第八話
高笑いのし過ぎか、間違って飲み干したワインのせいか、ノーラは食事の最中に潰れるように眠ってしまった。
リットはノーラを背負って帰ろうとしたが、グリザベルの「泊まっていくがいい」と言って影に扉を閉めさせる強引な引き止めと、ローレンが椅子に張り付いたように動かない執拗なまでの抗議により、ヨルムウトル城に泊まることになった。
渋々と納得するリットだったが、グリザベルにワインのボトルを渡されると、先程までとは打って変わって上機嫌になった。
リットが影執事に案内された部屋は、まるで事前に泊まることが決まっていたように綺麗に掃除されていた。
火を付けたランプを丸いテーブルに置くと、部屋の中をよく見渡した。
テーブルには、背もたれが装飾された椅子が二つ備えられている。
白というよりも薄い桃色のカーテン。窓辺に置かれた花柄の花瓶の下には、お手製の小さな敷物が引かれている。棚の上の人形も埃を被ることなく笑顔で座っていた。
おそらく女性が使っていた部屋だろう。タンスを開けると服は入っていなかったが、小さい麻布袋のポプリが転がっていた。
天蓋付きのベッドじゃなくてよかった。そんな慣れない物が付いていたら、とてもじゃないが落ち着いて眠れないだろう。リットはそう思いながら椅子に腰を下ろし、もうひとつの椅子を足置きにして座った。
ワイングラスにグリザベルから貰ったワインを注ぐ。赤ワインのグラスを回して真紅の渦を作る。透きとおった赤はランプの光をよく通した。
鼻に傾けて香りを嗅ぐと、ぶどうよりも濃厚な匂いが鼻腔に絡みつく。そうしていったん動きを止め口に含み喉を鳴らすと、鼻から息を抜いた。
リットにワインの心得があるわけではないが、ヨルムウトルの地下の貯蔵室で長年熟成されたワインと聞かされると、自然に通ぶった飲み方になっていた。だからといって味が変わるわけでもなく、残りは一気に飲み干した。
空になったワイングラスをテーブルに置く。
その時、控えめなノックの音が響いた。
リットはワインボトルのコルク栓をドアに投げつけて、入ってもいいと合図をする。それで理解したのか、ノックの主はドアを開けると、転がったコルク栓を踏むことなく部屋に入ってきた。カラカラと音を立てる長いワゴンには、顔と同じカボチャがずらりと並べられている。
「カボチャなんかいらねぇぞ。ツマミにならねぇからな」
ジャック・オ・ランタンは首を横に振ると、ワゴンの下から皿に乗ったイノシシ肉のローストを取り出してテーブルの上に置いた。
肉の上には木の実で作ったルビー色のソースがかけられていて、甘酸っぱい匂いが食欲を誘った。
「おっ、気が利くな」
リットが言うと、ジャック・オ・ランタンは頭のカボチャを外して、ワゴンに乗っているガボチャと付け替えた。口元は下向きの曲線。両目は上向きに曲線で彫ってある。
「笑ってんのか? いつもはそうやって感情を表現してるのか?」
ジャック・オ・ランタンは頷いた。
「上等なローストを用意して貰って悪いんだけどよ。このままじゃ下品に食べなきゃいけないんだが……」
リットの言葉に、ジャック・オ・ランタンはまた頭を変えた。目をまん丸に繰り抜き、ご丁寧に汗の雫の形まで掘っている。焦った表情のカボチャ頭で、慌ててフォークを渡そうとする。
リットはその様子を見ながら素手でイノシシのローストを摘むと、顔を上に向けて肉を口の中に垂らすようにして食べた。
ジャック・オ・ランタンはフォークを持ったままじっとリットの顔を見ている。頭は、目を三角に吊り上げて、牙を剥き出すようにして掘った頭に付け替えられていた。
「そう怒るなよ。ちょっとからかっただけだ」
リットはジャック・オ・ランタンからフォークを受け取ると、イノシシのローストに突き刺した。
赤黒い肉にはイノシシ特有の臭みが残っているが、甘酸っぱい木苺のおかげか気にならない程度に残っているだけだ。
ソースにはなにか香草も混ざっていて、ピリピリと舌を刺激する。ワインでそれを流し込むと、なんとも言えない幸福感に包まれた。
「ノーラには言うなよ。オレだけなんか食ってるのを知ったら、後からうるせぇからな」そう言ってリットは、たっぷりソースを付けた肉を一切れ口に運ぶ。「まっ、頭空っぽのカボチャに言っても意味ねぇか。喋れねぇしな」
カラカラ笑うリットに、ジャック・オ・ランタンはしゃがむように縮こまり背を向けてうなだれる。
