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ランプ売りの青年  作者: ふん
二つの太陽編(下)

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第十四話

 枯れた倒木を跨ぎ、また跨ぎ。腐った倒木を踏み抜いて体勢を崩す。ランプの明かりで湧き出て、流れていく川水は渇いた土を染めてぬかるみを作り、潤滑油のように砂利の隙間に泥を走らせた。

 深い森は朽ち、阻まれることはないだろうと思っていたが、予想以上に足元の悪い道になっていた。

 一番大きな荷物を持っているハスキーは、揺れる綱の上を渡っているかのように体を多く揺らして、なんとか転ばないように歩いている。

 この森を歩いている間、何度かヴィコットが木を削って杖を作ってみたが、中身がスカスカの枯れ木では数度体重を預けただけで、まるで砂が崩れるように折れてしまった。

 全員が跨ぎ、体勢を崩して歩く中、一人チルカだけは自由に辺りを飛んでいた。

 右へ左へウロウロと飛ぶチルカはハエのように邪魔で、そのことが原因で何度かリットと口喧嘩をしたものの、今日に限ってはチルカは何も反論せず、それどころか何も聞こえていないように、ウロウロと行ったり来たり、闇に包まれたランプの光のカゴの中を飛んでいた。

 眉を寄せて何かを考えると、その顔のまま別のところへ飛んでいき、さらに眉間のシワを深くさせる。答えが出ない鬱憤を発散させる代わりに、口を細めて鋭く息を吐くと、また右往左往と飛び回る。

 そんなことを何度も繰り返し、ようやくエミリアの肩に止まると、その肩に腰を下ろして落ち着いた。

 エミリアもチルカの行動が気になっていたので、すかさず「どうしたんだ?」と聞くが、やはりチルカはまた眉を寄せてため息をついた。

 時間が凍りついたかのような無言の時間。それは数えれば片手で事足りるわずかばかりのものだったが、やけにチルカが重々しい雰囲気を出しているせいで、倍以上長い時間が流れていたような気がした。

 やがて長い溜息を出し切ったチルカは、一度強く口を結んでから、ゆっくりと口を開いた。

「……森が死んでいってる」

 その声は誰かの葬儀の最中のような悼みの声だった。

 エミリアは同感ではなく、先に疑問が思い浮かび上がった。

 ここは朽ちた枯れ森。森の死は進行形ではなく、過去に終わったものだと思えるからだ。そして、その思ったことをそのまま口に出した。

「死んでいる。では、ないのか?」

「私も気付いたのはたった今よ。森の死に際の声が聞こえるの」

 チルカが耳を澄ますような動作をしたので、エミリアも足を止めて耳を澄ませたが、何も聞こえては来なかった。

「私には声を聞かせてくれないな。もっとも私に流れるエルフの血は薄く、厄介な体質を身に染めただけのものだ。都合よく聞こえるというのは無理があるな。それで、森はなんと言っているんだ?」

