第十九話
鉱物資源が豊富なスキップ山脈は、巨神のスキッパーという人物から名前をとってつけられたものだ。
巨人ではなく、それよりさらに大きな巨神という種族がいると言われ、その中でもスキッパーは規格外として伝えられている。
規格外というのは、体の大きさももちろんのことだが、背丈よりも大きな斧を持っていたからだ。
その斧は自分よりも大きく高く広がっている空を割るためのものと伝えれており、ペングイン大陸では冬の盛りの雪雲の隙間に晴れ間が見えることをスキッパーの癇癪と呼び、厚い雲に苛立ったスキッパーが斧で雲を割ったと信じられていた。
そして、そのスキッパーの癇癪で生まれたものが、スキップ山脈だった。
高い空にいくら斧を振っても届かず、スキッパーが苛立ちに任せて斧を高く放り投げると、その斧は雲を割り、空を引き裂いて、地上に光を落とした。
しかし、落ちてくるのは光だけではなく、放り投げた斧も落ちてくる。
地面にめり込んだ斧はなかなか抜けず、やっとの思いで抜いた時には、地下深くの地層ごと引きずり出したせいで隆起し、それが鉱物資源豊富な山脈となったと言われている。
お伽噺の類だが、巨神スキッパーになぞらえられた伝説はたくさんあり、スリ・ピー・アロウも地方によっては、スキッパーの墓穴と呼ばれている。
特にここアルクバーシルは、スキップ山脈の麓にある街ということで、スキッパーのお伽噺が色濃く残っている街だった。
「旦那ァ、どうやらこの大通りの道幅は、巨神スキッパーの足幅と同じらしいですぜェ」
ノーラが壊れた立て看板の一部を見ながら歩いているせいで、足取りは止まってしまっているが、それを注意するものはいない。一緒にいるのはリット一人だからだ。
調査隊がアルクバーシルに到着してから、既に一日経っていた。
まだ出発をしていないのは、この街でしばらく休憩を取ることに決めたからだ。
テスカガンドへは一本道。蛇のようなつづら折りの坂道をひたすら歩くだけだ。
川から離れることもあり、だらだら休めるのも、英気を養うのも、この街が最後ということで、いつものように一晩泊まって翌日出発というわけではなく、三日ほど腰を下ろそうということになった。
いつもの全員での話し合いで決まったことだが、強く意見を押したのはエミリアとグリザベルだった。
エミリアはここまで来たら万全の状態でテスカガンド入りをしたいからの意見だが、グリザベルの意見は単純に街をゆっくりと見て回りたいというものだった。
鉱物資源が豊富なスキップ山脈では、魔宝石の材料でもある宝石の原石も取れ、それがテスカガンドへと運ばれディアドレの研究材料となっていたので、グリザベルにとってはとても興味深い街だったが、リットにとっては興味を引く街ではない。ノーラの言うことも話半分にただ暇つぶしに歩いていた。
「旦那ってば……聞いてますかァ?」
ノーラが後ろに看板を放り投げるが、闇の向こうまで飛ばしてしまったせいで、落ちる音も地面にぶつかる音も響かなかった。
「あんまり聞いてねぇよ。巨神の伝説を追い求めてきたわけじゃねぇからな」
「旦那ってば甘いっスねェ。チルカが食べるスペシャルハニートーストよりも甘々っスよ。得てして、こういう情報から真理を導き出すもんですよォ」
「東の国の龍伝説と一緒だ。怪物がいようがいまいがどうでもいいんだよ。ただあやかるだけなんだからな」
「あやかる。結構なことじゃないっスかァ。巨神をあやかるくらいっスから、きっとどの店もジャンボサイズで売り出してたんでしょうねェ……。闇に呑まれる前に来たかったもんスよ」
「言葉にすりゃ簡単だ。数百年前に戻ればいい。方法を考えるとなると難しい。残りの人生を全部使って考えてみりゃどうだ?」
「そんなことを考えてたら頭が良くなっちゃうじゃないっスかァ。脳天気なのが私のいいところなのに。それより――」と、ノーラはせわしなく首を回して辺りを見渡した。「グリザベルは何が楽しかったんスかねェ」
グリザベルが街へ出たのは午前中。ハスキーを従えるようにして連れ出し、昼も食べずに散々街を歩いてから戻ってきた。
グリザベルは興奮冷めやらぬ様子で高笑いを響かせ始めたので、リットは逃げるようにノーラと街をぶらつきに出た。
「アイツは……最近様子が変だからな。何かを思いついたり、消えたり、結びついたりを繰り返してるらしいぞ」
「様子が変といえばヴィコットもスよ。最近難しい顔をすることが増えましたからねェ」
ノーラは眉の端を手で押さえると、ギュッと中心に寄せて、眉間に深いシワを作った。
「よく見てんな、人の顔を」
「旦那が気付かないのがおかしいんスよ。最近ヴィコットと話しましたかい?」
