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ランプ売りの青年  作者: ふん
二つの太陽編(下)

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第十六話

 河岸道から下りていく短い坂道を、重ねた陶製鍋が高くカチャカチャとぶつかり合う音を響かせて歩く。

 その音はランプの光を浴びると流れ出す川面まで続き、一度音が止むと、乱暴に地面に陶製鍋を置かれる音が響いた。

「旦那ァ、そんな扱いをすると割れちゃいますぜェ。せっかく美味しいものを作ってくれた鍋なんスから」

 人数分の水筒を首にぶら下げたノーラは、その一つに川の水を汲んで早速喉を潤した。

「作ったのはオレだぞ」

「作り方を教えたのはヴィコットすよ」

「でも、作ったのはオレだ」

「ほほーん……。旦那ってば褒めてほしいんスね。それなら褒めましょ。さすがは旦那っス。やる時はやるっすねェ」

 ノーラは右手の親指を立てると、白い歯を出して笑顔を浮かべた。言葉そのものは嘘っぽいものだったが、普段リットが作るスープに比べると雲泥の差があるので、あながち嘘だけの褒め言葉ではなかった。

 しかし、リットが求めているのはそういうことではなかった。

「美味い飯には対価が必要ってことだ。飯を食ったなら、皿洗いくらいしたらどうだ」

 リットに押し付けるように鍋を渡されたノーラは、受け取ったままのポーズで首だけをかしげた。

「これは皿じゃなくて、鍋っスよ」

「そう言うなら皿もおまけにつけてやろうか? だいたいサボるってのは息抜きだぞ。生きてくのに大切なのは息抜きだ。なのに飯を作らせて皿洗いまでさせる。で、残りの奴らはぐーたら一休み中ときたもんだ。今なら世の主婦の先頭に立って、旦那の尻を蹴飛ばして歩ける。まぁ、味方にはなるつもりはねぇけどな」

「世の主婦も、旦那が味方じゃなくてほっとしてますってなもんで。はっきり言ったらどうっスか? 私にじゃなくて、旦那の隣のエミリアに」

 ノーラは首を伸ばすと、リットの背中向こうにいるエミリアを見た。

「正論で返されるのがわかってるのに、本人に言うわけねぇだろ」

「影も消えるランプの光の中で陰口とは、旦那も洒落たことをしますねェ」

「こっちがいくら洒落ても、エミリアには通じねぇんだ。どうせ一言目には、口だけではなくて手も動かせだ」

「わかっているのなら、口だけではなく手も動かせ」

エミリアは洗濯物の山からシャツを引っ張り出すと、乾いて固まった泥汚れを手で払った。乾いた泥はかさぶたのように剥がれるが、布地にシミを残している。それを砂埃が出なくなるまで払うと、水を張った桶の中に入れた。

 手を抜くことなく、すべての洗い物に同じことをしようとするエミリアに、リットは呆れ混じりのため息をついた。

「聞いてたか? サボるってのは大事なことだって」

「リットも聞いていたのか? 口だけではなくても動かすんだ」

「どうせ置いていくものを、わざわざ洗う意味はないと思うんだがな」

 リットは渋々と鍋を川の水につけると、指の腹でこそぐようにして洗い始めた。時間が経って固まった汚れは、服についた乾いた泥を払うようにはうまく取れなかった。

「使ったのならば洗うのが道理だ。水が貴重ならば致し方あるまいが、幸いそんな心配をしなくていいからな。リットも人に貸したものが汚れて返ってきたら嫌だろう? 普通は洗って返すものだ」