 エミリアは言いながら朽ちて木片のクズ塊になった木を跨ぐと、また足を進めだした。

 チルカは「まぁ……」と言葉を濁した。そして少しバツの悪い顔をしてから「声というのはただの表現の仕方で、感覚の話よ。でも、言葉よりも確かなものだわ」と言い切った。

 エミリアはもう一度、耳を済ませるように神経を研ぎ澄ませて辺りの様子をうかがったが、人数分の足音が響くだけで、チルカの言う感覚というのは理解できなかった。

「やはり私にはわからないな。具体的にどんな感覚なんだ?」

「そうねぇ……身に纏った薄い衣が一枚一枚剥がれ落ちていく感じよ。肌に残る衣服の温もりの残骸が消えていく切なさに似ているわね」

「わかるぞ。脱ぎ小屋に入る時の情熱と、出た時に火照りを冷ます風を感じるようなものだろう」

 そう言ったヴィコットを刺すような瞳で一瞥だけして、チルカは再びエミリアと会話を始めた。

「で、それが急に感じるようになったから、森が死んでいってるって言ったのよ。今もずっと歩くたびに感じてるわ」

「気を悪くしないでくれ。私には妖精の感覚というものがわからない。だから、今森が死んでいっていることに不都合を感じ取れないんだ」

「エミリアも言ってたでしょ。死んでいるって。既に死んだものが、また死んでいったらおかしいと思わない?」

 ヴィコットが元気よく手を上げて、既に一度死んでいるゴーストの自分をアピールするが、チルカは話を振るとややこしくなると踏んで無視を決め込んだ。

 ヴィコットは行き場のなくなったその手を、リットの肩にゆっくりおろした。

「おい……また無視されたぞ」

「なら、もう一度死んでから話しかけろよ。そうすりゃチルカの言ってるのと同じ意味だ」

「うーむ……もう一度死に、生まれ変わったら人間になるのか。それともまたゴーストになるのか……それが悩みどころだ」

 本気ではなく悩んだふりをするヴィコットを見て、リットは「ゴーストね……」と呟いた。

「どうした。奥歯に物が挟まったような言い方をして、歯に衣を着せない言い方がリットの個性じゃなかったのか?」

「異質な生命とは異質の地に生まれるもの。って言葉を知ってるか?」

 リットはいつだったか絵画のゴーストのダルダーノと話した時に、彼がそう言っていたのを思い出した。

「知ってるぞ。ダルダーノの爺さんに口酸っぱく言われていたからな。用があるなら呼ぼうか?」

 ヴィコットは落ちている枝を数本拾うと、それを束ねてリットに火をつけろと差し出した。

「まぁ、用があるってわけじゃねぇんだけどな……」と、ポケットに入っていたマッチ箱を取り出してマッチを擦った。

 枝に火が燃え移ると、影の映らない光の世界に自分の分身とも呼べる同じ動きをする影が現れた。リットの影も、先頭で話をしているエミリアとチルカの影も本人の動きに追従するが、ヴィコットの影だけが自分の意志で動いている。

 いつもは食事時の焚き火か、テントを張った時の焚き火にしか姿を現すことができないので、影は驚いたように辺りを見渡した。そして火をつけたのがリットだとわかると、なにかあったのかとリットに向かって影を伸ばすが、影が触れる前にリットは枝の火を吹き消した。

 息に吹かれて火は一度大きく燃え上がり、影を長く伸ばしたが、火が消えるのと同時に影も姿を消した。

 再び影のない明るい世界に戻ると、ヴィコットは肩をすくめた。

「なにをしたいのか、まったくわからん」

「だろうな」とリットも肩をすくめる。「オレにもわかんねぇ。答えが出そうになったかと思えば、急に飛んでいっちまった」

「悩みがあるなら聞いてやるぞ」

「言葉にできるなら、最初から言葉にして聞いてるよ」

 ヴィコットはリットの肩を抱くと、顔を近づけて周りに聞こえないような小声で話しだした。

「言葉にできない悩みか……それは厄介なものだ。そういう時はな。たいてい感情が蓋をして、言葉の出口を塞いでいる。それも無意識にな。こういう時はどうすればいいかわかるか?」

「さぁな。どうすりゃいいんだ」

「わからん」ヴィコットは抱いていた手でリットの肩を叩くと、ガハハと笑いを響かせた。「そのうち蓋を持ち上げて、勝手に流れ出てくるものだ。気長に考えることだな」

「もう、なにを考えてたかもわかんねぇよ」

「そうだな……差し当たっては……熱い視線を向けているお嬢さん二人のことでも考えるんだな」

 ヴィコットはもう一度リットの肩を叩くと、大股で踏み出し、一歩前にいるノーラの隣に並んで歩き出した。

 さらにその先。先頭では、エミリアと睨むような視線を送るチルカがいた。

 リットと視線が会ったエミリアはグリザベルにランプを渡して先頭を歩かせると、自分は後尾にいるリットに向かって歩き出した。

「何度も呼んでいたのだがな」

 と言うエミリアの肩に座ったチルカが「楽しかったみたいね。ヴィコットとのお喋りが」と苛ついた様子でいた。

「熱い視線ね……。どう見ても冷ややかな目だな。知ってるか? 女ってのは視線で男を殺せんだぞ。二つの意味でな。その目はどう考えても息の根を止めるほうの殺すだな」

 エミリアは「まったくわからん」とすっぱり話を打ち切ってから、自分の話を始めた。「呼んでいたのは、リットの見解を聞きたいからだ。聞こえていただろう。私とチルカが話していた。森が死んでいくという話は」

「この距離で聞こえないような爺さんだったら、森が死ぬ前にオレが死んでるな」

「ついさっきまでの呼びかけが聞こえてない奴のセリフじゃないわね」チルカは呆れて見せると、「闇に呑まれるという現象と、その中で光るアンタの作ったランプが関係しているのかも知れないってことよ」とリットが持つランプを指して言った。

「なんだ、オレが森を殺してるとでも言うのか? いいか、この森を殺したのはグリザベルの婆さんの婆さんのそのまた婆さんのと、気の遠くなるババア数えをした後に出てくるディアドレのせいだぞ」