「話してるぞ。たまに向こうが上の空だけどな」
「やっぱり気付いてるんじゃないっスかァ。なんかあったんスかねェ」
「さぁな。ゴーストのことはわかんねぇよ。そもそもランプの光が原因かも知れねぇしな」
アルクバーシルの街に足を踏みれた瞬間。空気中に水分が増えて急に息苦しくなった。ちょうどランプの光の調節ポイントだったらしく、グリザベルは街がちょうど切り替えのポイントになっているのかもしれない。と新たな考察に熱を出していた。
そう考えてみたものの、ヴィコットの様子が変わったのは、アルクバーシルではなく、その前のマージルの街に着いたあたりからだというのには、リットも気付いていた。
具合が悪そうというわけでも、苦しげでもなく、ただぼーっとしているだけ。いつもその状態でいるわけでもないし、数度声をかければいつものヴィコットに戻るので、そこまで心配をしているわけではなかった。
ただ、いつも元気な男のために、気にかかっていたのも事実だ。
リットの気持ちとしては、何かヴィコットに言われれば元気づけてやろうくらいのものだった。
「まぁ、急に気が滅入るのはわかりますけどねェ。この世界には色がないんスから」
ノーラはつまらない顔で家の壁の砂埃を払った。砂は舞い、光は壁を映すが、壁の色は木の色。地面は当然土の色。色濃いものはすべて消えてしまったかのように、目にも鮮やかなものは一つもなかった。
リットは「なにをいまさら」と、アルクバーシルの街並みにはなにも興味を示さなかった。色がなく、見渡すこともできない街や村というのは闇に呑まれた中で何度も見てきたものだ。
家というのも一つの目安として使っているだけで、外にいようが家の中にいようが、やることはあまり変わらない。今まで立ち寄った街で、執拗に街の中を探索してなにか使えるものがないかと探すのには、そんなマンネリ化した日常からの気分転換のようなものだった。
今回エミリアがそれをはっきりと口にしたのは、アルクバーシルが最後の気分転換の場所だからだ。あとは、テスカガンドまで歩き、そこで異変を解決するだけ。
言葉にすると簡単なことだが、個人個人の心の持ちようは違う。今のこの滞在期間は、それを整理しておけということなのだが、リットにはその時間のうまい使い方がわからなかった。
脳天気なノーラと一緒にいれば、悩んでるのか悩んでいないのかわからない、薄靄がかった自分の頭の中も晴れるだろうと思っていたのだが、特になにも変わることはなかった。
「もう……旦那を誘ったのを後悔してますよ」
ノーラはつまらなく眉を寄せると口をとがらせた。
「なにを喋れってんだよ。人や物どころか、思い出もない街なんだぞ」
「本当は新しい街っていうのは心躍るもんなんスけどねェ。美味しいご飯に、とーっても美味しいご飯とか。今じゃ街の看板を読み上げるくらいしかないっスよ」
「よくまぁ、それで人に文句を言えたもんだ」
リットは見飽きた色の世界に背を向けて踵を返したが、振り返っても同じ色の世界が広がっていた。
リットとノーラが拠点にしている家へと戻ると、すぐにランプを受け取り、入れ替わりでヴィコットと本日に二度目のグリザベルが家を出ていった。
「どうだ、楽しかったか?」と聞いてくるエミリアに、リットは「これが楽しそうな顔に見えるか?」と不満に眉を寄せた顔を近づけた。
「どうした。なにかあったのか?」
「なにもねぇから、こんな顔してんだよ」
「よく見れば色々ある街だぞ。がけ崩れの原因は、無理に広げた坑道のせいだろうな。闇に呑まれる前の出来事だ。残っていた資料を読み合わせると、そのようなことが書いてあった」
エミリアはかけらとなった紙くずを合わせて、まるでパズルでも解くように文字を合わせていた。
「気分転換の為の滞在じゃなかったのか? 字合わせなんてしてたら発狂すんぞ」
「流行りに乗っかれというわけではないが、やっていないのはリットだけだぞ」
エミリアに言われ周りを見ると、皆這いつくばるような格好でランプを囲い紙のかけらを合わせていた。
一緒に帰ってきたばかりのノーラも、料理屋のメニュー表らしきものを復元しようとしていた。
「こりゃ……なかなか気分がいいもんだ」
リットはそう呟くと、椅子にふんぞり返って座り、家にいる全員を見下ろした。
その嫌味な視線にすぐに気付いたのはチルカだった。リットの目線の位置まで飛び上がると、紙くずを丸めてリットに投げつけた。
「勝手に私をアンタの気分転換に使わないでくれる?」
「他にどう気分転換しろってんだよ。文句があるなら、酒場でも開店してくれ」
「ならそっちは、ベリーのなる木でも生やしなさいよ」
「まぁ、そのうちな。暇で暇でしょうがなくなったら、生やしてやるからよ」