「なんだ傷ついたのか?」とリットが言うと、ジャック・オ・ランタンはワゴンから泣き顔のカボチャを取って頭に付けた。
「わかった。悪かったよ。言い返してこねぇ相手に言ってもつまらねえしな。……ちょっと面貸せ」
当たり前だが、ジャック・オ・ランタンは警戒して近づいてこない。
リットは立ち上がるとジャック・オ・ランタンの頭に手を置く。
軽く持ち上げるだけで、簡単にカボチャ頭は胴体を離れた。
頭を取られた胴体は、オロオロと手を動かして落ち着かない様子でいる。
急いで別の顔を頭に付けると、リットの体をポカポカと叩き始めた。
「別にとって食うわけじゃねぇよ。ここじゃ天日干しも出来ねぇだろ」
カボチャは底が丸くカットされており、ここから中身を繰り抜いた跡があった。
リットは妖精の白ユリのオイルを小皿に入れてテーブルに置くと、芯を浮かべて火を付けて、その上から被せるようにカボチャを置く。
カボチャの飾り物らしく顔が光った。
「しばらく置いておけば乾燥するだろ。手遅れかもしれないけどな」リットはワインボトルに直接口を付けて一口飲むと、ジャック・オ・ランタンに人差し指を向けて合図をした。「ほれ、次の頭持ってこいよ」
ジャック・オ・ランタンはワゴンの前まで行くと、並んだカボチャ頭を見比べる。一度、笑顔の表情のカボチャを手に取ったが、首をひねると別のカボチャを手に取ってリットに渡した。
渡されたカボチャは、三角の目にギザギザの口。いかにもジャック・オ・ランタンらしい顔のものだった。
「これが一番使う顔ってわけか。オレを迎えに来た時もこの顔だったもんな」
ジャック・オ・ランタンはコクコクと頷くと、次のカボチャを持ってきてリットに渡した。
「もう、無理だろ」
大きめのカボチャは、二つ置いたらテーブルがいっぱいになってしまっているが、ジャック・オ・ランタンは困り顔のカボチャを付けて見てくるので、リットは棚の人形をベッドに下ろしてその上へ、窓辺の花瓶を下ろしてその上へ、残りは床の上に置く。
基本の顔に、喜怒哀楽、その他にも片目をつぶってウインクしているものや、眼と口がそれぞれ一本の線で掘られてるものなど、どのシチュエーションで使うのかわからない表情のカボチャが数種類。
カボチャの硬く厚い皮に遮られて中だけを橙色に照らす光は、思いの外不気味だった。
ジャック・オ・ランタンは、部屋中に敷き詰められたカボチャ頭を見ては、嬉しそうに体を揺らしている。
「そういえば、体に付けてる顔は、光らせてないんだな」
ジャック・オ・ランタンは黒いコートをはだけてみせた。
下が朽ちてボロボロになった丸太の体。枝を集めて作られた細い腕は、体ではなくコートの肩口に縫い付けられていた。
首元には、座りを良くする為に藁が巻かれていて、スカーフのようになっている。一度火が付いたら、一瞬で燃え上がりそうな体の構造だ。
「なるほど」とリットが頷く。「それなら、どうやってランタンに火をつけてるんだ?」と聞こうとした瞬間。ノックもなくドアが開いた。
「パーティーでもしていたのか?」
グリザベルは部屋内を見回すと、近くにあるカボチャを指で軽く叩き鳴らした。
「悪魔を呼び出す儀式だな」リットも同じように部屋を見回して言った。
いくら明かりの数が多くても華やかではなく。燃えるように光るカボチャの明かりは、おどろおどろしい呪術的な雰囲気を醸し出している。
「なかなか良い趣味だ」グリザベルが両手をずらして合わせ、壁に向かって鳥の影絵を作る。壁に向かってふっと息を吹きかけると、指で作った翼をはためかせ壁からカラスが飛び出してきた。ひと通り部屋を飛び回り、カボチャの上に留まると「カァー」と鳴きたそうにクチバシを開いた。
「なぁ……。最初に見た時は影に手をかざしてたよな」
「それがどうした」グリザベルはリットが足置きにしていた椅子を引き、それに腰掛けながら言う。
音を立てて床に落ちた足をさすると、リットは椅子に腰掛け直した。
「二回目を見た時は指を鳴らした。で、今は息を吹きかけたな」
「よく見ておるな」
「動作に一貫性はないし……。もしかして、そんなカッコつけた動作しなくても、普通に呼んだら影は来るんじゃないのか?」
「……んっ。むぅ……。――さて、行くぞリット。面白いものを見せる約束をしたからな。我に付いて来い」