「アンタが森を殺してるなら、先にアンタを殺すまでよ。そうじゃなくて、ランプの光で時間が動き出したんじゃないかって言ってるの。この光を浴びて、闇に呑まれて止まっていた時間。死の寸前の声が聞こえてきてるんじゃないのかって」

 リットは鼻でバカにして笑ってから、チルカに向かって無言でランプを近づけた。

「……なによ。別に太陽の光が足りなくて、弱って変なこと言ってるわけじゃないわよ」

「いいや、この光を浴びてチルカが皺だらけの婆さんになったら、信じてやろうと思っただけだ」

 チルカはリットの右頬に蹴りを入れると「おっそろしい実験してんじゃないわよ!」と耳元で叫んだ。

「いてぇな……身をもって証明してこそだろ。だいたいだな、そんなのグリザベルに聞けよ」

 エミリアはチルカをリットから引き離すと「グリザベルの中に答えか式があるのならば、自分から話に入ってきている」と言った。

「たしかに。咳払い、足音、高笑い。ありとあらゆる自己主張を挟んできて、偉そうに講釈垂れるに決まってる」

「こら! リット! 聞こえておるぞ!」

 グリザベルが先頭で急に足を止めて振り返ったせいで、その後ろを歩くハスキーとぶつかってしまった。屈強なハスキーとぶつかり、為す術なく体制を崩したグリザベルはそのまま転んでしまう。

 エミリアは「まったく……とにかく、考えておいてくれ」とリットに言うと、駆け足でグリザベルに駆け寄り、ランプを受け取ると再び先頭を歩き出した。

「そんなことありえるのか? 聞こえてただろ」

 リットはすぐ前にいるヴィコットに声を掛けた。

「この距離で聞こえないような爺さんだったら、森が死ぬ前にオレが死んでる」

「もう死んでんだろ……。まぁ、それは聞こえてたってことだな。闇に呑まれた中にずっといるんだろ。時が止まっていたような感覚とかなかったのか?」

「オレ自身、時間が止まっているような存在だぞ。それに時間が止まっているとしたら、止まった中で生まれたオレはそもそも気付かんだろ。だが――リットが光を当てて沢に水を流した瞬間。あの時は時間が動いた感じはした。ということは、時間が止まっていたのかもしれない! ――ということだ」

 ヴィコットはおどけ口調で言った。

「こっちは意地の悪いクイズをしろって言ってんじゃねぇんだぞ」

「人生の選択。そのすべてが意地の悪いクイズみたいなものだ。答えはいつも遙か先の未来だ」

「つまり、わからねぇってことだな」

「そう言い切ったらかっこ悪いだろう。だから、答えはいつも遙か先の未来だ。わかったな」

「まぁ、別に答えを聞いてたわけじゃねぇんだからいいんだけどな。聞きたかったのは、長く生きたアンタの意見だ」

「まぁ……色々疑問は残る。時間が止まっていたのなら、生命はどこへいったのか、なぜ植物は枯れ朽ちたのか。その証明ができない。まぁ、そもそもが証明のできない現象の渦の中だがな。無理に答えを求めないことだ。そのうち急に落ちてくることもある。それを拾うことは恥でもなんでもない」

「答えを求めてるのはオレじゃなくて、向こうのお嬢さん二人だ。残念ながら、熱い視線は向いてないけどな」

「別に今の話題に限ったことじゃない。答えというのは、そういうものだと言っているんだ」

 ヴィコットは優しい目で笑みを浮かべると、リットの肩に手を置いた。それをリットは剥がすようにして手を払った。

「着飾った言葉で誤魔化してるけど、結局はなるようになるってことだろ」

「おい、リット……。言葉というのは女と一緒だぞ。美しく着飾ったのならば褒めなければ」

「なるほど。化粧に隠れて素顔が見えないのまで女と一緒だな」

「まったく……リットには一度、女心というやつを一から教えてやりたいもんだ」

「女心を理解できるなら、とっくに男をやめて女になってるだろ」

 リットが笑おうとした瞬間。耳元でチルカが「もう着くって言ってんでしょ! このバカども!!」とがなりたてた。

 リットが耳を抑えながら視線を向けると、既に森を抜けて、マージルの街の看板の切れ端が見えていた。

 チルカは「まったく……」とツバ吐き捨てるように言うと、エミリアの元まで飛んでいった。

「おい、ヴィコット……。アイツの女心も教えてくれよ……なにをプリプリ怒ってんだ」

「そりゃ、オレ達が話を聞いてないから怒ってるんだろう。まぁ、ゆっくり休めば答えも出てくるってもんだ。進むべき先は未来だ」

 ヴィコットはガハハと笑いながら足を早めて歩いて行った。






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