 エミリアはリットが鍋を洗い出すのを見ると、安心して視線を自分がしている洗濯物に向けた。

「なら洗い物が必要になったら、食器は人に貸すことにする。それなら一生皿洗いをしなくて済むからな。それかノーラにやらせる手もある」

「しょうがないっスねェ……やりましょ」とノーラは袖をまくりあげてやる気を出して見せるが、すぐにリットが言葉を続けた。

「割れたら食器を洗う必要はなくなるからな」

「いけずっスねェ……。せっかく手伝おうと思ったのに」

「本当に手伝う気があるなら、今度は終わりそうになる前に言ってくれ」

「それじゃあ、本当に手伝うことになるじゃないっスかァ。フリだけなんだから、終わりに差し掛かってから名乗りあげないと」

「それをやった結果が、オレの飯作りと食器洗いに今夜の最初の火の番だ。一つの失態の弱みに付け込むとは、詐欺師になれる才能がある。見習いたいもんだ」

 リットはエミリアに向かって話を聞けと言う代わりに、洗ったばかりの鍋を音を立てるようにして地面に置いた。

「リットもしつこいな……。しっかり鍋を洗ったのならば、火の番の順番は代わってやる。それでいいいか?」

 というエミリアの声を最後に、言葉はしばらく消え去った。

 代わりに、水の中で布をこすり合わせて、汚れを浮き出させる音が静かにだが大きく響いた。

 返事を寄越さないリットに、エミリアは「どうしたんだ?」と訪ねて、洗濯物から視線を上げた。

 リットの顔は川に向いていた。それも手元の川面ではなく、遠くを眺めている。

「ありゃなんだと思ってな」

 リットはランプを持つと、指で差す代わりに、そのランプを自分が見ていた方角に向けた。

 マルヴィー川の真ん中あたりに、家が川に浮くようにしてぽつんと建っている。

 ランプの光が届いていないので、その全容は確認できないが、石造りで縦に長い家だった。

 エミリアは「わからない」と声に出してからも頭を悩ませたが、やはりなにかわからなかった。浅瀬になっている様子もないし、仮に浅瀬だとしても雪解けの水が流れるマルヴィー川では水に飲まれてしまう。

 考えているエミリアの横で、無言で立ち上がるリットに続くようにノーラも立ち上がった。

「美味しいものが残ってるといいんスけどねェ」

「もしかして、あの家に行くつもりなのか?」

 立ち上がるエミリアに、リットは振り返らずに「乗れそうな小舟でも見つかりゃな」と言った。

「危険だ。許可をすることはできない」



 船がキイキイと動物が威嚇をする鳴き声のような音を上げながら、川を渡っていく。まるで川底に身を潜めて、こちらに危険を伝えているかのようだ。

 ノーラが舟上で姿勢を変えるたびに、川面のうねりに合わせて船が大きく揺れた。

 暗い川のまっただ中で、舟の軋む音と川の流れる音に、エミリアのため息が混じった。

「なぜ……こんなことに……」

 エミリアは握っているロープを更に強く握りしめた。

「なぜって、公平な多数決の結果だろ。別に遊びに行こうってわけじゃねぇんだ。なんか見つかったらラッキーくらいに思っとけよ」

 リットが気楽に言うと、ノーラも脳天気に続いた。

「そうですよ。しっかり探索して、物資の調達をするのは重要っスよ」

「万が一があったら危険だから言っているんだ。闇に呑まれた中で舟が転覆したらどうする」

 エミリアは握っているロープを手元から辿るようにして岸を見た。

 ロープはしっかり結ばれているし、小舟も状態の良いものがあった。目指している家もそう遠くはない。

 エミリアの心配は現状についてではなく、準備不足の心配だった。しっかり話し合い、意見を交換し、答えを吟味したうえで今と同じ結果になっていたら、過剰な心配はなくなっていたが、リットに言いくるめられ、ノーラのその場の返事に引っ掻き回され、二人のペースにはまってトントン拍子で小舟に乗り込んだことが、エミリアがうなだれる理由だ。