「アンタにそんなことができるなら、土下座でもなんでもしてやるわよ」
「だいたいよ。オレにつっかかる暇があるなら、妖精の噂話でも考えてろよ。オマエはそれ目的で着いてきたんだろ」
リットは先程からチルカが執拗に投げてくる紙くずを、一払いですべて体から落とすと、普通の体勢で座り直した。
「もう考え終わったわよ。アンタがヘマでもしない限り、森の中を言葉が風に乗って広がるでしょうね。言っとくけど、ヘマってのは死ぬってことよ。ちゃちゃーっと適当にランプの調節をしてたけど、本当に大丈夫なんでしょうね」
強く光っているランプの炎を、チルカは頼りない瞳で見ていた。
なにか体に異変があるわけではないが、妙にそわそわと落ち着かなかった。グリザベルに言わせれば、テスカガンドに近づいているので、妖精のチルカは混沌とした魔力を敏感に感じ取っているとのことだ。
だがこれはチルカだけではなく、少なからず全員が感じているものだった。
もうすぐすべてが終わるという。不安と期待が入り交じった焦燥が、心の奥の方でもぞもぞと動き自己主張を始めている。それが闇に放り投げられた時の焦燥感にも似ていたので、チルカはリットがしたランプの調整を心配し始めたのだった。
「なんか問題がありゃ、一晩過ごせてねぇよ。問題がでりゃ、同じように調整するだけだ。そもそもランプの調整自体、行き当たりばったりの偶然の産物だ。なにを言われても、オレには法則はわかんねぇよ。闇の中で光るだけで儲けものと思っとけよ。別に太陽の光の効果が消えたわけでもねぇんだろ?」
「消えてたら、今頃アンタを呪いながら死んでるわよ」チルカは悪態の次に、大きくため息をついた。「たまには、頼られるための努力をしようとか思わないわけ?」
「オレを頼りてぇのか?」
リットは苦虫を噛み潰したような渋い顔でチルカを見た。普段なら絶対言わない言葉に、好意的な印象はなく、疑わしさがだけがふつふつと湧いてきていた。
「頼らざるを得ない状況だから言ってんのよ。太陽がない世界で、あのランプの炎は私の命の灯と一緒なのよ」
「自己憐憫に溺れんなよ。陸の上で器用なやつだな。それに、ここじゃ誰でも一緒だ。ランプの光がなけりゃ死ぬ」
「そういえば……ヴィコットはどうなのよ。すっかりランプの光で生活するようになったけど、闇の中を自由に動き回れるんじゃなかったの?」
「前に聞いた話じゃ、住んでた場所から離れるに連れて、闇の中で目が効かなくなってきたとは言ってたな」
「結局私達と一緒になったってこと?」
「私達って一括りにすんなよ。そもそもオレとオマエが別もんだろ」
「アンタって種族差別主義者なわけ?」
「価値観の違いのことを言ってんだ。差別してるとするなら、妖精全員じゃなくてオマエ一人のことを差別してんだよ。わかるか? アホ」
「私だってアンタとエミリアが同じ人間だと思ってないわよ。バーカ」チルカは歯をむき出しにして、イーっと威嚇をするが、急に怒られた犬のようにシュンと肩を落とした。「アンタとの会話が暇つぶしになるんだから世も末ねぇ……」
「のんきなこと言ってんなよ……本当に末まで来てんだからよ」
チルカとの意味ない会話が終わり、ヴィコットとグリザベルが帰ってくる。
皆で意味のない会話をし、食事をし、また意味のない会話を続ける。
意味のないとは無価値ではなく、誰も気にしない当たり前のことだ。日常の一部とも言える。この不安定で非日常の空間で、日常という時間を作り出したというのはとても重要なことだった。
協調性や意思の力などは無いにも等しいが、それがかえって普段の自分に近い性格のまま過ごせる要因だった。
リットの口から出る文句も、気を使いすぎず、普段どおり過ごせているからだ。
そんなリットのいつもの文句の一つである、暇で面倒くさいランプの番が終わり、床に寝転がって意識の外と内をウロウロしていると、突然ヴィコットに肩を掴まれ揺さぶられた。
リットが重いまぶたをゆっくり開けると、ヴィコットは満面の笑みで「さぁ、行くぞ」と声を掛けた。
「どこ行くってんだよ……。世の末の次は、あの世しかねぇぞ」
「どこって酒場以外あるか?」
ヴィコットはランプを一つ手に取ると、ドアの向こうまで歩き外でリットを待った。
「わかんねぇけど、ちょっと行ってくるぞ」
リットはランプの番をするグリザベルに声を掛けると、大きなあくびをしてから立ち上がった。
グリザベルは街で集めた鉱山に関する資料に目を通しながら「ゆっくり話してこい。たぶん正解などないがな」とリットの背中に声を掛けた。
リットは振り返ったが、グリザベルはまるでなにも言わなかったかのように、同じ格好のままただ目で文字を追っていた。