グリザベルはすっと立ち上がり、黒のドレスを翻して部屋を出て行った。
「おい、質問に答えろよ」リットもその後を追うが、部屋を一度出たところで顔だけ部屋の中へ戻した。「乾かし終わったら、ちゃんと火を消しとけよ。わかったか? カボチャ」と言って、返事も聞かずにグリザベルを追いかけた。
ノーラの控えめなイビキが聞こえる廊下を抜けて、螺旋階段を一番下まで下りた。
大理石を叩くブーツの音の中に、グリザベルの息切れが混ざる。
それからしばらく似たような作りの廊下を歩いていく、小窓が付いた扉が見えた。
グリザベルが扉を開けると「ふー」っと大きく長く息を吐いた。
出た先は城の外だった。
「大丈夫か?」
リットは肩で息をするグリザベルに聞いたが、グリザベルはリットと目を合わせるだけで、なにも言わなかった。
しばらくするとグリザベルが無言で歩き始めたので、リットはそれに付いて行く。
城壁と葉がハゲた木々の間に石畳の道があり、疲れてゆっくり歩くグリザベルの後を付くリットは、その枯れた景色を見ながら歩いていた。
城壁の朽ちた白に、くすんだ茶色の木。上空は相変わらず真っ黒。そんな中、鮮やかなオレンジ色の固まりが見えてきた。
「カボチャか?」
「そうだ」ようやく呼吸を整えたグリザベルが答えた。
「ここじゃカボチャが育つのか? ブラインド村じゃ、作物が育たなくて困ってたぞ」
リットは夕食に野菜や果物が出されていたことを思い出した。
「カボチャだけではなく、他の野菜も育つぞ。――尤も――普通の野菜ではないがな」
グリザベルは畑から生えてる葉っぱを掴んで引き抜くとリットに渡した。
「おい、これ! マンドラゴラじゃねぇだろうな」
水鳥の首のように細い先端から、なだらかに膨らみ、徐々に太くなっていっている。艶かしい女性の脚のように二股に分かれていた。
「セクシャルキャロットだ。あまりベタベタ触るな。甘い汁が流れでてしまって不味くなるからな」
「晩飯にもニンジンがあったよな……。こんな気持ちの悪いもの食わされたのか……。変なもの植えるなよ」
「我が植えたわけではない。勝手に生えてきたのだ。このパンプキンボムもな。なにもしなくても育つので困っておる」
「パンプキンボムだ?」
「ある程度育つと爆発してしまうから、我がそう名付けた。爆発する前に茎を切らねばならん。そのせいで、食しきれないカボチャがこんなにある」
積まれたカボチャの山は、爆発する前に定期的に影執事が収穫しているせいで出来上がったものらしい。
「セクシャルキャロットも、グリザベルが名前を付けたのか?」
「そうだ。そしてあれが――」グリザベルは咳払いを一つ挟むと「――エデンの果実だ」と、木になったリンゴを指した。葉も生えていない木になっているリンゴは、やたらと目を奪う。
「なんだ? 最後のは自信作なのか?」
リットが聞くと、人差し指をリンゴに向けたままのグリザベルはニヤリと笑う。
「罠かと思うほど妖しげになるリンゴにはぴったりの名前だろう」
「かえって覚えづらくないか?」
「そうだろうか……。よし、我より良い名前を考えつくならば、採用してやってもよいぞ」
「エロニンジン、土手カボチャ。気になるリンゴでいいだろ」
「却下だ。お主は、どういうネーミングセンスをしておるのだ」
グリザベルは呆れたように手を振ると、再び歩き始めた。
「お互い様だろ。そういや、昔ノーラにも言われたことがあったな」
「あのムスメとは長いのか?」
「まぁ、そこそこな。グリザベルは? この城に住んで長いのか?」
「我もそこそこだ」
他愛のない話を続けながら歩いていると、グリザベルが立ち止まった。
「ここだ」
城壁が続いている中、一箇所だけ鉄で出来た重々しい大きな扉があった。
扉の一番上を見るには見上げるしかなく、横幅の大きさもリットとグリザベルが並んでもあり余るほど大きい。
錆びクズが下に落ちており、何度もここを出入りしている形跡があった。
グリザベルは影を使い扉を開けさせると、地下へと続く階段を降りていった。
ひんやりとした空気が流れ、足元から鳴る足音が遠くから聞こえるように響く。
下に降りてからもまたしばらく歩くと、ランプの光がなにかに反射した。
鉄格子に見えるが、少し違うようにも見える。
直線ではなく、湾曲に組まれた鉄の棒の前で、グリザベルはリットに振り返り口を開いた。
「ヨルムウトル王だ」