 心配事一色というよりも、流されてしまった自分への自己嫌悪と半々といった具合だった。

「だから、そのロープは離すなよ。こっちは櫂を漕いでんだからな」

「この丈夫なロープを見つけたことに後悔しているところだ……」

 ノーラは「まぁまぁ」と、慰めるようにエミリアの肩を叩いた。「普段は腰が重いのに、自分の気になることはすぐ確かめないと気がすまないのが旦那っスから」

「まるで子供だな。いや、まだ子供のほうが聞き分けがいい」

「それが旦那のいいところなんスよ。興味が出るように仕向ければ、あららほららと動いてくれるってなもんで」

「それはわかっている。そんな性格じゃなければ、この調査への参加は断られているからな。だが、やはりしっかり話し合うことは大事だ」

「済んだことは考えないようにするのも大事なこった。そんなんだから目の前のものも見落としちまうってわけだ」

 リットは櫂の先で石の壁を叩いて、目的の家に着いたと知らせた。

 ノーラと話していて気付かなかったエミリアは「いつもとまるで逆の立場だな」とこぼした。


  土台は太く頑丈な石柱で、川底の奥深くまで突き刺さっているような安定感があり、遠くから見えていたように家自体も石レンガで作られている。

 家へと入るための階段だけは木で作られていたようで、川に流されてなくなっていたが、充分に手で這い上がれる高さだった。

 家の中に入る前に辺りを見渡すと、同じような建物が二つ間隔をおいて作られていた。

 中に入ると石の壁は見えず、四壁に高く木箱が積まれて隠されていた。

「これは倉庫だな」とエミリアが木箱を見て言った。

 両親が船で輸出業をしているので、木箱の作りには見覚えがあり、エミリアは迷うことなく断言できた。

 この家は冬の間の川が凍る時に使っていた一時保管のための倉庫で、そのために川の真ん中に建てられていた。

 要はトナカイの獣人の船着き場と言える施設であり、いくつか荷物が残っていることから、ここが闇に呑まれたのは冬の終わり近くということになる。

 倉庫だと聞いたノーラは「一つくらいは当たりが入ってないっスかねェ」と、心を弾ませて蓋に手をかけるが、しっかり釘打ちされてるのでなかなか開けられずにいた。

「叩き割ったほうが早いだろう」

 リットがランプを自分の横にある木箱に置くと、櫂を振り上げた。

 しかし、エミリアが「待て………」とナイフを取り出したので、両手を高く上げて櫂を床に落としてしまった。

「……やるなら、一思いに心臓を突き刺してくれ」

「なにをバカなことを言っているんだ」

 エミリアはナイフを蓋と木箱の隙間に差し込むと、こじって隙間を開けた。ナイフを滑らせて隙間を広げていき一周すると、釘が浮いて指を入れる隙間ができた。後は蓋を持ち上げるだけで簡単に開いた。

 その手際の良さに、リットは思わず短く「おお」と感嘆の声をもらした。

「見事なもんだ。盗賊になれる。そうだ――」

「たとえ兵士を辞めることになっても、リットと盗賊をする気は微塵もないぞ」

「決めつけるなよ。まだそう言ってねぇのによ」

「あそこから他の言葉が出てきたら驚きだ。とにかく、無用に荒らさず、必要なものだけを探すように」

「それはオレにじゃなくて、冬眠明けで腹をすかせた子熊にでも言ってやれ」

 そう言ったリットの頭に、埃臭いシャツが投げられた。シャツの隙間からは、ノーラが木箱に頭突っ込んで、食べ物を探すために邪魔なものを投げ散らかしている姿が見えた。

「今から注意するところだ」とエミリアがノーラの元へ歩いていくと、リットは早速見よう見まねで木箱の蓋を開けようとした。

 エミリアのようにスムーズにはいかず、蓋は破損してしまったが、リットがいちいち細かいことを心配するはずもなく、割れた木くずを手で払いのけると、蓋を開けた。

 中に入っていたのは、どこかの種族の工芸品らしきものだった。中には値打ちがありそうなものもあったが、いくらリットでもこんなものを持って歩く余裕などないとわかっているので、さっさと蓋をして、次の箱の中身を確認した。

 三人が手分けして箱を開けたが、中身はどれも同じようなもので、今現在役に立たないものばかりだった。

 唯一使えそうなものは、破れたり擦り切れた服の着替えくらいなもので、リットがさっそく新しいシャツに袖を通していると、ランプが床に置かれる音の後に、ノーラの「おお!」と裏返り気味の歓喜の声が聞こえてきた。

 ノーラは「見てくださいよ」と箱に詰まった芋を一つ取って、リットに投げ渡した。

「なんだこれは……新種のカニか?」

 リットは奇妙なものを見る目で、受け取った芋を見た。カニの足が生えているのではないかと思うほど芽が伸び切っているせいだ。

「芽が伸びた芋なんて珍しくもないだろう」エミリアも木箱の中から芋を一つ手に取って確認した。「リゼーネでも芽の出た芋は売られている。芽を取り除いて食べればいいだけだ」

「そういえばリゼーネの特産は芋でしたねェ。カボチャにも飽きてきた頃に、いいものを見つけましたってなもんで」

 ノーラが早速持って帰ろうと芋に手を伸ばすと、エミリアがその手を掴んで止めた。

「その皮が緑に変色した芋は食べられない。緑化した芋は食中毒になることもあるからな」

「詳しいですねェ」

「見慣れているからな。催芽させる種芋は日に当てる。そうすると殆どの芋が緑化するんだ」

「なら、食べられるのを選んで持っていきましょ。エミリアも懐かしい味が食べられますよォ」

「リゼーネの芋とは違うが……確かに久々だな。結果論だが、思いつきの行動も悪くないように思える」

 ノーラの胸の躍りに感化されたように、エミリアも積極的に芋の仕分けを始めた。

 リットはそれを手伝うわけでもなく、最初に受け取った芋をずっと眺めていた。そして、おもむろに「芋ってのは日に当たると緑化するのか?」と聞いた。

「そうだ。だから芋の保管は暗い場所と決まっているだろう。緑化は普通のことだぞ。畑の芋も地表に出て光が当たれば緑化するものだ」

「日の当たらない闇の中で、腐らずに緑化したってことか?」

 リットの言葉に、エミリアは突如切っ先を向けられたかのように目を丸くした。

「私には身近なものだったから気付かなかったが……たしかにそうだ。ノーラ、この芋の入った木箱はどこにあったんだ?」

「すぐそこですよ。旦那がランプの置き場にしてた木箱っスよ。そのせいで、最後に開けることになりましたけど」

 エミリアはランプと芋の入った木箱を交互に見やった。

「一度……箱ごと持ち帰ったほうが良さそうだな」






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