なんとかもう一度幸福エネルギーを込めた魔宝石をつくり上げる。ヨルムウトル王の願いは不死になること。
しかし、元より失敗作から生まれたものだ、不死にする力は持ち合わせていなかったらしく、願いは叶わなかった。それどころか行き場の失った魔力は暴走を始め、一夜にしてヨルムウトル全域の生命を吸い取った。
「ヨルムウトルは、不死鳥のごとく復活することはなかった」
グリザベルは、牢屋の影に嘲笑を向けた。
「ヨルムウトル王が人欲の塊ってことはわかったけど、影執事達はどうなんだ?」
「言ったであろう。念の力は強いと。皆、死にたくないと願ったこやつの念に縛られておる。事の発端のこやつが成仏しない限り、他の者も成仏することはない」
「それは、グリザベルがここにいる理由と関係有るのか?」
「うむ。我はヨルムウトルを浄化するためにこの城に来たのだがな、どうにもならず行き詰まっておった。そこにお主達がやって来たというわけだ」
「待て待て、呼んだのはグリザベルだろ」
「お主、ブラインド村におっただろ。あそこはヨルムウトルの領土だった土地だ」
「……まさか、街灯を動かしてたのはオマエじゃないだろうな」
リットはグリザベルを睨むようにして言ったが、グリザベルがその視線の意味に気付くことなく得意顔になっていた。
「察しがよいな。あの街灯は我がゴーレムに改造したものだ。外界の情報収集に便利なのでな。そのゴーレムから面白い光を放つオイルがあると報告があったから、お主達を呼んだわけだ」
「そうか……。オマエのせいで、オレはここに来ることになったんだな」
リットが低い声で静かに怒ったように言うので、分が悪くなったことにグリザベルは気付いた。
「わ、我はお主を城には呼んだが、ブラインド村に来るように仕向けたわけではないぞ!」
「あの村の村長にな。不気味に動いて怖くて迷惑してるからってな、街灯を作ったオレのせいにされたんだよ」
「迷惑を掛けぬよう、村人が寝静まった頃に動くように命令したハズだ。我は悪くないぞ」
グリザベルは、子供のようにプイッと顔をリットから背ける。
「それが不気味だって言ってんだよ! 少し考えりゃわかるだろ? それとも、黒い服着てるからって、カラスと同じ鳥頭なのか?」
「……カラスは頭がいいもん」と、グリザベルが話を逸そうとすると、リットが床を苛立たしげに足で鳴らす。「そんなに怒らなくてもいいではないか……」
「オマエが動かしてるなら話は早い。早くゴーレムを止めろ」
「いや、しかし――」
リットはまた足で床を叩いた。
「返事はカァだ」
「……カァ」グリザベルは力なく返事をした。
「よし。じゃあ、さっさと止めに行くぞ。あれを止めりゃオレは家に帰れんだ」
「……無理だ」
グリザベルはこれ以上リットを怒らせないように恐る恐る言ったが効果はなく、リットの目は先程よりも鋭くグリサベルを睨んでいた。
「無理なのだ……。本来ゴーレムは昼にしか動かしてはならぬ。その制約を変えるために色々といじったから……」
「無理だってことか?」
グリザベルはこくんと頷くと、絶え絶えに言った。
「て、手がないわけではない。時間はかかるが、止めることは出来る。だ、だから、その間……その……。我の頼みを聞いてもらおうと」
リットは、グリザベルの白く柔らかな頬を摘むと横に引っ張った。
「オ・マ・エ・は! 取り引きを持ちかけられるような立場か?」
「いひゃい、いひゃい!」グリザベルは体を捻り、リットの手から逃れると「引き受けてくれないと……暴れるぞ」と、頬をさすりながら言った。
「オマエがか?」
「我ではない。ゴーレムがだ。我が制約を守らずゴーレムを動かすと、手が付けられないほど凶暴になるぞ」
グリザベルは鼻をすすりながら、精一杯不敵に笑ってみせた。
「別にオレの住んでる町じゃないからかまわねぇよ」
「お主は畜生か!」
「そう思うなら、畜生に言葉が通じないことくらいわかるだろ」
グリザベルはうーうーとうなりながら、リットの顔色や表情をうかがった。
その様子に見覚えがあった。イミル婆さんの孫がわがままを言う時と同じように、しつこく、今にも泣きわめきそうな顔。物言いたげな目で、じっとリットを見たまま動かない。
リットはたまらず息を吐いた。
「わーったよ。オマエがゴーレムを止める手段を見つけるまでな。それまでは、出来ることならやってやるよ……」
その言葉に、花開いたような笑顔を浮かべたグリザベルは「ヨウルムウトル王を成仏させるような光を探して欲しい」と、軽く言ってのけた。
「光じゃないとダメなのか?」
「光じゃなくても構わないが、お主の専門は光だろ」
二人は地下から出たが、地上に出ても眩しいなんてことはなく、天には暗い雲が渦巻いている。グリザベルは立ち止まると空を見上げた。
「ディアドレのエーテルは失敗だと言ったな。それが、成功していたらどうだ?」
「凄いことなんじゃねぇか?」
「そうではない。エーテルは空だ。そして、ウィッチーズカーズは込められた魔力と背反することが起こる」そこまで言うと、一度深呼吸をして間を置き、再び話し始めた。「ディアドレが空を創りだしたなら……。大五元素のエーテルには背反するものはない。ならば『闇に呑まれる』のではないだろうか」
リットは黙ってその言葉を聞いていた。
「我の見事な考察に言葉も出ないか」
「いや、さっきまで泣いてたくせに、よくそこまで偉ぶれるなと思ってな」
「な、泣いてないぞ!」
「打たれ弱いことはわかってんだ。無理するなよ」
「だから、泣いてないと言っておるだろう!」




